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「ルビアお嬢様が?」
「うん。“自分が早く死んだら私も嬉しいでしょう”なんて言うから、つい怒鳴ってしまって」
スカーレット様は眉を下げ、ひどく傷ついたような顔で俯いた。
まるで相手を傷つけたのが、自分であるかのように。
──本当に優しいお方。
平民の娘が本心でそんなことを言うはずがない。スカーレット様をからかっただけだろう。
病弱で、ベッドの上でしか過ごせない平民の娘は、スカーレット様で遊んでいる。
貴族社会に入れない平民の娘が、正統な貴族であるスカーレット様に対して何たる無礼。
感情的に怒ってしまったことを後悔して反省していた。
私は震えるその手を、そっと包み込んだ。
「それは、スカーレット様が怒って当然です」
「でも、ルビアはきっと苦しくて……なのに私は、頭ごなしに」
「いいえ。スカーレット様は間違っておりません」
きっぱりと言い切った。
「“死ねばいい”などという言葉を、肯定してはなりません」
例え冗談でも。 自虐だとしても。
病弱だからといって、憐れまれる立場だからといって、何を言っても許されるわけではないのだ。
「スカーレット様は優しすぎます」
だから皆、無意識に甘える。差し伸べられる手を当然のように受け取り、その温もりに寄りかかる。
けれど、優しい人間ほど傷つきやすいことを、誰も気にしない。
“甘え”は時に“利用”だ。与えられる優しさを当たり前と思い、甘い蜜を吸うように求め続ける。
私はそれが、どうしようもなく腹立たしかった。与えられるだけで、何も返そうとよしない。
口先だけの忠誠など意味はない。主を本気で思うなら、行動で示さなくてはならないのだ。
だからこそ、私は何があってもスカーレット様の味方であると誓った。
「スカーレット様が怒られたのは、“死んでほしくない”と思われたからでしょう?」
「……っ」
「でしたら、それは責められることではありません」
私はその小さな手を離さぬまま、静かに続けた。
「どうか、ご自身ばかりを責めないで下さい」
「……うん。ありがとう、エーレ。あ、あの。それでね。ルビアにもう一回謝ってくる。怒鳴ってごめんねって」
肩の荷が降りたような、穏やかな表情を浮かべた。
「ご一緒しますよ」
「ううん、大丈夫。エーレはお母様に呼ばれていなかった?」
「ええ。ですが……」
どうしても嫌な予感が拭えない。平民の蒸すが何を考えているのか、私にはわからなかった。
ただ、あの静かな瞳の奥に、ときおり得体の知れない暗さを感じることがあった。
まるで、自分以外の誰かを巻き込んで沈もうとしているような、そんな危うさを。
「私は大丈夫だから行ってきて」
それでもスカーレット様は、柔らかく微笑んだ。
胸の奥に突っかえる小さな不安。漠然とした何かが、すぐそこまで迫っているような気がしてならない。
「……かしこまりました。ですが、何かあればすぐお呼びください」
「うん」
スカーレット様が笑顔になると、私も嬉しい。
「では、行ってまいります」
深く一礼し、私はその場を後にする。
「遅くなりました。カメリア様」
扉を開けると、薬草の匂いがほのかに鼻を掠めた。
薄くカーテンを閉めた室内は静かで、寝台の上ではカメリア様が上体を起こした。
「エーレ。ごめんね、呼び出して」
か細い声だった。無理に笑おうとしているのか、その唇はわずかに震えている。
「カメリア様。どうか寝ていてください」
私は急いで傍へ寄り、肩に触れてそっと寝台へ横になるよう促した。
けれどカメリア様は、小さく首を横に振る。
「少し……話したかったの」
カメリア様は病を患っている。医師に看てもらっているが、一向に良くならない。
明日になったら、目を覚まさないのではないかと不安が押し寄せてくる。
そんな私の心を見透かしたカメリア様は、私の手をそっと握った。
「エーレは私がフルール家にいた頃から仕えてくれていたわね」
「ええ。カメリア様がお嬢様のときから」
懐かしむように目を細めるカメリア様に、私も自然と声が柔らかくなる。
カメリア様には、フルール伯爵夫妻にすら隠していた交友関係がある。
ヘルサン公爵様と友人……いや、友人と呼ぶには、二人の間に流れる空気はどこか特別だった。
恋慕とも違う。主従でもない。
どちらかと言えば、“秘密を分け合う仲間”に近かった。
昔、一度だけ尋ねたことがある。なぜ、小公爵様のことを言わないのかと。
公爵家との繋がりなんて滅多に作れるものではない。何かあったとき、後ろ盾になってくれる家門は心強い。
私の疑問が意外だったのか、カメリア様はキョトンと目を丸くした。
そして
「だって、小公爵様はお菓子が好きなことを誰にも知られたくなかったみたいだから」
そう言ったのだ。
小公爵様との関係を語れば、きっと“秘密”まで一緒に暴いてしまうことになる。
相手が隠したいと思っていることを、勝手に他人へ明かしたくない。
それだけだった。
けれどカメリア様は、そういう“ただそれだけ”を、何より大切にする方だった。
だから二人は、社交界では決して交わらない。夜会でも距離を置き、互いに名前すら口にしない。
どこか歪で、でも、尊重し合える関係は私の知る貴族社会とは違う。
「エーレ」
「はい。何でしょうか」
「スカーレットをお願いね」
その一言に胸の奥が大きく揺れた。
それはまるで、最期のお願いのように聞こえた。
私がスカーレット様の侍女になったことで、カメリア様は新しい侍女を付けた。昔からの知り合いで、私も顔を合わせたことがある。
大切なスカーレット様を、他の誰でもない、私に託した。
その言葉がどれほど重く、どれほど深い信頼の上に成り立っているのか、わからないほど私は愚かではない。
胸が熱を持つ。苦しいほどに。
──そうか。これは正真正銘、最期の……。
カメリア様は自らの死期を悟った。もう長くは生きられない。
幼いスカーレット様を残して、この世を去る日が近づいていることを痛感していた。
誰よりも愛情をくれたカメリア様がいなくなる。きっと、悲しみと孤独がスカーレット様を襲う。
貴族らしく振る舞いながらも、決して人前では涙を見せない。あの方は、そういう強さも秘めている。
「お任せ下さい。カメリア様。スカーレット様を必ずお守り致します」
カメリア様は微かに微笑んだ。儚く、それでいて優しい笑み。
これは誓いではなく約束。最初で最後の。主従としてではなく、ただのカメリアとただのエーレとしての。




