第159話 ヒロイン育成計画⑳
———大島総合病院
「お前………"なつお"!!!」
「ごきげんよう、猿山の大将。自首しに来たぜ」
消息が分からなくなっていた男が目の前にいる。隣には体のデカい男。”なつお”と一緒にいた男だ。
「あのメッセージは……嘘だったのか?」
梔子からのヘルプメッセージ。だが梔子は目の前で眠っている。担いでいる男が偽ってここに誘い込んだ…
「参謀ともあろう者が何回も騙されるとは……、参謀職を辞任した方が駄愚螺棄のためになるぞ。参謀のくせに子分連れてるところが小物感出てるぜ」
「くっそがっ!」
手詰まりだ。"さちな"誘拐のために危険を冒して病院の中に入ったのに、完全に包囲されている。むざむざ捕まりに行ったようなものだ。
(これが……"なつお"…)
穂村も神原の策にハマっていた。警察が病院に突入したせいで脱出できなくなっているということに深い疑念を抱かず古坂へ連携して帯同し、こうして罠にハマってしまった。
駄愚螺棄の監視に気付いて逃走し、構成員を全て一掃して古坂を翻弄し続けた。そして今、自分にも刃が突き立てられている。
「…駄愚螺棄、この騒動はお前達が仕掛けたものだな。私は神奈川県警の者だ。君達を署へ連行する」
「ぐっ…」
正面には警察官。背後には"なつお"。駄愚螺棄複数を制圧できる者達。抵抗しても無意味だろう。
(俺も穂村も腕っぷしじゃ梔子より弱い。頭でのし上がって来たからな…。稀中、お前……とんでもない奴に喧嘩売っちまったな……。メンツのためにやらない選択肢がなかった。稀中が喧嘩売った時点でこうなってたのかもな。こんなクソ生意気なガキが虎だったとはな……)
♢♢♢
ザザッ「川崎にいる捜査員に告ぐ。大島総合病院が謎の集団によって襲撃を受けているとの通報あり。対象らは覆面を被っている。付近の捜査員はすぐに現場へ急行されたし!」
銀柳街にいた豊橋は突然の連絡に戸惑った。
(大島総合病院!?まさかまた駄愚螺棄が?神原君に何かあったのか?)
覆面の集団…ほぼ間違いなく駄愚螺棄だ。であるならば狙いは伊武祥菜。しかし彼女はドクターと名乗る超能力者に既に連れ去られている。なので最悪の事態は絶対に訪れない。
(にしても…駄愚螺棄も本気で神原君達を潰しにかかってるな…。逮捕した稀中という男。本人の話だと駄愚螺棄の中でも地位は高かったみたいだったからな。報復を見越して情報封鎖しておいて良かった)
また病院にカチコミをかけたことで、ドクターと駄愚螺棄が無関係なのが確定した。限りなく0に近い可能性だったが、警察官としては根拠が多ければ多いほど安心する。
「豊橋さん、我々も向かいましょう」
一緒に銀柳街で捜査をしていた警察官がこちらに来た。
「あぁ分か———」ピピピピピピッ
「「…………」」
ピピピピピピッ
「……すまない、電話だ。私も向かうから先に現場に行っておいてくれ」
「了解しました」
同僚の警察官が病院の方へ走って行く。信号が赤だったようでロゼリアの地下街を経由して行くようだ。
(このタイミングで電話ってことは…神原君か……………桝飛?)
電話の主は神原ではなく桝飛セキュリティサービスの特別回線だった。
病院襲撃と同時刻ということは、伊武祥菜の護衛から何かしらのエマージェンシーを受け取ってそれを自分へ伝えようということか…。
ピピピピピピッ
ピピピッ
「はい、もしもし」
「豊橋警部補の携帯でしょうか。確認コードをお願いします」
「……こっちのスマホでもやるのか…えぇと……、1455250424551524552495645404」
毎回通信するたびに言わされるのは正直困る。定期的に変わるから毎回覚え直すのに苦労している。
「……認証成功。豊橋警部補であることの確認が取れました。……神原奈津緒様より伝言を預かっております。今ここで読み上げてもよろしいでしょうか?」
「神原君から?」
(どういうことだ?神原君は私の連絡先を知っているのに……。それに桝飛から?桝飛から私宛ではなく神原君から桝飛を介して私に?)
「…ちょ、ちょっと待ってください。メモを取ります」
神原君からのメッセージ。暗号文の可能性を考えてメモを取るべきだ。
〜〜〜
「お願いします」
「承知しました。……『祥菜の病室に向かって枚方さん達から駄愚螺棄のスマホを貰ってくれ。1番偉そうな奴のが良い。そのスマホを使って古坂宛へ病院内に誘導するようにしてくれ。古坂じゃなくても履歴の先頭の奴の方が良いかもしれないです。俺が狙われてるってことは近くに古坂がいる。古坂をここで逃したくないので協力してください。それと、俺達の名前は駄愚螺棄の前では喋らないでくれ。奴等に決して情報を与えちゃいけない。よろしくお願いします』…とのことです」
スラスラと要点だけをメモしていく。
古坂とは、4日前の事件で通話に参加していた正体不明の男。神原と伊武の名前と素顔を知っている人物。今後も駄愚螺棄に狙われることを加味すると、真っ先に潰しておきたい相手だ。
「内容把握しました。神原君は今は?」
「捕獲した駄愚螺棄を乗せた輸送車に同乗して大島総合病院へ向かっております」
「私と挟み撃ちにするということか……。分かりました。ありがとうございます」
「いいえ、豊橋刑事もお気を付けて」
プツン
通話が切れた。
「……さて、12階か。そこまで駄愚螺棄に攻め込まれると見ているのか…。枚方さんってのは、護衛の名前か…確かそんな名前だったな」
護衛の名前を知っているということは、神原君は病室に行ったということになる。
病室には近付かないという話だったはずだ。ドクターの関係者の女の子を保護していたはずだが、どうなっているんだ?
「……挟み撃ちにするんだからすぐ会えるか。諸々の状況も聞いておかないとな。俺も急がないと…」
手帳をしまって豊橋も大島総合病院へ向かった———
♢♢♢
「駄愚螺棄の古坂。約束の件は覚えているか?」
「………」
約束……伊武祥菜の誘拐に成功した場合、神原奈津緒は自首する。誘拐に失敗した場合、神原奈津緒と伊武祥菜から手を引くこと。
「……覚えてるよ。だが俺がここでYESって言ったって駄愚螺棄が皆従うことはない。俺は所詮作戦を考える役目だ。ボスじゃない」
「いーや、出来るね」
「は?」
「お前は参謀だ。なら駄愚螺棄のボスに伝えろ。『"なつお"は危険だから手を引いた方が組織のためだ』ってな。お前が参謀として評価されてるならそれでこの件は手打ちだ。仮にそれが組織への裏切りと見做されてもお前の正面には頼りになるおまわりさんがいる。……ヤクザじゃあるまいし刑務所まで刺客を送り込むとは思えねぇな」
「………」
神原は組織ぐるみの行動だと思っているが、その実は古坂の独断専行だ。これをボスに報告するということはこの無断行為も露呈することとなる。そんなことになれば立場はたちまちなくなるし何人もの構成員を警察に持って行かせてしまった責任を取らなくてはならない。
(ボスに報告なんて出来るわけがない。殺される。間違いなく!ここで"なつお"の言う通りにしてもどっちみち捕まって終わりだ。刑務所に刺客を送らないだとぉ!?このガキ、駄愚螺棄のことなんも分かっちゃいねぇ!)
駄愚螺棄はやる。ヤクザや暴力団にも引けを取らない半グレ組織。色んな場所に構成員や首輪をかけたスパイが跋扈している組織だ。噂レベルだが、内偵は警察内部にもいると聞いたことがある。
(目の前の警察官がスパイ………なわけないよな。これほどの構成員が一度に捕まったんなら裏から手を回して釈放することは無理だろうな。噂が事実なら警察のスパイはボスが直接管理してるはずだ。そいつが病院にいるかは分からないけど、むしろいない方が俺の失態が露呈せずに済む……)
いるかも分からないスパイの救援は望めない。そして2vs3で相手には警察官がいる。
だからって…、素直に従う道理はない………
「………答えはNOだ。俺は組織を売らねぇ。ここで参謀の俺が裏切れば組織は今以上に基盤が崩壊する」
「……参謀ともあろうものが約束を反故にすると?」
「そうだクソガキ。そこの刑事さんなら分かってくれるだろ。組織は絶対だ。1人が嘘をつくだけで全員が嘘つきと見做される。1人が犯罪を犯せば全員が共犯者だと見做される。個でありながら全たるもの。それが組織だ。所詮学校なんて箱庭で強制的に寄せ鍋されてるのとは訳が違う。共通の目的と野望のために集まり行動している。組織を組織たらしめるのは統率であり、秩序だ」
「……部活動だな。駄愚螺棄って」
古坂が真面目に組織論について語っているが、神原にはあまり刺さっていなかった。
組織として体裁を保つ、格を落とさせないというような展開に持っていきたかったのかもしれないが、神原はよりによって箱庭とバカにした学校のさらに小さなコミュニティだと揶揄したのだ。
「なっ………」
馬鹿にした発言ではなく純粋に口に出た言葉。それがより苛烈に古坂を抉っていった。
「…あちゃ〜、なっちゃん〜。部活動なんて言っちゃダメだよ〜。ちゃんとこの人の言うことを聞いてあげないと〜」
「いやでもこいつらただの犯罪者だろ。猿を材料に使って寄せ鍋してるのはこいつらなのになんで偉そうに組織がうんたらかんたらって言ってるんだよ?こいつ本当に参謀なのか?」
「………」
より抉っていく。「お前が参謀なのか」は古坂にとって一番言われたくない言葉を、神原はいともたやすく言ってのけた。
「…なんか…稀中や古坂見てると……普通だな。市丸の方がもっと命の危機感じたぞ」
「ん〜、稀中って人をよく知らないけど〜。今回結構俺らも危なかったからね〜。もうこの人達捕まるから危険は去って行くけど〜、あんまり喧嘩売っちゃダメだよ〜」
「分かってるよ。無茶するのは今日だけだ。ここで古坂を捕まえれば流石に駄愚螺棄の報復も止まるだろ。ここで変に固執する方が男らしくないからな」
「ほら2人とも、お喋りは終わりだ。駄愚螺棄のリーダーへ電話をかけないのならさっさと連行してしまおう。電話は警察で押収して駄愚螺棄に繋がる情報を取り出すよ」
「お願いします、刑事さん」
「お願いします〜」
♢♢♢
1番憂慮すべきだった事象にも片がついた。こうもあっけなく駄愚螺棄の参謀を逮捕することになるとは神原も想定外だった。
だがこれは枚方から支給されたデバイスのおかげだ。あれがなければ多摩川付近の駄愚螺棄の処理に困ってあの場から離れられなかったことだろう。
桝飛セキュリティサービスの援助がなければ豊橋刑事へ伝言を頼みながら大島総合病院へUターンすることも出来なかった。
祥菜がいないという負けなしでの戦いだったが、彼らのおかげで星3つ足りえる戦果になったのは間違いない。
豊橋刑事が駄愚螺棄の3人を連行していった。
神原と麦島の2人は院内に潜入した入り口から他の警察官に見つからないように脱出した。
脱出すると、病院内から駄愚螺棄を逃すまいと警察の包囲網が形成されていた。
2人を見かけた警察官が、不用意に現場に近づこうとする高校生だと勘違いしたのか。神原達に「近付くな!」と叱りながら包囲網の外へと追い出された。
相手が駄愚螺棄だと分かっているから見た目高校生の自分達は馬鹿な野次馬と見做したのだろうが、随分と甘めの包囲網だと神原は心の中で思っていた。
包囲網からさらに離れて、偶然だが古坂達が連絡を待っていたヒューザ川崎の広場に2人は移動した。
「…終わったな」
時刻はまだ昼だが、夕方の日が沈みかけている1日の終わりを感じさせる気分になっていた。
「……うん〜、なんか〜最後は勝ち筋が見えてたからそんなだったね〜」
市丸の方が危なかったと思っていたのは神原だけではなかった。麦島もまた少し退屈に感じていたのだった。
「祥菜が全く危なくないって分かってるってのもあるけど、相手が弱かったな。隕石の話を聞いたらどうしたってパンチが弱くなっちまうぜ」
「デバイスのおかげで古坂まで捕まえられたけど〜、デバイスなければ古坂に逃げられただけで結局枚方さん達は守り切ってるからね〜」
星2の成果はほぼ決まっているようなものだった。
ガムテープの存在だとかで細かい加点があったが、その加点を全てさっ引いても星は確実に取れていた。
病院、もしくは神原に全戦力が投入されていれば結末はもっと悪い方向に転がっていたはずだが、それが出来る相手ならそもそも報復なんてことはしないはずだ。
「…組織論、途中までしか聞けなかったね〜。なっちゃんはどうなの〜?組織論というか〜そういう考え方ってあるの〜?」
「組織論ね…。あんましピンとこないんだよ。自分は化け物だと思ってるからコミュニティに入ろうとも思わねえし自分で徒党を組もうとも思わねぇ。お前や祥菜が物好きなせいで同種のコミュニティが築かれてる気がするがな」
「あっ、酷い〜。でも全員『超能力者』っていう共通点が出来たね。変人コミュなんて大雑把な括りよりはマシじゃないかな〜」
「名称悪化してんじゃねーか。…いや、『超能力』なんて持つもんじゃねーよマジで。お前や祥菜は良いもん手に入るかもしれねぇってガチャあるけど俺は『自己暗示』で落札されてんだよ。何が楽しくてハズレ引いた後に大当たりを見せつけられなきゃならねえんだよ」
「…言っとくけど〜、なっちゃんの痛覚無効も大概の性能だからね〜。…そういえば〜、今回『自己暗示』って何使ったの〜?足早かったし複数人を倒してたからどんな暗示かけたのか気になってさ〜」
「はぁ?痛覚無効しか使ってねーよ。病院出たらすぐ監視されてて使うタイミングなかったからな…」
えっ………………
思わず口に出そうになったのをどうにか抑え込んだ。
(痛覚無効しか使ってない?じゃああれは全部素のなっちゃんってこと〜?)
側で見ていたから分かる。あれは高校生の身体能力ではない。痛覚無効で体の負担を無視して常人以上の動きを可能にしている?
(………何がハズレだよ)
サウナの時と言い、差をまざまざと見せつけられる。そのたびに劣等感を募らせてしまう。当の本人は自分や伊武さんの『超能力』のポテンシャルに劣等感を抱いてるみたいだけど、ふざけるなという話だ。
『自己暗示』で都合の良いことを考えないようにしているにしても……嫌になってくる。
これからの『超能力者』との戦いでも、劣等感を持ちながら一緒に戦うのか。伊武さんも同様の気持ちでいるのか。
「………ふぅ…」
サウナ対決のモヤモヤが再燃してきた。柿山さんから電話が来たりすぐに駄愚螺棄との戦いにシフトしたから考える時間がなかったけど、やっぱり……この気持ちは心に残り続けちゃうな……
「………痛覚無効で動き回ったけど〜、解除した後の体の負担とか大丈夫なの〜?」
「負担か…、試したことないな。でもこの前眠らないように暗示をかけた時は大変だったぜ。寝ると勝手に解除されるけど解除できないから気持ち悪さと格闘しながら寝なきゃならんかったからな。今回は解除せずに寝れるから爆睡かまして回復できるかもな。筋肉痛は覚悟しないといけないけど…」
「…動けなさそうなら言ってね〜。俺だけでも時雨ちゃんのところに行くからさ〜」
「バカ言うな。お前も俺について来たんだ。お前も筋肉痛を覚悟しろよ。自覚ないかもしんねーけどお前も相当動いてるからな」
「うぇっ〜、そんなことないと思うけどな〜」
麦島は自覚がなさそうだが、前に体育の時間で見た麦島の走りではなかった。
(自覚ねーのかよ。ゆっくり伸びてるから気付きにくいって話か?にしても俺に比べて体を鍛えてないはずなのにこんなに動けるってことは……やっぱ『超能力者』特有の効果みたいだな。異能の力に加えて基礎スペックの向上。……確かに求める奴はいそうだな。異能なしで身体能力向上だけなら欲しいって思えるかもな…)
とりあえず面倒ごとは片付いた。
そもそもこんなことしなくて良かったはずなのだ。
一体向こうは何をしてるんだ。どいつもこいつも約束を守る気はないのか。
(社会のクズと政治家っていう嘘つき二台巨頭だから守る方がおかしいか…)
♢♢♢
———都内某所
とある雑居ビルの5階
ボガァァァァァァァァァァァァァァァン
とてつもない轟音。ビル全体が激しく揺れている。
「えっ、わっ!?」
反射的に頭をガードする伊武。
「じ、地震?」
『どうしたの?』
電話相手の時雨が心配している。
「いや、分かんない。急にとんでもない音がしてビルが揺れたの。地震かもしれないわ。時雨ちゃん。そっちは大丈夫?揺れてない?」
『う、うん。こっちは全然揺れてないよ』
「じゃあ私のいるこのビルだけ…?この建物は関東にない?」
ドクターらは時雨を除いて5人いる。不思議な道具を使って縮小して拉致したみたいだが、『瞬間移動』なしでの移動には制限があるはずだ。6日に連れ去られてその日の内にここで目を覚ました。
新幹線を使えば大阪でも青森でも行けるが、平原さんや雪華ちゃんが家に帰れるのだからここは一都三県のどこかにあるはずだ。
「……このビルだけ揺れてる?敵襲?」
地震でないのならピンポイントでの攻撃となる。ドクターの敵対勢力からの攻撃ではないか。
『て、敵襲。ドクター達は!大丈夫なの!』
「分かんない。この部屋には誰もいないしドクターがこの部屋にも入って来ない。…敵への対処をしてるのかも。爆音も下から響いて来た気がするし……」
さっきの爆音以外は聞こえて来ない。防音設備があるようには思えないが、あれぐらいの音でないと別階には届かないようだ。
…下の階の様子は全く分からない。誰も安否を確認しに来ない。それだけ手一杯ということだろう。
「もし敵襲なら……どうにかしないと」
『い、伊武さん。ドクターは…零達は大丈夫だよね……』
時雨の声が沈んでいく。無理もない。自分が戦えない中、仲間が襲撃を受けているのだ。心配と自身の無力感に苛まれていることだろう。
ここでさらに心に傷を与えることになれば時雨の能力が永遠に戻って来ない可能性もある。
時雨の心配を払拭するためにも、危険だが安否を確認しなくてはならない。
「大丈夫時雨ちゃん。私が確認するから」
『えっ、でも伊武さんはまだ超能力が…』
「でも心配でしょ?私にとっても彼らに死なれると奈津緒君の元へ帰らないかもしれないから。大丈夫、敵がここに来てないってことはドクター達が何とか耐え忍んでるはず。生きてることさえ確認すればすぐ自分の部屋に戻るから、心配しないで。ね?」
どうにか時雨を宥めて伊武は5階のドクターの部屋から階段へと向かっていた。
(ここから出ちゃいけないって話だからドクターの部屋より外はトイレくらいしか見てないけど………というかここ上下水通ってるんだ?解体寸前のビルにしか見えないけど……)
自分の排泄物がどうなったのか少し気になりはしたが、伊武はトイレの扉のさらに奥……5階の出入口に着いた。
キィィィ
「……いない」
ガタついた扉を動かしたがすぐに奇襲はされなかった。5階に敵はいないようだ。
というよりドクターを始めとして誰も5階にいない。
「……下……行くしかないよね」
ドクターを襲撃するならそれは『超能力者』しかいない。
自分も『超能力者』になったがまだ能力が分かっていない。
自衛のための能力付与で早速自衛が求められるなんて、運命は早急過ぎる。
(雪華ちゃんがいなくなってて良かった。無効化能力を知られていたら絶対に狙われる。弟さんの負担も増えてより雪華ちゃんが自分を追い込んじゃうもんね…)
♢♢♢
———都内某所
とある雑居ビルの4階
「…作戦がある」
「「「作戦?」」」
と言っても市丸の『色鬼』しか手立てがない。その『色鬼』もこの重力+侵入者に対処するには馬力が足りていない。
だが三つ子は知っている。
どうしてホームレスだった自分らがドクターに出会うまでの数年間を生き延びれたのかを。
時雨の誘拐をギリギリで回避した方法は何だったのかを。
『超能力』に攻撃性はない。しかし周囲の様子を監視し、指示を出せる『隠れ鬼』。そしてそれを扱う零を三つ子達は家族としても『超能力者』としても信用している。
兄の作戦なら全幅に信頼して動くことが出来る。
「おそらく数分もしないうちに床が壊れる。ここが壊れるってことは、伊武祥菜のいる5階も崩落の可能性がある。彼女は絶対に傷付けてはならない」
「あっ…そうか、神原の彼女もヤバいのか」
「侵入者に近付かれるのもだけどそっちもヤバいな」
「神原との交渉が決裂しちゃうじゃん」
三つ子も伊武のことが意識から抜けていたようだ。事の重さを理解したようだ。
ビギギギギギギ
床が軋んでいく。カウントダウンは見えてきている。
「で、だ。どうにかして丹愛の『高鬼』を使えるようにしたい。時間がないから考えずに指示に従ってくれ」
「「「分かった」」」
「まず市丸。『色鬼』でナイフを操って丹愛に渡せ」
「ナイフを…。分かった」
「丹愛はナイフを受け取ったら放れる状態にしておけ」
「でも…いや、分かった」
理由を聞いてる時間はない。
「それが終わったら実録は丹愛に『氷鬼』を使え。重力できついだろうが作戦の要だ。全体力を消費してもいいからどうにか丹愛に手が届くところまで動いてくれ」
「丹愛に『氷鬼』!?…………あぁ!そういうことか!分かった」
実録は目的が分かったようで、丹愛に向けてカタツムリのようなノロノロ匍匐行進を始めた。
「えっ?えっ?どういうことだ?」
市丸は『色鬼』発動の準備をしている。ナイフの手渡し、実録の接触と受け身状態の丹愛だけが質問する余裕があった。
「……要は武器を放り投げるというシチュエーションに持っていければいい。だが丹愛は動けない。どうにかして立体的な動きをさせるしかない。ここまではいいな」
「そこは分かる。でもどうしてそこで『氷鬼』が出てくるんだよ?」
「『氷鬼』は触れた対象の動きを止める事が出来る『超能力』だ。だが『氷鬼』はそれだけじゃない。動きを止めることに目が行きがちだが、『氷鬼』は静止中の力を溜めることが出来る。市丸や丹愛も体験したことがあるだろ?」
「あ、あぁ……。解除時に吹っ飛ばされるやつだよな。エネルギー保存則によるものってドクターが言ってたやつ。……まさか、俺を殴らせて動かすってことか?」
このピンチを脱するためなら覚悟できるが、いきなりお前の動きを止めて殴り続けるぞは野蛮な作戦すぎる。
「そんなことはしなくても特大のパワーがあるだろ」
「特大のパワー…………!?………この重力か!」
「『氷鬼』で動きを止めて重力のパワーを溜める。瞬きで能力が解除された時に溜め込んだ重力で丹愛の足場を先に壊して丹愛を下に落とす。落ちながら丹愛はナイフを上に放って『高鬼』を発動させる。…これが作戦だ」
「『色鬼』、銀」
「よしっ、何とか届く距離に着いた」
作戦が伝えられたと同時に市丸が『色鬼』を発動させ、実録も丹愛に手が届くところまで這い進んだ。
「先に壊す理由は分かるか丹愛?」
「……ビル全体が壊れてしまうと伊武祥菜に被害が及ぶ。落下しても重力から解放される保証はないけどナイフだけは使える状態になるから…だね」
「そうだ。溜め込んだ重力に丹愛が耐え切れるかに掛かっている。先に崩壊の音を出せばドクターが気付いてくれるかもしれないし敵を誤認させることが出来るかもしれない」
「……」
死にはしないだろう。ドクターの『確実達成』がある以上最悪のケースはありえない。
ドクターがいないことは敵の想定外なのか。周りから切り崩す作戦なのか。敵の姿が見えないということは、ビルの崩壊を待ってから攻め込んでくることも考えられる。
覚悟を決めなくてはならない作戦だ。だがドクターのため、ドクターの取引のため。そして信じてくれる兄弟のために……やる!
「………分かった。零兄。市丸兄、実録。頼んだぞ!!」
神原奈津緒vs駄愚螺棄の戦いに決着がつきました
桝飛セキュリティサービスの手助けがあったとはいえ、ほぼ圧勝という結果になりました
超能力者と戦う上で障害になる駄愚螺棄のパワーを大幅に削ぐことが出来ました
これで駄愚螺棄が手を引いてくれるかは一切の未知数ですが、参謀を仕留めたことでしばしの平和が訪れることは間違いないでしょう
しかし今度は枚戸警視が踏み込んで来そうな予感
神原達はこれからどうするのか?
そして鬼束兄弟vs謎の過重力
ついに作戦が明かされました
伊武が聞いた爆音は丹愛が先に下に落下した音なのでしょうか?
……何故伊武は重力の影響を受けていないのでしょうか?




