第3章 近づく距離編 - 第9話「荒ぶる心」
夕食は、昨日の余りものを消費するため、米と汁物の用意だけで済んだ。
食卓には昨日作ったおかずが並び、その向こうで鳳がきちんと正座している。
「お待たせ〜」
大根の煮物、茄子の煮浸し、肉なし肉じゃが。
そこに汁物と炊きたてのご飯。
美月は自分が並べたおかずを見て真顔になった。
「煮物攻めすぎる」
「新しい攻撃でござるな」
「ていうか“肉なし肉じゃが”ってなに!もはや“じゃが”じゃん!」
そう自分の料理へのツッコミを決めた時だった。
「っ…ふ…」
その漏れた声に、美月は反射的に鳳を見た。
いつもなら視線を逸らして笑う鳳が、普通に声を出して笑っている。
その光景に、美月の頬が上がる。
「まぁこのおかずだったら、お茶がなくても水分が摂れるね」
「なら良いのではないのか」
「効果、塩分過多で血圧上昇。さらには細胞内脱水を経て喉が渇きます」
「攻撃としては優秀でござる」
「ごめん!」
美月が謝りながら味噌汁を置くと、鳳は首を横へ振った。
「よい。拙者はいただく身であるゆえ、これ以上のもてなしを受ければ天罰が下ろう」
「それは大げさかな!?」
「他人の家に世話になり、膳まで拵えていただいておるのでござるぞ」
「でも鳳、今日めちゃくちゃ畑仕事してくれたじゃん」
「それとこれとは別でござる」
「真面目だなぁ……」
美月は笑いながら自分も席についた。
ほとんどは鳳の働きによっての収穫だったが、美月も刺股ネギとの格闘で、腹はすっかり空いている。
二人で夕食を平らげ、食器を洗い終えた頃には、窓の外も完全に暗くなっていた。
鳳が湯呑みを手に居間へ戻ると、その正面へ美月も腰を下ろした。
「……」
「……」
しばらくして。
鳳が、じっとこちらを見ている美月に気づく。
しかも、妙に笑っている。
口元だけが、妙に楽しそうに上がっていた。
「……その笑みは、なんでござるか……」
警戒を隠そうともせず、鳳が尋ねる。
美月はにこりと笑った。
「さっきのアドレナリンに味を占めまして」 「……嫌な予感がするでござる」
鳳の背筋が僅かに強張る。
美月は身体ごと彼へ向き直った。
「さっきの、もう一回」
「美月殿!!」
鳳の声が居間へ響き、美月の肩がびくりと跳ねる。
「鳳、テンパると声の大きさとか反応速度とかが雷になるよね」
「拙者は水属性でござる!!」
「今そこ訂正しなくていいよ!」
鳳は片手で額を押さえた。
「……その依頼は、美月殿と拙者にとってどれほど危険か分かっておられぬのか」
「だって鳳、今満たされてるでしょ?」
「満たされていても欲することはあるでござる!」 「なんか似たようなこと聞いたことある!“腹減ってなくても菓子は食うだろ”って!」
「命に関わるものを菓子に例えるでない!」
鳳はなかなか許可を出さない。
とうとう腕を組み、目を伏せてしまった。
小さな卓の前に座るその姿は、さながら今後の妖生に係る重要な会議を行ない、割れた意見をまとめる議長のようである。
だがその真相は、美月の性癖再現依頼である。
「いいから、もう一回だけ!」
美月が両手を合わせる。
「拙者はなぜ、依頼された頼み事にここまで理性を揺らされているのであろうか……」
「むしろほんとに吸っていいよ?」
「また何を申すか!!」
「依頼に対して働いてくれた、正当な報酬だし」
「………」
言われてみれば、確かにそうだ。
美月が次々に育てる野菜を、鳳はひたすら引っこ抜き、切り落とし、掘り起こした。
欲だの理性だの危険だのを抜き落として考えれば、首筋からの吸血は、腕よりもはるかに効率よく摂取することができる。
「……」
「鳳」
「……なんでござるか」
「今審議中?」
「……しておらぬ」
「図星ぃ」
鳳の黄色い瞳が美月を見る。
先ほど一度、抱きしめ、首筋へ牙を寄せた。
ただの補給として割り切れていたなら、必要な分だけを受け取ることもできたかもしれない。
しかし今は。
己の欲を向けて美月を傷つけることを、鳳はしたくなかった。
彼女との縁を、大切にしたい。
だが、内にある僵尸の本能は、あの時晒された美月の首筋に、確かに反応した。
満たされているにもかかわらず。
血を求める必要などないにもかかわらず。
美月の首筋へ牙を立てたいという欲が、確かに浮かんだ。
だからこそ、一度で終わらせるつもりだった。
「最後!」
美月が人差し指を一本立てる。
「今日はこれで最後だから!」
「……」
鳳は黙り込んだ。
「……鳳?」
「……本当に、これで最後でござるな」
「うん!」
「……」
長い息を吐く。
そして、観念したように立ち上がった。
「……承知したでござる……」
「やった!」
美月の顔がぱっと明るくなる。
その笑顔を見た鳳は、ますます複雑そうな顔をした。
「喜ぶことなのでござろうか……」
「私としては!」
「拙者の心臓としては一大事でござる」
「動いてるなら大丈夫!」
「そういう問題ではござらぬ!」
それでも。
鳳は美月の前へ立つ。
今度は、先ほどほど時間をかけなかった。
美月が両腕を少し広げる。
鳳も静かに腕を伸ばし、その身体を自分の胸元へ包み込んだ。
「……」
「……」
美月が、そっと鳳へと身体を預ける。
腕に力が入る。
先ほどよりも自然だが、それでも慎重に。
そして鳳は、ゆっくりと顔を下げた。
美月の首筋。
わずかに覗く肌へ熱い吐息が落ち、鋭い牙が近づいていく。
美月の肩が、ぴくりと揺れた。
その時。
―――外のざわつきが、消えた。
第3章 近づく距離編 - 第9話
「荒ぶる心」- 完 -
→第3章 近づく距離編 - 最終話
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