2【リヒト】
全てのやるべきことが終わってしまった。
でも、まだスカーレットを送れない。
「スカーレット!!」
扉が、叩きつけるような音を立てて開いた。
「フィオーレ様」
僕達に目をくれることなく、一直線にスカーレットに駆け寄った。
伸ばされた手は止まった。
「スカーレット」
何度も、何度も名前を呼んだ。
その痛々しい姿から、目を逸らしてはいけなかった。
「すまない、スカーレット」
フィオーレはスカーレットに触れることなく、涙を流した。
「どうして俺は……」
フィオーレの肩が震えていた。後悔の叫びは罪の意識だった。
どんなに願っても戻せない、進んだ時間。
何もしなかったと自分を責めるヘルサン公爵。
約束を破り、逃げたと自分を責めるエーレ。
何も気付かなかった自分を責めるフィオーレ。
彼らに罪はない。裁かれる罪人は僕なんだ。
スカーレットが苦しんでいる時期に出会って、レッティとスカーレットが同一人物であることを見抜けなかった。
スカーレットの愛称がレッティであると知っていたのに、その可能性はないと否定した。
罪に問われ、裁かれるべきは……僕だけ。
「リヒト様。全員、揃いました」
オルバスが静かに声をかけた。
開かれた扉の外には、スカーレットを苦しめた使用人の家族、友人達がいた。
スカーレットを知る街の人々が駆けつけてくれている。
順番に中に入っては、短い別れの挨拶をした。
老人は震える手で帽子を胸に抱き、スカーレットの前で深く頭を下げた。
「嬢ちゃんには、昔世話になったんだ」
掠れた声だった。
「店で倒れた俺を助けてくれてな……礼も、ちゃんと言えてなかった」
それだけ言うと、老人は目元を押さえながら部屋を出ていった。
次に入ってきたのは、幼い少女。不器用ながらに、自分で作ったであろう花束を抱えている。
「お姉ちゃん、このお花が好きだって言ってたから……」
そっと、棺の中に置いた。
スカーレットは、多くを語らなかった。自分から人の輪に入ることも、ほとんどなかった。
それでも確かに、誰かを救っていたんだ。
部屋の外には、まだ人がいる。皆、短い言葉を残していく。
「ありがとう」
「ごめんね」
「忘れません」
その度に、自分の中の罪が重くなっていく。
どうして気付けなかった。どうして、もっと早く……。
スカーレットはずっと、一人で痛みに耐えていたのに。
「リヒト」
「陛下!?」
国王陛下夫妻の登場により、全員が一斉に膝を突く。
「いいんだ。頭を上げてくれ」
優しい声色でみんなを立たせた。
「ソメイユを教えてくれたのは、この子か?」
「はい」
不眠に悩まされていた兄上を救ったのもまた、スカーレットだ。
あの日、偶然にも出会わなければ、今も兄上は眠れない日々を送っていた。
「スカーレット嬢。感謝が遅くなってすまない」
兄上は白銀の花を棺へ置いた。王家の庭園にのみ咲く、ルナリア。
それは王族が、最大の敬意を捧げる者へ贈る花。
ルナリアを見た瞬間、空気が変わった。
誰もがその意味を知っている。
そして……。
今度は義姉様が静かに白い花を棺へ添えた。
白宵花。
歴代の王妃が庭園で育て続けてきた花。
夜にしか咲かず、傷ついた心を静める香りを持つ。
王妃がその花を他者へ贈るのは、ただ一つ。深い敬愛を捧げるときだけ。
スカーレットは、こんなにも多くの人に愛されていたんだ。
その事実が僕の胸を締め付ける。
スカーレットを天に送る準備は終わり、縁のあった人達が集まってくれた。
それは……終わりを意味する。
兄上にそっと背中を押された。
──僕が最後なのか。
言いたいことは山ほどあった。けれど、喉の奥で全部消えていく。
「スカーレット。次に君がこの世界に生まれたとき」
冷たい手を包み込むように握った。
「君の優しさを当たり前に思わない家族と、君の苦しみに気付いてくれる人と出会えることを祈るよ」
時間は残酷なほど平等で、止まってはくれない。
僕がどれほど願っても。どれほど後悔しても。
スカーレットは、もう……。
「レッティ。僕と出会ってくれてありがとう。幸せと思える時間をくれてありがとう。守れなくて……ごめんね」
そっと手を離した。
僕達は多くの幸せを貰っていたのに、そんな君に何も返せなかった。
「どうか……愚かな僕を許さないで」
それは、懺悔ではなく願い。
誰も別れの言葉は口にしなかった。
ただ、感謝と謝罪だけが、静かに積み重なっていく。
誰も動かなかった。ただ、静かに時間だけが進む。
やがてオルバスが、低く告げた。
「火葬の準備が整いました」
空気が揺らぐ。心臓の音がやけにうるさかった。
泣き叫んだところで、何も変わらない。
閉じた目を開き、現実と向き合う。
棺が、炉の前へ運ばれていく。
──あぁ、嫌だな。
己の弱さに負けて、目を背けたくなった。
そんなこと、許されるわけがない。最後まで見届けなければ。逃げることは許されない。
笑った顔を思い出す。心臓が破裂するくらい綺麗な笑顔を浮かべたスカーレットに、僕は……。
スカーレットが火葬されて、ようやく僕達は実感した。
陽だまりのように温かくて、優しい彼女はもうどこにもいないのだと。
声を荒らげることはなく、皆が静かに涙を流す。
時間を戻せないことを悔やみながらも、僕らは生きていくしかなかった。スカーレットのいなくなったこの世界で。
「忘れないよ。君が生まれてきてくれたことを。絶対に」
奇跡のような出会いに感謝をして、祈るだけ。
今世では得られなかった人並みの幸せを、来世では得られるように。




