第29話 冬物語
タケとタケルが祝言を挙げて五年がたとうとする年の暮れ、『伝説の村』には珍しくドカ雪が降りました。
村を北から囲む険しい山々も、南の竹林も、薬草庭園も、なだらかな山々も雪に覆われ、洗濯場の溜まりには厚く氷が張り、その上にも雪が積もっています。上流の滝も今は水音を潜めているようです。
雪は夜をかけてしんしんと降り続き、朝には夕べとは思いもかけない景色にあたりを一変させていました。
皆、厚手にこしらえた布団からなかなか抜け出せずにいました。囲炉裏に火をくべるまではどうにもなりません。それを決意するのもなかなか辛いことでした。夕べから誰もが今夜は雪になりそうだと予想はしていましたが、一晩でこれほどまでになるとは、村始まって以来のことかも知れません。
そんな中、タケは一人きりの家でタケルの帰りを待っていました。
山並みを途中で分岐して東へ抜けていく別の隠し山道の向こうの、さらに山深い地に焼きもの用に良質の土が取れる場所があります。それは文庫に古く記された秘境の地でした。今はそこはその土の採掘場として村人たちによって開かれ、寝泊まりする小屋も近くに建てられていました。幸い、外の人々にはまだ知られていない場所のようで、勝手に掘られるようなことも小屋を荒らされるようなことも起こっていません。
二、三日前にタケルは焼きもの職人の仲間たちと共に大量の土を取り置くべく、運び出して来たのです。正月前に準備し、年明けからは焼きもの作りに専念するためです。そうやって取り置きの土が少なくなってくると、度々土掘りに出かけて行きます。
しかし、タケルは採掘場に心を残して来たように感じていました。今回掘り出した分が運び切れず、微妙に残ってしまったのです。それが何とも気色が悪いのです。掘った分はきれいにさらえてきたい───。
昨日、タケルは一人で出かけて行ったのです。残った土を持ち帰るために。
背中に桶を背負い、その桶に半分ほども入れれば片付く量でした。その少しが諦めきれなかったのです。その少しのせいで、これから作りたい数が揃わない、ということにならないとも限らないのですから。さっとさらえて、すぐに帰るつもりでした。
厚い綿入れの上にさらに鹿皮をまとい、絞り袴の上にも鹿皮をかぶせていました。頭には笠をかぶり、その背中に半分と言ってもずっしりとかかる桶を背負っています。気がすむように土をさらって帰ろうと歩き出した頃でした。来るときは青空も少し見えていた空はどんよりと曇り、村人たちが危ぶんでいたように、今にもちらちらと白いものが落ちて来そうです。
タケルは両手をこすり合わせ、白い息を吐きかけながら山道を歩いていました。
とあるそそり立つ大きな岩の前を通り過ぎようとしたとき、ふと、その岩陰に何かがいるような気がして、タケルはその方に視線を追わせるように後ろ歩きに歩を戻しました。
一人の女が、岩と岩の隙間に隠れるようにうずくまっています。
まるで夏場のような、単衣姿で両膝を抱くように身を縮めて座っていました。タケルはあわてました。
「どうしたんじゃ、こんなとこで」
タケルは思わずそのそばにしゃがみ込みました。背中の桶の重さに危うく後ろにひっくり返りそうになりますが、片手を冷たい地面について何とかこらえました。
女はゆっくりと顔を上げました。タケルは息を呑みました。同時に女もタケルを見て大きくその目を見開きました。
・・・美しい! そして、こちらを射抜くようなその眼差し・・・。
白く透き通るような肌に、この寒さなど感じていないかのようにほんのりと頬を薄桃色に染めています。そして、何を使っているのか唇には血のように真っ赤な紅を差しています。
赤子の難題も沈静化し、村では当たり前の平穏な生活に落ち着いて、今やタケの美しさはタケルの日常のものになっています。しかし、この目の前の美しさは、タケとは遥かに違う、何か冷たさを感じるような、異様な美しさでした。
女もタケルの、男の顔としての端正さに何かを感じたようで、遠慮もなくその頬に手を差しのべてきました。そして、
「美しいお方・・・」 それだけを言いました。何だか余韻を残すような、思いもかけない低くかすれた声です。
タケルはその手の冷たさに思わず・・・
助けねばならん、と思いました。こんなに冷え切ってるではないか、それに今の声も弱々しい。気分も朦朧としているのかも知れない・・・。
タケルはとにかくこの岩陰から出させようと「立てるか?」と声をかけながら片腕を取り、背中に手を差し込んで支えようとしました。女も立とうとして、着物の裾が乱れ、一瞬膝上までが露わになりました。草鞋一つの足首だけは当たり前のように冷気で紫がかっています。足に力が入らないのか、タケルの腕に身を預けてきました。
タケルは一旦座らせて桶を下ろすと、鹿皮を脱ぎ、綿入れも脱いで、自分の体温が染み込んだ綿入れで女の体をくるみました。女は気がついたかのように綿入れの前の合わせ目を両手でぎゅっと握りました。タケルは鹿皮を着ると、桶をそこに置いたまま、女に背中を向けました。
「さ、乗んな。すぐそこに小屋がある。囲炉裏もあるから、少しはあったまるべ」
女は「相すまぬことでございます」と小さな声で響くように言うと、背中におぶさりました。
タケルは女を背負うと、すっと何かに引き上げられるように立ち上がりました。思わぬ軽さに拍子抜けしてよろけそうになったほどです。まるで、儚げなその肌の色のように、淡い姿───?
タケルは桶をその場に残して、採掘場の小屋へと引き返して行きました。
タケルは女をおぶって小屋に戻りました。案の定、雪がちらちらと舞い降り始めています。
タケルは女を囲炉裏端の敷物の上に座らせると、急いで火の用意を始めました。一昨日来たばかりなので、囲炉裏は新たな薪をくべることなくすぐに火が戻りました。
「今、あったかいもん作ってやっからな」
女は黙って座ったままです。それでもタケルのすることを目で追っていました。
土間にお湯を沸かせるぐらいの小さな火鉢が設えてあるので、そこでお湯を沸かしながら、囲炉裏に掛ける鍋の用意をします。
タケルは囲炉裏で簡単に菜っ葉と小餅だけの味噌汁を作りながら、湯が沸くと、おかあ仕込みの薬草茶をまず女に勧めました。
「何にでも効く煎じ薬じゃ。少し苦いが元気は出る」
女は素直に自分の前に置かれた湯呑みを取ると、両手を湯呑みで温めながら少し口に含みました。眉をしかめます。
・・・タケと同じような顔をしよる・・・。
その表情に、このお茶は誰でもそういうふうな顔になるのだとタケルは得心しました。
いい塩梅に炊き上がった味噌汁を椀によそって箸と一緒に女に差し出します。女は何も言わずにただ合掌すると椀を受け取り、ゆっくりと啜り始めました。
タケルには初めてのことでした。まして、遠いこんな山深くの小屋の中でタケ以外の見ず知らずの女と二人きりで食事をするなどということは。
少なくともこの女は『京』のある側の暮らしの人であるには違いないのです。
そして今夜は一晩ここで・・・? 刻々、山を越えられる時も過ぎていきます。まして雪も降ってきたのです。勝手もわからぬこの小屋に、寒さで弱った女一人を残して行くのも心苦しいことです。
女は食事を終えて箸を置くと、ふう、と息をつきました。ひと心地ついたようです。タケルは改めて尋ねました。
「何であんなとこにおったんじゃ?」
「道に迷うてしまいました」 女はボソリと言いました。
「どっから来た?」
「・・・わかりませぬ」
タケルはギョッとしました。もしかして・・・
「どこへ行きたいんじゃ?」
「・・・わかりませぬ」
タケルにとっては最後の質問になりそうです。
「お前さん、名前は?」
「・・・わかりませぬ」
何となく『高貴』を漂わせるような言葉遣いですが、どうやら記憶をなくしているようです。ますます放って帰るわけにはいかなくなりました。ここで十分休ませて、山越えできる元気が出たら、連れて帰っておかあや医術士たちに診てもらうしかありません。勝手にふらふら出て行って行き倒れるようなことにでもなったら悔やんでも悔やみきれないでしょう。多分、行き倒れかけていたのを助けたのですから、最後まで助けるべきなのです。
もしそれまで時がかかるとしても、心配したタケや仲間たちが探しに来てくれるだろうとも思えます。
帰らないのは仕方のないことなのです。人の生き死にには代えられません。
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『月』は地上に送られて『タケ』となったものの姿を執拗に監視していました。
目的は、地上の醜さを思い知らせて、二度とこの月の上で『地の星』のことなど思わないようにさせること───。
最初は、うまくいきそうでした。が、思いもしないことが起こったのです。
『タケ』は別の土地へと連れて行かれ・・・
それがとんでもないことには、争いのない土地だった・・・
簡単には越えられそうにない障壁を易々と越え、そこへ行かせた・・・
なぜ、『地の星』は邪魔をする?
その土地に置かれて、『タケ』は醜さに出会うこともなく、ただただ幸福になっていく・・・
いつ帰ってくると言うのだ? 幸福なまま帰らせたのでは、目的は達せられないだろう。早く思い知らせないと、与えた寿命が尽きてしまう。地上で尽きれば、取り返せなくなってしまう。
何とかせねばならない。何か、不幸を起こさせねば───
『月』は画策していました。
何とか『タケ』となったものを絶望させて、自ら『月』へ帰ることを望むようにならないか、と。
あの土地に任せていたら、地上に嫌気がさすようなことなど何も起こらないのです。争うことを知らない土地なのですから。珍しいことでした。揉め事を起こさない人々が集まっている所があるというのは。
そこにふらふらと現れたのが、『地の星』で死んで、死に切れない一つの丸まった魂でした。もちろん、その土地のものではありません。故郷に帰ろうともせず、なすすべもなく月のそばま漂ってきたのです。
『月』は、その『恨みの心』に目をつけました。
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タケルは隣の茣蓙が敷いてある部屋に女の寝床を取りました。
「ゆっくり休んだらええ。何があったんか知らんが、何も考えんと、頭空っぽにしたら、何か思い出すかもしれんで」
「かたじけのうございます」 女はかすれ声でまた言いました。自分でもどうしたらいいかわからないのでしょう。タケルの言うままにするしかないようです。
女は布団の中にもぐり込みました。あまり冬用のしっかりした布団でもないので、タケルはもう一枚上布団をかけ、さらにその上に女に着せていた綿入れをかぶせました。
囲炉裏はまだ赤々しているとはいえ、板壁の隙間からは冷気が入り込んできます。女は布団の中で横向きに身を縮こまらせているようです。
タケルは今夜は火を絶やしてはなるまいと、囲炉裏の番をすることにしました。湯鍋を囲炉裏に掛け、湯気を絶やさないように。
タケルは鹿皮を着たまま、座ったまま布団にくるまりました。
灯台をいくつか灯しただけの暗がりの中で何度か新しい薪や炭をくべ、湯鍋に水を足しながらもタケルはいつしかこっくりと舟を漕いでいました。
女がその様子を見て布団から抜け出るとそばに来てしゃがみました。布団に顔を埋めているタケルの頬に片手を差し入れ、上を向かせるともう一方の手で両頬を挟みました。
「何じゃ・・・?」 声にならない声を出して、タケルがうっすらと目を開けます。凍るような冷たさですが、なぜか体が動きません。
女が顔を近寄せて息を吐きかけました。人の息とは思えないほどの冷気です。
タケルは女が押すのと一緒にゆっくりと仰向けに倒れていき、そのまま、深い眠りの底へと落ちていきました。
女は布団をめくると、体を重ねるように横たわり、鹿皮の内側に手を差し入れて、その冷たい体でタケルの胸を抱きしめました。




