6
静寂が辺りを包み込んでいた。まるで時間が止まったかのように、誰一人として声を発しない。重苦しい空気だけが漂っている。
血が繋がっていない親子。それは誰のことを指しているのか。
この場にいる“子供”は一人、“親”は二人。
リックフォードは除外される。彼は公爵家の人間。いずれは家族になる存在ではあるが、今現在は他人でしかない。
そうなると、残された三人。
ルビアとミュルは血の繋がった親子だ。ミュルが懸命にお腹を痛めて産んだ命。それは確かな事実だった。
では、誰が……?
その一言を聞く勇気を誰も持っていなかった。
いや、聞かずとも既に答えは出ている。わかっているからこそ、聞けないのだ。
「う、嘘!!私とお父様はれっきとした親子よ!!」
やっとの思いで声を震わせながら反論したのはルビア。
サタンの言葉は、彼女の世界を根底から揺るがすものだった。
「証拠もないのに勝手なことを言わないで!!」
「魂が違う」
願いにも似た叫びを、サタンは一刀両断した。
人間の魂は血縁で決まる。初めてルビアとミュルを見たときから、二人の魂だけが同じに映っていたのだ。
閻魔には魂を見る能力はない。地獄に落ちてきた烙印者を裁くサタンだからこそ、知り得る事実。それが、彼の判断の根拠だった。
「か、仮に!!そうだとしても、じゃあ、私の本当の父親は誰だと言うのよ」
「お前達はもう見ただろう」
サタンの目線の意味に気づき再び、閻魔は業鏡でミュルを映した。
ラージーと出会う少し前。ミュルが働いていた酒場の客。名前も知らない、寂しさを紛らわせるためだけの一夜の関係。
しかも、相手は妻子ある身。ミュルが誘惑するだけあって、顔は良い。目元がルビアに似ている。雰囲気もどこもなく……。
彼こそがルビアの実父。
「そんなの証拠じゃない!口では何とでも言えるわ!!」
「うるさい人間だな」
サタンは冷ややかに眉をひそめ、指を突きつける。
その瞬間、ミュルは胸を押さえ、心臓が切り裂かれるような痛みに襲われた。彼女の口からは大量の血が溢れ出し、無残に地面を赤く染める。
ルビアもまた、胸を押さえ崩れ落ちた。
「魂への攻撃は血縁者……お前達の言う家族の絆を持つ者も同じように傷を負う」
サタンの声は冷酷だった。血を吐いて倒れたのはミュルとルビアだけ。だが、ラージーには異常が見られない。
それが意味することは一つ。
負った傷はすぐに治る。何事もなかったように。痛みが残るだけ。
「サタン。スカーレットという者の生前を見せてやったらどうだ?」
そのほうがもっと面白くなる。閻魔の表情がそう言っていた。
いつもなら一度は拒否するところだが、閻魔の気持ちを少しだけ理解したサタンは何も言わずに、孽鏡を取り出す。
ここまで自分勝手な世界に閉じこもり、現実を否定し続ける愚か者が、溢れんばかりの優しさを与えられていたことに気づいたとき、どうなるのか。とても楽しみだった。
業鏡が烙印者の人生を映し出すのに対し、サタンが持つ孽鏡は烙印者のせいでこの世を去った天還者の人生を映し出す。
今は亡き、そばかすで赤毛のスカーレット。
彼女は……ずっと優しかった。誰に対しても平等で、貴族の身分に驕ることはなかった。それは、愛人として連れて来られたミュルに対しても変わらない。
誰もがミュルを避ける中で、スカーレットだけは酷いことを言われたのに挨拶を欠かすことはない。
「おはよう」と「おやすみ」を言うためだけに、部屋を訪ねてくれた。
時には嫌味な言葉を浴びせられても、決して挨拶を欠かすことはなかったのだ。
ミュルはお客様ではなく伯爵家の一員。ラージーが連れて来た大切な家族だから、迎え入れてほしいと使用人に説得もしてくれていた。
叶わないことではあったけど、スカーレットが折れることはなかった。
ラージーはミュルを屋敷に連れて来てから体調があまり良くなく、眠れるようにとハーブティーを淹れてくれる。
毎晩、父として慕うラージーのために、スカーレット自身が。
リックフォードは毎年、夏になると頭痛に悩まされていた。どんな薬も効果は一時的で、完全に治ることはないと半ば諦めていた。
だが、不思議とジュエール家に出入りするようになってから治まったのだ。
無論、その理由はスカーレットである。たった一ヵ月の婚約中、リックフォードが零した言葉をずっと覚えていてくれた。
夏になると頭痛がする。薬もあまり効かない。
虐げられるようになってからも、リックフォードが口にする飲み物にはいつも、リリーバーの紅茶を出すようにしていた。
他の使用人に見つかっても、リックフォードの頭痛を抑えるために、ルビアからこの薬草を使うように指示されたと言えば疑われることはない。
本人に確認をされても、自分の印象を良くしたいルビアは否定することはなかった。病弱だからこそ、痛みは誰よりもわかる。愛するリックフォードに苦しんでほしくないと涙ながらに語る。
次期当主として課題に追われ続け、リックフォードの疲れを見抜いたスカーレットは、公爵家に手紙まで出してくれていた。その日を境に勉強の時間は減り、心に余裕が生まれた。
ずっと与えられていた優しさに、リックフォードの胸をかつてないほどの痛みが締め付ける。
あんなに酷いことをしていたのに、スカーレットはこんなにも自分を“想って”くれていた。
その優しさは、言うなれば愛。
スカーレットの優しさを一番受けていたのはルビアだ。
愛人の娘の世話など誰もやりたがらない。侍女がつくこともなかった。
そこに、やって来たのはスカーレット。一人で部屋に来ては、ベッドから起きられないルビアの世話をしてくれる。
丁寧に優しく体を拭いて、髪も梳いてくれた。お下がりではあるものの、髪飾りも付けてくれる。
侍女にやり方を教わったからと、外出をするわけでもないのに化粧もしてくれた。
病弱なルビアは風に当たるだけで咳が止まらなくなることもあり、そんなときはサプレ草を煎じて飲ませるとすぐに止まる。
リリーバーとサプレの効果もまた、一般的に知られていない。
薬草学を学んでいないスカーレットがなぜ、知っているのか。そんな疑問を誰よりも先に吹き飛ばしたのはリックフォード。
「……るな」
「え?何?」
困惑の色を隠せないルビアに、リックは続けた。
「俺に触るな」
腕にしがみつくルビアを乱暴に突き放した。
「ど、どうしたの、リック」
ルビアは震える声で問いかける。彼の目は怒りと冷徹さで満ちていた。
「気安く呼ぶな!!平民の分際で!!」
それは、愛が壊れた瞬間。
「わ、私には!!貴族の血が半分流れているのよ!?」
「ハッ。お前は伯爵と血縁関係がないと、証明されたばかりだろう。平民はバカだから、そんなことも理解出来なかったか?」
バカ、を強調しながら嘲笑う。
孽鏡に映るスカーレットは笑顔ではないが、とても穏やかな表情をしていた。当然だ。愛してやまない自分と、二人きりでいるのだから。
思い返せば、ルビアと過ごす日々よりも、スカーレットの淹れたハーブティーを飲みながら、ゆっくりと過ごすあの時間こそが特別だった。
「スカーレット。俺が真に愛しているのは、お前だけだ」
「リック!?何を言っているのよ!!」
「黙れ、この売女が!!」
「ば、ばい……。私は貴方の婚約者、いいえ、妻なのよ!!」
「俺の妻はスカーレットだけだ。お前みたいな下賎で汚らわしい平民と、結婚するわけないだろう。身の程知らずが」
「ふふ、ははは!お主らの愛は随分と脆いな」
「俺の愛はスカーレットだけのものだ!!見ろ!!」
自分で業鏡に映り込み、人間として最低なことをしている瞬間を映し出す。
「スカーレットは俺を受け入れている。これこそが真実の愛なんだ」
再び、大声で笑いたいのを必死に抑えながら閻魔は期待する。
愚かも、残念も、呆れさえも通り越したリックフォードの次なる発言を。
「こんな平民に洗脳されてしまったせいで、俺はスカーレットを傷つけてしまった」
「ほう?洗脳?」
「そうでなければ、俺がスカーレットを醜いなどと言うはずがないだろう」
業鏡は真実のみを映し出す。本心と本音を。
仮に洗脳されていて、本当はスカーレットのことを愛していたのだとしたら、その思いさえも鏡に映る。だが、映っていたのはスカーレットを虐げることを楽しむ非道な姿のみ。
それでも、真実の愛を語るのだからリックフォードは期待以上の……。
「俺はスカーレットに謝らなければならない」
「ふむ。良い心掛けだな」
改心した、と判断するつもりはないが、そんなことを言えるようになったのは愚か者が人間に一歩、近づいた証拠。
「ん?何だ」
リックフォードは閻魔を見つめていた。その行動の意味がわからず聞くと
「早く俺を地上に戻せ」
などと言う始末。




