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屋敷は静かだ。とても。
人の気配がない。
広い廊下も、豪華な家具も、まるで時が止まったかのように静まり返っている。
使用人が言っていたように、本当に屋敷は無人のようだった。
伯爵夫妻はわかるが、リックフォードと平民の娘までもが?
不可解なことではあるが、今の私達にそんなことを気にする暇はない。
どうでもいいのだ。彼らがどこに行ったかなんて。
綺麗に見える屋敷内は、所々掃除で手を抜いた形跡がある。埃が積もったままの窓辺、拭き残された家具の隅。
この程度の仕事ぶりで公爵家で働こうとしていたのか。
いや、そもそも。彼女達にとっての“仕事”は“ルビアお嬢様に仕えること”であり、屋敷を整えることなど二の次。
優秀どころか、最低限の仕事さえこなせない使用人など、公爵家には必要ない。
まぁ、罪人となった彼女達が今までと同じように生きていけるはずもなく、義弟による厳しい拷問生活が待っているだけ。
「父上!!こちらに!!」
とある一室。一人の少女がベッドに横たわる。
整えられた部屋の雰囲気はふんわりとしていて、どちらかと言えば可愛らしい女の子向け。
私の記憶にいる幼いスカーレット嬢から想像するに、この部屋は合っていなさすぎる。
スカーレット嬢のことをよく知っているわけではないが、彼女ならピンクを主体とした部屋ではなく、青や緑といった落ち着いた色合いを好むだろう。
ピンクを取り入れるにしても、もっと薄い色を選ぶはず。
だが、この部屋は壁紙もカーテンの色も派手すぎる。
棚には小さな子供が喜びそうなぬいぐるみが何個も並んでいた。
宝石やアクセサリー。ドレスまでもが、私達の目の前に眠るスカーレット嬢には似合っていない。彼女の本質的な気品や落ち着きとはかけ離れた、趣味の悪さを感じる。
──高級な物だけで揃えた趣味の悪い部屋だな。
この部屋は……平民の娘の部屋か。
あまりにも華やかすぎる装飾は、貴族であることをひけらかすかのような下品さだった。
どういう経緯でスカーレット嬢が平民の娘の部屋で亡くなったのか皆目見当もつかない。
「まさか、そんな……。スカーレット嬢……」
口元を抑えて驚く妻はアルフォンソに支えられて、なんとか立っている状態だった。
白いシーツには鮮やかな血の跡。傍らには瓶が転がっている。
──毒を……飲まされた?
誰もが直感でそう思った。
眠るように息を引き取ったスカーレット嬢は、異常なまでに細い。
指先はボロボロ。爪も割れている。
外ですれ違っても気付けないかもしれない。
知らぬ者からしたら、スカーレット嬢は貴族ではなく平民と思ってしまっても不思議ではないほどに。
服で隠れた手足や体を妻が確認したところ、酷い傷跡が残っていた。
震える手でその冷たい頬に触れ、もう彼女が戻らないことを痛感した。
スカーレット嬢は長い間、誰にも見えないこの伯爵家で虐待され、いじめられていた。
成人した女性とは思えない細い体に刻まれた傷の数々。
そして、最後の最後には毒で命を奪われた。
死神がスカーレット嬢の魂を天に還したのではない。スカーレット嬢には毒を飲む以外の逃げ道がなかったのだ。
毒を飲まされた。リック……いや、あの連中に。
平民の娘を助けるためだけに、スカーレット嬢の命も尊厳さえも踏みにじった。
カメリアが亡くなってから、ずっと一人。孤独に耐えながら生きてきた。
助けを求めることすら出来ないまま、残酷な運命を押し付けられ、受け入れるしかなかった。
「すまなかった。スカーレット嬢」
届かない謝罪など無意味。私はいつも間に合わない。
何かを理由にして、自分から遠ざかっては後悔ばかり。
胸を締め付ける痛みが、これは夢でないと主張してくる。
彼女の笑顔も、優しさも、もう二度と触れることは出来ないのだ。
誰も知らない場所で苦しむ彼女を見過ごしてしまった私は許されるべきではない。許されてはいけなかった。
彼女がどれほど孤独だったか、それに気づけなかった自分が情けない。
「どうか……愚かな私を許さないでくれ」
そう呟きながら、私は彼女の冷えた手を強く握りしめた。
頬を伝い、零れ落ちる涙もまた冷たくて……。
──私はどんな罰を受ければいい?
彼女の苦しみは計り知れず、私の罪は重かった。どんな罰を受ければ、彼女の痛みを少しでも償えるのだろうか。誰に問いかけても答えは見つからない。
孤独に傷つけられる痛みを思う度に、自分の愚かさに打ちひしがれた。
ただ死ぬだけでは意味がない。スカーレット嬢が受けた何倍もの苦しみを受けることで、ようやく私の贖罪が始まる。
「あなた」
「父上」
二人の手が肩に置かれた。
「そうだな」
スカーレット嬢をいつまでもこのままにしておくわけにはいかず、すぐに葬儀の手配を進めた。
私が彼女のために出来ることは、これだけ。
棺には赤い椿とスカーレットの花を飾ることにした。美しい花々は、静かに彼女の魂を包み込む。
フィオーレにもすぐ手紙を送ったが、当然ながら返事はない。書くよりも先に、こちらに帰ってきているのだろう。
葬儀を始める前には普通、故人との別れがあるものだが、外に出ることのなかったスカーレット嬢に会いに来る者はいない。
小さな世界に無理やり閉じ込められたことにより、紡がれるはずだった人との縁を断ち切られた。
こんなにも悲しく苦しいことはない。
そう思っていたんだ。
「もっと早くに会いに来たら良かった……。ごめんね、スカーレット」
祖父母であるフルール前伯爵夫妻はとっくに亡くなり、現在の屋敷を管理しているのはフィオーレの息子。
一度も会ったことのないスカーレット嬢のために、忙しい時間を割いてでも会いに来た姿を見て、フルール家の優しさは遺伝なのだと、ようやく知った。
そして、私もそうするべきだったと、後悔ばかりが押し寄せる。
故人に手向ける花は白色と決められていて、棺の中に百合の花がそっと置かれた。
「レッティ……?」
静寂を破るかすかな声が響いた。声の主はフィオーレではない。彼の到着まではまだかなりの時間がある。
しかも、スカーレット嬢を愛称で呼んだ。一体誰が……。
振り向くと、そこには第二王子殿下が立っていた。
予期せぬ人物の登場により、渦巻いていた悲しみが一瞬だけ断ち切れる。
穏やかで落ち着いた茶色い瞳は深い哀しみを宿し、まるで失われた何かを必死に探しているかのようだった。
力なく棺に歩み寄った殿下は、静かに眠るスカーレット嬢を見つめる。その手は震え、声もかすれていた。
「あ、っぁぁ……どう、して。やっと君を……見つけたのに」
震える声に感情が溢れ、涙が頬を伝う。周囲の私達の存在など彼には届かず、その瞬間だけは自身の悲しみに沈んでいた。
大粒の涙がスカーレット嬢の頬を濡らし、何度も名前を呼ぶ。
「レッティ。レッティ……!!」
返事はない。体の冷たさがスカーレット嬢の死が現実であると示していた。
後ろに控える従者の顔には、驚きと信じられないという表情が浮かんでいる。
彼もまた、スカーレット嬢の死を受け入れられずにいた。
いや……。あの表情はスカーレット嬢の死に対してではなく、“目の前にいるのがスカーレット嬢であること”に驚いていると言ったほうが正しいのかもしれない。
全く社交界に顔を出さないスカーレット嬢と、あまり社交界に顔を出さない殿下。
二人に接点があったことに驚きだった。
しかも、愛称で呼ぶ親密さ。
従者の様子を見るに、二人が知り合いであることは間違いない。
いつ知り合ったのか。そんな疑問が浮かびながらも、聞くことは出来なかった。
力なく膝をついた殿下はただただ、スカーレット嬢の名前を呼び続ける。
その姿があまりにも悲しくて、殿下がスカーレット嬢を愛していると、わからない者は一人もいなかった。




