第5章 深まる関係編 - 第4話「津波のような男」へ
鳳とジャジーは、同時に東へ飛びかかった。
「美月を返せ!!」
ジャジーが翼を大きく振るい、風の刃を作り出そうとする。
しかし。
「邪魔だっつってんだろ」
東が片手で海面を薙いだ。
ほんの一掬い。
それだけの海水が、砲弾のような勢いでジャジーへ撃ち込まれる。
「ぐっ……!」
咄嗟に身を捻ったものの、濡れた翼では思うように風を掴めない。
「クソッ……海水重てぇんだよ!」
「東!美月殿を返せ!」
鳳も両手を振り、水球をいくつも作り出した。
だが、撃ち込むたびに東の海水が正面からぶつかり、空中で弾け飛ぶ。
川の水を操る鳳にとって、海水は相性が悪い。
身体そのものが受け付けず、無理に触れ続ければ妖力の流れまで乱される。
「ちっ……!」
二人が攻めあぐねる中。
美月は、東の腕の中で完全に身動きを封じられていた。
至近距離にある顔を、改めて見る。
白と黒が混じった、硬く長い髪。
水色と灰色を混ぜたような肌。
口元から覗く歯は、深海魚を思わせるほど鋭い。
そして右半分には、赤い碇の紋様。
整った顔立ちではある。
あるのだが。
「……顔の治安が悪い……」
「なんだ?」
「なんでもないです!」
東は気にする様子もなく、美月の首筋へ鼻先を寄せた。
すぅぅぅぅう―――
「っはぁ……」
心底満足そうな吐息。
「お前の匂い、すげぇいい」
嬉しそうに笑う。
「近いって!」
「早く俺の巣穴行って交尾すんぞ」
「ンア゜ーー!!思考が海洋生物すぎる!!」
その会話にジャジーのこめかみに青筋が浮かんだ。
「ふざけんなこの魚野郎⋯!!美月を返せ!!」
ジャジーが濡れた翼を無理やり振るう。
だが風は思うようにまとまらず、散った。
「東!聞いておるのか!!」
鳳も水球を放ち続けるが、東は片手で海水を撃ち返し、美月を抱えたまままったく動じない。
「なんだよ」
本気で分からないとでも言いたげに首を傾げる。
「番んなったら交尾するもんだろ」
「だからこの世界に来てすぐ貞操失ってたまるかぁ!」
「じゃあこんなとこで立ち往生してねぇで今すぐ巣穴に連れてきゃいい話だな!」
「え!?」
東の長い魚体が、ずるりと海へ戻り始める。
美月の足が、海面に触れた。
「待って待って!私泳げない!」
「泳がねぇでいい。俺が抱えて移動する」
「無理だって!ふやけるし息も出来ないじゃん!」
「俺と番になんなら気膜作ってやる。ふやけねぇし、溺れねぇ」
「なりませんって言ったら……?」
「ふやける前に食う」
「…………」
美月の全身が停止した。
「ぎゃぁぁぁ私の終点が海の底か腹の底しかない!」
「冗談だ。番を食うわけねぇだろ」
「その顔で冗談は逆に無理あるよ!」
その瞬間。
次は東の方が固まった。
「……俺の顔、そんな怖ぇのかよ……」
見るからに落ち込み、肩まで下がった。
あまりに素直な反応に、美月は間髪入れず首を振る。
「いや、顔はかっこいいよ?治安の悪さはピカイチだけど」
「……かっこいい?」
後半は綺麗に消えた。
「うん、かっこいい。あとはレディーの扱いだけどうにかなったらいい……ん?」
そこで美月は気づく。
抱えられているのに。
「……生臭くない」
「は?」
「ぬめってもない」
美月は東の腕をまじまじと見る。
「え⋯⋯聞いた話と違う⋯⋯」
「なんの話だ」
「海系妖怪は魚臭くてぬめるって話」
東が停止した。
そして数秒後。
「ふざけんな!何百年前の話だ!」
「え!? 今違うの!?」
「当たり前だ!最低限のマナーくれぇ身についてるわ!」
「じゃあ長いこと海系妖怪と契約した人がいないから、種族情報が更新されてないんだ!?」
「情報情報の更新事情とか知らねぇよ!」
美月は一度、納得しかけた。
そして。
「でも人に噛みついた挙句、抱えて海に引きずり込もうとした人が『最低限のマナー身についてる』とか原始海洋生物すぎる」
「誰が原始海洋生物だ!上半身は人型だろ!」
「欲が全部魚体の下半身に引っ張られてるよ!」
「求愛だ!」
「それじゃあ誰も契約したがらないって!」
「……そこまで俺らのこと嫌なのかよ……」
更に東の肩が落ちた。
「ちなみに、求愛のアップデートは?」
「それは噛む」
「なんで衛生面は更新されてるのに求愛は知能指数低いまま海底に沈んでんの!」
「そこは本能が変わらねぇからだよ!」
「ていうか、なんで噛みたくなるの?」
「なん、で……?」
東が固まった。
本気で考えたことがない顔だった。
しばらくして、ぽつりと答える。
「⋯⋯噛めば、痕がつく」
「うん」
「俺の匂いもつく」
「うん」
「そうすりゃ海のやつなら、“こいつのもんだから手ぇ出せば殺られる”って分かる」
「唾つけとくって言葉の物理バージョン!?」
「海ん中で唾つけても意味ねぇよ」
「知ってるよ!でもせめて陸の妖相手なら、噛む以外に最低限の愛の言葉を身につけて!」
東は一秒も考えなかった。
抱えている美月を更に引き寄せると、しっかりと目を合わせる。
「気に入った。番になれ」
「最低限すぎる!」
「お前が最低限っつったんだろ!」
「女子は最低限の中にも、もっとロマンチックなのを期待するよ!」
「ろまんちっく……」
今度は少し悩んだ。
ただし、その大半は“ろまんちっく”という謎単語についてである。
「……よく分からねぇ」
「だろうね」
「だが」
東の声が、不意に落ち着いた。
「匂い嗅いで、お前見て、すぐ欲しくなった」
「……っ」
「お前の目の色、俺の海よりもずっと綺麗だ」
「……う、うん……」
「髪も、肌も、触り心地がいい。一日中俺の腕ん中で触りてぇ」
「ぅ……」
美月の顔が、一気に赤くなる。
「本能レベルで好きだ。俺の番になってくれ」
「…………」
「返事は?」
「……今、言葉の威力に脳震盪起こしてる」
「俺お前のこと殴ってねぇぞ」
「知ってるよ!」
東は理解できない顔をしたまま、それでも続けた。
「番として俺の側にいて欲しい。俺のことも好きになって欲しい。だから今、お前が言った通り言葉にした」
「う゛ぅん次はもう心臓発作起きる」
「なんで悪化すんだよ!」
美月は真っ赤な顔のまま、東を睨む。
「っ……そうやって言葉が簡単にぽんぽん出るんだから、誰にでも同じこと言うんじゃないの!?」
その瞬間。
東の表情から、すべてが消えた。
美月も、ジャジーも、鳳も知らない。
押してだめならさらに押す、津波のような男。
そんな東が告げようとしている言葉が、今までの荒っぽさとはまるで違う重さを持っていることを。
誰も、まだ想像していなかった。
第5章 深まる関係編 - 第4話
「津波のような男」
→第5章 深まる関係編 - 第5話
「混沌漁業」へ
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