第2章 隠世の問題編 - 第9話「火炎の妖」
美月を抱えて飛んでいたジャジーは、自宅を目前にして、空中で止まった。
「チッ……焼け野原寸前じゃねぇか……」
「酷い……」
昨日まで静かだった居住区には、すでに何人もの緑札の職員が走り回っている。
「結界内に入れ!」
「幼怪、幼魔を優先しろ!動けない者がいたら報告を!」
その向こうでは、赤い炎が農地を舐めていた。
「うちの畑……!」
幸い、美月の畑はまだ全焼していない。
野菜は全て収穫した。
対策として昨日置いた水桶も、片付けた枯れ草も残っている。
自宅の被害は最小限ではある。
しかし、安心する暇などなかった。
「え……なに、あれ……」
炎の中心に、一体の妖がいた。
上半身だけを見れば、美しい女性だ。
長い黒髪に、整った顔立ち。
だがその腰から下に、人の脚はない。
8本に分かれた長い多関節の足。
腰から後ろへと続く、大きく膨らんだ虫のような下半身。
―――巨大な蜘蛛だった。
何本もの禍々しい脚が地面を這い、その周囲には無数の小さな蜘蛛が蠢いている。
「絡新婦の妖です!」
緑札の職員が叫んだ。
「繁殖期に入り、警戒心と凶暴性が急激に高まっています!近づかないでください!」
その直後、子蜘蛛が一斉に口を開いた。
その刹那、火炎放射のように、火が噴き出す。
「うわぁ!?」
さらに。
「……返せ……!」
絡新婦が低い女性の声で告げる。
絡新婦は大きく息を吸い込むと、ゴォッと炎を吐き出した。
数十メートルに渡り、炎が地面を走る。
「絡新婦って、火を吹くのは子蜘蛛だけじゃないの……!?」
自分の知る伝承では、絡新婦が子蜘蛛を操り、その子蜘蛛が火を吹くという言い伝えだ。
「子蜘蛛が火ぃ吹けるなら親は炎くれぇ吐けるだろ!」
「知ってる伝承と違う!」
「今そこ気にしてる場合か!」
ジャジーは美月を、緑札の職員が張った結界の中へと降ろす。
「お前は結界から出んな。しばらく俺が足止めする」
「でもジャジー、火は……」
「苦手なだけで戦えねぇとは言ってねぇ」
「やっぱり苦手なんだ」
「今は格好つかせろ!」
黒い翼が大きく広がり、ジャジーが地面を蹴った。
しかし、風を巻き起こせば炎を広げる。
「チッ……まずはあのちっせぇのをどうにかした方がいいな……」
翼腕を鋭く振り抜いた。
風が広がるのではなく、細い刃となって一直線に飛ぶ。
すると、子蜘蛛が次々と弾き飛ばされた。
ギッ、と一鳴きすると、子蜘蛛はひっくり返り、動きを止めた。
「ジャジー!」
「殺してねぇ!気絶させただけだ!」
「そ、そう……!」
先ほどまで火を吹いていた子蜘蛛は、全て気絶している。
―――だが。
終わりではなかった。
―――ぼと。
「……え?」
―――ぼと、ぼと。
絡新婦の腹部から、新たな子蜘蛛が地面へ落ちていく。
生まれたばかりのはずなのに、数秒も経たずにむくりと起き上がった。
「マジかよ……」
ジャジーの額に汗が滲む。
そして子蜘蛛は、何の合図もなく散開した。
「嘘でしょ……」
子蜘蛛達は一斉に炎を吐いた。
生まれたばかりとは思えない、恐ろしいほど正確な連携。
ジャジーが避けた瞬間、別方向から白い糸が飛んだ。
「あ…!?」
羽へ絡みつく。
「ぐっ……クソッ!」
ジャジーが無理矢理引き千切るが、その隙を狙うように炎が迫った。
「ジャジー!」
「俺はいい!結界ん中にいろ!」
既のところで炎を避ける。
「っぶね…!」
ジャジーは再び風の刃を放つ。
だが。
倒しても、また産まれる。
倒しても、また増える。
炎と蜘蛛と白い糸。
目の前で繰り広げられる光景に、美月の呼吸が浅くなっていった。
「……っ」
その時、美月の膝から力が抜ける。
とさっ、と地面へへたり込んだ。
その刹那。
絡新婦の顔が、ぐるりと美月へ向いた。
「ひっ……」
美しい女の顔。
その唇が笑ったように見えた、次の瞬間。
口が、四方へ裂けた。
「……っ!」
喉がヒュ、と鳴る。
逃げなきゃ。
頭ではそう叫んでいるのに、身体が動かない。
すると、絡新婦が大きく息を吸った。
「美月!!!」
ジャジーが振り返る。
同時に飛び出そうとした翼へ、何本もの蜘蛛糸が絡みついた。
「クソッ!!離せ!!!」
子蜘蛛達が、キッ、キッ、と鳴く。
跳ねるような声が、笑っているように聞こえた。
そして。
炎が、美月へ襲いかかった。
「……ぁ……」
視界いっぱいに、赤が広がる。
轟音とともに、熱気が結界へ衝突した。
「ひっ……!」
いや、大丈夫。
結界の中だ。
ここにいれば安全なはずだ。
―――なのに。
身体の奥底が、ここにいてはいけないと叫んでいた。
「絡新婦の火力が上がっています!」
緑札の職員が叫ぶ。
「繁殖期の馬鹿力か……!結界が保たない!」
―――ピシッ…。
透明な壁に亀裂が走った。
「……え」
ピシ、ピシッ……。
「ダメです! 破られます!」
周囲から悲鳴が上がる。
それなのに、美月の耳には何も届かなかった。
炎の音だけが、世界を埋め尽くしている。
亀裂が広がり、熱が近づく。
逃げなければ。
でも、脚が動かない。
美月の目が伏せられる。
――あぁ、だめだ。
消滅する。
そう覚悟した、その時だった。
「させぬ」
低く、静かな男の声。
炎に埋め尽くされていた視界を遮るように、冷たい水の気配が一気に広がった―――。
第2章 隠世の問題編 - 第9話
「火炎の妖」- 完 -
→第2章 隠世の問題編 - 最終話
前編「命を分ける」へ
読んで頂きありがとうございます。
面白かったらぜひ評価や★を押して頂ければ、やる気が上がります。




