第161話 ヒロイン育成計画㉒
キィィィィ
伊武がゆっくりと扉を開けた。やはり中には2人しかいない。
「君は…伊武祥菜!何で!?平気なのか?」
「……平気です。…敵は、どこですか?」
扉を開けても壁に押しつけられることはない。やはり部屋の中に入ることが発動条件なのだろうか。
(敵じゃなく伊武祥菜だと?何でだ?そして何で彼女は平気なんだ?)
このビルで自由に動けるのは犯人だけだ。
だが伊武祥菜は地に伏すこともなく壁に磔にされることもなく、普通に立って階段でこちらまで降りて来ている。
確信した。やはりこの能力は重力ではない。
「伊武祥菜、こちらに来るな!」
助けを求められるのではなく近付くことを拒否された。
「…どうして?このままじゃあなた達は壁を突き破って落ちてしまう」
だが伊武祥菜は鬼束達の言うことを聞く理由も義理もない。
時雨のために鬼束達を助けるのが目的なのだ。ここで扉の前で突っ立っているだけでは何も変わらない。
来るなと言われても入るしかない。
ペタッ
伊武が一歩踏み出して部屋の中に入った。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ」
「がぁっ、また力が!?」
「………」
「グギギッ、零兄、市丸兄。4階はどうなってる!?敵の超能力者がそっちにいるのか?」
四者四様のリアクション。
零はさらに壁に押しつけられ市丸と壁のサンドイッチ状態。市丸も零がクッションになっているとはいえ既に体は地面についていない。浮いている状態だ。ひたすら横向きの力を受け続けている。
丹愛のリアクションはない。『高鬼』を切らさないように壁に押しつけられていても意識だけは飛ばさないようにしていた。立ち上がれるくらいにはなったがダメージ自体は残っている。4人の中で最も深刻なのは丹愛だった。
実録はさらに強くなった重力に苦しんでいた。急に強くなったということは敵能力者に何らかの動きがあったということ。そして零が誰かと会話しているのが聞こえた。4階に『超能力者』がいると踏んでの反応だった。
「えっ?何で急に?」
一歩踏み込んだだけで鬼束達が苦しみ出している。何もしていないのに何が何だか全く分からない。
「伊武祥菜、来るな!お前が力の源だ!」
「力?源?」
『伊武さん、零の声が聞こえるけどそっちはどうなってるの?』
零の大きな声が電話越しの時雨にも届いた。零の生存は確認できたが、切羽詰まった様子で伊武以上に状況が分かっていない。
「もしもし時雨ちゃん、私が部屋に入ったら鬼束達が苦しみ出した。私が力の源だって…」
自分が原因。来るなと言われた。言うことを聞く必要はないが、入った途端に苦しみ出されたら入りづらい。
(私が近付くほど壁に押しつけられてる?源?私が能力の中心になってる?侵入者に何かされた?)
鬼束達が苦しんでいるのに自分は平気。部屋の中央にある大穴は今鬼束達が押しつけられている力によって開いたものだろう。
(私は時雨ちゃんと電話してただけで誰にも会ってない。…相手を直接操作するんじゃなくて、第三者を媒介して発動する能力……)
そんな能力があり得るのか?守られなくても良い能力を求めたのに、言ったそばから能力に支配されている。なんて無様な結果だ。
(奈津緒君に会わせる顔がない…)
『伊武さん、部屋から出てみて!』
「えっ、う、うん」
部屋に入って苦しみ出したのならその逆。
伊武は一歩後ろに下がって部屋から出る。たった一歩だが———
「………あれ?」
「……なんか、軽くなった」
市丸と実録は変化を実感した。
「……ずっと市丸が乗っかってるから分からないが…やはり距離が関係してるのか…。市丸、今どんな感じだ?」
「えぇと…さっきまで横向きの力で零兄の方に引っ張られてたけど、今は少しだけ軽くなってる」
それを聞いて零は目を閉じて『隠れ鬼』を発動させる。
「………丹愛は変わってない。階段は伊武祥菜の真下だから一歩程度じゃ変わらないみたいだな。実録!今軽いだろぉ!」
「うんー、軽いよー立てないけど少しだけ軽くなったー」
「分かった」
「…時雨ちゃん、鬼束さん達少し楽になったみたいよ。私の場所次第で変な力の掛かり方が変わるみたい」
『伊武さんのいる場所で?それってさっきの滝波夏帆みたいな、距離で発動する能力ってこと?』
「みたいね。……私に呪いみたいなのが掛けられてるなら5階に戻った方が良さそうね」
『呪い………』
〜〜〜
「奈津緒君に守られなくても大丈夫な力。そして奈津緒君の隣で戦える力が欲しい。これが私の願い…」
〜〜〜
(……呪いじゃなくてそれって………いや、それは伊武さんが自分で気付くこと…。彼女の願望が表に出たものならきっと気付けるはず…)
♢♢♢
———大島総合病院
院内を一斉に捜索。駄愚螺棄の残党がいないことを確認して、ようやく警戒体制が解かれた。被害者の救護、事情聴取と病院内は慌ただしい状況が続いていた。
12階の元祥菜の病室。
桝飛セキュリティサービスの枚方、桂西は豊橋刑事から聴取を受けていた。と言っても見知った仲。警察の記録に残すための形式的なものであり、駄愚螺棄とは無関係で入院患者の身辺警護を頼まれただけというシナリオにしている。
「…豊橋刑事。さっきのあの枚戸という警察官。彼は信用に足るのですか?」
豊橋刑事が12階に来る直前。口を開こうとしない枚方桂西に対して、何らかのアクションを起こそうとしていた。豊橋刑事が来たことでそれは未遂に終わったが、ただ駄愚螺棄を警戒している警察官とは思えない何かがあった。
「……半々ですね。駄愚螺棄を潰しておきたいという気持ちに嘘はないでしょう。しかしあなた方に何か仕掛けようとしていたところを見ると、それだけではないように思えます。自ら出張る程までに駄愚螺棄に注目しているのも気になる。正義感使命感だけでは説明が付かない…」
あの場で豊橋と枚方らの繋がりを隠そうとしていたところから見ても豊橋が協力関係を築きつつも全幅の信頼を寄せていないのは明白だ。
「……駄愚螺棄とは無関係。だけど、超能力と無関係とは言えない。違いますか?」
「!? …いや、扉の前にいたのだから聞こえているか。…一旦屋上に移動してから話をすれば良かったな」
「もちろん業務中に知り得た情報を他言するつもりはありませんし仲間内…社長にも言いません。しかし、知ってしまったから言いますが、もう我々だけでどうにか出来るレベルを超えていると思います」
「………それについては同感だ。最後にじっくり話せたのは2日前だから会って話をしないとな…。女島や…可能なら事情を知る貴方達にも同席願いたい」
「……もうここを見張る必要はない、ということですね」
「一昨日とは比較にならないくらいの話題になった以上ここにいる方が危険です。一応神原君に電話で確認はするつもりですが、まだ近くにいるはずだから私物を回収しにここに来てもらうのも良いでしょう」
「……結局ここには来ませんでしたが、警察内に駄愚螺棄の内通者がいるんですよね?神原君がここに来たらマズいのでは?」
「いや、さっきの一斉捜索で出て来なかったということはこの捜査に参加していないか用心深いかですね。それに警察という身分があるのならここで神原君や伊武嬢を執拗に狙わなくて良い。いても釣れる可能性は限りなく低いでしょう」
スパイの動向も気になるが、もう一つの方も片付けなくてはならない。
(……まずはこの病室をまっさらにする方が先か…)
———ヒューザ広場
「———はい、分かりました。麦島と向かいます」
「もしかして…豊橋刑事〜?」
「あぁ、大島総合病院から枡飛セキュリティサービスを撤退させるから、祥菜の私物とかを回収してくれだってさ。…最低限の配慮なんだろうが、俺も一応男なんだけどなぁ…」
「彼氏ならまぁセーフでしょ〜。それに伊武さんの私物ってデートの時のカバンとかスマホとかでしょ〜?伊武議員なら母親であっても近付かせないようにしてると思うから着替えとかはないと思うよ〜」
「…ならいいか。それと、豊橋刑事から近い内に集まれないかって話が来た」
「…それって〜作戦会議だよね〜?」
「あぁ」
ドクターとの交渉、駄愚螺棄の襲撃。たった2日だが色々な事が起こった。それに枡飛セキュリティサービスが超能力のことを知ってしまった。駄愚螺棄撃退に協力してもらった以上もう無関係ではいられなくなる。
元より警護にかかる金銭問題も解決していない中で危ないからサヨナラは通らない。
「とりあえず祥菜が帰って来てからやりましょうと伝えておいた。祥菜も『超能力者』になったのなら祥菜も聞く権利と義務がある。………」
最後の無言に、恋人を戦力に数えてしまっていることへの神原の苦悩がうっすらと見える。
(駄愚螺棄の襲撃はおそらく止まるが、0にはならない。武功を求めてルールを破って狙って来る奴がいないとは限らない。酷な話だが、露出を抑えるためにテニス部を辞めてもらうことも検討しなくちゃな)
———大島総合病院 搬入口
「……まさか、1日に2回もここを通ることになるとはな」
「規制線もなくなってたし〜、病院は通常業務に戻ったで良いのかな〜?」
「まだ豊橋刑事以外の警察官はいるはずだから気を付けないとな。駄愚螺棄がいなくなっても正面から入らせなかったってことは、つまりそういうことだろ?」
「……そうだね〜。前に豊橋刑事が言ってた『警察を信じるな』がこういう形で証明されるとはね〜」
「あの時は能力関連だったが、まさか駄愚螺棄の方も該当するとは思わなかったな。豊橋刑事から聞いた時は漫画かよって思ったけどな」
「そっちの方がまだあり得そうって思っちゃってるのがヤバいね〜」
こんなバタバタの中で業者は入って来ない。だから別の業者と鉢合わせになることはなかった。
豊橋刑事の手引きがあるとは言え、こうもあっさり入れるのは管理体制に疑問視せざるを得ない。
もし豊橋刑事の言うように、警察内部に駄愚螺棄関係者がいたら侵入し放題だ。
業者通路から受付の方を覗いてみると、警察官が椅子に腰掛けた人らに話を聞いているようだ。
「襲撃時に受付にいた人達かもな」
「なんか…巻き込ませて申し訳ないね〜」
「豊橋刑事の話だと看護師さんが何人か重症みたいだ。祥菜の病室を聞き出すために暴行を受けたみたいだ。今の所死者はいないって…」
「…もし誰かが死んでたら………」
自分達が大島総合病院に行ったせいで起こった惨劇。自分らがずっと隠れていたら痺れを切らして襲撃されていたからこの悲劇は避けようのない確定事項だった。
そうなればもっと手前の駄愚螺棄のトラブル……さらに手前の『超能力』関連となっていく。駄愚螺棄は悪だが、奴らもまた『超能力』に翻弄された被害者だ。
(ドクターが俺を『超能力者』にした。今まではそう思ってドクターを憎んできた。けどドクターにも目的があった。その目的のために俺やcomcom、白ウサギを『超能力者』にして、麦島や祥菜を『超能力者』にしていった。ドクターが元凶だが、奴もまた『超能力』の被害者。……テメェらで勝手にやってろって話だよホント。10年前にドクターに出会わなかったら…俺はもっと平和に過ごせてたのにな……)
「……ドクターと手を組んで能力者達を潰すぞ。復活能力者と複製能力者を殺してこんな悲劇が生まれないようにする」
「……うん〜、そのために邪魔なモノは可能な限り減らさないとね〜」
世界を救うなんて大層な目標は掲げない。
神原が求めるのは自分の平和だけだ。平和を脅かすモノは排除する。世界を救うのはそのための手段であり目的ではない。
麦島もそんな神原の平和のために最大限尽くすと決めている。
悲劇を目の当たりにしたことで、2人の中でスイッチのようなものが入った。能力が飛躍的に向上するというものではなく、あくまで心掛けというだけだ。
今まで誰かを巻き込むことを良しとしていない神原だったが、それを言っていては能力者に勝てないし、今回のような第三者の妨害を許してしまうことになる。
目的のために利用できるものは利用する。代価は後で考えれば良い。病室で麦島が言った通りだ。
「業者用のエレベーターがあるはずだ。それで上がれるところまで上がるぞ」
「オッケー」
♢♢♢
———都内某所
自分に呪いがかかっていて自分のいる場所……正確には鬼束との距離に応じて力の掛かり方が変わることに気付いた。
彼らを助けようと近付いても逆に彼らを苦しめることになる。そんな状況において伊武はふと気付いた。
最低だが最善のことを———
「鬼束…零、で良いのかしら?あなた、ドクターの『超能力』を知ってるの?」
まだ重力は残っている。彼女がもっと離れれれば自由に動けるようになるが、伊武祥菜は5階に戻らずこちらに質問をしてきた。
「……知らない。ドクターは秘密主義だ。アビルという単語でさえ教えてもらったのはつい最近だ」
「へぇ…そうなんですね。ドクターの『超能力』は未来予知に関連してると思うんですよね」
「なっ!?」
「…やっぱり」
しまった!と零が後悔してももう遅かった。
「秘密主義にしては随分と緩い口をしてるんですね」
「な、なんで急にそんなことを聞くんだ!」
動揺しているのは市丸も同様だ。彼氏経由で彼女も恐怖対象になっているが勇気を出して聞かなくてはならない。
「…『超能力者』がいる。でも一向に姿を見せない。どうやって私が能力の中心になるようにしたのか分からないけど、敵の目的は『超常の扉』。でもドクターは不在みたいね」
零の反応から未来予知に相当する能力であることが確定した。未来が多少分かるのにこの状況にいない。
全ての未来を見れるわけではないが大局では判断ミスをしていないように感じた。使用頻度の制限が条件に組み込まれているのかもしれない。
それらをまとめると、ある可能性が出て来る。それは二択で片方だった場合、条件達成だ。もう片方はドクターの秘密主義が本物であることの証明になる。
だが自らの能力を打ち明けた中でそれ未満の秘密を隠し続けるとは思えない。前者に違いない。
(………ふふっ、少しずつ考えた先に答えに辿り着くって面白いわね。…数学の途中式みたいな感じ)
であるならば、これからやろうとしていることに躊躇いはない。
逆にドクターの未来予知能力がどれほどのモノかを確認する絶好の機会だ。
「奈津緒君はドクターと手を組んだ。手を組むなら相手の能力は把握しておきたい、当然ね。だからドクターの能力を教えてもらいたいの」
「…言いたいことは分かったが、それは俺達の口から言えることじゃない。ドクターに聞けば教えてくれると思うぞ」
「…それもそうね。でも私に教える内容が真実である保証はない。あなた達に教えたみたいだけどそれが本当なのかも怪しい。両方から聞いて情報の擦り合わせを行う必要があるわ」
「……敵がいるかもしれない中でドクターの『超能力』を喋るわけにはいかない。そもそも君が"未来予知"と言ってしまったことも本当は良くないんだ。君に能力が掛けられている以上、君から能力者に情報が筒抜けになっている恐れがある」
「そうなのだとしたら既に筒抜けだから手遅れよ」
伊武祥菜が部屋に入った。
「ぐぁっっっっっ!何故、入って来るんだ!!」
伊武祥菜が入ったことで重力が強化された。
市丸も実録も過重力に苦しみ出した。
「敵の能力に感謝しないといけないわね。ドクターの『超能力』を知る絶好の機会。奈津緒君のためにも無駄にはしない!」
(…くそっ、なんでこのタイミングなんだよ)
裏切ったわけではなく敵の能力に便乗して情報を聞き出そうとしている。自分に掛けられた能力を利用するなんて普通ではない。
(伊武祥菜の攻撃……それは出来ない。神原奈津緒と敵対するわけにはいかない。向こうもそれを分かってて強気でいるんだ。喋ったところで敵からはどうにも出来ない能力だが、そうであっても知られてはいけない。ドクターがせっかく手の内を晒してくれたのにたった数日で外部流出しましたなんて全く笑えない。ドクターが許しても俺が俺自身を許せない…)
零が目を閉じるが実録も丹愛もその場から動けていない。自分も市丸も同様だ。
この場は伊武祥菜が完全に掌握している。彼女が近づけばビルが倒壊しかねない。その危険すらをも飲み込んで聞き出そうとしている。
(……流石は神原奈津緒の恋人と言ったところだな。普通じゃない奴の身内もまた普通じゃない!)
『い、伊武さん。そっちはどうなってるの?』
「何でもない。離れてるのにパワーが収まらないからどういうことだってなってるだけ。おそらく距離に限らずパワーが上がってるみたい。私と敵の距離が近くなってるせいなのかも」
(…嘘だ)
時雨はすぐにそれが嘘であると見抜いた。問題は何故時雨に嘘をついたか?だ。さっきまでよりも音がくぐもって聞こえる。クッションに埋もれたスマホが出す音に酷似している。本人同士は会話できるが周囲には聞こえないし音も拾われない。
さっきまでと違うということは伊武祥菜が意図的にそうしているということだ。
(…意味がある。ならここで追求しない方が良いよね…)
そうすることで彼女自身が気づけるのならと、時雨は静観モードに入った。
どう転んでもドクターなら上手いこと丸めてくれるはずだ。
「1つ質問して期待通りに答えないごとに二歩進みます。真実を答えてくれたら一歩下がります」
「…………」
ルールを勝手に提示されたが異議を唱えようものなら二歩進まれる。答えるしかない。
(俺達の命に関わるし無傷で伊武祥菜を帰すためにもビル倒壊まで近付かれるわけにはいかない…。くそっ、敵の『超能力者』を見つけなくちゃいけないってのに…)
「軽めの質問で行くと5階に戻されそうだから最初から核心を攻めます。あなた達が聞いたドクターの『超能力』を教えてください」
「…………」
ペタッ ペタッ
ズギギギギギギギギギ
「ガァァァァァ」
二歩進んだことで今までで一番近付いている。最高を更新した重力。ビギビギとビルも肉体も悲鳴を上げている。
「はぁ、はぁ。何があっても言わん。言ったところでそれが真実だと判断できないだろ。憂さ晴らしでしかない」
「…そうですね。憂さ晴らし、情報を教えてくれないのならそっちにシフトしても良いのでしょうね。ドクターがいてくれればそっちにやり返してましたけど、いないのなら一番は市丸さんです。奈津緒君の足を切断したことは知っています。今はくっ付いて問題ないんでしょうけど、もし足を治せなかった場合どうしてたんですか?」
神原がどう思っているか分からないが、伊武としてはそこは看過できない。市丸へのヘイトが強いのもそれが理由だ。
市丸も殺して構わないと言われて本気で戦った。だが伊武の言う通り足の切断は後遺症が残りかねない行為だった。理由は分からないがたまたま回復能力持ちの能登八散がいたから五体満足でいられているのだ。もし能登がいなければ……
(今思うと確かにぞっとするな。ドクターとしては俺が神原に負けると思っていた中で敗北寸前まで追い込んだんだ。イレギュラーにイレギュラーがぶつかったから反転して元に戻っただけだ)
本来なら謝罪すべきだろうが、その相手は伊武祥菜ではなく神原奈津緒だ。今絶対に謝るわけにはいかない。
「俺に用があるなら俺だけにしろ。零兄や弟達は関係ない」
「それこそ私には関係ない。たまたま貴方だっただけで結局奈津緒君に刺客が来るのは変わらなかったんだから」
さらに二歩進む。
さらに強烈な力が丹愛以外を襲う。丹愛は距離的にむしろ伊武祥菜から離れて行っているので体は軽くなってきている。
ビギギギギギ
零の背中に黒い稲妻が走った。
ビルの倒壊が近い。
ビルを壊しかねないほどの力が前方から加わり後方へと叩き付けられる。市丸の重量も増して行き、薄いサンドイッチ状態だ。圧死してもおかしくない。最早ビルが壊れてくれた方がこのプレスから解放されて楽になれるのではないかと思うほどだ。
(ぐっ……鼻先が圧迫されてるような…潰されそうだ……)
情報を聞き出そうと近付くが、そうするほどに答えられる状態ではなくなっている。もう彼女は仕返しを目的としてしまっている。
呼吸で息を吐き出せば、体の中の空気が減って体積が減る。減った分は市丸がプレスすることで埋め合わされて、再度空気を吸い込んだ時に体の中に空気を入れておける空間がなくなってしまう。
もう満足に呼吸が出来なくなってきているのだ。すればするほど苦しくなる。それをどうにかするためにさらに呼吸をして……という悪循環だ。
「憂さ晴らし…これであなたの体をスライスハムにしても……奈津緒君は喜ばないんだろうなぁ…………」
(「俺はハムよりベーコン派だ。フライパンでカリってするのが美味いんだよ。アメリカのBBQみたいなカリッカリのやつ、ロマンがあって良いよな」………エミュレートしてみたけど、私と奈津緒君…味覚は同じっぽいからこんな感じかな。カロリーや脂質が怖くて実際は食べられないけど…)
ペタッペタッ
もう質問することなく二歩前に進んだ。憂さ晴らしにしてもやりすぎだ。
パラパラと亀裂から壁の欠片が零の頭に降ってくる。黒い翼は威厳を示すかのように力強く扇形に拡がっていく。
(ぐっ……背中が壁の中に入ってる。もう壁が変形するくらいの力になってきてる…)
壁にめり込むほどのパワー。意識を保っているのも苦しくなってきた。市丸も実録ももう声を発していない。ひたすら重力に体が潰されないように気力で命を保っていた。
こちらに来るほどに丹愛はフリーになる。これで丹愛が動けるようになれば敵をナイフで攻撃できるようになる。敵本体さえ潰せれば伊武祥菜の暴走も止められるかもしれない。
(丹愛は今どうなってる?)
半目で伊武祥菜を捉えながら意識を保っていた。両目を閉じるとそのまま意識を奪われそうだったからだ。
だが敵の監視を怠ってはいけない。4階に敵がいないのは明白なのだから敵が来るかもしれない下の階を見ておく必要がある。
零は両目を閉じて『隠れ鬼』を発動。丹愛の様子を確認した。
丹愛は踊り場から動いていないのは変わらない。まだ立つことは出来ていない。そして丹愛の頭上には『高鬼』で浮遊させたままのナイフと———
「…!? ドクター?」
ヒロイン育成計画も大詰め
ドクターが廃ビルに戻ってきたことでいよいよ重力能力の正体に近づけそうです
そして大島総合病院でもまだ何か起こるようです
駄愚螺棄を片付けたのにまだ病院でやることがあるのでしょうか?




