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それから、僕達はたまに会うようになっては話すようになった。
あの日の気まずさはすっかり消え、まるで友達のような自然な会話ができるようになったのが嬉しいはずなのに、もどかしさもある。
毎日会えるわけではないから、会えたときはすごく嬉しい。
オルバスは気を遣ってなのか、同行しない日が増えた。
「はぁ……」
「どうしたんですか」
「今日さ。レッティの買い物がいつもより多かったから、家まで送るって言ったんだ。そしたら全力で嫌がられた」
「断られた、ではなくて?」
「うん」
レッティの体は細くて、あまり大量の荷物を持つと骨が折れてしまうのではと心配になる。
「それで?こっそり後はつけたんでしょう?」
「つけてないよ!!オルバスは僕を何だと思ってるの」
すかさず言い返すと、意外とでも言うようにわざとらしく驚いて見せた。
「レッティが家のことを知られたくなのに、そんな卑怯なことをして嫌われたくない」
王都から離れた場所に広がる貧民街。古びた木造の家々が寄り添うように並び、人々の生活は決して豊かではなかった。
多分、レッティはそこで暮らしているんじゃないだろうか。
毎回、あんなにまとめて買うのも仕事に充てる時間を確保するためか、単に家族が多いからか。
サイズの合わない服。整えられない髪。手入れがされていない爪。自分のことを後回しにしてでも、家族を優先させているのかも。
プライベートなことは聞いても答えてはくれない。だから僕は、何も聞けなかった。
聞いてしまったら、もう二度と、レッティは僕と会ってくれない気がしたから。
週に一度は炊き出しをしているとはいえ、飢えが解消されるわけではない。一時的に空腹を満たすだけ。根本的な解決にはなっていない。
どうにかしたい気持ちはあるものの、出来ないのが現状。
裕福ではない家の人達が、人並みに生活出来るようにするには、どうすればいいのか。
「成長しましたね、リヒト様」
「でもね。一番嫌なのは、レッティが困ることなんだ」
嫌われることよりも、困らせてしまうことが何よりも嫌だった。
レッティのことをもっと知りたいのに、これ以上深く踏み込めない。
「リヒト様はレッティが好きなのですか?」
その疑問は確信を持っている。
「うん。好きだよ」
目を閉じれば浮かんでくるのはレッティ。
彼女の柔らかい声、ぎこちない笑顔。それら全てが鮮やかに、そして深く刻まれている。
僕は……レッティのことが大好きだ。その想いは揺るぎなくて、傍にいたい気持ちが日増しに強くなる。
「わかってるよ。王族の僕が自由に恋愛するのは許されないことくらい」
「何も言っていませんよ」
「レッティと一緒になれるなら、僕は身分を捨てられる」
王族として生まれた以上、結婚は国のためにするものだと思っていた。
誰を好きになるかなんて、自分には関係のない話だと。
けれどレッティに出会ってしまった今、その覚悟は簡単に揺らいでしまう。
「僕にとって大切なのは身分や権力じゃなくて、レッティだからね」
──もしも……彼女が僕を望んでくれるのなら。
そんな夢のような思いを抱きながら、今日も僕は街へと向かった。レッティに会いに行くために。
オルバスも誘ってみるも、大袈裟にわざとらしく「仕事が……」と理由をつけて断った。
僕の侍従なんだから、僕の傍にいるのが仕事だと思うんどけど、まぁいいか。
街は安全だし、仮に何かあっても自分の身を守れるほどに僕は強い。
「綺麗だね」
見慣れない商人の露店に並んだ数々のアクセサリーに、自然と目が引き寄せられる。特に一つの簪が僕の視線を奪った。
「この簪いいね」
思わず口に出してしまった言葉に、店主が笑みを浮かべる。
「お、兄ちゃん。お目が高い!そいつぁ名高い職人が最後に作ったこの世に一本しかない簪だ。彼女に贈ると喜ばれるぜ」
「っ、違っ……彼女、じゃなくて、ともだ……知り合いの女性に似合うと思って」
彼女。店主の何気ないその一言に、僕の顔は真っ赤になり、慌てて否定した。
僕達は特別な関係ではない。たまに会って話すだけの、友達と呼ぶことさえ少し距離があるだけの存在。
確かにそうなってくれたら嬉しいけど、あと一歩を踏み出す勇気が僕にはない。
この関係が壊れてしまうくらいなら、このままでいいとさえ思ってしまう。
店主はそんな僕の様子に気付いたのか、まるで息子をからかう父親のようにニヤニヤと笑っている。
「贈り物は気持ちを伝える最高の手段だ。ま、頑張ることだな」
「うん。ありがとう」
「こいつはサービスだ」
そう言って並べられていた櫛を一緒に包んでくれた。
お金を払って商品を受け取り、レッティとよく会う店の近くに行くと、その姿を見つけた。
「レッティ」
初めて会ったときと比べて、多少は顔を上げてくれるようになった。
「リヒト様」
今日はまだ買い物をしていないらしく手ぶら。
「これ、レッティに似合うと思って買ったんだ」
僕はその簪を手に、彼女にそう言った。
シンプルなデザインの赤い簪は、レッティにきっとよく似合う。
母上を除けば、僕が女性にプレゼントを贈るなんて初めてだった。
二十一歳の僕は、未だに婚約者もいない。周囲からの結婚の催促もなく、そこそこ自由な日々を送っていた。
いつか政略結婚をするんだろうと、どこか他人事だった僕が誰かを好きになるなんて、想像もしていなかったんだ。
「もし良かったら、僕が付けてもいいかな?」
たまに会うだけの男にそなことを言われても、気持ち悪いと思われるかもしれない。
断られるかもしれない。
それでも、今日だけは少しだけ特別になりたかった。
レッティの記憶に残る人に……なりたかったんだ。
「私なんかに、そんな……」
言葉が途中で止まる。彼女は自分を卑下する癖があったけれど、今日はその言葉が続かなかった。
戸惑いながらも確かに、小さくうなづいたんだ。
顔馴染みのカフェに少しだけお邪魔させてもらう。静かな店内には、木の香りと柔らかな光が満ちている。
営業の邪魔にならないように、奥の従業員専用のスペースに案内された。
何やら意味深な視線を送られて恥ずかしかったけど、取り乱すことはなく感謝を伝える。
椅子に座ったレッティの目の前には鏡が置かれていた。そこに映る自分を見たくないのか、自然と目を逸らした。
「レッティは可愛いから、もっと自信を持っていいと思うよ」
まずは櫛で髪を梳いた。優しく丁寧に。指先から伝わる彼女の温もりに、胸が高鳴るのを感じる。
どちらも喋ることはなく静かだ。静かな空間に、僕達の呼吸だけが響いた。
うるさいのは僕の鼓動だけ。静寂すぎて、レッティに聞こえてしまうのではと不安になる。
そんな中、震える手で簪を取り出し、そっと彼女の髪に差し込む。鮮やかな赤が、レッティの赤髪を一層美しく引き立てた。
「うん。よく似合ってる」
心からの本音が静寂に終わりを告げた。
「あ、あの……。あり、がとう、ございます」
そう言って浮かべた笑顔に、これまでのぎこちなさはない。美しさのあまり言葉を失う。
あまりにも綺麗すぎて、胸が痛くなるほど高鳴る心臓を、どうしていいかわからなかった。
生まれてこの方、恋なんて一度もしたことがない。周りにいるほとんどが政略結婚。愛を育むことはあっても、恋をすることのほうが稀である。
つまり、僕は何も知らないんだ。
誰かを好きになって、その想いを本人に伝えることが、どれだけ難しいのかを。
「レッティ。ぁ、と……ま、また明日」
初めての約束。
それを口にすることが、どういう意味を持つのか、うまく整理できないまま。
言葉が喉の奥で引っかかった。
──もっと他に言いたいことがあるのに。
結局、それすら形にならない。
こんな締まりのない顔を見られたくなくて、今日は僕のほうが逃げた。
血が沸騰したように体が熱い。
素直になれない自分に嫌気がさしながらも、あんな特別な表情を見てしまったら思考はおかしくなる。
全力で走っても、胸の痛みは誤魔化しが効かない。これはレッティに対する想いからきているもの。
レッティは誰にでも優しかった。人と関わることがあまり得意ではないのに、困っている人を放っておけない。
そんな彼女を見ていると、僕の心はざわつく。好きだ、という気持ちが日に日に強くなるのに、それを伝える勇気が全くなかった。だから、今日は逃げた。彼女の前から、そして自分の気持ちからも。
今じゃなくていい。いつか伝えられたら。そうやって今日という日が過ぎていく。
未熟で愚かな僕は何もわかっていなかった。
この世界に変わらないものはない。当たり前に続く幸せは、必ずどこかで終わりがくることを。
この胸の痛みが、後悔の痛みに変わると知っていたら、僕は溢れる想いを伝えていた。
君の手を取って、一緒に生きていきたいと言いたかった。
だって、思わなかったんだ。
当たり前のように会っていた人と、もう二度と会えなくなるなんて。




