第61話 姫様のお題
中納言石貝麻呂足は官職どもから必死で逃れようとするあまり山深く入ってしまい、いつの間にが鬱蒼と立ち上がる杉の木で埋め尽くされた、空も見えぬ景色の中にいました。
中納言はしばらく膝に両手を置いて荒い息を整えました。
やがて、追われている気配もないようなのでゆっくりと身を起こし、あたりを見まわしました。あたりは薄暗く、湿った、苔むす空気が充満しています。自分がどっちから来たのか、どっちがどの方角なのかもわからなくなっていました。
とにかく、何かが見える所へ行きたい―――。
中納言は地面の傾きに合わせて、上へと登り始めました。
やがて杉の木立が絶え、頂上に出ると、まわりを見渡すことができました。
あたりはどこもかしこも夕焼けに染まる山また山です。あの、険しい山並みも見えることから、そっちが北だということはわかりました。しかし、姫のいるあの村の姿を見つけることはできません。あの山の裾に広がっているはずなのですが、既に他の山々がその姿を覆い隠していました。
中納言はどこかの人里を求めて、今いる山を下るべく歩き出しました。北に向かって。
建物の軒下にしか燕は宿らないのですから。
―――それにしても今は燕の飛び交う季節ではない。あの病棟の隣にある文庫とかいうやたらと高い建物にも燕の巣はあったが、そうやすやすと子安貝など期待できるものではなかった。それこそ他の難題と同じように難しいものだからこそ、姫様も出題したのだろう。それこそ、燕の季節になったら、それを求めてあちこちの巣を探して回ることにでもなるのかもしれない。
まずは巣のある建物を見つけ、そこに腰を据えて燕が戻ってくるのを待つしかあるまい。
中納言はそう考えていました。
中納言を見失った官職たちは、一応、『摘発隊』としての形を取り戻していました。あれが『伝説の村』であるかどうかはともかく、今回は黄金のありかは突き止められなかったが、取りこぼしていた村として、年貢徴収の対象にすべきであるとの報告をすべく、京を目指していました。もとより山で隔てられて孤立した土地なので近場の荘園に組み入れるのも効率が悪そうです。かと言って、一つの領地として単独に治めるのも村の性質上、厳しそうです。ならば、朝廷の直轄地にして強権的に行くしかないのではないか。そしてそれを村に受け入れさせるにはやはり、始めに京で話し合っていたように大軍で攻めるぞとまずは脅してみるしかない、と。右大臣たち一行には村が交渉で何とかなるようには到底思えませんでした。とにかく、常識が通じないのです。
今、四人は村から西側に見えた険しい山々を右手に見ながら、その山裾を辿るどうにか人の通れる道を北の方角に向かっていました。ようやく道らしい道を見つけ、節約しながら保っていた村支給の食料も残り少なくなっています。あとは古寺などを見つけて泊まり歩くしかないでしょう。あとどれくらい歩けば、来るときに辿ってきた道に戻れるのか。果たしてこの道でそこに辿り着けるのか。
まだ何もわかりませんでした。
近衛隊が撤収しているでしょうから牛車やその引き手があの場所に残っているとも思えませんし、今たどっている道がその場所につながっているかどうかもわかりません。そのまま通り過ぎてしまうかも・・・あるいは、もう通り過ぎてしまったのかも・・・。
中納言は山を少し下ったものの、山肌を横切るように中腹を進んでいました。
やがて日が暮れ、あたりが薄暗くなってきました。同時に冷気が差し、中納言は両腕を体に回し、身震いしました。
あたりにうっすらと霧が立ち込めてきて中納言は不安になりましたが、まだ野宿をできそうな場所は見当たりません。とりあえず、行けるだけ行ってみようと霧と闇の迫る中を手で払いのけるようにしながら進んで行きます。歩くうち、どんどん霧は濃くなり、目の前が夜の闇にも勝るほど真っ白になって何も見えなくなってしまいました。
ボコッ!
突然、額に強烈に何かが当たりました。
中納言はのけぞるように仰向けに倒れ、そのまま気を失ってしまいました。
意識が消える瞬間、何だか足元の地面が震えたような気がしました。
中納言は目を覚ましました。あたりは薄明るく木々の間から朝の光が幾重にも差し込んでいます。
気を失ったまま一晩を過ごしてしまったようです。着物は夜露に濡れて重くなり、体も冷え切っていました。
中納言はもっそりと起き上がりました。うっと痛む額を抱えると、大きなコブができていました。見上げると、傍に立ち上がっている大木の大枝が視界を塞いでいます。村人がせっかく新調してくれた中納言の官位としての烏帽子を、中納言はさまよっているうちに鬱陶しくなって脱ぎ去り、手に持って歩いていました。村人たちはほとんど頭は丸出しでしたが、中には簡単な布烏帽子をかぶっている者もいました。いずれ村に戻ればそういう烏帽子を手に入れることもできるだろう、それはもしかしたら姫のお手製になるかも知れない・・・。そんな妄想を抱きつつ歩くうちに、どこかで落としたのか、いつの間にか烏帽子はなくなっていました。なので、頭は無防備なままだったのです。
中納言は朝日の中に消え残っている薄い霧を透かして前に視線を移しました。
霧の向こうの山合いに開けた土地に、古そうな門構えが浮かび上がりました。開いた門の向こうに寺の御堂のような建物も見えます。
中納言はほっと息をつきました。あそこで少し休める・・・。
中納言は重い体をぐっと立ち上がらせました。何とかあばらは痛まなくなりましたが、代わりに額のコブがジンジンします。
ゆっくり歩いて門の前まで来ました。ふと静けさを破るような小さな音に誘われて右手の方を見ると、山肌の岩の割れ目から清水が腰の高さほどの小さな滝となって吹き出すように流れ落ちています。中納言は思い出したように喉に渇きを覚えると、滝に駆け寄り、両手に水を受け、喉を潤しました。何度も、何度も。透き通るような美味さが五臓六腑に沁み渡ります。
心地よい冷たさです。ついでに顔も洗って目をすっきりとさせ、しばらく片手に受けた水にコブを浸しました。そして手拭いを濡らして絞るとコブに当てがうように鉢巻にしました。最後に、腰にぶら下げている村支給の竹の水筒を満たし、ふうっとやっと一息つきました。
まるで取ってつけたような丁度いい塩梅の水場に、中納言はすっかり元気を取り戻したような気分になり、門の前に戻ると、中に向かって声を張り上げました。
「お尋ね申す!」・・・もうす・・・もうす・・・
山びこだけが返ってきます。建物はしーんとしており、鳥のさえずりと先ほど来の水音が応えるだけです。
「どなたかおられませぬか!」・・・せぬか・・・せぬか・・・
何事も起こりません。
「失礼つかまつる」 中納言は門をくぐりました。
御堂は荒れ果てていました。かなり大きな寺であったことは伺わせますが、もう見捨てられているようです。
中納言はとにかく地面の上でない所でゆっくり座りたいと、目の前の階段をギシギシと登って外回廊に上がりました。踏み板が抜けるほど古くもないようです。
大きな軒のかかった回廊の板敷の上、御堂の入口のふちにもたれるように座り込むと、そこから身をよじって仏像があるだろう開けっぱなしの堂内をのぞき込みました。
「?」
部屋の奥の台座の上に仏像は放置されています。金箔が貼られていたのか、そこらじゅうがハゲたような黒ずんだ仏像ですが、蓮の花の飾りや古びた曼荼羅などの掛け軸と共に鎮座ましましています。一旦向き直った中納言はその台座の前に何だかまるっきり無関係な、不思議なものを見たような気がして、もう一度背後をのぞき込みました。
「??」
見れば見るほど訳がわからなくなります。あれは一体、何ぞや??
中納言は立って敷居板をまたぎ、中に入りました。その物のそばまで行きます。
「何ぞな、これは?」 改めて声を上げました。
動物の皮のような敷物の上に古びた大き目の植木鉢が置かれており、その中で何だかガラス玉のような大振りの玉がいくつか五色に輝いています。そしてそれを鉢の中の土とするかのように一本の木の枝らしきものが差し込まれており、枝には真珠のような白い玉がいくつも実のようになっています。その枝は黄金色に輝いています。
中納言はしばらくして、ああっ!と後ずさりしました。
「こ、これは・・・姫様のお題・・・?」
中納言は恐る恐る近づくと、改めて上から順に確かめていきました。見たことなどないですが、お題と比べる限り、そんな風に思えます。
「この枝は、蓬莱の玉の枝・・・? 鉢の中にあるのが、竜の首の玉・・・? この鉢は、仏の御石の鉢・・・? 一番下が、火鼠の皮衣・・・?」 中納言は最後の敷物を撫で、手ざわりを見ました。
「あと一つ!」
中納言は立ち上がりました。自分に課せられた『燕の子安貝』が見当たりません。はたと膝を打つと、まわりを見まわし、物干し竿のような竹の棒を見つけると、それを持ち上げて外へ出ました。軒下を探しまわります。すぐに、忘れられたような燕の巣が見つかりました。それを竿で下からつつき上げると、巣はバラバラと崩れて何かが落ちて来ました。
「いた!」 落ちてくる土くれやわらくずをよけていながらも、その塊は中納言の額のコブにまともに当たって落ちました。
「ひ〜〜〜」 中納言は竿を放り出し、額を抱えてうずくまりました。鉢巻も守ってはくれなかったようです。まだ心の底では疑っていた、夢ではないか? という思いが吹っ飛びました。
しばらくいじいじとして、少し痛みが治まってくると、こわごわ、それが落ちた方を見ました。
何か、ちょっと変わった巻き貝のような形をした二寸ばかりの大きさのものが転がっています。
ここまで来ると、それが自分の『燕の子安貝』に違いありません。
何でこんな所にお題が全部揃っているのか? 本物なのか―――?
もちろん、言い伝えしか聞いたことがないので、本物かどうかなど今ここで確かめようもありません。
中納言は必死になってこの状況を考えていました。
他の方々はあの時の話の通り、姫様との約束を反故にして京へと向かわれたのであろう。村を年貢の支配下に収めるために。自分にはそんなことは到底できない。ただ姫様の願いに応えるだけ。
・・・ということは、自分がうまくお題を成し遂げることができたとしても、姫様の元に届くのは『燕の子安貝』ただ一つだけ。他は待てど暮らせどもたらされることはない。それどころか、右大臣たちが再びやってきて「年貢を納めろ」と迫られるだけになるかもしれない・・・。
彼らの裏切りを知った姫様はどれほど嘆き悲しまれることか! こちらから申し出たことなのに。これは姫様だけでなく、村全体にとっても大問題!
しかし、どうして自分一人が五人分を持って行かねばならないのか?
持って行けば、姫様は望みの全てを手に入れることができ、
そこに残るのは・・・
中納言石貝麻呂足ただ一人・・・!
姫様は全ての望みを叶えた彼を選ぶしかない! 姫様もひそかに想っておられるであろう通りに!
そうなれば、たとえ京から誰が来ようが彼は全身全霊で姫様をお守りするのみ・・・!
そう思うと、居ても立ってもいられなくなり、コブの痛さも忘れて、あたりを物色し始めました。
背負いカゴが見つかりました。古びてはいますが、紐も切れておらず、破れもありません。十分頑丈そうです。
中納言は思ったほど重くはない鉢を敷物の外に動かすと、敷物を顔を背けながらバサバサと払ってカゴの底に敷き、その上に鉢を乗せました。全体としてもそれほど重くはなさそうです。まるであつらえたようにカゴにすっきりと収まりました。玉の枝が半分ほど上に出るだけです。その、鉢とカゴとの隙間に、中納言は懐紙で包んだ子安貝を底の皮衣の上にそっと置きました。全く、持って行けと言わんばかりに四つの品はこじんまりとまとめられていました。
最後に、玉の枝のカゴから出た部分に、実を落とさぬようにもう一枚の手拭いをふわりと巻くと、出立の準備ができたように思いました。
そのカゴの前にどっかりと腰を落ち着けると、腹ごしらえ、と村から渡された乾芋の袋を取り出し、頬張り始めました。
可及的速やかに『村』に戻るしかありません。今は、道がないとは言うものの、南側から落ちることなく入ることができるのですから。
また迷いつつも、ただひたすら目指すだけ。
『伝説の村』を―――。




