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赤毛の伯爵令嬢の葬儀。
そう聞いたとき、頭が割れるほどの痛みに襲われた。
持っていたカップを落とし、その音に驚いてお嬢様が急いで駆け寄ってきた。
「大丈夫?珍しいわね。エーレが失敗するなんて。エーレ?」
赤毛の伯爵令嬢。
視界がめまぐるしく回り、私は立ち上がろうとしたが、足がふらついた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「今から隣国に向かわなければならない。体調が悪いなら、エーレは休んでてくれ」
旦那様はスワール商店の大旦那。
主に装飾品を扱う店で、その名は国内に留まらず、近隣諸国にまで広く知られている。
王侯貴族はもちろん、富裕な商人達の間でも“スワールの品なら間違いない”と評判で、季節が変わるたび各国から注文が舞い込むほど。
自国では大きな店舗を構え、他国では正式な許可を得たうえで露店を開く。
中でも、スワール商店の看板商品として名高いのが簪だった。繊細な細工。 光を受けて揺れる宝石。
旦那様の人望と確かな審美眼によって、名だたる職人達がスワール商店専属として契約を結び、腕を振るっている。
“スワールの簪を持つこと”そのものが、貴族令嬢達の憧れでもあった。
ただ、今回の注文はかなり特別だった。商店にある簪を全て持ってきてほしいと、変わった注文。
かなり急ぎらしく、今から出発するらしい。
「いえ。行きます。行かせて下さい」
震える声で答えた。
私は行かなくてはならなかった。
簪を注文してくれたのは隣国の王族、リヒト様。
実際に店へ足を運ばれたのは従者の方だったため、詳しい事情までは聞けていない。
ただ、一つだけわかっていることがある。
リヒト様は、“故人”となった赤毛の伯爵令嬢を、美しい姿で天へ送り出したいと望まれていること。
──まさか。そんなこと……。
脳裏に浮かぶのはたった一人。
あり得ない。そう思うのに胸騒ぎが止まらなかった。
「エーレ。もしかして、記憶が戻ったの?」
立てない私に手を貸してくれたお嬢様は、静かに聞いた。
「はい」
私は小さく頷いた。
「ご令嬢とは知り合いなのかい」
旦那様が尋ねる。私は迷わず答えた。
「私の思っているお方なら、スカーレット様で間違いありません」
長い間、私は自分の過去を忘れていた。
頭の中はまるで、白紙のようだった。水に流されていたかのように、まっさらだった記憶を次々と思い出す。
「スカーレット様」
そう呟いた。
懐かしく、まだ遠くない記憶。
カメリア様の命により、スカーレット様の侍女となった日々のこと。
変わるはずのない幸せな日常が、壊れる音がした。伯爵様が平民の愛人を連れて来たあの日に。
スカーレット様は笑顔が苦手だった。
きっとそれは、旦那様が連れてきた愛人の悪意ある発言のせい。
「ふん。なんて気持ち悪い笑い方なのかしら。まるで潰れたカエルみたいだわ」
その日から、スカーレット様は上手く笑えなくなった。頬は引きつり、口角は不自然に上がるだけ。目元は笑っているとは程遠く、顔全体が硬直していた。
スカーレット様の不自然な笑みを見るたびに、愛人は嘲笑を隠さず、さも当然のように振る舞うばかり。
伯爵様の愛人であることで身分が変わるわけでもないのに、その傲慢な態度はスカーレット様の心に小さな棘を刺した。
スカーレット様は気にしていないと言っていたけど、本心ではない。
毎晩、寝る前に鏡の前で笑顔の練習をしていた。ほんの少しでも、自然な笑顔を作れるように。
でも、愛人はスカーレット様の心を傷つけただけでは飽き足らず、スカーレット様を無視するばかり。時には子供相手に酷い言葉を投げかけるときもあった。
見下し、嘲笑う。敵意だけを宿す瞳に怯むことなく、スカーレット様は愛人への態度を変えることはなかった。
柔らかい声で挨拶をしても、返ってくるのは鼻で笑うような息だけ。
ある日はわざと肩をぶつけられ、またある日は目の前で扉を閉められた。
どんなにキツく当たられても、何事もなかったように微笑み続ける。
その笑顔さえ、ぎこちなく、愛人は傲慢な態度を崩さなかった。
優しいスカーレット様の代わりに愛人を窘めようとする私を止めるだけでなく、他の使用人にも愛人を受け入れるように頼んでいた。
その優しさは愛人だけでなく、娘にも向けられる。
誰もしたがらない平民の娘の世話を引き受けていた。
私が何度、近づいてはいけないと注意をしてもスカーレット様は
「でもね。ルビアは妹だから」
その言葉に、私は返す言葉を失う。
スカーレット様は優しいのではない。優しすぎた。
だからこそ、見ているこちらの胸が痛む。
異母姉妹とはいえ、妹ができたことが本当に嬉しいのだろう。
平民の娘の話をするときは特に、表情が綻んでいた。
──こんな顔をするなら……。
少しくらい、願いを叶えて差し上げてもいいのではないか。そう思ってしまった。
「承知しました。ですが、あまり長居してはなりませんよ」
スカーレット様は使用人達から慕われている。その方が頻繁に愛人の娘を訪ねていると知れれば、立場が悪くなるのは平民の娘のほうだった。
陰で嫌がらせを受けるかもしれない。
その事実をスカーレット様が知れば、自分のせいだと責めてしまう。
「ありがとう!エーレ」
お礼を言われるようなことは何一つしていない。
本当は許可などしたくなかった。できることなら、平民の娘から遠ざけてしまいたかった。
あの無垢な優しさが、傷になってからでは遅いのだ。
誰かを特別扱いすれば嫉妬が生まれる。
情をかければ利用される。
弱みを見せれば、容赦なく踏み躙られる。
伯爵様の子供であろうと、平民の血を引いている以上、そういう未来だって起こりうる。
それでも、スカーレット様は身分や血筋で人を見るのではなく、同じ“人間”として接していた。
守りたい。優しさに溢れたスカーレット様を。
どうしようもないほど、そう思ってしまう。
けれど同時に、理解していた。
スカーレット様の優しさは、誰にも止められない。
だからこそ、私には信じるしかなかった。スカーレット様の優しさに触れた人達が、同じようにスカーレット様に優しさを返していくのだと。




