第5章 深まる関係編 - 第7話「市場価値は真反対」
三人は東から大量の魚を受け取ると、海を後にした。
行きには空だった荷物の中には、銀色に光る魚が何匹も収まっている。
念願だったタンパク質。
本来なら、美月は浮かれていてもおかしくない。
―――だが。
「…………」
帰路を歩く美月は、先ほどから妙に静かだった。
「何黙ってんだよ。やっとタンパク質食えんだろ」
隣を歩くジャジーが訝しげに覗き込む。
「美月殿、どこか具合でも悪いのだろうか」
反対側から鳳まで顔を寄せる。
しかし、美月は二人の質問に答えるどころではなかった。
改めて考えると、自分がこの世界へ来てからまだそれほど日は経っていない。
―――それなのに。
ずいぶん、騒がしい日々を過ごしている。
不幸ではない。
決して、不幸ではないのだ。
むしろ人間だった頃より、ずっと恵まれている気がする。
だが、美月が想像していたスローライフとは遥か遠くにあった。
隠世一日目の夜にして、ハーピー淫魔の夜這い。
数週間も経たないうちに絡新婦に襲われかけたところを、僵尸の混ざった九千坊河童に救われ、そのまま血まで分け与えた。
そして。
そんな二人から揃って求愛され。
どちらにもまだ返事を返していないというのに。
本日。
新たに東という、海系怪異から求愛された。
「初めてのモテ期で集まってくるのが属性過多の妖怪とか誰も思わないよ……」
「何ぶつぶつ言ってんだ」
「しかもみんな無駄に顔がいいのなんでぇ……」
「だめだ。まるで聞いてねぇ」
ジャジーが半眼になる。
美月は、視線だけを隣へ向けた。
ジャジー。
癖のある黒髪、太い眉、灰色の肌。
全体的に暗い色の中で、金色の切れ長な瞳だけが、夜空に浮かぶ月のように鮮やかだった。
「…………」
今度は反対側を見る。
鳳。
こちらもジャジーに負けず劣らず太い眉。
黄色い切れ長の目はやや垂れているのに、眼光は鋭い。
薄いミントグリーンの肌も、赤い皿も、普通なら異質に見えるはずなのに、顔立ちそのものが整っている。
総じて。
「……っん゛顔がい゛い゛!!」
妙に溜めてから美月が突然叫び、両手で顔を覆う。
「うおっ!?」
ジャジーの肩が大きく跳ねた。
「急になんだよ!」
「ウワァァごめん両隣の顔面が豪華すぎて!」
「顔面が豪華とは新しい言葉でござるな」
「人間として生きてた頃は全くモテなかったからいざこんなイケメンに囲まれたら心臓がヴァァァァァァァ!!」
「落ち着け!」
ジャジーが思わず美月の頬を両手で挟む。
「んむ」
「まず息しろ」
両頬をむに、と押され、美月の口が尖った。
ジャジーは呆れながら続ける。
「お前は妖だったんだ。そもそも人間界の市場で売れるもんじゃなかったんだろ」
「未利用魚みたい……」
「未利用魚の方が売れんだろ」
「墓穴掘ったぁ……」
「売り物ではござらぬが、確かに盤外ではあったのであろう」
鳳が真面目に補足する。
ジャジーは鼻を鳴らした。
「こっちだと在庫が足りねぇぞ」
「一点物だよ!」
美月はジャジーの手を外しながら声を張った。
そして、もう一度二人を見る。
―――やはり、顔がいい。
じわじわと頬へ熱が集まり、再び両頬を包む。
「いやそれにしても顔面のレアリティがSSRっていうかG級っていうか金冠っていうか……」
「もはや何を言っているのか分からぬでござるが……」
鳳が手を伸ばした。
美月が頬へ添えていた手の上へ、大きな掌がそっと重なる。
「美月殿は顔のみならず、その御心までもが美しいでござる」
「……」
美月が固まった。
そして。
「死ぃーーーー!!!」
美月の絶叫が響く。
「お前火力どうしたんだよ!」
ジャジーが叫ぶ。
鳳は真顔だった。
「拙者はもう迷わぬと申した」
“何か問題でも?”と言いたげな顔を二人に向けている。
その言葉に美月の精神が戻った。
「極端すぎるよ!」
「岩石から車輪になんな!」
「いつ拙者が車輪になったのでござるか!」
そんなやり取りを続け、美月の家が目前まで見えてきた。
その時。
「……待って…」
美月が突然足を止めた。
「どうした」
「なんでござるか」
美月は眉間に皺を寄せ、頭の中を探る。
「私、なんか忘れてる……?」
「何をだよ」
「わかんない……脳内ファイルが解凍できない……」
「忘れていること自体を忘れているのでござるな」
「そう。でも管理所に行けばわかる気がする」
「お前の選択ステージ、家か管理所か海しかねぇからな」
「非常に見当がつきやすいでござる」
美月は数秒悩んだ末、ぱっと顔を上げた。
「私、とりあえずこのまま管理所行ってくる!」
そのまま管理所へ続く道へ身体を向ける。
「今から行くのかよ」
「今行かないと私、夜しか眠れない!」
「なんも問題ねぇじゃねぇか!」
「至って健康でござる」
「細かいことは気にしない!」
美月は手を合わせ、“ごめん”のポーズをとった。
「ジャジーと鳳は魚をよろしく!」
「一人で行くのか!?」
「すぐ戻るから!あわよくば捌いといて!」
「帰って早々パシんな!」
鳳は魚の入った荷物を抱え直す。
「終わり次第、妖力文を送られよ。拙者が迎えに行くでござる」
「お前だけポイント稼ぎに行くんじゃねぇ!俺も行く!」
「来てもいいけど喧嘩したら補給もキスもしないからね!」
「それは困る」
即答だった。
キス。
それは当然、ジャジーだけに向けた言葉のつもりだった。
「……それは、拙者も困るでござるな」
「?何か言った?」
「何でもござらぬ。行って参るがよい」
「うん!なる早で帰るから待っててね!」
美月は大きく手を振ると、そのまま管理所へ向かって駆けていった。
ジャジーと鳳は、並んでその背を見送る。
やがて、姿が見えなくなったところで。
「お前の予定がちっとズレんな」
ジャジーがニヤつきながら呟く。
「よい。……それに」
「なんだよ」
鳳は一度だけ、美月が消えた方向を見る。
そして。
ぺろ、と。
自分の下唇を舌先でなぞった。
「夜に、両方いただけばよいゆえ」
「…………」
ニヤついていたジャジーの表情が消える。
「その顔は何でござろうか」
鳳は真顔だ。
「……お前、今顔が捕食者だったぞ」
「僵尸はそうであるな」
「混ざった妖のせいにすんな!」
「何を言っているのか分からぬでござる」
「鳳てめぇ!」
鳳は涼しい顔で踵を返した。
「喧嘩はせぬよう美月殿が申されたゆえ、話は終いでござる。拙者は魚を捌く」
「いや捌くのは俺がやる!」
「何故でござる」
「俺の方が上手ぇ!」
「見てもおらぬのに決めつけるな!」
そして。
美月のいない家で、男の妖魔二人が、包丁を片手に鋭い視線を交わしていた。
その争いの理由は。
どちらがより綺麗に、より美味しく、美月のために魚を捌けるか。
そんな比較的平和な対決が今、始まろうとしていた―――。
第5章 深まる関係編 - 第7話
「市場価値は真反対」
→第5章 深まる関係編 - 第8話
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