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何かがおかしい。
その何かはすぐに気付いた。
麗しのルビアお嬢様の姿がどこにもない。
旦那様と奥様の寝室も、もぬけのから。
昨日、彼らが着ていた服までもが見当たらない。
いくらめでたいからといって、着替えることなく出掛けるのはおかしすぎる。
使用人総出で屋敷内をくまなく探したが、影も形もない。
廊下を何度も往復し、複数の目で全ての部屋を確認したが、結果は何も変わらなかった。
人が忽然と消えたのだ。
天使のように明るい彼女の笑顔が失われたことで、屋敷全体はまるで夜の闇に包まれたかのように暗く、息を呑むほどの静寂が支配した。
使用人達は戸惑い、恐怖を感じた。お嬢様はただの主人ではなく、彼らの生活の源。
一つ仕事を終えるたびに温かく優しい言葉をかけてくれる。
その言葉に嘘偽りはない。どこかの赤毛とは違う。
自らの醜さを、美しい言葉で飾り立てる卑怯者はいつも口先だけで、お嬢様のように心から案じてくれているわけではなかった。
そのことを教えてくれたのが、地上に舞い降りた天使のごとく愛くるしいルビアお嬢様である。
あの方がいなければ、《《たかが正当な貴族》》であるだけの赤毛に一生の忠誠を誓うところだった。
目を覚まさせてくれたお嬢様には、感謝してもしきれない。
新たに伯爵夫人となった奥様もそうだ。
働きに応じて高価な宝石をボーナスとしてくれる。
前の夫人はそんな気の利いたことは一度もしてくれなかった。
ありきたりな言葉だけの労い。
奥様と違って《《貴族のくせに》》随分とケチな人間だった。
旦那様もまた、彼らと同じく醜い赤毛母娘に騙されていた被害者。
お嬢様と奥様がいなかれば、貴族社会でいい笑いものになっていた。
そんな理想の家族がどこにもいない。
「新婚旅行に行かれたのではないか?」
「きっとそうよ!ルビア様とリックフォード様はとても仲が良かったから」
「でも、あたし達に声もかけずに?」
「「……」」
再び、沈黙が場を制した。
では、どこに行ったのか。あんなに献身的に尽くしてきた自分達を置いて。
旅行に行ったと自分達を言い聞かせるも、不安は取り除かれない。
だが、それよりももっと怖いことがある。
彼らは思った。このままでは、自分達に給料を支払ってくれる人がいないと。
漠然ではなく明確な恐怖だけがそこにある。
どんなに屋敷を綺麗に掃除しようと、料理を作って帰りを待っていたとしても、お金だけは手に入らない。
住み込みとはいえ、貰えるものが貰えないのは困る。
誰もがその言葉を胸の奥で繰り返した。けれど、何が起きたのか、どうすればいいのか、答えは見つからなかった。
優しいお嬢様達が見捨てるわけがないとわかっていても、今の現状こそが現実。
それほど多くない使用人は集まり、今後のことを話し合う。
そして……導き出された結論。
「公爵家に行こう!」
「ええ、そうね!」
「ルビアお嬢様の婚約者でもあるリックフォード様も、私達の仕事ぶりは素晴らしいと褒めてくれていたし」
「公爵家でも働けるってことだな」
誰もが自信満々に大きく頷いた。その希望は、彼らの心に新たな光を灯す。
それぞれが必要な物を用意する。奥様専属の侍女は今月分の給料だと、全ての宝石をカバンに移し替えた。
これは正当な報酬。泥棒ではない。
主人のいない屋敷を捨てて、新たな雇い主となるヘルサン家へと向かう足取りは軽い。
ヘルサン家は富も名誉もある。給料はこれまでの倍、いや、三倍は膨れ上がるのではと期待に胸を膨らませていた。
公爵家ともなれば他の上級貴族だけではなく、王族とも固い信頼で結ばれている。
もしかしたら、国王陛下の妾にしてもらえるのではと、平民という立場も忘れて分不相応な夢を抱く者もいた。
若いメイドは未婚の第二王子に求婚されたらどうしようと、困る素振りを見せながらもその瞳は希望に輝く。
お嬢様から「可愛い」と言われ続けた。貴族なのにみすぼらしく醜いままだった赤毛を見続けた。
その結果。若いメイドは大層な自信を手に入れ、赤毛相手にも堂々とした態度で振る舞うようになったのだ。
ヘルサン公爵家の屋敷は王宮の次に大きな屋敷。外観だけで見る者を圧倒するオーラが放たれていた。
こんな立派な屋敷で働ける。そう思うと誰もが緊張で足が震えてきた。
みんなの緊張が解れるまで多少の時間を費やす。
震えは止まり、気持ちを新たに入れ替えたところで来客を知らせるベルを鳴らしたのは、お嬢様付きの侍女。
心臓がはち切れそうなほどの緊張感に襲われながらも、さっきみたいに慌てることはない。
冷静に心を落ち着かせる。
ほどなくして、執事が現れた。歳はかなり上だが、その立ち振る舞いは美しい。
まさに老紳士である。同年代でもある奥様付きの侍女はの頬は赤い。一目惚れをしたようだった。
「どちら様でしょうか?」
渋い声で尋ねられて、その声もまた奥様付きの侍女のハートを射止める。
「私達はジュエール家に仕えていた使用人です。リックフォード様の推薦で、公爵家での仕事を希望しております」
お嬢様付きの侍女は堂々と胸を張った。後ろにいる彼らはどこか執事を見下していた。
ただの執事とは格が違う、とでも言うように。
自信に溢れた態度に執事は困惑の色を隠せない。
執事の返事を待たずして勝手に門を開けて、侵入していく。
制止する声など聞こえない。
なぜなら、自分達はあのルビアお嬢様に仕えていた優秀な使用人。
公爵家で働くだけの能力はある。
そして、あわよくば王宮に勤められるように推薦状を書いてもらう魂胆。
屋敷の中に足を踏み入れては、公爵の執務室を探し出し、無作法にもノックもしないで勢いよく扉を開けた。
その先にあるものが希望であると信じて。
絶望だけが待ち受けていると思いもしないのだ。
なぜなら、自分達は。あの!ルビアお嬢様に認められた特別な使用人だから。




