第32話 癒しの心
何が起こったのか───?
涼上はただの村娘でした。父は既に亡く、病弱な母とも死に別れたばかりで、一人でどうしようというところでした。そんな時、帝の野遊びの折りにたまたま近くで畑仕事をしていたところを見初められ、とある女房の下働きとしてお屋敷へ上がったのです。娘にとってはまさに救いの神でした。帝はすぐに我がものにしようとはしませんでした。家柄もないので必要なことを学ばせ、順に出世させて正当に自分の所まで昇って来させようとしたのです。その時は、帝の気まぐれ、どうせ良くても女房止まりだろうと官職たちも娘の素性をあまり深くは調べなかったのですが、娘は帝の望む通り、利発で気働きも効き、手仕事も器用で時をかけずに女房として女御の側仕えとなりました。見よう見真似で大そうな和歌まで詠んでしまうようになり、稀な出世の仕方をしてもおかしくないような働きをしたのです。帝は大いに満足されました。帝は女房の経験を少し積ませると、すぐにも女御として部屋を持たせました。そうなると、下に新たに女房たちが付けられます。そうなっても誰彼にも分け隔てなく優しく、下の者たちからは慕われ、まわりの女御たちからも「あのお方なら仕方なかろう」と妬まれることもなく一目置かれる存在となりました。早々に帝のお手付きとなったのですから、ヘタに呪詛などして宮中に騒ぎを起こし、帝から疑われるようなことにはなりたくないのです。そしてついに中宮へ───。
まさに、いつでも皇后となれるような地位でした。
もちろん、亡き皇后を帝に押しつけた一族の者たちは、今さら帝の思うようにさせるものかと企んでいました。中宮にまでさせてしまった時、公卿たちはただの村娘をここまでしてもいいものか、と徹底的に素性を洗い直しました。そして発覚したのです。古くに敵対して駆逐したはずの家の生き残りであることが。そんな血筋が宮中の系図に紛れ込んでくるなど一族にとっては許せないことなのです。側室としては村娘でも大目に見てきましたが、まさかの生き残りであったとは公卿たちにも思いもかけぬことでした。そして事もあろうに帝はその一番許せない女御を中宮にまで昇らせてしまった。幸い、中宮には娘しか生まれていませんが、下手をすると皇太子の母にもなってしまうのです。仇敵と外戚関係になるなど想像するだに恐ろしい。それでも恋に落ちてしまった帝には血筋がどうのと言うのは世迷言でしかありませんでした。が、一族には帝が自分たちの言い分を理解しないことが理解できませんでした。だからこそ自分たちが納得できる家柄の皇后を迎えることで事なきを得たはずなのです。正式な世継ぎたる男子は得ることができて安堵したものの、早々に身罷られてしまいました。
そこで自分たちの血縁関係をも総ざらいし、辛うじて見つけ出したのです。安全な血筋で亡き皇后と遠く縁戚関係にある者を。それをもっと近い家へ取り急ぎ養女に入れ、そこの家名で入内させたのでした。まだ十二にもならない、何も知らない田舎娘でした。見初められた頃の『すずは』とそう変わらないような。
そこに帝の心変わりが起こったのです。そのあまりに初々しい愛らしさに、そしてこれからいくらでも自分の理想通りに創り上げていけそうな余白の大きさに。中宮を村娘から一人前に育てたように、いや、それ以上に育てる楽しみが持てるかもしれない───。『すずは』はまわりに鍛えられ、自分で成長していったのです。その成長する姿を、帝は納得できるものとして受け入れてきただけなのでした。今度は、正室として自分のそばで、自分で育てることができる───。
もちろん、正式な式典は娘が成人してからです。しかし、もう皇后の地位を先んじて与えたようなものでした。宣下したのですから。
一族は自分たちが投入した新たな候補のお陰で帝を納得させることができたのです。確かに世の中のことを考えれば、こちらの方が相応しいと。
しかし、帝は決して涼上をないがしろにするつもりはありませんでした。それでも文などは到底送ることもできず、密かに誰かに伝言させる術もないほど、この期間、御簾の奥に閉じ込められてしまったのです。常にうやうやしく見張られていました。
涼上には詫びても詫び切れるものではありません。きっと、何も知らされないまま待ち侘びているのです。たとえ皇后以外のどんな地位や豪華な暮らしを捧げようと許してはもらえないでしょう。そしてこの心変わりは生涯受け入れてもらえることはないのです。
何とか、一目だけも涼上と逢うことはできまいか・・・せめて、理不尽な世の流れに流されざるを得ないことを、わかってもらえずとも伝えたい、と。
そう考えあぐねているさ中に、今回の婚儀を取り仕切っている左大臣が目通りを願ってきました。そうして告げたのです。
「陛下。ご安堵召されませ。全て滞りなく片付きつかまつりました」
何のことかわかりませんでした。
何度問い質そうと、「陛下のお気を煩わせることではおじゃりませぬ。どうかご放念を」の一点張りです。その後も涼上のことはまるで禁句のように人々が名前を出すことすら憚られる空気が漂い続けました。
自分が思い悩んでいた頃には涼上は既に京から放逐されていたことを知ったのは、正式に新たな皇后を迎える式典を終えた後のことでした。
その後、涼上は山奥の庵で幽閉状態に置かれました。侍女が一人、つけられているだけです。娘たちは遠く見知らぬ地へと里子に出され・・・それだけでも一族にとっては、いずれ真相をお知りになるだろう陛下を慮っての寛大な処置でした。
そして、涼上にとっては最後まで何もわからないままなのです。また他の誰かが皇后の座に据えられたのか・・・どんなお方なのか・・・
あまりにもひどい屈辱と、世の仕打ち・・・娘の一人すらこの手で育むこともできず・・・
何を、誰を恨んだらいいのかもわからない。
それでも、帝だけは信じていたい。
きっと、また同じような策略にかけられたのでしょう。今度はもっと周到に───。
全てのからくりを知ったのは、女房だった一人が遥々訪ねてきてくれてのことでした。あまりにもおいたわしい、と。自分たちも京から追放されながらもあらゆる伝手を駆使して涼上の追いやられた先を探り出し、宮中の仕業を探り出して、知らせに来てくれたのです。実は涼上に同情的だという人々が少なからずいたことも幸いしました。娘たちの居所もわかりました。しかし、それは敢えて聞きませんでした。聞くと会いに行かずにはいられなくなるからです。自分がここを出たことが知れると、すぐにも追っ手がかかるでしょう。そのための侍女なのですから。
いっそ、追われて殺された方が幸せかとも思いますが、娘たちの幸せを祈ってやれる者がいなくなるわけにはいきません。
自分はそこまで忌み嫌われる存在だったのか・・・。
誰からも何も聞かされることなく、ただ平穏な娘時代を過ごしていただけなのに。
帝も最後には新しい妃をお認めになられた・・・宮中を平らかに治めるために。
宮中を治められずして、世が治められるはずもないのですから。
帝としての務めを超えることなど、所詮許されることではなかったのです。
ただただ脳裏を駆け巡るのは美しく優しい帝の微笑みばかり・・・
それだけを夢現に見ながら、ある満月の夜、侍女が奥の仕事をしている間に、庵の縁先で、月の光だけに見守られながら、涼上は静かに眠るように落命したのでした。
そのあまりの辛さに、きっと心の臓が耐えられなかったのでしょう───。
タケは涙を流していました。
『京』とはそんなに辛いことが起こる所なのか・・・
そうして死にきれず、『月』にその漂う想いを利用され、この場に戻された。そこで出会ったタケルの美しさに帝の面影を重ねたのかもしれない・・・。
そして、タケルをどうにかすることで、この自分のことも辛い感情に引きずり込み、『月』へ帰ることを決めさせる・・・。
このお方は命を落としたのちまでも、他の力に翻弄され、自分だけの安らぎを手に入れられずにいる・・・。
女は今やタケの胸に顔を埋めて泣き崩れていました。タケもその背中を抱きしめています。『竹取の姫の物語』という『京の都』の人々の物語を書物から得た知識と自分の想像力だけで書き上げたものの、『京』の何をわかっていたと言うのか、と今さらながらに思います。これが現実の『京』の人々の生きる様なのか。
タケは優しく女を壁にもたせかけるように座らせました。女はむせび泣きながらも弱々しくタケに問いかけました。
「そなたの住む所は・・・どのような地なのか?」
タケはゆっくりと答えました。
「誰でも・・・幸せになれる所」
「誰でも?」 女は改めてタケを見つめます。「この私も、そなたと同じ所に生まれていれば、京になんぞ見つからずにすんだのか・・・?」
「そう・・・かもしれん」
タケは初めて、『運命の格差』のようなものを感じて何だか恐ろしいような気持ちになりました。でも、この女もタケルも救わねばならないのです。
タケはそっと女の両手を手の中に包み込むと、おまえさんはここまで、とでも言うように女のそばを離れてタケルの方に行きました。
そばにひざまづき、その首のあたりを探ると、女から解放されて、幾分、タケルの体の温もりは戻ったようです。大丈夫。取り返せる───。
タケはせめてこの女の心を素直に天へ帰れるように、たとえ少しでも癒せるものなら癒したいと思いました。それには───
「ちょっと、ごめんよ」 タケは女を振り返ってそう言うと、タケルの上に長々と体を重ねました。その首の下に手を差し入れ、丸ごと体を抱きしめます。女がしたのと逆のことをタケはしようとしていました。自らの情熱で、タケルを戻させるのです。
女は二人がほの赤い光に包まれているのをぼんやりと見ていました。生きようとする者たちの輝きでした。『地上の人』ではないからこそできること───。そして、自分はここで何をしているのか? この者たちには何の関わりもないこと。これは、自分だけの怨みでしかないのに───。
やがてタケルの呼吸は深くなり、その意識が浮かび上がってくるのを感じたタケは額に手を置き、ほつれた前髪を上へなでました。
タケルが目を開けました。しばらく目の前に立ち塞がっている顔をぼんやりと眺めます。突然わかったのか、「タケ!? な・・・」 タケルが叫びかけるのをタケが手でその口を塞ぎました。「夢見とるんじゃ。夢の中の話じゃ」 タケルの耳元で囁きます。
「タケル・・・後生じゃ。夢破れた一人の女・・・訳はわからずとも、どうか私に免じて、何も聞かずにただ抱きしめてやってほしい」
夢の中? 抱きしめる・・・?
夢ならばおかしなことがあっても不思議ではない・・・?
タケはタケルから離れました。そして女に言いました。
「そろそろ楽にならんか? タケルで役に立つなら、夢の最後を安んじていけ。もう生気に浸るなんちゅうなことは言わずに」
女はゆっくり立ち上がると一転してこわごわ、タケルに近寄ってきました。せめて、夢の中で終われと・・・?
これは・・・さっき助けた女・・・? 何でタケが一緒におる・・・?
タケルは自分の胸にその頭を預けてきた女をどうするか戸惑いました。タケがじれったいとばかりにタケルの腕をその体の上にかけさせます。タケがそうさせるのですから、タケルには何も言えません。もう女の体は冷たくはありませんでした。いっときの『生』を取り戻したのかも知れません。女はタケルの顔を見上げはしません。ただその胸の温もりに頬をうずめ、帝との逢瀬の記憶の中に身を委ねているのでしょう。タケルはいつしか腕に力を込めていました。
そんなに長い時間ではありませんでした。ふっと、タケルの胸の上が軽くなり、腕の中が空洞になりました。
女の姿は消え失せていました。
その姿は丸い玉となって、空中へと漂い昇っていきます。タケにだけその姿が見えました。やがてその玉がタケの目の高さほどにまで昇ってくると、タケはその玉を触れないように両手で囲み、さらに高く昇っていくのを見送るように両手を差し上げ、天に向かって広げました。玉はタケの両手の間から旅立ったかのように、小屋の屋根をすり抜けてさらに高く高く天へと帰って行きました。
その姿を見届けたタケは故郷への道中の無事を祈るかのように合掌しました。
何もないところでのタケの不思議な動きをタケルはただ眺めていました。そして、全てが終わったようなので声をかけました。
「今のは・・・魂やったんか?」
タケはタケルをにっこりと見下ろしました。
「じゃから、夢物語じゃ。外は大雪じゃで。もうじき、心配した村の衆が迎えに来る。ゆっくり、気いつけて帰っといで」
「え!? 大雪!? あ! 桶!」 タケルは土の入った桶を外に置いたままなことを思い出して飛び起きました。
小屋の中には誰もいません。タケも、あの女も。
「へ? 夢?」
タケルは一人、両手で目をこすり、頭をひねりまくりました。
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