幕間「写仝の苦悩」
百之鬼達が管理所へ戻った頃には、災異治安対応課の慌ただしさも、ようやく一段落し始めていた。
絡新婦は無事に拘束され、子蜘蛛達も全て回収済み。
焼けた農地については妖魔力環境課が確認に入り、緑札の職員達は住民のその後の安否を、一軒ずつ確認している。
騒がしかった館内にも、少しずついつもの空気が戻りつつあった。
そんな中。
「お疲れさまでした」
出入り口の受付に立っていた写仝が、戻ってきた百之鬼へ声をかける。
「ただいま戻りました」
百之鬼は柔らかく笑いながら、抱えていた書類を机へ置いた。
「被害状況はいかがでしたか」
「幸い、消滅者はいません。負傷者も軽傷者のみです。農地の被害は妖魔力環境課へ引き継ぎました」
「絡新婦は」
「現在、災異治安対応課で拘束されています。落ち着き次第、事情聴取ですね」
写仝は一度頷く。
「青札の鳳さんは?」
その問いに、百之鬼はにこりと笑った。
「現在鳳様は、美月さんの家にて休養されています」
「……はい?」
返答までに数拍の間があった。
「青札の鳳様が、美月さん宅で休養されています」
「聞こえていましたよ」
「では何か?」
百之鬼が不思議そうに首を傾げると、写仝は数秒黙った。
この隠世では、多伴侶そのものは既に珍しいことではない。
女性一人に複数の伴侶がいる家庭もあれば、契約前の男女が同じ家で過ごすことだってある。
ゆえに、それ自体を咎めるつもりはなかった。
しかし。
「女性ひとりの家に、男性の妖魔が二名いらっしゃるのですか?」
「はい」
即答だった。
「………」
写仝の顔が、ゆっくりと遠くを向く。
もし彼に目があったなら、完全に遠い目をしていただろう。
「あの方は……」
再び間が開く。
「少々、無防備が過ぎませんか」
遠くを向いたまま百之鬼に問いかけた。
「美月さんですか?」
「他に誰がいるのですか」
彼女は、数日前まで人間だった。
隠世へ来た初日に淫魔に窓から侵入され、その数日後にはその淫魔へ自ら口づけをして命を救い、今度は僵尸が混ざった九千坊河童へ血液まで与えた。
写仝は続ける。
「それに、現在美月さんのご自宅にいる男性妖魔は、精気と血液を糧にする種族の方ですよね?」 「そうですね」
百之鬼の腕に並ぶ目が、楽しそうに細められた。
「美味しく頂かれてしまうかもしれませんね」 「百之鬼職員」
「冗談です」
返答だけは早かった。
「こちらへ戻る前に、ジャジーさんの魔力、美月さんの妖力、鳳様の妖力。そして美月さんの血液量。全て現時点では充分です」
百之鬼は手元の書類を確認しながら報告する。
「今日明日で生存に関わる補給が必要になる可能性はありません」
写仝の肩からわずかに力が抜ける。
「……そうですか。なら―――」
「ですが」
百之鬼の笑みが深くなる。
「必要がないことと、欲することは両立しますので」
当たり前のように告げられ、写仝が固まった。
「精気が足りていても口づけが欲しくなる方もいらっしゃいますし、血が足りていても美味しい血をもう一度、と思うことはありますから」
「……」
「つまるところ、あとはお二方の理性次第ですね」 「つまるところ、ではないです」
先ほどより声が低い。
「百之鬼職員」
「はい?」
「本日は残業として、明日の朝まであのお二方の監視業務をお願いいたします」
「喜んで」
「なぜ即答なのですか」
百之鬼は既に写し鏡を手に取っている。
「なぜ写し鏡が必要なのですか」
「安全確認のため、記録用です」
「その割には、非常に楽しそうですね」
写仝の顔は、しばらく百之鬼を見ていた。
しかし百之鬼には、明確に“疑っている”空気が伝わっていた。
「……美月さん本人には、妖力通信で監視について伝えてください」
「もちろんです」
「写し鏡による撮影も、本人の許可なく行わないように」
「……分かっています」
「今、間がありましたね」
「気のせいです」
百之鬼の腕の目が一斉に逸れた。
写仝は小さく息を吐く。
「……隠世へ来てまだ数日だというのに……」
『スローライフがしたい』
初めてここへ来た時は、花畑の中でそう話していた。
それが数日で、巨大野菜を育て、淫魔を家へ泊め、火炎系妖の事件に巻き込まれ、初対面の青札へ自ら血を与えている。
写仝の中で、美月の『妖生保証手当対象者』という行政上の区分が、いつの間にか別の何かへ変わり始めていた。
「本当に、目を離せませんね」
「ふふっ」
百之鬼が笑う。
「写仝さん、最近はまるで美月さんの保護者みたいですね」
「私は総務管理課の職員です」
「否定の仕方が役職なんですよ」
「事実を述べただけです」
そして、百之鬼は、写し鏡を見ながら微笑む。
監視のための映像はまだ映っていないのに、百之鬼には何かが見えているかのようだった。
「なぜ笑っているのですか」
「私には、今後の展開が読めましたので」
すると、写仝が百之鬼を見る。
「悟の感情を読む能力でしょうか」
「いいえ」
「では、百々目鬼の視る能力でしょうか」
「いいえ?」
写仝は首を傾げると、怪訝そうな様子で百之鬼へ顔を向けた。
「では、新たな能力でも発現したのでしょうか」
百之鬼は満面の笑みを浮かべた。
「女子の予知能力です」
「女子の予知能力」
写仝が、その言葉をそのまま復唱する。
数秒の沈黙。
「その能力は、管理所の資格体系に存在しませんが」
「資格化されても困ります」
「でしょうね」
そんな会話が交わされている頃。
当の美月の家では、今日出会ったばかりの男が眠る傍らで、ひどく機嫌の悪い淫魔が腕を組んで座っていた。
百之鬼の『女子の予知能力』が、早くも仕事を始めようとしていることを、美月だけが、まだ何も知らなかった。
幕間「写仝の苦悩」- 完 -
→第3章 近づく距離編 - 第1話
「責任」へ
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