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──は……?
俺の婚約者がこんなみすぼらしい女?
それが第一印象。
この縁談は父上に強く勧められて、そこまで言うならと受けることにした。
良くも悪くもない伯爵家。どちらかと言えば悪いな。
伯爵が愛人を連れ込んでいるらしいからな。しかも、子供まで産ませた。
そんな平民なんかと結婚するよりかはマシかもしれないが……。
目の前に座る令嬢を観察するように見つめた。
碌に手入れをされていない髪。年齢の割に体はかなり細い。
今日のために仕立てたであろうドレス。似合っていないな。
顔立ちは悪くない。むしろ整っているほうだろう。だが、そばかすと伏せがちな目が印象を弱くしていた。
公爵夫人として俺の隣に立つ未来を想像した。
周りの友人は皆、容姿が自慢出来る美しい女性と結婚するだろう。
その中で俺だけがこんな……。
父上には悪いが、今回は縁がなかったと断ろう。
「あ、あの。小公爵様。よければこちらを」
令嬢自ら淹れた紅茶。
「リラックス効果があるハーブティーです」
と、令嬢が差し出したハーブティーは、まるで彼女の優しさをそのまま閉じ込めたかのような香りが鼻をくすぐった。
「何だか疲れているようなので、よかったら」
「ありがとう。頂くよ」
そう言ってくれる彼女の瞳は、どこか心配そうで、でもどこか温かかった。
父上の期待に応えるため、幼い頃から休むことなく勉強に明け暮れ、昼夜を問わず机に向かい続けてきた。友人と遊ぶ時間も、ただ無為に過ごす時間も、ほとんどなかった。
たまの息抜きはあったが、心が休まることはない。
しかし、このハーブティーの香りと味が、いつの間にか俺の緊張を解きほぐしていく。
静かにカップを口に運ぶと、優しい味わいが口いっぱいに広がり、自然と笑みが零れた。
こんなにも慌ただしくない時間はいつぶりだろうか。
「小公爵様。ここにいる間だけはせめて、立場を忘れてゆっくりして下さい。お邪魔でしたら、私は退室しますので」
言うと同時に立ち上がった令嬢の手を掴んだ。
「いい。いてくれ。ここに」
初めてだ。誰かといることに安心感を覚えたのは。
「す、すまない!」
しかし、すぐに自分の無礼さに気づき、慌てて謝った。
俺の無礼な失態に呆れるでもなく、許してくれる令嬢に心が安らいだ。
座り直した令嬢は何をするでもなく、ただそこにいるだけ。
令嬢……スカーレットは猫背だ。体を小さくするように背中を丸めて、存在感を消すように俯いたまま。
しばらくの間、部屋には沈黙が流れた。時間だけが過ぎていく。
彼女は何も話さない。ただそこにいるだけだ。だが不思議と、その沈黙は不快ではなかった。
むしろ、外の世界よりずっと静かで、落ち着いている。
ゆっくりとハーブティーを飲む時間が心地良い。
時刻はもう夕方。もう帰らなくては。
「スカーレット。明日も会いに来ていいだろうか?」
「私は構いませんが、小公爵様はお忙しいのでは」
その言葉には、遠慮というより“距離を測る癖”があった。
俺はそれを少し意外に思う。
そう……思うだけで、その違和感を口にすることはなかった。
「俺のことは名前で呼んでくれると嬉しい」
何を言っているのか。スカーレットと婚約をするつもりなんてないのに。
「リックフォード様……?」
ぎこちなく笑ったスカーレットが妙に可愛く思えた。
取り繕うことのない、本物の笑顔は俺の心に深く刺さった。
屋敷に帰ればまた、いつものように勉強の時間。
自分で望んだことだし、嫌ではないが……。
なぜだろう。スカーレットが淹れてくれたハーブティーを飲みたい。
翌日。朝食を終えてすぐスカーレットに会いに行った。
相変わらず髪はボサボサ。他人行儀で、距離は縮まらない。
昨日と同じようにハーブティーが注がれる。その香りに心が落ち着く。
一口飲むだけでホッと息をついた。
そんな、静寂な時間が毎日続いた。
スカーレットは無理に話をするわけではなく、そこにいるだけ。
スカーレットの存在は、煩わしさを感じさせるどころか、むしろ心を落ち着かせる温かな灯火のようだった。
俺達が交わす言葉は短く少ない。
会話らしい会話もしたことがなかった。
言葉が少ないからこそ、俺達の間に流れる沈黙は決して重くなく、むしろ優しい空気に包まれていた。
朝、顔を合わせれば「ようこそ、いらっしゃいました」と静かに迎える。その声は穏やかで、俺の心にすっと染み込んだ。
俺は「あぁ」とぶっきらぼうに返すだけだが、その返事の裏には感謝の気持ちが隠れていた。
夕方、「明日も来る」と言えば「お待ちしております」と答える。
決まり文句のようなやり取りなのに、不思議と俺は嫌いじゃない。
スカーレットの隣は俺にとって安息の地であり、心休まる唯一の場所。
たまに尋ねてくる貴族はお世辞を並べて俺の機嫌を取る者ばかり。
煩わしい。うるさいだけの連中の相手はこんなにも疲れる。
それでも、俺は公爵家の一員だから。態度を表に出すわけにはいかなかった。
俺という人間を押し殺してでも、完璧に作らなければならない人物像。
煩わしい社交より、ここが静かだった。彼女は俺を評価しない。ただそこにいる。それが妙に救いだった。
貴族は、自分という人間を評価されて、初めて存在価値を見出す。
そうか。俺は疲れていたんだ。休まることのない毎日に。
だが、ここに来たら穏やかな時間を過ごせる。
スカーレットは身分ではなく俺を見てくれていた。
優しくて気遣いも出来て、相手の気持ちを推し量れる。
想像してみた。俺の隣に公爵夫人として立つスカーレットの姿を。
友人達の美しい妻には及ばないが、スカーレットの良さは容姿ではない。
公爵夫人の座はスカーレットにこそ相応しかった。
俺が成人を迎えたら結婚しよう。
指輪はスカーレットの誕生石を使って……そこで、俺は気付いてしまった。
俺は何も知らない。スカーレットの好きなもの、好きなこと。
誕生日さえも。
知っていることといえば、三年前に母親が病死したことくらい。
それからは愛人だった平民が夫人の座についた。
スカーレットは何も喋らない。いつものようにハーブティーを淹れてくれて、そこにいてくれる。
俺の話を嫌な顔せず聞いてくれていた。
椿を刺繍したハンカチを母上にプレゼントしたいと言ったときには驚いたが、本気で俺と家族になってくれるつもりなのだと嬉しさが込み上げてくる。
刺繍は少し得意だからと、俺と目も合わせずにそう言ったスカーレットに微笑んで、必ず渡すと約束した。
無意識に俯くスカーレットに手を伸ばし顎を持ち上げた。一瞬だけ体が固まる。
驚き見開かれた目は俺から逸れていく。
家族になりたい。この、優しくて愛おしいスカーレットと。
これから……知っていけるだろうか。
俺の知らないスカーレットのことを。
結婚して毎日を一緒に過ごすようになって、互いの愛を育んでいく。
そんな漠然とした夢のような未来を思い描いた。
でも……それら全てが一時の気の迷いだったと目が覚めたのは、とある日の昼下がりのこと。




