メイド
私は私の仕事に誇りを持っていた。
貴族の屋敷で働かせてもらえるなんて名誉なことだと、胸を張って言える。
忙しい日々ばかりだけど、やり甲斐も感じていた。何より、いつも私の頑張りを見てくれていたお嬢様が喜んでくれることが嬉しかった。
それなのに……。あの赤毛はずっと私達を裏切っていたのだ。
貴族という身分があるだけで、心の中では私達を見下し嘲笑う。
──あんなのに忠誠を誓わされていたなんて!!
「あなた!良かった。助けに来てくれたのね」
夫と結婚して三十年以上が経つ。
私は伯爵家に住み込みで働いている。週に二日は休みをもらえ、その日は必ず夫の待つ我が家へ帰ることが出来る。忙しい毎日の中で、夫と過ごす時間は私の何よりの宝物だ。
記念日がある月には事前に申請しておけば休みをもらえるし、優しいルビア様はいつも少しばかりの気持ちの品を包んでお祝いしてくれた。それは高価なものではないかもしれないけれど、私にはその心遣いが何より嬉しかった。
夫も伯爵家で働けば毎日、一緒にいられるのだけど、大工になるのは小さい頃からの夢。その手に掴んだ夢を手放したくないそうだ。
私は子供が産めない体だった。時にはそのことが心の隙間を作ることもあったけれど、夫は変わらず優しく接してくれる。
結婚当初、私達はお金がなくて指輪も買えなかった。夫はそのことを何度も謝ってくれたけれど、私はそんなことよりも彼と一緒にいられることが何よりの幸せだった。
数年も経てば仕事も順調にいき、お金に余裕ができてきた。
ただ、指輪だけは買わなかった。高いというのもそうだけど、一番の理由は別にある。
仕事の途中で失くしてしまったら、きっと私は立ち直れない。夫に合わす顔がなくなる。
目に見える繋がりよりも、愛し合っている事実があれば、指輪なんてなくても良かった。
「君は……自分のしたことを反省していないのか?」
驚きと悲しみが複雑に混ざりあった表情。
私の何を反省することがあるのだろうか?
この腕と、今の状況からわかるように、私は不当な扱いを受けている。
伯爵家に仕えるメイドとして、私は常に仕事を完璧にこなしてきた。
特に、ルビア様が望む赤毛の躾は徹底的に。
貴族でありながら自らの行いを省みることもなく、ルビア様の心を煩わせるばかり。
病弱であるとわかっているのに、同じことを繰り返すのはルビア様の死を望むことに等しい。
血の繋がりが半分しかないとはいえ、たった一人の妹になんという鬼畜の所業!!
ルビア様が天使のような優しさを持ち合わせていなければ、とっくに処刑されていたというのに。
「君はスカーレット様に酷いことをしたんだ。本当にわからないのかい?」
「あの女が私にしたことに比べたら、どうってことないわ」
「どうして……そんなことを言うんだ。スカーレット様は……君の幸せを願ってくれていたのに」
「何を言っているの。私の幸せを願ってくれたのはルビア様よ」
夫はポケットから小さな木箱を取り出した。側面には私の好きな花、桜が繊細に彫られている。
「それは……」
忘れもしない。二十五年目の結婚記念日。
夫が私に内緒で家の裏手にキキョウを植えて、小さな庭を作り上げていたのだ。
それだけでも嬉しかったのに、幻の花と呼ばれるスターチスで作られた手作りの指輪をプレゼントしてくれた。
スターチスはどこに咲いているかわからないと言われていて、日当たりと風通しの良い場所にしか咲かないというのに、まだ一度も見つかったことがない花。
夫は私のために、休みの日に探してくれていた。それを聞いたとき、私はこの人に愛されていると強く実感した。
言葉では表せない温かさが心に染みていく。
夫の意外な才能に驚きつつも、スターチスの淡い紫と白が織りなす美しさに心が奪われた。
あの瞬間の幸せは、今も鮮明に私の中で輝きを放っている。時が経っても変わらない夫の優しさと愛情が、私の人生を豊かに彩ってくれているのだ。
純粋に嬉しかった。今でも深く私を愛してくれていると示してくれたことが。
──この人と結婚して、本当に良かった。
「スターチスの咲く場所を教えてくれたのは、スカーレット様だよ」
「…………え?」
「スカーレット様が教えたことは絶対に内緒にしてほしいって、強く頼まれた。だから僕は、君に嘘をついた。ごめん」
「え、ちょ、ちょっと待って!あの赤毛が?ありえない!!」
「本当だよ。クヴェレの街に滝があるのは知っているよね?滝の裏側は道になっていて、そこを進んだ先にあったんだ。辺り一面に咲き誇るスターチスの花が」
「嘘よ!!私は信じないわ!!」
スターチスに関する記述はどこにも記されていなかった。
偶然に発見するなんて、あるわけがない。
そもそも、滝に近づくだけでなく、ましてやその裏を覗くなんて危険すぎる。一歩間違えれば命を落としてしまう。
見方を変えれば、だからこそ、スターチスは今まで見つからなかったということになる。
そんな危険な場所に足を踏み入れるもの好きはいないのだから。
そう考えるとやはり、赤毛が場所を知っていたというのは嘘になる。
クヴェレの街からはそれなりに距離があり、徒歩で向かうには時間がかかる。
一人でそこへ向かったという話は、にわかには信じがたい。
「君が信じなくても、これが事実だ」
「だとしても!!なぜ、それをあなたに言うの!?変じゃない!!」
「それは」
「わかったわ!人の夫に色目を使ったのね!なんていやらしい!!」
「違う!!スカーレット様は……僕の悩みを聞いてくれただけだ」
夫は語った。静かに、赤毛とのことを。
出会ったのは偶然。その日はルビア様が貴族令嬢の間で流行っている小説が読みたいからと、赤毛を使いに出した。
かなり人気で既に売り切れているとリックフォード様が言っていたけど、そんなのは関係ない。
ルビア様が欲しいと言ったのだから、必ず買ってくるのが赤毛の役目。与えられた仕事も満足にこなせないなら、赤毛は二歳児以下の赤ん坊ということになる。
「僕が悩んでいると、スカーレット様がアドバイスをくれたんだ。本物の指輪を君は望まないから」
愛を示す目に見える物だからこそ、嬉しさとは別に不安もあった。
失くしてしまったら、壊れてしまったら。私達の愛も消えてなくなってしまうのではないかと。
そんな私に夫がくれた花の指輪。花を加工しているから鮮やかさが失われることはない。
この指輪は一生ものではない。でも、夫は毎年、結婚記念日にスターチスの花で作られた指輪を贈ってくれるようになった。
一日だけとはいえ、私の指には夫からの愛がどんな高価な装飾品よりも美しく輝いていた。
「あなたの言うことが本当だとして、赤毛が私の幸せを願っていることにはならないわ!身分で人を見下すような、最低な人間なのよ!!」
「言ったからだよ。スカーレット様に。妻は……ジュエール家で働くメイドだと」
時が止まったかのように、静かになった。
言葉の意味は理解しているのに、意味がわからなかった。
声を出そうとしても、言葉は喉の奥で詰まってしまう。
「あの方は!!自分を虐げる君の幸せを願ってくれた!!僕達の愛が永遠に続くようにと。それなのに君は……」
夫の声は震え、瞳には涙が溢れる。
ゆっくりと目を閉じた。私のこれまでを振り返るように。
忠誠を誓ったのは大好きだったからだ。自分に自信がない、あの小さな少女が。
なぜ、忘れてしまっていたのだろうか。初めて貰った、あの優しさを。
水仕事で手が荒れて、風が吹くだけでも滲みるような痛みを感じていたある日。見たことのないハンドクリームを私の手に塗ってくれたのだ。
「私達のためにいつもお仕事を頑張ってくれてありがとう。でも、無理はしないでね。仕事よりも、貴女の体のほうが大切だから」
子供のいない私にとって、想像するしかなかった。もしも、私に娘がいたら、こんなにも優しさに溢れていただろうか、と。
そうだ。あの方は……身分で人を見下したりはしない。身分を気にせずに、下にいる者に手を差し伸べてくれる。
──聞けば……良かったんだ。
誰も近寄らないルビア様の部屋で、大声を出した理由。
その前の会話なんて聞くことなく、一部の事実だけでで全てを決めつけた。
自らの愚かさが雨のように降り注ぐ。
病弱で、余命宣告を受けたルビア様が嘘をつく理由がないと、疑うことなく真に受けて。
どうして私は、そんなバカな真似をしてしまったのか。
夫と向き合い、考えて、私があの方を傷つけた理由を思い出した。
あろうことか私は……仕えるべき主人を自分の娘のように思っていたのだ。
子供が出来ないからこそ、その思いは強かった。
たかが平民如きが、正統な貴族でもあるご令嬢を、自分の娘のように思うなんて極刑に値する不敬。
嫌われたかったのだ。私はあの方に。そうすれば、分不相応な思いを消し去れると信じて。
だから、ルビア様の言葉に耳を貸し、真実から目を逸らした。
自分のために、幼い少女を傷つけた。痛みも苦しみも無視した。
愚かで最低な私は……こんな地下に幽閉されるのではなく、早くこの首をはねられるべきだ。
「スカーレット様への謝罪の言葉があれば、僕が代わりに伝えるよ」
「なぜ、私があんな赤毛に謝らなければならないの?」
今さら罪を認め反省したところで、あの方はもう戻ってこない。ならば、最後まで愚かで最低な私でいなければ。
そう自分に言い聞かせた。
あの方が亡くなったとき、私の心はひどくざわついた。あれだけ散々、ルビア様のために傷つけておいて。
本当に亡くなるなんて、思わなかったと自分に言い訳までした。
「そう。それが……君の答えか」
長年、連れ添った夫婦とは厄介なもので、夫には私の考えが見抜かれている。
涙を拭いた夫は悲しげな表情を浮かべていた。
──この人は、こんな私をまだ愛してくれているのね。
嬉しいはずなのに、今では後悔しかない。私と出会わなければ、もっとまともな人と結婚をして、子供のいる生活だって送れたはずなのに。
私さえ……いなければ。
「私はもう死を免れない罪人。離婚届を提出したらいいわ」
夫婦のどちらかが罪人となった場合、双方の合意なく離婚は出来る。愚か者と結婚した事実までは消えないけれど。
それでも、解放はされる。私という悪夢から。
「いいや。離婚はしない。罪人の夫として、僕は一人で生きていくよ。これから、死ぬまで」
二人の愛の証でもある指輪をそっと置いた。あんなにも美しく色鮮やかだったのに、この地下では輝きを放たない。
自由になれるのに、自らの意志で縛られることを選んだ。夫が受けるべき罰は何もないというのに。
皮肉なものね。夫との結婚生活、あの方と過ごした日々。そのどれもが色褪せることがない。
ルビア様にお仕えしていた時間は、簡単に色褪せたというのに。
夫がいなくなり、目の前にまた暗闇が広がる。そこに見たのはあの方の幻。
傷だらけで、虚ろな瞳は私を見ている。
やつれて、ボロボロ。とても貴族には思えない。
そんな姿にしたのは私達だ。躾けるために、時に面白半分に。ストレスを発散する目的もあった。
存在が悪ならば何をしてもいい。何を言ってもいい。正義は常に私達にあった。
歪んだ心は思考までもを歪めた。
「ご、ごめ……っ」
出かかった言葉を飲み込んだ。
謝ってはいけない。軽々しく謝罪の言葉を口にしていいほど、私達の犯した罪は軽くないのだから。
愚かな私は、自分の過ちも罪にも気付いていない。全てはルビア様のためにしたこと。それの何が悪いのか。
使用人ならば、仕えるべき主のために尽力するのは当たり前。ルビア様が望むことならば、どんな困難も苦にならなかった。彼女の笑顔のために、私の心は捧げられていた。
その考えは今でも変わらない。ルビア様こそ真に仕えるべきお嬢様。
溢れる涙は、こんなにも大切に思うルビア様の元に帰れない悲しみであり、決してあの方に対してではない。
「どうか……私のことを恨み続けて下さい」
私の罪が未来永劫、人々に語り継がれることを切に願う。
眩しいくらいに優しいあの方が生きていたことを、忘れないでほしい。でも、その願いは叶うだろう。
あの方を「愛している」と殿下は言った。
二人にどんな繋がりがあるのか、今の私には知る由もないけど、殿下の心はあの方の優しさで溢れている。
そして……。
こんなことを思う資格はないけれど。生まれ変わったあの方が、スカーレット様が笑顔で幸せに暮らしてくれますように。
痛みも苦しみもなく、私達のような愚か者のいない、そんなありふれた日常の中で生きて……。




