現伯爵夫人の侍女
──私はカメリアが大嫌いだった。心の底から。
良くも悪くもない子爵家に私は生まれた。
兄と姉はすぐに結婚し家庭を築いたけれど、私は未だに独身。
でも、そんなことな問題ではない。私は自分の運命を信じていた。いつか必ず、私の人生を変える相手に出会えると。
そんなとき、フルール家で小規模なパーティーが開催された。そこで運命の出会いを果たした。
フィオーレ・フルール様。
容姿端麗。頭脳明晰。数ある伯爵家の中でもかなり上位の家柄。加えて、外交の仕事で王族や他国の貴族からの信頼も厚い。
彼の瞳は深く澄んでいて、一瞬で私の心を奪った。私の旦那様はフィオーレ様しかいなかった。
フィオーレ様だって、きっとそう思ってくれている。
フィオーレ様と仲良くなるために、不細工なカメリアと友達になり、屋敷に出入りするようになった。
残念なことに次期当主として忙しいフィオーレ様と毎日、会えるわけではなかったけど、たまに会えたときには熱い視線を送ってくれる。言葉を交わせなくても態度で想いを伝えてくれていた。
フィオーレ様の大きな愛を受け止められるのは私だけ!!
それなのに……!!
カメリアは何食わぬ顔でフィオーレ様には婚約者がいると、言ったのだ。
その瞬間、私の視界は真っ暗になった。
「楽しかったか?家門に泥を塗るのは」
冷たい声が響く。
「お、お兄様……」
兄は家の跡取りとして、生まれながらに期待されていた。待望の男児として、厳しく育てられたその背中はいつも重く、家族の誇りを背負って立っていた。
そのせいか、兄の雰囲気は刺々しく苦手な存在でもある。
怒りと失望を隠すつもりもなく、ただただ冷たい目が私を見下ろす。
「カメリア様の厚意で侍女にしてもらったのに、よく裏切れたな」
「っ……」
元々、カメリアには私ではない他の侍女がいた。ジュエールに嫁ぐ前から仕えていたらしい。
カメリアに娘が生まれたことにより、侍女はその娘に仕えるよう新たな命じられた。
私はその侍女の代わりに迎えられた存在。他にも候補は何人かいたらしいけど、カメリアが昔から付き合いのある私に傍にいてほしいと言った。
「厚意?あれは私を見下していただけよ!!婚約者もいない哀れな女ってね!!」
「婚約者がいないのは、お前が断り続けているからだろう。カメリア様のせいじゃない」
「私の旦那様はフィオーレ様だけなの!!他の男なんて絶対に嫌っ!!」
「そんなワガママしか言わないから、お前はその歳で婚約者の一人もいないんだ」
兄が私にも持ってくる縁談の相手は皆、兄の友達ばかり。中には伯爵家の子息もいたけど、誰も彼もフィオーレ様の美しさには敵わない。いえ、比べることさえおこがましかった。
この私の旦那様が普通の男であっていいはずがない。
「はぁ……。お前はなぜ、そうも自分が特別だと思っているんだ?」
「フィオーレ様に見初められたからよ!私が妻になるはずだったのに!!政略結婚なんてくだらないもののせいで、私のフィオーレ様が奪われたのよ!!」
辺境伯なんて、たかが田舎貴族の小娘の分際で!!
畑を耕しているような貧乏臭い田舎者が、貴族の住む王都に足を踏み入れるなんて汚らわしい。
田舎者は常識がないから嫌いよ。
「あの二人は政略結婚ではなく恋愛結婚だ。仮にも貴族社会にいて、そんなことも知らなかったのか」
「そんなの嘘!!フィオーレ様はいつだって、私に熱い視線を送ってくれたわ」
今でもあの日の記憶は鮮明に焼き付いている。決して色褪せることもなく。
私達は確かに愛し合っていた。言葉なんてほとんど交わしたことはないけど、形式的な貴族の挨拶の中に隠された私への愛。それを見逃したことは一度もない。
「カメリア様の友人だから良くしてくれていただけだ。それを、そんな勘違いまでして、恥ずかしくないのか?」
「恥ずかしいのはお兄様のほうよ!家のために好きでもない相手と結婚して、子供まで産ませて!!女を何だと思っているの!?」
家の名誉と未来のためと言えば聞こえはいいけど、結局のところ女を道具扱いしている。
相手も相手よ。必死に自分は幸せですオーラを撒き散らして。見ていて可哀想だった。
そうでもしないと、自尊心を保てなかったのよね。本当に可哀想。
「それが貴族であり、長子に生まれた俺の務めだ。お前のように、あれこれワガママを言える立場じゃないんだよ、俺は」
「な、何よ。偉そうに」
「まぁ、お前よりかは偉い立場にいるさ」
兄はバカにしたように微笑んでは冷たく言い返した。
「罪人のお前と比べたらな」
「私は罪人ではないわ!!すぐにお父様が助けてくれるもの」
「……誰が、助けてくれると?」
「だから、お父様……」
胸の不安を煽るかのように兄は一枚の紙切れを取り出した。
それは、私を子爵家から永久追放する書類。正式な手続きが既に終わっていて、私は家名を名乗ることが許されなくなっていた。
「今日はこれを伝えにきただけだ」
「ま、待って!!私を出してくれるんじゃないの!?私は貴族よ!!?」
私の訴えに、去ろうとしていた足は止まる。
「甘えるのも大概にしろ」
「ひっ……」
言葉以上に目が冷たかった。侮蔑や軽蔑ではない。殺意を宿した瞳は、鋭い刃のように私の心臓を突き刺す。
寒いわけではないのに震えが止まらない。
「今回のことだけじゃない。お前、フルール夫人に嫌がらせの手紙を送っていたそうだな」
「な、何で知って……。あっ」
「嫌がらせの自覚はあるようだな?」
いつまで経ってもフィオーレ様と別れない田舎娘に何回か手紙は出した。でも、それだけ。特に向こうから返事がくるわけでもなかった。
独り言のようなものだ。つい漏れた本音を紙に記し、それを田舎娘の元に送っただけ。
そうよ。私はただ、言葉を文字にしただけ。責められることは何もしていない。
「夫人はフィオーレ様には報告せず、あくまでも夫人の胸の内に留めておいてくれると、言ってくれたんだぞ」
「なっ……!!告げ口なんて最低の人間がすることよ!!」
「いい加減にしろ。本来ならお前の行為は許されない。夫人の寛容な心により、見逃されただけだ」
「いいえ、違うわ。きっと私とフィオーレ様を会わせたくなかったのよ!!」
「まだそんな妄言を吐けるのか。たかが子爵家が伯爵家に対しての無礼に振る舞い、例え、夫人が許しても俺が許すわけがないだろう」
口では許すと言いながら、兄に罰を与えるよう命じるなんて、やっぱり最低な人間ね。
「お前のバカな行動のせいで、どれだけ周りに迷惑をかけているのか、まだわからないのか」
「だって……!!」
「お前の仕出かしたことに、これ以上、他人を巻き込むな」
それだけを言い残し、足早に去って行った。
どうして?私が何をしたと言うの?
手紙に関してはもう何十年も前のこと。今さら責められる言われはない。
今回のことだってそうだ。私はいつだって優秀な侍女として、主のために働いてきた。それこそ、醜いカメリアが主だったときから。
主であるカメリアを立てるために周囲の人間を厳しく批判し、カメリアの良さを過剰なまでに褒め称えた。
私は主のために最善を尽くしたのだ。
それなのに、私の優秀さを認めないどころか、叱責してきた。他人を悪く言うものではないと。
──醜い伯爵令嬢如きが、この私に意見するなんて何様のつもり!?
私が侍女になってあげなければ、カメリアなんかに仕えたがる令嬢は一人もいないというのに。私がいなければ、貴族としての体面は保てなかったのだ。
腐っても伯爵夫人。平民の使用人に舐められないように、いくら私が努力しても、カメリア様は決して貴族らしい振る舞いを身につけようとはしなかった。
平民の使用人に媚びを売り、彼らと仲良くしようとした。そんなことが許されるだろうか?貴族の血筋を持つ者が、平民と同じ目線に立つなど、私には到底理解出来なかった。
娘もまた、その考えに染まっていた。
使用人として雇われた彼らの仕事は貴族に跪くこと。決して対等にはなれはしない。
そんな常識もわからないまま、貴族の屋敷で働くなんてどうかしている。
娘も娘で、いちいち使用人の仕事に感謝をしていた。メイドの手にハンドクリームを塗っていた場面を目撃したときは、我が目を疑った。
蛙の子は蛙。バカから生まれる子供はバカでしかない。最初からわかりきっていたことなのに、いざ目にすると頭が痛くなった。
あの母娘のようなバカがいるから、貴族全員が平民如きに舐められるのだ。
平民が貴族と目線を合わせて口を利くなど、私にとって耐え難い屈辱。
でも!!ミュル奥様は違った。私の努力を認めてくれる。喜んでくれるのだ。私のような優秀な侍女がいて嬉しいと。
生粋の平民であった奥様は、私には劣るけど美しい美貌の持ち主。男を惹きつける雰囲気で旦那様の心を掴んだ。
カメリアが病にかかり、意思の疎通が出来なくなったことで私はカメリアを見限った。死を待つしかない人間に仕えたところで、私の能力は発揮されない。
同じ部屋にいて病を移されでもしたら困るしね。
仕方がないからカメリアの醜さを受け継いだ娘の侍女になってあげようと思っていた矢先、旦那様から奥様の侍女に任命されてしまった。
貴族の血を引く私にとって、平民である奥様に仕えることは、耐え難い屈辱でしかない。誇り高き私の心は、錆びついた鎖に縛られたように重く、何度も自問した。なぜ、私がこんな役目を与えられなければならないのかと。
しかし、そんな私の心は一瞬にして砕け散ったのだ。
カメリアの醜さ、愚かさ、全ての欠点を語り、私がいかにカメリア如きのために頑張ってあげたかを教えてあげると
「ええ、私は貴女の努力を見ていたわ。貴女がどれほど彼女のために尽くしたか、知っているの。貴女は認められるべき、優秀な侍女よ。もっと自分に自信を持つべきだわ」
その言葉に私は驚き、そして戸惑った。これまで平民だと思って軽蔑していた奥様が、私の努力を理解してくれていたとは思わなかった。
まともな教育を受けていないはずの平民が、私の良さを理解しただけではない。
「彼女は優秀な貴女を妬んでいただけ。人は自分にはないものを羨む生き物なの。だから、いちいち腹を立てるなんて時間の無駄よ」
私自身、心のどこかで思っていたことを第三者も感じ取っていたのだ。
その瞬間、何かが弾けて視界がぱっと明るくなった。長い間、閉ざされていた扉が開かれ、新しい世界が広がったかのように感じた。
──私が仕えるべき本物の奥様は、ミュル奥様だったのよ。
それからというもの、私は奥様の侍女としての仕事に誇りを持ち、彼女のために全力を尽くすようになった。
私のやり方を肯定してくれる。他人を蔑む行為を受け入れてくれた。
そして何より、目障りだったカメリアの元侍女をこの世から葬ったあの日、生まれて初めて他人から心からの感謝をされたのだ。
不細工なカメリアが持つには分不相応のネックレスを、私に似合うからと首にかけてくれたことは一生忘れない。
間違いなく、人生最大の幸福だった。
奥様の元にいれば、フィオーレ様との結婚だって夢ではなかったはずのに。
幸せな家庭を築いて、毎日のように深く愛し合う日々は幸せ以外の何者でもない。
私は誰よりも幸せになるのよ。フィオーレ様と一緒に!!
「いつまで私を閉じ込めるつもり!?さっさと出しなさいよ!!」
叫び声はこだまするだけ。
牢屋の中からは人の気配がするのに、それ以外の場所は地下特有の不気味な雰囲気が漂う。
兄がいなくなったせいで、明かりに照らされていた視界は真っ暗。
体は鎖で繋がれ、まるで罪人のような扱い。
「違う。私は貴族よ。こんな不当な扱い、絶対に許されない」
兄が手にしていた書類は本物ではなく偽物。この私を本気で追い出せるわけがない。
だって私は、フィオーレ様と結婚してしがない子爵家を繁栄させてあげるのだから。
長男というだけで家を継いだ兄より、政略結婚の道具として嫁がされた姉より、私が一番、家のことを考えている。
そんな私を、父が切り捨てるはすがないのだ。
すぐにでも駆け付けて、私をここから出してくれるはず。
そして、次にこんな扱いを受けるのは兄の番。私を助けないだけではなく、書類を偽装してまでも私を追い出そうとした罪は重い。
でも、誰も来なかった。父だけではなく、私が良くしてあげた使用人も誰一人として。
目の前に広がる景色は依然として変わらない。
私は悪くない。私の素晴らしさを認めなかったカメリアが悪いのよ!!
あんな不細工でもマシに見えるように、私が選んであげた高級なドレスではなく、地味なドレスばかり選んだ。
装飾品だって大きな宝石が光り輝く物ではなく、小さく控えめな物で着飾る。
主のくせに侍女の言うことが聞けないなんて致命的。あんな女、死んで当然だったのよ!!
私がどれだけ深く強くカメリアを恨んでも、一筋の光さえ灯ることはない。
心が少しずつ、孤独と恐怖に蝕まれていくだけ。




