第3章 近づく距離編 - 第2話「補給で埋まらぬ穴」
朝。
美月が目を覚ました時、ジャジーはまだ帰っていなかった。
窓の外へ目をやっても、黒い翼は見えない。
「……まだ、帰ってないんだ」
胸の奥が、少しだけ沈んだ。
その時、部屋の隅に浮かべていた妖力通信が淡く光る。
『美月さん、鳳様、おはようございます』
「百之鬼さん!おはようございます」
寝床から起き上がっていた鳳も、きちんと正座して頭を下げた。
「百之鬼殿、昨晩はかたじけなかったでござる」
『いえいえ、仕事ですから』
「ずっと見守っててくれたんですよね」
『はい。今後の展開を考察していたら帳簿が埋まりました』
「仕事中何してるんですか」
百之鬼はにこやかに笑う。
『では私は退勤いたしますので、鳳様は美月さんの善意を全力で受け取ってくださいね』
「……善処するでござる」
『善処ではなく。女子からの贈り物は、善意でも言葉でも食物でもちゃんと受け取ってください』
「……承知」
『最後に、美月さん』
百之鬼の声が美月に向く。
「なんですか?」
『ジャジーさんの魔力は、まったく問題ありません。魔力切れで倒れることはしばらくないでしょう』
「そ、そうですか…」
『ただ、別の方向で問題はありそうですが』
「え!?それは危険とかじゃないですか!?」
百之鬼は昨夜同様、にんまりと笑う。
「出た!その意味深な笑い方!」
『まぁ、今は美味しい状況…ではなく、本人の中で処理しなければならないものなので、そっとしておくことが一番です』
「もう『美味しい状況』ってほとんど言っちゃったよ!」
『……美月さんもですよ』
「え?」
『ふふ。では失礼いたします』
「逃げた!」
そうして、百之鬼との通信は切れた。
「もう……百之鬼さん、何か知ってるなら教えてくれれば良いのに…」
数秒考えたが、寝起きの思考は思いのほか働かない。
美月は考えることを止めると、隣に正座をしている鳳を見る。
「あの、本気で嫌ならいいですからね?」
「嫌なわけなかろう!」
即答した鳳の声が家中に響いた。
「いや勢い!」
鳳は咳払いし、少しだけ姿勢を正す。
「見知らぬ拙者に命を分け与えてくださった上、美味な膳のもてなしまで!これまでの妖生で一等の幸福でござる!」
「そ、そこまで言われると恥ずかしいんですけど……」
美月の頬が赤くなり、俯きかける。
しかし、昨日の出来事を思い出した瞬間、慌てたような表情へと変わる。
「あ!でも緊急だったとはいえ、知らない人の血なんて嫌でしたよね……」
鳳はゆっくりと視線を逸らす。
「……美味であった」
「え」
鳳は美月へ向き直すと、至極真面目な表情で告げる。
「気は失っておった。だが後から思い返せば、流れ込んだ命の味ははっきり残っていたでござる」
「うわぁぁ最近野菜ばっかり食べてるから青臭くなかったですか!?」
「滅相もない。拙者の魂にも等しい水より、強く命を感じた」
「ならよかった……不味かったら申し訳ないなって」
「芳醇な香りに円味のある味わい。舌を一切荒らさぬ滑らかさでござった」
「んんん感想が血液ソムリエ!」
美月が顔を覆う。
その時。
鳳の視線が包帯の巻かれた左手へ落ちた。
「……」
黄色い目の瞳孔が、僅かに細くなる。
―――ごく。
小さく喉が鳴った。
鳴らすつもりはなかった。
その僵尸の本能による生理的反応に、鳳の顔は青ざめ、慌てふためく。
「す、すまぬ!!」
「今、また欲しいって思いました?」
「腹も妖力も、満たされておる!」
「じゃあ安心なのかな?」
「……安心ではござらぬ」
「ん?」
鳳は包帯から目を逸らした。
「そなたの血の味を知った。再び妖力が尽きかければ、本能的にそなたを求めるやもしれぬ」
「なるほど。補給先の連絡網の一番上が私ってことですね」
「そなたしかおらぬゆえ、連絡網として成立しておらぬが」
「確かに」
美月は笑った。
「でも、生き血でしか回復できないんですよね?」 「……左様」
「よし」
「何でござるか」
「私が鳳さんの補給係になります」
「……は?」
鳳の目が見開かれた。
「だって、飲まなきゃ消えちゃいますよね?」
「……見知らぬ者に、軽々しく命を分けるものではござらぬ」
「……じゃあ」
一拍おき、美月は告げる。
「私に、教えてください。鳳さんのこと」
「……拙者、の?」
「どうやって生きてきたのか。どうして僵尸が混ざったのか。もちろん無理には聞きませんけど」
「……構わぬ。だが、話せば長い」
「いいですよ」
すると、鳳は少し黙り、美月を見る。
「……そなたは、怖くないのでござるか」
「交通事故で跳ね飛ばされた時より痛くなかったので大丈夫です」
「それと比べるものではござらぬ!」
鳳は頭を抱えた。
やがて表情を戻し、真剣に告げる。
「しかし、そうなれば美月殿からいただくばかりで、拙者は何も返せぬ。美月殿にそのような役目を負わせるわけにいかぬ」
「ん〜…」
美月は数秒考える。
そして、思いついたように顔を上げた。
「あ!じゃあ今度、収穫を手伝ってください」
「収穫……作物でござるか?」
「はい。今度から野菜を販売できることになったので」
「しかし、それだけで血をいただくわけには……」
「なります」
美月は即答した。
「うちの作物、武器みたいなサイズになるので。収穫がほぼ鍛冶屋の雑務なんです」
「……?」
鳳の思考が遠い場所へ旅立っている。
「……作物、なのでござるな?」
「はい」
「なぜ作物が武器に…?」
「見れば分かります」
美月は笑った。
「じゃあ、そういうことなので。今度から畑の手伝いをお願いします」
「……承知、した」
その頃。
隠世の一角、常夜の森の奥に、ジャジーはいた。
ここは元々、自分が暮らしていた場所だ。
帰れば落ち着くと思っていた。
―――だが。
「……何で俺、こんなイライラしてんだ……?」
腹は減っていない。
魔力も足りている。
美月から貰った精気も、まだ十分に残っている。
それなのに。
胸の奥に穴が開いたようだった。
ジャジーの脳裏で、昨夜の光景が何度も蘇る。
美月が見知らぬ男、鳳へと躊躇いもなく自らの血を差し出した光景。
そして、鳳を見て、頬を赤くした顔。
『そんなの女子は普通に惚れるって!』
「……クソ」
木の幹へ背を預ける。
補給が必要なわけではない。
腹が減ったわけでもない。
なのに。
圧倒的に、何かが足りない。
足りないはずなのに、形容できない別のなにかは、腹の底へと渦を巻くように溜まっていく。
「……なんなんだよ……」
その夜。
ジャジーがその穴の正体に辿り着くことも。
腹の底に溜まった黒い渦を消すことも。
この頭を支配している感情の名も。
美月の元へ戻る理由を見つけ出すことも。
何一つとして、叶わなかった。
第3章 近づく距離編 - 第2話
「補給で埋まらぬ穴」
→第3章 近づく距離編 - 第3話
「鳳という者」
読んで頂きありがとうございます。
面白かったらぜひ評価や★を押して頂ければ、やる気が上がります。




