5
一年の時が過ぎた。レッティのことを考えない日はない。
どんなに探しても見つからなくて、“最悪”から目を背けることで希望に縋り続けたんだ。
彼女がいなくなってから、世界は色を失ったようだった。
それでも、諦められなくて。探すことをやめられなかった。
そんなある日、オルバスが僕に報告した。
「リヒト様。レッティが見つかりました」
ようやく落ち着いてきた頃、オルバスに休暇を取らせてあげられるようになった。
最初は断固として断っていたけど、僕はもう大丈夫だと強く言えば少し戸惑ったようだったが、次第にその言葉を受け入れてくれた。
僕はレッティを諦めていない。その一言が決め手となり三日間、実家に帰ることになった。
実家で休暇を楽しんでいるはずのオルバスが、たった一日で王宮に戻ってきたこともそうだけど、どれだけ探しても手掛かりの一つも見つけられなかったレッティが、ついに見つかったという。
「本当に!?」
僕は驚きと喜びで声を上げたが、オルバスの表情は重く暗かった。
「レッティはどこにいる?僕が会いに行っても迷惑にな……」
聞き終わる前に、オルバスは静かに首を振った。
「レッティ……いえ、スカーレット・ジュエールの魂は天に還りました」
その意味を理解するまでに、ほんのわずかな時間が必要だった。
スカーレット?僕が探しているのはレッティだ。
それに、スカーレット・ジュエールといえば、かなりの人見知りで家族以外の人に会うと気を失うからと、社交界に足を踏み入れたことのない令嬢。
屋敷内でも限られた使用人としか顔を会わせられないと聞く。
人違いだと言いたかったのに、スカーレットの愛称がレッティであると気付くと胸が締め付けられた。
──まさか、そんなこと……。
ざわつく心が凍りつく。
レッティはあの社交界にまったく姿を見せなかった少女、スカーレット・ジュエールと同一人物。
それは、紛れもない事実。
貴族?ありえないその事実は僕だけでなく、オルバスさえ受け入れられていない。
だって!!彼女の姿はどう見ても……。
「で、でも!スカーレット嬢がレッティと決まったわけではないだろう?」
声は震えていた。それは願いであり、儚い希望。
「スカーレット嬢は……そばかすで赤い髪の令嬢だそうです」
違う。そう叫びたかった。
だって誰もスカーレット嬢の顔を知らない。会ったことがないんだ。断言するのはおかしい。
そうやって否定を続ける僕に、今朝方、妹から聞いた昨夜の出来事を話した。
オルバスの妹がヘルサン家の長男と友達で、婚約発表のパーティーに招待された。
だが実は、婚約発表だけでなく、婚約者の十六歳の誕生日パーティーでもあった。
が、衝撃を受けたのはその後。
ジュエール伯爵と愛人の娘が小公爵の婚約者だったのだ。
──バカなんだろうな。
そう思った。そうとしか思えなかった。それしか思うことがなかったんだ。
貴族の血が半分流れていようとも、平民の血が混ざっている時点で、その娘は公爵夫人になどなれはしない。由緒正しい公爵家に異物が混ざるなんて、許されることではないのだ。
故に、無条件で小公爵が伯爵家に嫁ぐことになる。
下級貴族ならともかく、上級貴族でもある小公爵と平民の娘の結婚は異端。
招待客は皆、驚きよりも先に何かの冗談だろうと本気にはしなかった。
話を聞いている僕でさえ、そうだったのだから。
誰かが長女のスカーレット嬢が婚約者ではないのかと聞くと、言葉でこそ否定はしなかったが態度が全てを物語っていた。
婚約者は正当な貴族のスカーレット嬢ではなく、平民の娘ルビア嬢であると。
それだけなら、小公爵がバカであったと済む話。
ヘルサン家には息子がもう一人たはず。弟のアルフォンソ。
もし、弟に爵位を譲り、長男のリックフォードが平民の娘と結婚する意図ならば、納得がいく。
何とも斬新な譲り方。
「平民の娘が言ったそうです。スカーレット嬢は本日、天に還ったと。それだけではありません。赤毛でそばかすだらけのスカーレット嬢が亡くなった今日は、記念すべき日だと笑ったそうです」
意味が……わからない。異母姉妹とはいえ、姉が亡くなったことを悲しむわけではなく祝福するなど。
どこからどこまでが本当の話なのかと問いたくなった。
心臓にナイフが突き刺さる。
呼吸の仕方を忘れてしまったように、酸素が体に巡らない。
頭の中は混乱し、痛みと悲しみが交錯した。
「会いに…行かなきゃ」
僅かな希望すら残っていないのに、僕はまだ現実を認めていない。
往生際が悪いと言われても、この目で確かめるまでは事実が現実になることはない。絶対に。
オルバスに支えてもらいながら馬車に乗り込み、急いでジュエール家へと向かう。
道中、僕の心は様々な思いで揺れ動いた。
何でこんなことに?
結晶石に選ばれたから街に来ることがなくなった?
僕が何もしなかったからレッティは……。
やがて馬車はジュエール家の門に到着した。敷地内に足を踏み入れると、恐ろしいほどの静寂だけが渦巻いていた。
人の気配なんて感じられない。
「葬儀場。スカーレット嬢が亡くなったのなら、葬儀の準備が行われているはずだ」
だが、僕達の予想を大きく裏切るように、葬儀場にいたのは伯爵家の人間ではなくて、ヘルサン家の面々とフルール家の長男のみ。
そして……。黒い棺の中で眠るのは紛れもなく……レッティ。
瞬間、共に過ごした短い時間が駆け巡る。
出会いは偶然で、僕が一方的に惹かれていった。一緒にいる時間が何よりも尊くて。
全てが色褪せることなく、今でも鮮明に心に刻まれてる。
「あ、っぁぁ……どう、して。やっと君を……見つけたのに」
棺の前で膝をつき、声にならない声を漏らした。体に力が入らず、足元がふらつく。彼女の温もりをもう一度だけ感じたいのに、もうこの世にいないのだ。
あの日、レッティは突然に消えてしまった。理由もわからず、ただただ彼女のことを探し続けた。ようやく見つけたのは、冷たく静かなこの場所。
「レッティ。レッティ……!!」
涙が止まらない。どれだけ名前を呼んでも、レッティは目を覚ますことはなかった。彼女の笑顔、声、温もり、全てが遠ざかってしまったようで胸が締め付けられる。
目の前にある現実は夢ではない。どれだけ目を背けようと、この無情な事実だけは変わらなかった。
もう受け入れる以外はないのだ。
「殿下」
肩にそっと触れた手に気付き、振り返るとそこにはオルバスではなく、ヘルサン公爵が立っていた。彼の瞳にも深い哀しみが宿っている。
「スカーレット嬢のことで、お伝えしたいことがあります」
深い悲しみと絶望の渦が心を蝕んでいく中で、公爵から告げられた事実は、全ての感情を怒りへと染め上げた。
「ごめんね、レッティ。僕が愚かなばかりに、君を独りにさせてしまって」
静かに立ち上がり、溢れる涙を拭いた。
悲しむだけではダメだ。僕には僕のやるべきことがある。
レッティが死んだのは僕のせいだ。言い訳をするつもりはない。この報いは必ず受ける。
では、殺したのは誰だ?
「公爵。使用人は全員、捕まえたんだね?」
「私の義弟でもある警備隊の副隊長に、連中のしたことを全て吐かせるように命じました」
「そう。わかった」
だとすると、連中がいるのは取調室なんて優しい部屋ではない。
眠ることさえ許されない、苦痛と冷たさが支配する地下牢。言い換えれば拷問部屋。
貴族の名を背負いながら、罪なき平民を殺し、売り飛ばし、欲望のままに振る舞う者達。そんな凶悪な犯罪者のみが閉じ込められ、真実を吐かせられる場所。
地下に連れて行かれた者達は一時間と持たずして、自らの罪を告白してきた。
警備隊が捕まえる犯罪者は貴族に限られている。彼らが裁くのは、権力に溺れた者達の罪。平民を守るための、厳しい正義の執行だ。
身分は人を蔑むためのものではない。そのことを理解してほしかったからこそ、警備隊の役割は平民を守ることにある。
だが、この一件は貴族殺し。使用人の身分にこだわってはいけない。
平民が貴族を、意図して殺すなど重罪。
「急ごう。葬儀が始まる前に片付けなければならない」
悲しいはずなのに、血を熱くするほどの怒りが、逆に頭を冷静にさせた。
これは復讐ではない。使命だ。罪人を裁く、警備隊隊長としての。
僕はその責務を全うしなくてはならない。そのための正義を掲げた。
そして……それだけが、僕がレッティの……スカーレットのために出来る唯一の罪滅ぼしだから。




