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みんなは伯爵家の奥様と幼いお嬢様が大好きだった。
貴族でありながら、雇われの使用人達に対しても優しく接してくれるその姿に、彼らは心から癒されていた。
特にお嬢様は誰かの真似をするのが大好きだった。掃除や洗濯を進んで手伝い、まるで家族の一員のように振る舞うお嬢様の姿に、使用人達はいつも笑顔を絶やさない。
そんな平和な日常が、ある日突然、静かに壊れ始めた。
旦那様が、平民の女性を連れて帰ってきたのだ。彼女は堂々とした振る舞いで、まるで伯爵邸の一員であるかのように振る舞っていた。男の使用人達はその美しさに思わず見とれたが、女の使用人達は彼女を快く思わない。
彼女が旦那様を誘惑し、その地位を脅かす存在だと疑ったからだ。
しかし、奥様は違った。伯爵夫人としての威厳と優雅さを保ち、決して動揺を見せない。まるで大切な客人を迎えるかのように、愛人を迎え入れた。
カメリアの優しさを受け入れず、無下にした愛人は鼻で笑って自分の部屋を決めるために我が物顔で屋敷内を歩き回る。
初対面の印象は最悪。奥様には、もう二度と愛人に近づいてはならないと忠告した。
ワガママな愛人は世話係がいないことに不満を漏らす。
が、そんな言葉には耳を貸さない。愛人の立場を忘れて正妻気取り。
自分も平民であることを忘れて、使用人を見下す態度に誰もがうんざりしていた。
そんなとき、お嬢様が愛人に自己紹介をした。笑顔で。
愛人は幼い子供に酷い言葉を吐き捨てた。
真っ向からの悪意は子供の心に傷を残し、呪いのようにお嬢様を縛ってしまった。
ただの愛人として屋敷にいるだけならまだ良かったが、旦那様の子供を妊娠したと言い出した。
その言葉は、ただの愛人としての立場を越え、波紋を呼んだ。
元々、正妻である奥様は妊娠が難しい体質だった。長女が生まれたことはまさに奇跡であり、二人目の子を望むことは諦めていた。だが、夫婦の営みがなくなったわけではない。ただ、奥様の体には負担が多すぎたのだ。
旦那様は複雑な思いを抱えていた。愛人の強気な態度と真実に直面し、彼女の子を産ませるしかないと決意する。
やがて生まれた愛人の娘は、母親譲りの愛らしさを持ち、成長するにつれてその魅力はますます輝いた。もし彼女が正妻の子であったなら、間違いなく家族全員から深く愛されていただろう。
数年しか生きられない娘の世話をするのは面倒で、バレない程度に手を抜くばかり。
仮にバレたとしても咎められることもない。
所詮は招かれざる愛人の娘。旦那様からも愛想をつかされているのだ。平民が貴族の屋敷にいることは場違いだと気付けばいいものを。
お嬢様は奥様の優しい性格を受け継いで生まれてきた。そのため、愛人の娘が長く生きられないと聞いたとき悲しむよりも先に心配していた。
体は辛くないだろうか。
自分に何かしてあげられることはないかと一生懸命考えた。
最悪は続く。奥様が病に臥せってしまった。
旦那様は心配で心が沈み込んだ。
お嬢様もまた、できる限り毎日奥様を見舞った。しかし、どれほど願っても、奥様の体調が良くなることはない。
庭の手入れを手伝うのが、お嬢様のささやかな慰めだった。色とりどりの花が咲き誇る庭は、彼女にとって希望の象徴でもある。毎日一輪だけ花を摘み、奥様の部屋に飾ることで、少しでも明るさを届けようと努めていた。
日に日に弱っていく奥様の力のない笑顔は見る者の心を締めつけたが、決してそれを表に出すことはない。幼いお嬢様が悲しみに耐えているのに、使用人が涙を流すなんて許されるはずもなかった。
屋敷全体が重苦しい空気に包まれていた。使用人達もまた、奥様のことを案じ、仕事に身が入らない。しかし、必死に感情を抑え、日々の務めを果たした。
いつも通りであること。それこそが奥様を安心させる唯一。
そんな中で努力せずに何も変わらない者が二人いた。
傲慢な愛人。病気であることをアピールするばかりの娘。無神経にも程がある。
「いつもありがとう」
いつものように体を拭き終わると、娘は柔らかく微笑んだ。
メイドはその感謝に耳を傾けることなく、無表情でさっさと部屋を出ていった。
だが!翌日もその次の日も、娘は変わらず微笑みながら感謝の言葉を伝える。しかし、メイドは相手にせず、冷たく扉を閉めてしまう。
愚かな言動に腹を立てていることもわからず、同じことを繰り返すだけの娘の首を力の限り絞め上げてやりたいが、ギリギリのところで思い留まる。
それだけは越えてはならない一線だと。
しかし、繰り返される感謝にメイドはつい、答えてしまったのだ。
もしも、いつもと同じように娘を相手にせずに部屋を出ていれば、運命が変わることはなかった。
「そんなことを言ったところで、貴女が誰にも歓迎されていない事実は変わらないわ!」
「ええ、わかってる」
娘が浮かべた悲しげな表情にも心を痛めることなくメイドは露骨なため息をつく。
まるで余命僅かな自分に酔っているかのようで、虫酸が走る。
「私はお姉様と違って、本当にみんなに感謝しているの」
「なっ……!!平民如きがお嬢様の悪口を言うなんて!!」
メイドは怒りに震え、強く扉を閉めて部屋を出ていった。
次から娘の世話に来るメイドが変わった。入ったばかりの若い新人。
仕事は丁寧だが、作業が遅い。若いメイドの頑張りを皆が知っているので、「遅い」と怒ることはなかった。
「ありがとう」
娘は今日も感謝を口にする。
若いメイドは先輩から絶対に娘と口を利いてはならないと言われていたため、やることが終わればすぐ持ち場に戻ろうとした。
その瞬間、娘の目から涙が零れた。
無視をするにはあまりにも若いメイドは……。心の中で先輩に謝りながらも、どうしたのかと声をかけた。
「私……みんなのことが、不憫でならないの」
どう反応していいかわからない。
メイドのことなどお構いなしに娘は続けた。
「お姉様の嘘に騙されて」
「お嬢様は私達を騙してなんかいません!!」
すぐに否定するメイドを、否定するようにゆっくりと首を横に振る。
「お姉様は毎日、私の部屋に来ては私に言うの。仕事が出来ない無能なメイドばっかりで嫌になるって。私がそんなことないって言ったら、どうせ長く生きられない平民のくせに意見するなって怒鳴られて」
伯爵家に雇われてまだ日は浅いが、お嬢様がどれだけ優しいか身に染みている。
娘が嘘を言っているのだ。何を企んでいるのかは知らないが、信じるに値しない。
「嘘だと思うなら今日のお昼、こっそり見に来て?」
メイドは返事をせずに出て行く。
自分一人で判断するには難しいことなので先輩にも相談すれば、娘の化けの皮を剥いでやろうと意気込む。
昼食を終えるとスカーレットは侍女を待機させて、娘の部屋へと向かった。
メイド達は視線を合わせて、気付かれないように後を追う。
娘の部屋に入った瞬間、心臓が大きく跳ねた。
いつもより速い鼓動に胸が苦しくなるも、まだ部屋に入っただけ。悪口を言っているわけではない。
そうやって歪みそうになる現実を正しては、室内の会話に耳を傾ける。
「そんなこと言わないで!!」
どんな会話が繰り広げられていたのかよく聞こえなかったが、スカーレットが怒鳴るなんて初めて。
「次にそんなこと言ったら、ルビアでも許さないからね」
「ご、ごめんなさい。お姉様」
「うん。良かった。わかってくれて」
優しいお嬢様がそんなことを言うなんて。
まさか本当に、自分達の悪口を……?
部屋から出て来るスカーレットに見つからないように廊下の角に隠れた。
その背中が完全に見えなくなると、すぐさま娘の部屋に入り込む。
「お嬢様は貴女になんと言ったの!?」
興奮を抑えきれずに問い詰める。
信じていたのに裏切られた気分だ。
「メイドなんて掃除や洗濯が出来て当然なのに、みんなの仕事ぶりは酷いって。一生懸命頑張っている人をそんな風に言わないでって言ったら……」
「もう、いいです」
その先はさっき聞いた通り。
不満があるなら直接、言ってくれればいいものを。悪い所があれば直す。それも使用人の仕事。
それなのに……!!わざわざ人が寄り付かない娘の部屋にまで足を運んで、陰口を言うなんて。
顔を引っぱたかれたような衝撃を感じた。自分達の知っている優しいお嬢様はどこへ行ってしまったのだろうか。いや、もしかすると最初から彼女の優しさは幻想だったのかもしれない。
お嬢様は優しいと思い込み、暗示をかけていただけ。
初めて挨拶を交わした日、お嬢様ははっきりと目を見て「よろしく」と言った。その言葉に使用人は心を許した。
この方に仕えられるという喜びさえあったのだ。
子供はまだ未熟で、身分を盾にして平民を見下すことがある。
お嬢様がそうだと言いきれたわけではないが、覚悟はしていた。
スカーレット・ジュエールは貴族令嬢なのだと。
だが、そんな不安はすぐに吹き飛んだ。
優しい人だったから。ぎこちなく慣れない所作で一生懸命な姿に心を打たれた。
この小さなお嬢様に全身全霊をかけてお仕えしよう。そう思ったのだ。思っていた。今この瞬間まで。
怒りと悲しみが入り混じる。平気な顔をして自分達を騙しておきながら、貴族として悠々自適に暮らすなんて。
許せなかった。
嘘をついて、見下し嘲笑うお嬢様が。
信じていた者に裏切られる。それは見えている世界を一変させた。
お嬢様のありもしない悪行が娘によって捏造され、使用人の間で広がっていく。
真偽など確かめない。メイド二人が娘の部屋で聞いたことが事実であり、ということはつまり、悪行も全て事実。
娘はお嬢様だけでなく奥様のことも陥れた。自分を愛してくれる愛人の立場を良くするために。
奥様は使用人の前では伯爵令嬢として振る舞っているが、裏では愛人をいじめて、自らの品行の良さが目立つよう、傲慢に振る舞うように命令していたのだ。
断れば母娘共々、屋敷から追い出して娼館に売り飛ばしてやると脅された。
一度でも歪んでしまった世界は、涙ながらに語る病弱な美しい娘の言葉をいとも簡単に信じてしまう。
その日から使用人にとってのお嬢様は愛人の娘となり、お嬢様だった彼女は醜い赤毛となった。
夫人の座は奥様から愛人に変わり、奥様もまた醜い赤毛となった。
カエルの子はカエル。母親の最低な性格を受け継いだ赤毛に敬意など払う必要はない。
これからは全身全霊をかけて、麗しのルビアお嬢様に仕え、お守りしなくては。




