第1章 夜の来訪者編 - 第9話 「幸福の中のささくれ」へ
美月は包丁を持つ手を止め、保存方法を調べていた。
時間停止魔法。
「絶対フードロス削減できるじゃん」
しかし調べた結果。
種族により、力の使い方が異なるらしい。
「やっぱ管理人さん案件だ」
美月は端末を閉じ、再び包丁を手に取った。
美月は手慣れた様子で、使う食材と調味料を用意していく。
人参は乱切り、大根は輪切り。
大根は面取りをした上で十字に切り込みを入れ、和風の調味料で煮込む。
「蜂蜜欲しいなぁ…」
他にも、じゃがいもと玉ねぎで汁物を作り、茄子はじっくりと低温で焼き、トマトはそのまま切った。
食卓へ並べる。
「めちゃくちゃ豪華」
一人分にしては明らかに多いが、自分で育てたものだと思うと、それだけで妙に嬉しかった。
「いっただっきまーす!」
大根の煮物を口へ運ぶと、しっかりと味が染みていた。
「おいひぃ……」
次にじゃがいもと玉ねぎの味噌汁を口に運ぶ。
「ほくほく……玉ねぎも甘っ…!」
全部、ちゃんと美味しい。
美月は自然と頬を緩めた。
悪くない。
本当に、悪くない。
時間に追われることもなく、誰かに急かされることもない。
朝起きて、畑を見て、ご飯を作る。
そんな生活を望んでいた。
「これ、誰かに食べさせたいなぁ」
何気なく口から出た言葉に、箸が止まった。
頭の中に、黒い羽が浮かぶ。
「……なんで、あいつなの」
美月は眉間に皺を寄せた。
ジャジーを遠ざけたのは自分だ。
でも。
「しばらく、って言っただけだし……」
思わず呟いたあと、美月は自分で自分の言葉に気づいた。
慌てて首を振る。
「そのうち『腹減ったから来たぞ』とか言って、勝手に来るよね」
美月は無理やり納得し、食事を続けたのだった。
翌日。
美月はリュックのような袋を背負い、再び管理所に来ていた。
「またお困りですか」
景色を捲りあげ、管理人は顔を覗かせる。
その現れ方には、もう驚きもしない。
「はい。通貨とか、作物の売買について聞きに来ました」
「つうか?」
管理人は初めて聞いた単語を復唱するように、一文字ずつはっきりと言葉を発した。
「人間界の文化入ってきてるのにそこ入ってないの!?」
「さほど重要ではありませんので」
「なんなの隠世社会!」
そして美月は、昨日眠る前にまとめた内容を伝えていく。
ここでの通貨は何なのか。
また、野菜は販売可能なのか。
時間停止魔法は習得可能なのか。
美月の相談を聞いている間、管理人は驚きもせずにメモを取っていく。
よくある相談のようだ。
「あなたが言うこちらでの通貨は、妖力や魔力です」
「妖力?」
「はい。隠世では基本的に、全ての事柄にその力が直結します」
管理人は何もない景色に、隠世社会の図のようなものを展開した。
「体力回復、魔力補給、物資の購入、植物育成など、全てを妖力や魔力が補っています」
「へぇ〜」
「端的に申し上げるなら、それさえあれば我々は水や食物がなくとも生存が可能です」
「それ、人生の半分以上損してる」
「妖生です」
「今修整いらない!」
確かに防犯対策の時、妖力や魔力がすべてだと聞いていたが、本当にその通りのようだ。
美月は、ふと首を傾げる。
「でも私、買い物した時に妖力なんて払ってないですよ?」
管理所から支給されている『妖生保証手当』。
異常妖稼働で買い物をした際、それはポイントとして表示されていた。
「このポイントは?」
「あれは、妖力や魔力を数値化したものです」
「電子マネーじゃん!」
「でんしまねー?」
「そこも入ってきてないの!?」
管理人は淡々と説明を続ける。
「直接受け渡す方法もありますが、現在では管理所や商業施設を通して数値化し、各個人へ紐づける方が一般的です」
「じゃあ妖生保証手当って……」
「一定量の妖力を、保証として付与しています」
ようやく、あの数字の正体が判明した。
「ていうか飲まず食わずで生きられるなら、皆さん何のために農業したり料理したりするの?妖力稼ぎ?」
「それもありますが、趣味や嗜好もあります。味覚はあるようなので」
「あるようなのでって……」
「野菜を口にした時に味はしました。その後の排出に問題がないことも理解しました」
「完全に実験結果!」
管理人は食べる幸せという極上の幸福を、まるで必要ないかのように思っている。
思わず美月は、袋から昨日収穫したトマトを取り出した。
「これ、食べてください!」
断じて味の感想が欲しかったわけではない。
ただ、美味しいものを誰かと共有したい。
そのために持ってきていた。
「……これは?」
「トマトです」
「とまと」
「はい」
「私の想像しているものとは、随分体躯が違いますが」
「そこは今流して!」
美月はトマトをずいっと差し出す。
「本当に、美味しいので」
「おいしい」
「はい」
「…分かりました」
管理人は美月からトマトを受け取る。
「営業についてのご相談も承っていますので、こちらは試供品としてお預かり致しますね」
「お裾分けが一気に事務手続きになった!」
トマトを持ったまま、管理人は次の相談内容へと進む。
「時間停止魔法については、販売資格を取得した者のみ習得できます」
「そうなんだ」
「美月さんは販売を希望されていますので、資格を取得後、改めてご説明します」
美月は胸を撫で下ろす。
この世界に来て、手に職を得られるかもしれない。
それは、とても嬉しい。
しかし。
これだけ充実していようと、美月の胸に引っかかり続けているものがあった。
「……あの」
「なんですか」
美月は一瞬言葉に詰まり、そして口を開く。
「……一人」
一拍。
「気がかりな人が、いるんです」
第1章 夜の来訪者編 - 第9話
「幸福の中のささくれ」-完-
→第1章 夜の来訪者編 - 最終話
「夜と月」へ
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