第5章 深まる関係編 - 第6話「津波から高波へ」
あれから。
美月が説得した結果、ようやく東は渋々、美月を浜辺へ戻した。
「みんなー!」
「美月!怪我は―――」
ジャジーが一歩踏み出した。
刹那。
その横を、風が抜ける。
「わ……」
驚く暇もない。
二本の腕が美月の頭と背へ回り、その身体を強く抱き込む。
―――鳳だった。
「お、おぉ……」
ジャジーが思わず声を漏らす。
嫉妬より先に感心が出るほど、鳳の動きには迷いがなかった。
当の本人はジャジーなど見てもいない。
ただ美月を腕の中へ収め、しばらく黙っていた。
「鳳……?」
「……拙者が……此方へ連れて来なければ……」
怖い思いをさせなかったかもしれない。
痛い思いもさせなかったかもしれない。
東に対し美月の心が動くところを、目の前で見ることもなかったかもしれない。
だが、同時に。
ここへ来なければ、こうして迷わず抱きしめることもなかった。
自分の欲をまっすぐ向けることも、もっと遠かったかもしれない。
後悔と安堵と嫉妬と喜びが、鳳の中でぐちゃぐちゃに絡まっていた。
岩場へ腕をかけた東が、その様子を眺めながら鼻を鳴らす。
「……お前、やっぱ変わったな」
「お主はなぜそう平然としておるのだ!」
「だってよ。嫌われるようなことしたら、問答無用で眼中にすら入れてもらえなくなんだろ」
「さっきまでの荒さどこいったんだよ……」
ジャジーが呆れた声を漏らす。
美月は鳳の背へ腕を回した。
「心配させてごめんね」
「美月殿のせいではござらぬ!拙者が此方へ――」
最後まで言わせなかった。
美月の腕が鳳の首へ回り、少しだけ引き寄せる。
「……美月殿?」
鳳の下がった頬へ。
―――ちゅ。
ほんの一瞬、美月の唇が触れた。
その瞬間、鳳は石になった。
「連れて来たせいで、って思わないで」
美月は赤くなりながらも、固まった頬へ手を添える。
「ほんとは私が計画するはずだったのに、私のマップが終わってるせいで、鳳が提案してくれなかったら、デート先が自宅か管理所しかなかった」
「最悪すぎる」
「ジャジーは黙ってて!」
再び鳳を見る。
「海、見せてくれてありがと」
美月がにこりと笑った。
その横で。
「俺の海だけどな」
頬杖をつきながら東が言う。
「ん゛ん゛ん゛外野が余計なことばっか挟んでくる!」
「じゃあ黙る」
「素直!」
ようやく鳳の硬直が解ける。
「……美月殿」
大きな手が、今度は自分から美月の頬へ触れた。
「拙者は、もう迷わぬ」
「……うん?」
「あやつらには負けておられぬ」
「ちょっと待とっか?」
「拙者も、少々ペースを速めた方が良いと判断した」
「おっせぇ判断だな」
「それは俺も思う」
「二人の思考が下に寄りすぎなんだよ!」
そんな騒ぎも、やがて別れの時間を迎える。
「……なぁ。もう行くのかよ……」
東は、美月のワンピースの裾を指先でちょんと摘んでいた。
先ほどまで津波のように迫ってきた大柄な海の怪異が、今は置いていかれる大型犬のように布一枚へ未練を残している。
「ギャップがおかしい……!」
美月は反射的に両手で顔を覆った。
そしてゆっくり手を下ろすと、東へと向く。
「悪いけど、私たちには家もあるし、やりたいこともいっぱいあるの。ずっとここにはいられないし、東とは今日会ったばっかり」
「お前は会ったばっかでも、俺は長ぇこと探してたもんが見つかった気分なんだよ」
「知らないよ!」
「……寂しい」
海の者にとって、番と定めた相手から離れることは、身体の一部を引き剥がされるようなものなのだろう。
それでも東は、その重さを美月へ丸ごと押しつけず、ただ一言、“寂しい”という言葉で渡した。
美月は少しだけ困ったように笑う。
「なら、東から会いに来てよ」
「ぜってぇ行く」
「お主はまず妖力の扱いを学ぶべきでござる」
「で、誰が教えんだよ」
ジャジーが眉間に皺を寄せて問う。
「生憎、拙者には青札としての役目もある。こやつの学びに付き合い続けることはできぬ」
「……本音は?」
ジャジーの口角が上がる。
「来させとうない」
「鳳?」
「おい」
「妖力なぞ覚えぬでよい」
「鳳!?」
美月の目が見開く。
「お前……っ、自分で“妖力の扱いを学ぶべき”とか言っときながら……っ⋯」
ジャジーは肩を震わせている。
鳳は淡々と続ける。
「これ以上、美月殿に触れて欲しくはないでござる」
「鳳ーーー!!」
美月が叫んだ。
「ひでぇ!」
東が岩場を叩く。
ジャジーは口元を歪めた。
「殻が割れたな」
「大破してるよ!壊れなくていい部分まで壊れてない!?」
「壊れておらぬ」
「今までが岩に足生えたやつだったんだ。こっちが本性だろ」
「足だけになってるよ!」
「妖力、死ぬ気で死なねぇように覚えるわ」
東の顔は真剣だが、言葉が迷走している。
「また新たな概念が生まれた……」
美月は頭を抱えた。
すると、東は海へ顔を向ける。
その視線は沖ではなく、はるか向こうを見ていた。
「⋯⋯まぁ、当てはある」
「海に仲間でもいるの?」
「まぁな。……なぁ、美月」
唐突に。
初めて東から名を呼ばれ、美月の肩が小さく跳ねた。
「俺、美月を番にしてぇ」
東は真剣な表情で、真っ直ぐに告げる。
「だから妖力の使い方覚えたら、文を送っていいか」
「……文なら、いつでもいいよ。会いに来る時は、先に文を送ってくれればいい」
「分かった。約束する」
東は一度頷き、それからもう一度、美月を見る。
「⋯⋯最後に、もう一個いいか」
「うん?」
「まだあんのかよ。もう妖力文でやりゃあ良いだろ」
ジャジーは露骨に嫌そうな顔をしている。
「俺にとっては文より大事だ!」
「いいよ。なに?」
すると。
東の顔が再び真剣なものとなる。
「噛みてぇ」
「却下」
「今『いいよ』っつっただろ!」
「“言ってもいいよ”って許可だよ!」
東は不満げに牙を見せる。
「俺らの求愛はな、言葉じゃねぇ。行動がすべてだ」
今度はジャジーも鳳も口を挟まなかった。
美月は少し考える。
「私たちで言う、好きって言ったり、愛情を伝えること?」
「あぁ。俺らはただ言葉で言われても不安が残る。俺らの牙は武器だ。それを相手が受け入れるってのが、一番分かりやすい返事になる」
「……事情は分かった。⋯⋯でも」
美月は困ったように眉を下げる。
「今は、だめ」
「……そーか」
大柄な肩と眉が同時に下がり、明らかに落ち込んだ様子。
美月は続けて伝える。
「私、まだ二人にも返事してない。ジャジーと鳳の求愛の返事も返してないのに、東のそれを受け入れるわけにいかない。そもそも東のこと、まだ全然知らないし」
「……おう」
美月は少しだけ笑った。
「だから、そんなに私を好きだって思ってくれてるなら、まず陸仕様の愛情表現を覚えてきて」
「陸仕様……」
「急に触るのはだめ。抱くのも噛むのも論外オブ論外」
「ろんがいおぶろんがい」
「そこは学ばなくていい!」
美月は頭を抱えた。
「少なくとも、触ったり抱いたり噛んだりしたい時は、先に聞く。これが最低限」
東はじっと美月を見る。
「それで、お前の気持ちは動くのか」
「ちゃんとしてくれてたら、もちろん動くよ」
「なら、やる」
東の手が伸びた。
しかし、今度は強引に抱き上げたりはせず、途中で止まる。
「……じゃあ、手ぇ握ってもいいか」
美月は少し驚いて、それから笑った。
「うん。それならいいよ」
大きな手が、今度は本当にそっと美月の手を包む。
「ぜってぇ妖力覚える。美月に文を送る」
「あはは。うん」
「だから、美月も俺のこと、頭に入れといてくれ」
「それも、いいよ」
美月も、その手を握り返した。
津波のようだった東の愛情表現。
それは美月との会話を経て。
ほんの少しだけ、波を弱めたのだった―――。
第5章 深まる関係編 - 第6話
「津波から高波へ」
→第5章 深まる関係編 - 第7話
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