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簪を贈ったあの日から、レッティと会うことがなくなった。街に来なくなったんだ。
誰に聞いても、彼女の素性を知る者はいない。
気付いたらレッティは買い物に来るようになって、言葉を交わすこともほとんどなかった。
いつも俯いて、人付き合いそのものを避けていた。
貧民街を探してみるも、そもそも、赤い髪をした人自体がいないのだとか。
「二人揃ってこの世に存在しない人間を見てた?」
「私としてはそれでもいいのですが、リヒト様はどうなんです?」
「レッティは……存在してた。絶対に」
「んー。だとすると、商人の娘なんですかね?あの日、何組かの商人が出発したはずですし」
確かに、レッティとは毎日会うわけでもなかったし、近隣諸国を回る商人は多い。
店主達もたまにしか見ないと言っていたし、可能性としては、なくはないのか。
「貴族令嬢ってことはないかな?」
「レッティがですか?」
オルバスは眉をひそめた。顎に手を当てて考える。
貴族なら、あんな格好をするだろうか?いくらお金に余裕がない下級貴族でも、平民が着るような服のまま外に出るなんて、ありえない。
使用人だった場合も同じだ。家門の名に傷をつけるような振る舞いは許されない。
屋敷の中だけならともかく、外に出すときくらいはちゃんとした格好をさせる。
そもそも、「レッティ」という名の貴族令嬢はいない。
歳の近い令嬢は僕の婚約者になるかもしれないから、名前を覚えたんだよね。
「リヒト。忙しいか?」
「兄……陛下。いえ、大丈夫です」
ソメイユのおかげで毎晩、眠れるようになった兄上は次第に元気を取り戻していった。
食事を抜くことはなくなり、顔色もすこぶる良い。
以前のように疲れが溜まることがなくなった。何より、ソメイユは薬と違って効果が薄くなることはない。
良質な睡眠を取るだけで、一日の疲れは取れるのだ。
「急ですまないが、隣国に足を運んでくれるか?」
「それは構いませんが……」
そうか。向こうの王女がそろそろ誕生日だ。
本来なら兄上が出向き、お祝いの言葉を述べるんだけど、義姉上が出産間近で傍を離れられない状況だった。
予定よりもかなり早いため、ここ最近、王宮はかなり慌ただしい。
「すぐに準備します」
申し訳なさそうな表情を浮かべる兄上に笑顔で返した。
レッティを探したい気持ちがありながらも、国同士の交友を疎かにするわけにもいかない。
翌朝、日が昇ると共に出発した。同行するオルバスは心配そうに見つめるも、それを口にすることはない。
「隣国で見つかるかもしれませんね。レッティが」
「うん。だといいな」
希望と期待が胸を膨らませる。
でも、願いが現実になることはなかった。隣国に到着してすぐ、商人達にレッティのことを聞いてみるも成果はない。
祝宴まで時間はあり、色んな人に聞き込みをしたが、赤髪でそばかすの少女はいないというのが答えだった。
もしも彼女が僕の作り出した幻だったとしたら、あの温もりは何だったのか。
無事に祝宴を終えて、すぐ国に戻った。
もう一度、街の人達に聞いてみよう。
もしかしたら、彼らが何かを思い出したかもしれない。
レッティがまた足を運んでいるかもしれない。
捨てられなかった。簡単に壊れてしまう希望の欠片だったとしても。
それでも、現状は何も変わらなかった。希望に縋っては、すぐに絶望が光を覆い隠す。
レッティは確かに存在していたはずなのに、どこにもいない。
義姉上が授かった命が生まれた。子供は男女の双子。国を挙げて大きなパーティーを開いたが、そこにレッティの姿はなかった。
みんなが喜びに満ちているのに、僕の心は沈んだまま。
街のほうでも祭りが開かれ、オルバスは手掛かりを探してくれていたが結果は同じ。彼は街の隅々を探し、祭りが終わるまで聞き込みを続けてくれたが、レッティの行方は掴めなかった。
兄上は新たな王位継承者の誕生によって、日々の業務に追われていた。義姉上は静養を余儀なくされ、宮中は慌ただしい空気に包まれている。
そんな中、僕は兄上の補佐役として家臣達をまとめる責任を負うこととなった。
本来の仕事は副隊長に任せっきり。隊員達も優秀なため、僕がいなくても問題はない。
オルバスも同様に、忙しすぎて実家に帰る時間が取れなかった。
婚約者がいなくて良かったと笑っているものの、仕事漬けの毎日では心がすり減っていく。
最低でも週に一度は実家に顔を見せに行くことを欠かさなかったのに……。
長期の休みは無理でも一週間くらいなら時間は作れる。提案してもオルバスは首を縦に振ることはなかった。
今の僕を一人にはしたくないからと。
自分では自覚症状はないが、かなり危険だと判断された。
ふとした拍子に、窓から飛び降りてしまう。そんな危うさが今の僕にはあるらしい。
それを周囲に悟らせないことだった。普段の僕は明るく振る舞い、誰もが心配する様子は見せない。
風に当たりながらも、無意識に窓から身を乗り出す僕を偶然にも見かけてから、目を離してはいけないと、決めたそうだ。
だからか。窓が閉め切られているのは。オルバスがいるときは空気の入れ替えのために開けるが、それ以外で開けるなと兄上からも強く言われた。
「リヒト様。今日はもうお休み下さい」
そう言って、人肌に冷めたソメイユのハーブティーを差し出した。
部屋に広がる甘い香りが緊張を解してくれた。
一口飲めば、スッキリとした味わいが体に行き渡る。目が冴えてしまいそうなのに、飲み切る頃には不思議と心地よ良い眠りが訪れた。
そんな日々を繰り返す。
どれだけ忙しくても、レッティのことを忘れたことは一度もなかった。彼女の姿を探すために、ほんの少しの時間があれば街へと繰り出す。でも、どこにも彼女の影はない。
最初は心配していた街の人達も、日が経つにつれて次第にレッティの話題をする人はいなくなっていった。
僕が尋ねたら答えてくれるものの、もう探すのは諦めたほうがいいと言われることが増える。
その先を口にしないのは、彼らなりの優しさ。
レッティが街に来なくなったのは、来られなくなったから。
それは、つまり……
頭では理解しているのに、それだけは認めたくはなかった。そうやって現実から目を背けていれば、受け止めなくて済む。
街の人々の目には、彼女のことは過去の出来事として片付けられてしまったのだ。
僕にとってレッティは、ただの過去の記憶ではなく、今も生き続ける大切な存在。簡単に諦められるものなら、とっくに諦めていたはずだ。
笑った顔も、僕を呼ぶ声も。全てが愛おしい。
──彼女はどこへ行ってしまったのだろうか。
誰に聞けばいいのかわからないまま、いたずらに時間だけが過ぎていく。
レッティと最後に会ったのは暑くて、生ぬるい風が吹く日。
赤い髪に似合うと思い、露店で買った簪をプレゼントした。付ける前には店主の気遣いで貰った櫛で髪を梳かしたのを今でも覚えている。
異性への初めての贈り物は緊張した。
うるさかった僕の鼓動。指先から伝わるレッティの温もり。心地良い静かな空間。
全ては現実に在ったことで、決して幻なんかじゃない。
目を閉じれば思い出す。想像を遥かに超えた、レッティの綺麗すぎる姿を。
あのとき、もし未来がこんなにも切なく、辛いものになると知っていたなら、僕は逃げたりなんかしなかっただろう。例え、どんな結末が待っていても、想いを伝えていたはずだ。
ベッドに横になりながら、プレゼント用にラッピングをしてもらった小さな箱に目を向ける。
レッティは朝からずっと水仕事に追われていたのだろう。
毎日の家事で、手はすっかり荒れてしまっていた。赤みとひび割れが目立ち、本人はいつも手を後ろに隠す。
あまり触れてほしくなさそうだったから、「痛くない?」の一言さえ言えなかった。
せめて何かしてあげたいと思っていた矢先、兄上の代わりに隣国へと向かい、そこでハンドクリームの噂を聞いた。
安価でありながら効果が絶大。毎日、塗り続けたらひび割れが治り、肌に潤いも戻ってきたと、かなりの評判。
香りも優しく、手に馴染みやすい質感でもあった。
これを贈ったら、また喜んでくれるだろうか?
押し付けるつもりなんてないけど、早く届けたい気持ちでいっぱいになった。
ただ、少しでもレッティが上を向いて生きていける助けになればいい。純粋にそう思ったんだ。
あの日の後悔に胸を締め付けられながら、ゆっくりと瞼を閉じる。
夢の中ですらレッティと会うことは叶わない。それだけが現実。
やり直せないんだ。どんなに願っても、現状は変わらない。人間は時を戻す術を持っていないのだから。
小さなプレゼントはまだ僕の手元にある。
いつか彼女に渡せる日が来ると信じて、今日も大切に保管した。
捨てられない。芽生えたレッティへの想いだけは。




