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転生先は隠世!?〜属性過多の妖怪達に愛され過ぎて、念願のスローライフは享年1日で終了しました〜  作者: 桜桃
第3章 - 近づく距離編 -

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第3章 近づく距離編 - 第7話「踏み込んだ距離」


夕食の支度を始めるには、まだ少し早い時間だった。


「鳳、お願いがあるの」


畑仕事を終え、家の中へ戻ってきた美月は、居間にいたほうの前へ座るなり、妙に真剣な顔をしてそう告げた。


「お願い、でござるか」


ほうは湯呑みを置く。

いつも美月は、思いついたことをそのまま口へ出すことが多い。


だが、今は違った。


背筋を伸ばし、膝の上で両手を握っている。


ほうは、美月の表情をじっと見つめた。


「随分、覚悟を決めた顔でござるな」

「うん」


美月は一度、大きく息を吸った。


「今から女として、かなり覚悟のいることするから」

「……」


ほうの瞳が、僅かに見開かれた。


女として、覚悟のいること。


その二つの言葉が頭の中で繋がった瞬間、以前自分が美月へ告げた言葉が蘇る。


『拙者に、そなたを娶らせてくれ』


あの時は、彼女から血を貰い、その肌を傷つけた責任を取らなければならないと思っていた。


だが、それも今は違う。


美月と過ごす時間そのものを心地よいと思い始めている自分がいる。


よく笑い、よく怒り、時折驚くほど無茶をし、巨大な野菜を前に本気で喜ぶ。


そんな彼女と、この先も共に歩みたい。


その気持ちは、もう責任だけでは説明できなかった。


そして今、美月は“女として覚悟を決めた”と言った。


もしかすると、あの問いへの答えを出してくれたのではないか。


ほうの背筋が、いつにも増して真っ直ぐになる。


「……そうであるか」


低い声で告げる。


「では、拙者も男として腹を括ろう」


美月の目が、ぱっと輝く。


「ほんと……!?」


その反応に、ほうの胸が強く鳴った。


やはり、そうなのかもしれない。


「無論」


ほうは美月へ向き直る。


「そなたが覚悟を決めたのでござる。拙者は美月殿の申されることに、不惜身命ふしゃくしんみょうの覚悟で応えよう」


「そんな命まで惜しまない覚悟いらないけど……でも、ありがとう」


美月は少し照れたように笑った。


「じゃあ、その……」

「うむ」


美月が立ち上がり、ほうも反射的に腰を上げる。


そして。


美月は、ほうへ向かって両手を広げた。


「……」


ほうが固まった。


「き、来て……?」

「…………」


声が出ない。

頭の中では、先ほどまで別の覚悟をしていた。


もし伴侶となるのであれば。

美月がそれを望むのであれば。

己の命も、名も、この先の妖生も、すべて彼女へ預ける覚悟はある。


あるのだが。


今、美月が求めているものは、抱擁。

たったそれだけだ。


だがほうにとって、その『たったそれだけ』の難易度が異常に高かった。


ほう?」


美月が首を傾げる。


「…………しばし、待たれよ……」


ほうはしばらく動けなかった。


美月は、元人間だ。


人間は、この先を共に歩むと覚悟を決める際に、抱擁をしつつ答えを告げる習わしなのだろうか。


もしそうであるならば、今ここで“なぜ今抱擁が必要なのか”と問うのは、女子の心に吹雪を吹きつけさせてしまうかもしれない。


「……行く」


そしてようやく。

一歩、前へ出た。


額に冷や汗が滲む。

女性と関わることなど、これまで必要最低限だった。

ましてや、自分から女性へ触れた経験などない。

だから、先ほど畑で彼女の頬についた土を取り除く際、触れられなかった。


つまり、美月の血をすすったあの時が、初めてだったのだ。


しかも当時は意識すらなかった。


手を繋いだこともない。

抱きしめたことなど当然ない。

それなのに美月は、両手を広げたまま自分を待っている。


「む、無理しないでいいよ?」

「無理ではござらぬ!」

「んひぃ、言葉の勢いだけは電光石火!」

「す、すまぬ……!」

「いや、いいけど……そんな決死の覚悟でハグされると思ってなかったから」


ほうは、もう一歩だけ進んだ。


美月との距離が縮まる。



これまで何とも思わなかった彼女の体温まで、急に意識へ入り込んでくる。


鳳は手を伸ばしたが、止まる。

また伸ばし、止まる。


「……」

「鳳、日が暮れそうだよ」

「急かすでない!」

「ごめん!」


そして、ようやく。


ほうの指先が、美月の腕へそっと触れた。


その瞬間。


ほうの顔が、一気に赤くなった。


「っ……!」

「え、嫌だった?」

「嫌ではない……!」


返答だけは速い。

美月が少し笑った。


「そっか」


その笑顔を見たことで、ほうはようやく呼吸を整えた。


そして、小さく尋ねる。


「……よい、か」

「ふふ。待ってました」


美月が目を細める。


ほうは覚悟を決めたように、もう一歩近づいた。


大きな腕が、ゆっくりと美月の背中へ回る。

それから、壊れ物を扱うように慎重に腕を寄せる。


美月の身体が、ほうの胸元へ収まった。


「わぁ…」

「……」


美月は少しだけほうへ頬を寄せる。


「んふふ。思ったよりあっついね」

「……美月殿のせいでござる……」

「私?」

「左様……」


美月の耳にも、ほうの鼓動が早く鳴っているのが伝わってきた。


「鳳、心臓がお祭り騒ぎ」

「太鼓ではござらぬ…」

「でもよかった。僵尸きょうしが混ざってるって聞いたから、心臓動いてないのかと思った」

「拙者もそれを知った時には安堵したでござる」


腕に、ほんの少しだけ力がこもった。






どれほどそうしていただろう。


美月が最初に両手を広げた時、窓の外にはまだ夕焼けが残っていた。


橙色だった空は徐々に色を失い、気づけば窓の外は、すっかり夜へ変わっていた。


ようやく。


美月の求めていた抱擁が形になった。


ほうは、誰にも分からないほど小さく息を吐く。

それだけのことに、随分と時間をかけてしまった。


だが。


美月が嬉しそうに微笑んでいる。

なら、それでよい。

そう思った、その時だった。

美月がほうの胸元から少しだけ顔を上げる。


ほう

「何でござるか」

「お願いごと、まだ終わってないよ?」

「…………は?」


ほうは思わず美月の両肩を掴み、視線を合わせやすいように距離を開ける。


そして、頭の中で意図せずとも組み上がってしまった次の段階。


視線が美月の瞳から唇へと落ち、ほうの喉が小さく鳴った。


いや。

いやいやいや。


さすがに“それ”はまだだろう。

まだであると信じたい。


だがしかし、先ほど一度腹を括ったのだ。

多少のことであれば、動じない。


美月は少しだけ頬を赤らめる。


そして。


次に彼女が告げた言葉は、ほうの内側に眠る僵尸きょうしの本能を、強く揺さぶるものだった―――。



第3章 近づく距離編 - 第7話

「踏み込んだ距離」- 完 -

→第3章 近づく距離編 - 第8話

「来たる試練」

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