第5章 深まる関係編 - 第3話「最初からクライマックス」
「着いたでござる」
潮の匂いが濃くなり、やがて視界いっぱいに海が広がった。
「海だぁ⋯⋯!」
美月が思わず目を輝かせ、一歩前へ出ようとした、その時。
「美月殿とジャジー殿は離れておるがいい」
鳳がすっと二人の前へ出た。
「なんで?」
「奴は基本、海の中に棲んでおる。顔を出す際、拙者らが濡れる可能性が高いのでござる」
ジャジーが海を眺めながら鼻を鳴らす。
「別に頭から全身濡れたりしねぇだろ」
「軽い津波だと思われよ」
「軽いにしても規模が災害!」
美月は即座に数歩下がった。
ジャジーも文句を言いつつ、その隣まで移動する。
二人が十分離れたことを確かめると、鳳は改めて海へ向き直った。
「東。拙者だ」
波が迫り、引いていく。
一秒、二秒、三秒。
しばらく何も起きなかった。
「……誰も来ねぇぞ」
「来ておる」
「でも波は静かだよ?」
「嵐の前の静けさでござる」
「結局災害じゃん!」
直後。
穏やかだった海面が、不自然に盛り上がった。
「え」
美月が目を見開く。
水そのものが巨大な何かに押し上げられるようにせり上がり―――
ザバァァッ!!
「鳳!久しぶりじゃねぇか!」
大量の海水と共に、一人の男が姿を現した。
「うわっ!」
鳳の言った通りだった。
離れていなければ、三人まとめて頭から潮水を被っていたに違いない。
海から現れた男の上半身は、ジャジーや鳳と同じく大柄だった。
だが、腰から下が違う。
人魚に似た長い魚体が、海から上がってなお水中へ伸びている。
全身を覆う鱗は針のような鋭さを持ちながら寝そべり、巨大な尾びれは鎌と針山を合わせたような禍々しい形をしていた。
美しい人魚というよりも、圧倒的に怪異だった。
「毎度もう少し落ち着いて出ろと言っているでござろう!」
「なんだよ。今日は客が来るっつったから落ち着いて上がっただろ?」
「身体が巨躯なのでござる!」
「成長期に食いすぎた」
「縮め!」
「無理に決まってんだろ!」
ジャジーが半眼になる。
「また荒っぺぇの来たな」
「あれが鳳の古い縁の人なんだ……」
東はまだ鳳しか見ていなかった。
ふと鼻を鳴らし、首を傾げる。
「お前、やっぱなんか変わったんだな」
「訳あって別の妖が混じったのでござる」
「何が混ざったんだよ」
「僵尸でござる」
「ふーん。まぁ生きてんならいい」
「いやもっと掘り下げねぇのかよ」
ジャジーが思わず突っ込む。
美月も目を丸くした。
「ずいぶんさっぱりした人なんだなぁ……」
鳳は首だけを美月とジャジーに向けた。
「美月殿。ジャジー殿。こやつは東。拙者の腐れ縁でござる」
その言葉で、ようやく東の視線が鳳の向こうへ移った。
ジャジーを見て、そして美月。
その瞬間、東が止まった。
「……雌?」
鼻が、わずかに動く。
「め…めす…」
美月は思わず復唱する。
「これ……あの時の匂いか……?」
鳳から送られてきた妖力文。
そこにほんのわずかに混ざっていた、妙に頭へ残る香り。
東の瞳孔が、針で引っ掻いたように細くなる。
「……待て」
鳳の声が低くなる。
「何をするでござる」
返事はなかった。
東はただ一点、美月に釘付けになっている。
―――ズル。
東の長い魚体が砂浜へ乗り上げた。
下半身を引きずりながら、異様な速度で真っ直ぐ美月へ近づいていく。
「ウワァァ動きが爬虫類!!」
美月が肩を跳ねさせた。
「おい!お前止まれ!」
ジャジーが前へ出る。
東は面倒そうに一度だけそちらを見た。
「お前、ちっと退け」
「は?」
水かきのある大きな手が海面を掬う。
手のひらいっぱいにも満たない海水。
それを東は、ジャジーへ《《撃ち込んだ》》。
ドンッ!!
「ゔっ――!?」
「えぇ!?」
二メートルの巨体が簡単に吹き飛んだ。
海水。
ただのコップ1杯ほどの海水。
なのにそれは、まるで鉄球でも投げ込まれたかのような衝撃だった。
砂浜を滑ったジャジーが即座に身を起こす。
「ぐっ……何すんだてめぇ!!」
東はジャジーに視線すら移さない。
「邪魔だ」
更には悪びれる様子すらもない。
「え!?何!?なに!?」
美月の周囲を、東の長い魚体がぐるりと囲った。
「イヤァァ魚を捕まえる予定が魚に捕まった!」
美月が縮こまる。
東はそんな反応にも構わず、上半身を屈めた。
碇の紋様が入った治安の悪い顔が近づく。
東の鼻先が、美月の首筋へ触れそうな距離まで寄った。
「やっ⋯⋯」
東が、大きく息を吸った。
そして。
目を見開く。
「……やべぇ」
「え……っ!?」
その声と同時に、美月の身体が宙へ浮いた。
東の腕が腰と背を抱え、軽々と持ち上げている。
「東!!何をするのだ!!」
鳳の怒声が飛ぶ。
だが東は、子供のように二イッと牙を見せた。
「鳳!こいつは俺の番にすんぞ!」
当たり前のように告げる。
「番ってなに……?」
「伴侶のことでござる!」
「ゑ゛!!」
美月の顔が凍る。
東はもう一度、その首筋へ鼻先を寄せた。
「……これだ」
うっとりした様子で低く呟く。
「本能がお前を逃がすなっつってる」
「ちょ、なに――」
東の口が開いた。
ジャジーと鳳の背筋に、同時に嫌な汗が走る。
「おいやめろ!!」
「東!!」
その声を待たずして。
東の牙が、美月の首筋へ沈んだ。
「ぁ……っ!?」
痛みに肩が跳ねた。
だが、深くはない。
皮膚を裂くほどでも、血を奪うほどでもない。
ましてや契約などではなかった。
海側の存在が行う、ただの求愛行動。
東の口が離れる。
美月は噛まれた場所を手で押さえながら、涙目で東を睨んだ。
「いったぁ……!乙女の肌に何してくれてんの!?」
「求愛だ。当たり前だろ」
「当たり前じゃないわ!」
「なら種族特性だ」
「どっかで聞いたことあるよそのセリフ!」
美月の横で、ジャジーがそっと目を逸らした。
その一方。
鳳の中では、何かが切れていた。
自分が大切にしてきた美月の首筋へ。
自分が慎重に距離を縮めてきた、その場所へ。
よりによって、自分の腐れ縁が先に牙を立てた。
「東ァ……貴様……!!」
鳳の手が、メキメキと音を立てて変形する。
指先から鋭い爪が伸び、手そのものが獲物を捕らえ引き裂くための形へ変わっていく。
「鳳……?」
美月が息を呑む。
鳳瞳の色が濁る。
頭の皿に貼られた札が、ざわざわと不穏に揺れていた。
ジャジーが引きつった笑みを浮かべる。
「おいおい……あいつ完全にキレてんぞ」
しかし、東はむしろ興味深そうに鳳を見る。
「おー!ずいぶん禍々《まがまが》しい変貌遂げてんじゃねぇか!それが僵尸か?」
「美月殿を……貴様の海に連れて来たのは、間違いであった……」
こめかみに青筋がくっきりと浮かんでいる。
「お主ならば問題ないと⋯⋯高を括った拙者の判断が誤りであった⋯⋯!」
「なんだよ」
東は美月を抱えたまま、首を傾げる。
「この雌に印はねぇ。つまりお前のものでもねぇだろ」
「……黙れ……」
「欲しいもんは早く取らねぇと奪われる。それがこの世界だろうが」
鳳の表情が止まった。
先日。
まったく同じ意味の言葉を、ジャジーから聞いた。
「……黙れと、言っている……」
低い声。
だが東は気にしない。
「まぁ、こいつはもらってく!」
ニカッと、悪意など欠片もない無邪気な笑み。
「いいもん貰えた礼に、魚は好きなだけ取ってっていいからな!」
「私が魚の交換品になってるぅ!!」
美月の絶叫を抱えたまま、東の長い魚体が再び海へ戻り始める。
「おい待て!!」
「東!!」
穏やかな水面とは反対に。
ジャジーと鳳の怒声が、砂浜へ響き渡っていた。
第5章 深まる関係編 - 第3話
「最初からクライマックス」
→第5章 深まる関係編 - 第4話
「津波のような男」へ
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