3【リヒト】
「はぁ……」
馬車の揺れに身を任せながら、フエルテは深いため息をついた。
「大丈夫?」
「すみません。隊長の前で」
「いいんだ。つかの間の休息だけど、今は休んでくれ」
僕に同行するのはフエルテの他に、数人の部下。
みんな同じように疲労の色が隠せない。
「貴族は身分と権力があり、何をしてもいいと喚き散らす者ばかりでした。ですが、連中は常軌を逸している。何をどうしたら、平民が貴族を虐げていいと思うんだ!?バカか!バカしか雇えないのか!ジュエール伯爵は!!」
隊員達はフエルテの怒りに同意しながら、激しくうなづいた。
裏切りという罪がわからないだけでなく、繰り返される言葉は全て「ルビア様が」だそうだ。
成り上がりなのに偉ぶることなく、使用人と同じ目線に立ち、謙虚さを忘れない聖女。
病弱でほとんどのことを一人では出来ないからこそ、常に感謝の気持ちを忘れない。
どんな小さな助けにも「ありがとう」と微笑みを返す。それは使用人達の心に深く響き、自分達の仕事に誇りを持ち、ルビア様を守ろうと固く誓わせた。
彼らの疲れの原因は他にもある。
スカーレットと前伯爵夫人は、その醜さ故に愛人母娘に嫉妬していた。
誠意を尽くして仕えてきた自分達を嘲笑い、見下してきた。
愛人の娘から丈夫な体と身分を奪ったスカーレットは罰を与えられる罪人。首をはねられるのはスカーレット。
ずっと、そんなことばかり繰り返す。
頭がおかしくなりそうだったと漏らす隊員達には、この件が片付いたら一週間の休暇を取ってもらおうと思った。
伯爵家に到着して、馬車から降りた。
引きずり出された四人は、屋敷を見ては目を丸くして驚く。
──え、何。その反応。
「ここ、は……」
さっきまで「痛い」と叫んでいたのに、力のない声が僕達に問いかけた。
「お前達のご主人様の屋敷だが?」
答えると、それぞれ顔を見合せた。その反応の意味が本当にわからない。
「王宮ではなく、こんな無人の屋敷に連れて来てどうするつもりなのですか」
「………………は?」
聞き間違いかと思った。時間を置いてもう一度、同じことを言わせるも、一文字も変わらない。
僕の耳がおかしくなったのか。フエルテ達に確認するも、同じ内容が聞こえていたらしく、顔をしかめた。
「この腕の怪我を治してもらわないと、王宮で働けないではありませんか!!」
「そうです!俺の超一理の料理を陛下や王妃様が待っているんでしょう!!?」
これまでに体験したことのない恐怖。背筋は凍り、鳥肌が立つ。
四人の考えについていけない。
拘束した状態で連れ出されている時点で、釈放ではないと本当にわからなかったのか。
しかも、なぜか王宮で働けると思い込んでいたようで、こんなのを真っ向から相手にしていたフエルテ達の疲れは尋常ではない。
──休み、一週間で足りるかな。
好きなだけ取らせてあげたくなった。
首根っこを掴んで屋敷内へと足を踏み入れ、玄関先で投げ飛ばす。
「な、何するのよ!!」
「お前達は罪を何一つ覚えていないようだから、わざわざ連れて来てやったんだ。ここでなら、その記憶も蘇るだろう?」
「殿下!!何度も申し上げているように、あれは躾です!!」
「黙れ。首と体が別れたいのか?」
僕が躊躇いなく首をはねた瞬間を目にした侍女は、大量の汗をかきながら開けた口を閉ざす。
「スカーレットはどこで亡くなった。案内しろ」
逃げられないよう背中に剣を当て、前を歩かせる。
震える足は遅く、何もない所で転ぶ。起き上がるのに手を貸すつもりはなく、冷たく「立て」と命令をするだけ。
案内された部屋は、まるで子供部屋だった。
──ここがスカーレットの部屋?
にわかには信じ難い。
「ここは元はルビア様の部屋だったんです。ですが!!お優しいルビア様が、あの赤毛のためにこの部屋をお譲りになられたんですよ」
「あんな盗っ人なんかにご自分の大切なものを分け与えるなんて、心が美しいルビア様だから成せることだ」
心の優しい人は、他人に死を強要したりしない。
こんなにも会話が成り立たず疲弊するのは、この罪人達が考えることを放棄しているからだ。
全てを「ルビア様」に任せることで、誤った信念に囚われていた。正統な貴族であるスカーレットに何をしても許されると信じ込み、その思考は歪んでいた。
部屋の中を一通り見て回ると、僕の心臓は大きくはねた。
「おい……この部屋は誰の部屋だって?」
「ですから。元はルビア様の……」
「そうだ。お前達はそう言った。だったらなぜ!!これがここにある!!」
僕は怒りと混乱の入り混じった声を上げ、手に取った簪を見つめる。
ぬいぐるみの下に隠されていたのは、あのときスカーレットに贈った特別な簪だった。しかし、見るも無残に折れてしまっていた。
「ああ。その簪。赤毛のくせにルビア様への贈り物を盗んだんですよ」
「…………は?」
「全く!なんて卑しいのかしら」
「違う!!これは僕がスカーレットに、レッティにプレゼントしたんだ!!」
「いいえ。これはリックフォード様がルビア様にプレゼントした簪です」
僕の否定を、否定する侍女。
そうか。そうやって君は全てを奪われてきたんだね。
大切な居場所も思い出も。
「……る?」
「はい?」
「ルビア・ジュエールはどこにいる?」
冷静を保とうとする僕の声は怒りに満ちていた。
小さな悲鳴を上げては、さっきまでの嬉々とした瞳は曇り、視線は逸れていく。
「わ、わかりません」
その返答は僕の求めるものではない。
理性を失いかけた僕は、咄嗟に侍女の腕に刃を当てた。簡単に体から斬り離されて落ちた自分の腕と、激痛により発狂する侍女を無視して今度はメイドに向かい合う。
「ルビア・ジュエールはどこにいる」
「朝起きたときにはもう……」
僕の問いに答えられる者はいなかった。
残りの二人も怯えながら「知らない」としか答えない。
たかが腕一本を失っただけで、みっともなく泣き喚く姿は滑稽。
スカーレットは痛みを訴えることさえ許されなかったというのに、虐げてきたこの連中は痛みを簡単に口にする。
彼女の叫びはいつも無視され、彼女の存在はまるで影のように薄く、見えないものとして扱われていた。
想像するしかないその痛みに、スカーレットはずっと苦しめられてきた。
「これが最後だ。ルビア・ジュエールはどこにいる?」
「リックフォード様と旅行に……」
「ヘルサン公爵ならきっと……」
知っているわけがない。公爵は昨日のうちに息子との縁を切ったと言っていた。
赤の他人がどこで何をしていようとも、関心すら持たないだろう。
この様子から居場所を知らないのは本当で、これ以上は時間の無駄でしかない。
「我々は、本当に、何も……」
顔色が悪くなり、引きつった笑顔。
僕に慈悲を求めているようだが、僕はその願いに応える気は毛頭なかった。
「王族に対して虚偽の発言を繰り返すお前達は極めて悪質。その命だけで罪が償えないほどに」
その言葉に罪人達は凍りつた。
この様子から居場所を知らないのは本当だろう。
だが、連中の口から出る言葉が嘘であることも明白。
罪の意識がないから、嘘をついている自覚すらない。
スカーレットの人物像も、この簪のことだって。
世界の中心を平民の娘にしたことで、現実と真実は歪んだ。
──真実を話したところで犯した罪が消えるわけでもないが。
「な、何を言って……」
「お前達のその行動は王族侮辱罪でもある。一族全員が処刑対象になると思え」
中でも特に動揺が激しいのは、平民の娘に付けられた侍女。実家は子爵家であり、厳格な家柄として知られている。何より、王族への忠誠心が高いことで評判だった。
そんな家門の娘が、正統な貴族を虐待しただけでなく、死に至らしめた。
誰一人として侍女を許す者はいないだろう。
侍女の顔は蒼白で、震える声で抗議を試みた。
「そ、そんな……。お待ち下さい、殿下!!それだけは……そんなことになったら私は……!!」
侍女の目は涙で潤み、まるで魂が抜けたかのように怯えていた。
涙を拭おうにも、片腕は落ちて、もう片方は上がらない。必死な形相はどんな手を使っても生き延びようとする意志を示していた。
その姿は滑稽を通り越して醜い。
侍女が持つ全財産を僕に譲渡すると言うが、金に困っているわけではないので、そんなバカげた取引に応じるつもりはなかった。
その異常なまでの怯えは、侍女だけのものではない。
他の三人もまた、侍女の恐怖が感染し、体を小刻みに震わせていた。メイド達もその場の空気に押しつぶされそうになり、誰もが底知れぬ恐怖に包まれている。
「お願いします。お願いします。実家には……父だけには知らせないで下さい!!」
「全てはお前が招いた未来だろう?」
「っ、ぁ……ルビア様は!!赤毛を脅していたのです!!」
苦し紛れの嘘ではなかった。命の危機が迫っているからこそ、助かりたくて真実を話す。よくあることだ。
「赤毛には母親との思い出が詰まった懐中時計があります。ルビア様はそれを使って、赤毛が逃げられないようにしたのです」
亡くなってしまった大切な母親との絆を人質にされた。
幼いスカーレットには、母親だけでなく思い出まで失うなんて耐えられない。
誰にも助けを求められなかった理由が、ようやく明らかになった。
どれだけ不当に扱われても、耐える以外の選択肢はない。
侍女の証言を裏付けるように、引き出しにしまわれた懐中時計。
邪魔な物を全て取り出して、中を改める。二重底になっていて、よく見ないと気付けない。
針が止まっていることよりも、もっと不可解なものがそこにある。
強い衝撃を何度も受けたようで、ガラスはひび割れ、内部も明らかに人為的に破壊されていた。
最初からそのつもりだったんだ。自由を奪った後は、懐中時計を返すことなくスカーレットを縛り付ける道具とした。
「これで私のことは助けてくれるのですよね!?」
「はぁ!?ふざけんな!何でお前だけ!!」
「そうよ!!あんたはルビア様の代わりに、赤毛の体に鞭を打ったじゃない!!」
「歳のいったしがないメイドを殺したとなれば、お若い殿下もお心を痛めるでしょう。ここは一つ、この若者三人の命で見逃してもらえないでしょうか」
その場にいる四人の顔は醜く、互いに利己的な思惑が見て取れた。
反省しているふりをしながらも、未だにスカーレットを「赤毛」呼ばわりするのは見下している何よりの証拠。
まるで、スカーレットの苦しみを嘲笑っているかのようだった。
四人の姿は醜いなんて言葉では表せない。
こちらに向けられたフエルテ達の視線。彼らはこの惨状にドン引きし、言葉を失っていた。
こんなにも心無い言葉や態度がまかり通る現実を目の当たりにしたことで、彼らの心は重く沈む。
心からの反省はないにしろ、スカーレットに対して謝罪の一つでもするのが普通だというのに。
「なぜ僕が、罪人を許してやらなければならない」
冷たく切り捨てた。
これまでに捕らえてきた身勝手な貴族でさえ、最後の瞬間には悔いて、謝罪をしてきたというのに。
「お前が勝手に喋ったたんだろう。僕は何も聞いていない」
「そんな……。い、嫌っ!!死にたくない!!」
涙を浮かべる目には絶望だけが宿り、それでも、必死の訴えをやめることはなかった。
僅かな可能性に賭けているようだが、僕の決意が変わるわけがない。
「後悔なら死んだ後にすればいい」
そう言い放ち、背中を踏みつけた。罪人の身体が苦痛に震える。
一呼吸置いて、僕はその冷たい刃を罪人の首に振り下ろした。




