【一章外伝】 Hello,world!
世界は滅びゆく……。
小さな小さな炎はいとも容易く紙を飲み込み大火となる。
世界が燃えている、真っ赤に豪快にそして破滅的に。
人々が燃えている、朱く生命を燃やし続ける、生命機能が停止するその寸前まで。
人々は虫けらのように突然襲来した謎の生物に殺され続けている、抵抗すら敵わずいとも簡単にそれは物へと成り代わっていく。
彼は必死に逃げた。
死ぬか生きるか、そんな地獄など誰もが経験したことなどない、恐怖に取りつかれた人々は敵に背を向けた。
奴らに立ち向かおうとする一般市民などいはしない。
彼は群衆に紛れて走った。
突然現れた騎兵たちによって紙を切るように人々の集団は殺されていく。
馬蹄を響かせ、狂気が後ろから迫って来る……。奴らの槍が彼の肩を掠める。
叫び声と共に彼の隣にいた人が串刺しにされ絶命したのである。容易く、安く、価値無く、勝ちなんてもっとない。勝てすらしない。
誰よりも近く、一番の特等席で虐殺ショーを見せられた。
生温かい、血生臭い、生々しい終わりの叫び。これが現実なことを五感が自身に伝えるのだ。
それでも彼は進んだ。
誰かの死を、誰かの今生の叫びを、誰かの懇願を振り切り、死にたくないという感情を糧に皆一歩また一歩と前に進む。
彼は走った。誰よりも早く、そして誰よりも生に執着して。
彼は逃げ切った、逃げ切ったと思えるところに来たのだ。随分と遠回りをして、隠れて逃げて、醜態をさらして、涙を零して、絶望に打ちひしがれて、それでも生に執着した。そして彼は逃げ切った。
幼い頃よく遊んだ家の近くの公園。そこには誰もいない、ただ無残に目も開けられないようなくらいバラされた、もう絶対に目を開けられることができない人間の残りカスがそこに其処ら中に放置されている有様だった。
抉られた目、斬り落とされた舌、集められた首、近くには何かが詰まった謎の瓶。
彼は少しばかり落ち着きを取り戻していた。
ここに来るまでもう慣れてしまう程度に人の死体を見せつけられてきたのだ。
揃いも揃ってこの公園にある首から鼻と耳が欠けていることに気が付く程に彼は何時もの状態を取り戻しつつある。
彼は公園の中心に位置する時計にこの公園で唯一存在する眼を向けるのである。その時計は4時を過ぎていた。
肩からは血が流れて止まらない……。
痛い、痛い、痛い。
斬られたことなどない彼には初めての経験。
彼は血を止めようと肩に手を当てているが、その手の圧も彼の痛みを増長させる原因と一つとなっていた。
彼は息を整えるのと同時に頭の整理を同時に行っていた。自分はどうすればいいか、自分は何をしたいか、自分が生き残るためには、他人も助けるためには。
整理した、状況を鑑みて最善の手を考える、最も正しく、最も清く、最も善でいられる方法は……。
ただ彼にも、彼らにとっても敵が余りにも未知の存在であった、いくら整理しても、頭を捻れば捻るほどに疑問だけが浮かび上がってくる。
常識的に考える、それが仇となった。考えるばかりで彼には周りが見えていなかった。
逃げた先にもまた奴らがいた。
正しくは違う、運悪く敵に発見されてしまったのだ。
突如喉元に走る今まで経験したことも無い痛み。
痛みはすぐさま熱さに返還され、体中の水分を奪う。
熱い、熱い、熱い。
創作物ではよくこれを火箸が刺さったなどと表現しているがそんな生易しいものでは無かった。
灼熱、紅蓮、渇き……。体の水分という水分を奪い尽くしてしまいそうなこの熱さ。
頭が回らない、思考が水分と共に外に流れでて行く。
目の前に謎の奴らが近づいてきたが、もう彼の耳はほとんど機能しなくなっており遠くで何か言っているようにしか聞こえない。
何を言っているかすら考える余裕もその考えに辿り着ける回路を何処にもない。
薄れゆく景色、消えゆく感覚、彼はもう世界に響く音すらも感じる事が出来なくなっていた。
一人の少年を想い出す、かつて友と呼んだ男。
自分は結局何がしたかったのか。
彼は俺の事をどう思っていたのか。
———闇―――
怖い、怖い、怖い、怖い。
瞼の裏側で過去の光景が蘇る。
恐怖に駆られた、全てを諦めた、助けてくれよ、助けてくれよと嘆く気持ちを漂泊して、塗りつぶして……。
自らが殴り飛ばされるその寸前の光景。
怖い、怖い、怖い。
あれは誰だ、あれは、あれは、あれは。彼奴は。
彼奴は俺だ。
俺の憧れた、俺に無いモノを持った、俺自身が一番に成りたかった俺なんだ。許せ、許してくれ、どうか俺を……。
それでも尚目の前の懐かしき過去は彼に暴力をぶつける。彼は眼を瞑ってしまった、彼は彼の過去から目を逸らしてしまった。
目の前の影は笑った、とても苦しそうに、とても憎らし気に。
そして背を向け去っていくのだ。
俺はお前を助けたかった、俺はお前を追い込んでしまった。なぁ、そんな眼を向けないでくれ、怖い、怖い、怖い。
彼は訳も分からず必死にもがいた、今生の別れにしまいと、あの男を引き留めようと。
俺の話を聞け、そう叫ぼうにも喉が潰れて声が出ない。
息苦しい、辛い、悲しい。
彼が去っていく。
男が小さくなっていく。
だんだんとぼやけて、意識がもうろうと、黒々と。
それでも恐怖だけは刺激的に彼を苦しめる。
誰か、誰でもいい、誰でもいいからもう俺を安心させてくれ。
グサッ
プツン
———死―――
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ。
違うんだ。誰か俺を助けてくれ……。
それが彼の最後の叫び、それは彼の心を抜け出る事は無かった。
無……。もう彼はその心以外は何一つとして機能していなかったのである。
即ち彼は絶命した。
誰かが望んでいた崩壊、願っていた破壊、信じていた、陥落。今まさに誰かの願望が、彼の望みが成就したのである。彼という小さな小さな犠牲と共に。
ただ彼もいざ崩壊を目にした瞬間に彼はそれを拒んでいた。
しかし彼はそれすらも受け入れてしまった、自らの生を捨てると共に。
いや違う、彼は世界を変えられると理解たのである。彼はそのことに少しばかり喜んだ。
ただ彼は世界から拒まれてしまった、彼というものはもうこの世界に存在してはいない。彼は世界に居座る事を事を拒絶された。
今更それを知ってももう後の祭り。
彼は酷く世界を憎んできた。彼の親友を狂気に駆り立てた、この忌まわしき世界を。
もう一度言っておこう、彼はこの世界を滅ぼしてしまいたいほどにこの世界の在り方を恨んでいた。
闇の中で彼が一人無限というものを目指してただただ歩いている。
前も後ろも右も左も分からない、手足の感覚だって彼にはない。
憎んでも、憎んでも、もう残骸と化してしまった彼に出来ることなど一つもない。
泣こうが、喚こうが、心の内の感情を発散しようが、彼にはもうその声を二度と聞き取れる事はないであろう。
過去の景色がいくつも浮かび上がっては消えていく。
彼もほんの一欠けらの過去以外はそんなものには興味すら無い。
無価値……。
ただ彼は歩みを止めることなどない。そこに彼岸も、彼岸も三途の川も何もないのに……。
彼を送り届けてくれる者すらいない。
段々と涙でさえも枯れて彼は本当の物へと変わっていく。
光も祝福も救済も、彼には何も訪れる事はない。
闇の中を彼は……。自分でさえも闇に消し、見失ってしまった。彼は彼を見つけられなくなってしまった。
最早それは何かでしかない、そんな様に果ててしまった。
「汝、力は欲しくないか? この世界を救う力を、このどうしようもなく間違った世界を滅ぼす力を……」
闇の中で轟轟と漆黒の焔をまき散らかし燃え上がる何か……。
彼はそれを目印に駆けた。
初めての救済、始めての救い。そうだ、世界は絶望で溢れ返っている、こうしてはいられない、このままでは死ぬことすら出来ない。
「欲しいだろう、親友を救う力を、欲しいだろう、あの憎き世界を壊し、一新させるチカラを」
ーーーーッ。
彼は言葉を発した。もうすでに声すら出なくなってしまった口で。何度も何度も口にした、同じ言葉を。
欲しい……。
聲はカタチになった。
ならば我を受け入れろ……。
何処からともなく彼の脳内にそんな声が響いた。悟った、自らのするべきことを。彼は何者かになる決意を固めた。
そして、
彼は目の前に広がる炎に手を入れた……。
彼の止まってしまっていた心の臓が唸りを上げた。
復活の時。
彼は化け物と化してしまった。
彼はもはや人では無い。彼はもう打倒されるべき存在に変化した。一つのキモチによって彼は黄泉から帰ってきた。
たった一つだけのキモチで蘇った。
彼の心の中に一本の剣が突き刺さっている。彼の救いたい者の救済、彼の助けたい者の救助、ヒトを救う、何でもいいから片っ端から救っていく。
彼は全てを受け入れた、彼以外の何もかも全て己として受け入れた。
彼の友はきっとこんな崩壊から生き伸びる事が出来るであろう、俺と違って。一番に救いたいモノの顔が浮かび上がってくる。
彼の全てが戻ってきた。辛いも、痛いも、嬉しいも、感覚も、感情も。
ただ一つ確かな、いのちだけは戻らない。
血の池から彼は置き上がる。
彼は現世に帰還した。とある化け物に成り果てて。
「待てよ……」
彼の視界から去っていく、彼を殺した人外に声を掛けた。片角の人外は彼を見るなり驚きの声を上げて、部下を突き飛ばし彼の元に近づいて来た。
「おお、戦無き時代の子でも我らと同様に彼らに選ばれるのか。それにお前、もしや彼の御方たちと同じ種の鬼ではないか!」
柿色の装束を着たものが呟き、彼は急に態度を変え彼に向かって膝を付くのである。
「私たちは貴方御様のようなものを心待ちにしておりました、ようこそ、鬼へ」
彼は男の額に手を当てる。
「お前、名を何と?」
「宍戸です。ただの宍戸です」
宍戸? 宍戸? 彼は必死に頭のデータベースに検索を掛けたがそんなものの名前は出では来なかった。
「それだけでは分かんねぇや、下の名前は? それ言ったら分かるかもしれない」
男は自分の唇を噛んだ、とても恨めし気に、とても悔しそうに。
「貴方様には関係の無い話かもしれませんが……。私は生前とある人間と戦い、生を終えました。私の中ではそのもののに命の危機を悟らせるくらいにはいい勝負をしたと思っていました。そして私は一人の鬼としてまたこの世に生を受け、武者修行に励んでいました。そしてある時、ひょんなことから私はその男が書き綴った書を読んでみました……。」
男の顔はどんどんと恐ろしい顔に変わっていく。
彼は額に当てた手に力を入れた、実験であり、何故だか使えることが分かっていたチカラ。
——男の中で嫌な、最も嫌な記憶が再生される。
鬼は苦悶の表情を浮かべ、過呼吸気味になってきている。
二刀流の男に両断される自分……。
宮本武蔵とお見受けいたす。俺はここら一帯を取り締まる盗賊の首領にして、忍びの術の使い手、宍戸……。
俺は確かに名乗ったぞ、それなのになんでだ……。
俺は鎖鎌で奴のお得意の剣を封じて、分銅で……。 それなのにどうしてだ。
鬼にも彼にも流れ込んでくる膨大な量の引け目の負い目の敗北の記憶。
「どうした? さっさと続きを話してくれよ?」
宍戸と名乗る男の前に立った鬼が非常に悪い笑い方をする。
男は理解した、目の前の鬼は自分でさえも届く事の無い遥か高みにいる鬼だと、この蠢きまわっている過去も彼の力によるものだと。
「そこに私の本名は記されていなかったのです。宍戸某としか……。私の名は彼には覚えられていなかったのです。だから私は宍戸某になりました。俺自身を納得させるために」
「そうか、知らん」
彼は途中で訳の分からん話をされて飽きてしまった。彼は額に乗った手にまた力を込めた。先ほどのとは違う、これはやり返し。
「これが俺の殺した分の仕返しだ。連れて行け、お前らを率いる者の下へ」
彼は冷たく目の前の鬼に言い放った。
宍戸と名乗る鬼が汗をボタボタと地面に向かって垂れ流している。
彼の手が離れると共に宍戸から鋭く大きな一本角が生え始めた。
一同は彼の力に恐怖し、頭を地に付けんばかりの勢いで平伏した。
それは彼からしてみれば見事な景色だった。触れてすらいないモノを恐れ慄かせてしまうこの力。その中には彼もまだ知らないが、そんな礼儀すら分からない頭の悪い餓鬼までもが周りと同じように彼に許しを乞うていた。
皆が彼の言いなりとなったのだ。
「大和、お前は必ず生きているだろう。俺は必ずお前を助け出してやるからな。例えお前が敵になったとしてもだ……。お前はきっと選ばれる、そしたら親友として一緒にこの世を終わらせよう」
彼は小さく呟いた。
彼の発言を聞き、宍戸を含めた鬼たちは皆身を震わせた。彼の姿が宍戸たちを率いている、あの老人の姿をした鬼と重なったのだ。
「相分かった」
宍戸は何百年も年下の男の顔色を窺いながらそう答えた。
——俺は今度こそお前を救ってやる。




