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果てしなく広がる大地。どこもかしこも、おびただしい空気が満ちている。
空はいつだって薄暗い。太陽はなく、光が差し込むことがないからだ。
慈悲も希望もなく、あるのは永遠の痛みと苦しみ。
そんな、救いもなく荒れ果てた地獄の地に、目を奪われる光景があった。
混沌の中に、ひときわ鮮やかに輝く純白の百合の花。まるで命の象徴のように凛と咲き誇る。
烙印者が見れば希望の光とでも勘違いしてしまいそうな。それほどまでの美しさ。
白百合は単なる植物ではない。閻魔とサタンの心そのものが形を変えて結晶化したもの。
烙印者が運命を押し付けたことにより、天還者となってしまった数え切れない命。
無惨に、惨めに、死んでいくしかなかった者達。
運命を、烙印者を、呪わずにはいられなかっただろう。
生まれてこなければ良かったと、自らの存在を否定する者もいたかもしれない。
身代わりになってくれたと言い訳をする烙印者の言葉は信じるに値しなかった。
色なし鬼が迎えに行った時点で、絶望と殺意だけを胸に抱き、この世を去った証拠。
地獄は地上に干渉出来ない。そこに住む住人なら尚更。
業鏡に映し出されるのは、彼らが犯した数々の悪行だった。自分勝手で横暴な行動。助かるためならば、親兄弟や恋人、友人の運命さえも平然と捻じ曲げる冷酷さ。
理不尽な暴挙から助けられるわけでもなく、閻魔とサタンは地獄に住む者としての役割を果たすだけ。
それでも。この世を去って行った者達に対して何も思わないわけではなかった。
人ならざる者が、人間の死を悼む。何百何千年の月日、烙印者と向き合ってきたからこそ、死者の気持ちを理解するようになっていった。
誰よりも救いを求めていたのは結晶石を押し付けられた天還者。
神に祈っても、死神はやってくる。魂を天に還すために。
選ばれたのは別の人間だと言ったところで、死神の手は無慈悲に胸を貫く。
救われない天還者の魂の安らぎのため、閻魔とサタンは烙印者から一切の希望を奪う。
終わらない絶望は代償。罰ではないのだ。
二人は罰を与えるとか、裁きを下すとか、そんなつもりはない。運命を捻じ曲げた代償を支払わせているだけ。
「今回の天還者はこれまでにないほど、悲しい者だったな」
そう呟きながら、閻魔は白百合を一輪摘んだ。
閻魔はゆっくりと白百合の花びらを撫でながら、思いを馳せる。
誰のことも恨むことなく、独り寂しくこの世を去ったスカーレット。
彼女の最期は酷いものだった。
ヴェレーノの毒ですっかり弱りきったスカーレットは、もうベッドから起き上がる気力さえない。
死神が迎えに来て、死んでいなかったときのことを考えて即効性の毒を渡された。
もし仮に、その毒を飲まずに死神がルビアの魂を天に還していたら、スカーレットはもっと惨い死に方をしていただろう。
選択肢などなかったのだ。スカーレットにはもう、死ぬ以外は。
スカーレットは生前、誰よりも優しく、誰よりも孤独だった。呆れるほどの優しさは報われなかった。
「悔しいのう。あれほどまでに優しい人間が、独りで死んでいくのは」
地獄が地上に干渉出来ないということは、スカーレットの死後がどうなっているか確かめる術がないということ。
業鏡は烙印者の生前を映し、孽鏡は烙印者に運命を押し付けられた天還者を映し出す。
しかし、どちらの鏡も映せるのはあくまでも、烙印者が関わった出来事だけだった。
天還者となってしまった人間の、その後を映す鏡は地獄に存在しない。必要ないからだ。
烙印者との繋がりが切れてしまったから。見届ける義務がないから。
残酷な運命のその先は、地獄に住む者には関係ない。
「あんなにも優しい者が、死しても尚、孤独とは寂しいな」
閻魔は知らない。スカーレットのために泣いてくれる人がいることを。
スカーレットの優しさに触れて、一緒にいる時間を特別に感じた青年がいた。リヒトにとってスカーレットは愛しく、大切な存在。
スカーレットの死はどんな絶望より遥かに黒く、心が砕けそうになった。
ヘルサン公爵は一度も会ったことのないスカーレットの幸せを願っていた。リックフォードの犯した全ての罪を知る術はないけど、己の罪として目を逸らすことはない。
あんなに近くにいたのに救えなかったフィオーレは、きっと心臓を抉られる痛みを抱えて、生きていくのだろう。
閻魔は知らないからこそ、いてほしいと思うのだ。せめて、その死を悼む人が。
優しき少女が生きていたことを、たった一人でも覚えていてほしい。
人間よりも人間らしい感情。それは、持って生まれてこなかった“心”
目に見えない心は具現化され、形を得た。
白百合は天に一番遠いこの地獄から、その魂を静かに弔うための花。
天還者を思う感情が、白百合の繊細な花びらに宿っていた。
「スカーレットよ。お主の人生に、あの者達は二度と現れん。だからもう、安心するといい」
閻魔の眼差しは穏やかで、まるで遠い空の彼方にいるスカーレットに語りかけるようだった。
「スカーレット・ジュエールの魂に、幸多からんことを」
スカーレットの魂が安らかであること、存在が無駄でなかったと信じることだった。
今は亡き、スカーレットに捧げる。
心からの祈りを。
二人は並んで天へと舞う花びらを見つめた。花びらはまるでスカーレットの魂そのもののように、軽やかに風に乗っていた。そして、そっと目を閉じる。
届くことのない想いを、でも、確かに彼女に届けたいと願いを込めて。
呆れるほどに、ただ優しいだけのスカーレットと比べると、二人の優しさは一欠片にも満たないのかもしれない。それでも、この祈りは確かに二人の心から生まれたもの。
愚か者の陰に追いやられた、尊き命を忘れない。
二人にとって烙印者を苦しめるよりも大切なこと。義務や責任ではない。これは……純粋な祈りだった。
「では、戻るか」
祈りは終わった。
これからはまた、何百何千……何万年の、終わりのない長い長い時間で烙印者を苦しめる。
それは運命。
与えられた命の運命を捻じ曲げた烙印者への……。




