第1章 夜の来訪者編 - 第4話 「男女の関係性は友達や恋人だけじゃない」-
日差しは暖かく、空は青い。
爽やかな風が吹き、第二の人生ならぬ妖生は、この風と同様にして穏やかなものになるはずだった。
美月は人間界と似た街並みを歩いていた。
「なんでついて来るの」
昨晩美月の人生の中でも最高最悪な出会いを果たし、今朝の景色にまでもその存在を食い込ませてきたジャジーは、美月の後ろを歩いている。
「もうお前しかいねぇからな」
言葉だけを聞けばとても甘い。
「餌としてだよね!?」
「餌って言うな。お前は餌でも飯でもねぇ」
「う⋯⋯」
「変な鳴き声の美味ぇやつだ」
「持ち上げてから叩き落とすんじゃないよ!」
可食モンスター枠から何も変わっていないことに、美月は深くため息をつく。
「つーかお前、名は」
「教える義理はないです」
「口づけた仲だろ」
「恋人関係じゃないので!」
「じゃあどんな関係だよ」
「加害者と被害者だよ!」
そう声を荒げた美月は頬を膨らませ、進む先へと目を向けた。
「私は一人でゆっくり過ごしたいの!うちはお触りOKのパブでもなんでもありません!」
冗談ではない。
この男に今後も関わり続けられれば、何かが減る。
「別に減るもんじゃねぇだろ」
「現在進行形で擦り減ってます」
「何が」
「今後あなたと親交を深める可能性」
「お前がダメでも俺が深めるから平気だ」
「減るどころか擦れてなくなるよ!」
美月はびっと指を立て、ジャジーへと突き立てた。
「いい!?」
「よくねぇ」
「まだなんも言ってないでしょ!」
美月は眉間に皺を寄せながら続ける。
「しばらく、私に近づかないで」
ジャジーが停止した。
瞬き。
表情筋。
羽の揺らぎ。
頭の先から足の先に至るまで、ジャジーの時間だけが世界から落とされたように、見事に止まった。
1秒。
2秒。
3秒。
そして。
「ま…っ、あ⋯?なんっ…え⋯⋯」
ジャジーが再起動する。
言語になりきらないまま、勢いだけで言葉が出た。
「急に語彙力溶けた!」
「いや溶けるだろ!」
表情が、ゆっくりと変わっていく。
眉間には皺が寄り、その瞳に映された美月が小刻みに揺れている。
「……無理」
静かな声だった。
ジャジーはわずかに目を伏せ、停止から目覚めきれていない脳を必死に働かせようとした。
結果、出力できた語彙と文字数は大幅に削れている。
しかし、本人はそれを気にしている場合ではなかった。
「俺、お前に拒否されたら死ぬ」
「メンヘラ化しないで!」
美月の眉間にさらに皺が寄った。
「私は誰ともそういう関係になるつもりはないの!」
ジャジーへ突きつけていた指先を下げる。
これまで伝えてきたつもりだったが、この男は一から十どころか、小数点まで伝えなければわからない。
「人間界とこっちじゃ常識が違うのは分かったけど、私はまだついていけてない!」
やや声を張り上げる。
「こっちの人との距離感とか生活リズム、種族によっての違いとか、とにかく知らなきゃいけないことが多すぎる」
ジャジーはそれを黙って聞いている。
美月はその様子から、ようやく話を聞いてくれていると、目に見える形で理解できた。
ゆっくりと声の調子が落ち着き、消えかけていた眉間にも充分な空間が戻る。
「…だから」
一拍。
「しばらく、来ないで」
沈黙。
世界から音が抜け落ちたように、ふたりの空間だけが静かだった。
「…わかった」
ジャジーはそれだけを落とすと、背中を向ける。
2メートルもある、人外として大柄な体。
しかし今はそれが、とても小さく見える。
「……」
ジャジーはしばらく美月の言葉を頭で反芻させた。
“しばらく”。
金輪際一切の交流を絶たれた訳ではない言葉。
抜け道として認識するわけではない。
ただその事実が。
今の彼がこの場を大人しく去るために、多大な貢献をしていることだけは確かだった。
「……来ていいタイミングになったら…⋯」
ぼそりと呟く。
「妖力、飛ばせ」
美月は黙って聞く。
「俺を思い浮かべて、飛ばせばいい」
ジャジーの羽が大きく広がる。
「⋯⋯じゃあな」
そう言い残し、朝の空を裂くように飛ぶ。
翼を一度打つごとに広がっていく距離に、美月の胸がちくりと痛む。
「⋯⋯言い過ぎたかな」
当然返事はない。
戻っても来ない。
ようやく望んでいたスローライフを再計画できる。
しかし。
この短期間に濃い時間を過ごしすぎた美月にとって、急に消えた圧がひどく嫌な解放感となっていた。
「⋯⋯呼ぶわけ、ないよね」
それは、宣言というより、自分自身に言い聞かせているようだった。
しかし、万が一。
本当に何かしらの危険な状況になった時には、仕方なしにでも名を呼んでしまうかもしれない。
“俺を思い浮かべて、飛ばせばいい”
美月は空を見上げる。
彼の姿はすでに見えない。
「⋯仮に、呼ぶとしても⋯」
ジャジーを思い浮かべる事は分かる。
しかし問題は。
「妖力、どうやって飛ばすの⋯⋯」
空は雲ひとつない快晴だ。
通常なら心まで晴れやかな気持ちになるだろう。
なのに。
新たな問題に直面した美月の心は、みるみる曇っていくのだった。
第1章 夜の来訪者編 - 第4話
「男女の関係性は友達や恋人だけじゃない」-完-
→第1章 夜の来訪者編 - 第5話
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