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アポカリプス Apocalypse   作者: 秦 元親
【第一章】終わりの始まり
21/104

【一章外伝】 流浪の柘榴

 戦火 陥落 逃亡 開城 敗北 敗北 敗北 殺意 功績 政府 敗北 敗北 幕府 法度 壬生 敗北九州 勝利。


                        勝利……。


 やっと掴めた勝利……。

 彼は一人、過去を想い耽る。


 雪を背負った果ての森の木々たち、一面の白銀世界。

 寒さに慣れていないと、芯をも凍らせる北国の冷たさに強いものではないと簡単に寒さに屈してしまう蝦夷の北風……。

 廃刀令が出たというのに腰から刀を下げ外套に身を包み、何時まで経っても慣れない最果ての地の寒さに身を振るさせながら男は歩いている。


 暦の上ではもうとっくに春が過ぎたというのに未だ雪が溶けていない大地の上を一匹の狼はそろりそろりと何かの目的の為に歩き続けている。

 ただ彼は歩き続ける。


 雪道に何故か見慣れぬ赤が紛れている……。

 

 よく見るとそれは池のように広がり、中心には雪の上に寝そべっている人々がいる。


 ポケットから一枚の紙を取り出し、刀の上を一通り滑らせた後に赤い紙を無造作に宙に投げる。

 彼らは皆この世界と同等に固く冷たくなり、景色と同化し始めている。

 彼らは身を動かそうにも動かすことが出来ない。

 何故なら彼らは皆等しく狼の鋭牙をその身に刻まれ絶命しているのだから。


 この狼は目の前に襲い来る人外のものなどどうでも良かった。いや逆に殺してしまう方が色々と厄介な問題ですらあった。


「こんなに死体を作っちまって後で上の人に怒られちまうな」

 彼はとある任務を受け、極秘でこの最果ての、数年前異国ですらあったこの地に来ている。

 書類上彼は東京で悠々自適に署に勤務していることになっているという。


「あー寒い、寒い、会津のあの寒さより何倍も寒いや」

 白い靄を吹き出しながら誰に向かってでもなくキモチを吐き捨てる。


 ――巡査部長と東京の署員に慕われているこの男は歴戦の猛者である。


 彼は彼かの幕末動乱の時代で誰よりも戦いに戦いを重ねて来た集団の一人。

 血を血で清めて来た人間の一人……。

 そんな男が最果ての地、蝦夷に極秘で派遣されているということは余程の事が起きていると容易に察することが出来るだろう。


 この仕事は彼にしか出来ない。

 いや彼の属した集団の同士でしか成し得ることが出来ない。

 彼が東京のお偉いさんの前で堂々と似たような意味合いの発言した。


 彼は昔懐かしい明確な標的への殺意を持ってここに来ている。彼はこの日限りはただの狼ではなく、過去の狼に戻る事を決断してここに来たのだ。


 ——狼は足を止めた。

 彼の戦場で鍛えられた勘が標的の出現を告げる。


「今度は誰が来たかと思ったら久しいな斎藤よ」

 だんらだら模様赤穂浪士の羽織……。これを見てそれを連想するものはごく限られた人間のみであろう。


 ——誠。


 此方を連想する者の方が多いだろう。

 一匹の狼の前に立ちはだかった者は嘗て狼たちを率いて来た狼。目の前の敵は最近では珍しくもなくなってきた西洋の服の上に未だにあの頃の羽織を着ているのだ。


      壬生の浪士。


そう、彼が殺さなければならないのはかつての上司。バラガキ、薬売り、剣客、新選組隊士、間道軍総督—— 鬼の副長


 彼の呼び名など幾つでも上がってくる。


「こちらこそあの会津での戦以来ですかな、副長」

「随分腑抜けたものだ斎藤一」

「鬼の副長と呼ばれていた貴方も遂に本物の鬼に成ってしまわれたのですね。土方歳三義豊ひじかたとしぞうよしとよ殿。それに今は私は藤田五郎と名乗っております故、以後お見知り置きを」

 斎藤と呼ばれたこの男、藤田五郎と名乗ったこの武士もののふ、彼も敵と同じ新選組の一員であった。彼も敵と同じく昼夜刀を取って薩長と戦い斬られ斬りつけられ修羅の果てを斬り抜けてきた。


斎藤の眼前に立ちはだかった鬼は大きな靄を吐き捨てる。


「一度だけ言っておく、俺達と共に来ないか斎藤」

 土方の羽織が風に靡なびく……。一触即発の戦場に、凍えてしまうような風が吹き荒れた。しかし今の斎藤にとってはそれももはやどうでもいい自然の摂理であった。


「今やこの剣明治の政府に捧げた身……。それに伊東甲子太郎いとうかしたろうの件を事を覚えておられるだろう?こんな私にそのような事を言ってもいいのかね?」

 それは正しく開戦の合図だ。

 互いの中で、互いの魂で、互いの刀でそれは斬って落とされた。刀と刀がぶつかり合い、火花を散らす。


 実力は互角……。


「お前のような犬に、あの戦争に最後まで殉じなかった者に俺が負ける訳が無いだろうが」

 刀身と刀身のぶつかり合いの後、斎藤の得意の突きが放たれる。


平突ひらづきか‼ しかし斎藤、それを誰が考案したか忘れる訳もあるまい」

 土方はひらりと身を躱し手薄になった斎藤へ刀を薙ぐ。

「私とて会津であの囲みを抜けた男だ、そんな簡単にはくたばりはしませんよ」

 体の捻りを効かせ敵の薙ぎを相殺。ただ彼はここで追撃の手を緩めるほど甘くはない。地を跳ね、敵目掛けて蹴りを入れる。


「やはり本当に鬼に成られたようですな」

 斎藤もかつての上司の最後の地での奮闘っぷりは多くの者から聞いている。土方が壮絶な討ち死にをこの地で遂げたことも。


 しかし今まではそんな実感が中々湧いてこなかった、伝え聞くだけでは土方歳三が死んでしまったということがどうしても想像できなかったのだ。

 実はどこかで生きていて、人間のまま政府に向かって馬鹿やろうとしているのではないか……。人間として生きている、まだまだそれは今の現実に比べればとても安易で現実的な最良の妄想でしかない。

 斎藤にも何処かにそんな生きているのではないかという気持ちがあった。


 ——しかし、彼は京で鬼と手を組んだ薩長を相手に……。鳥羽・伏見で武装した鬼を相手に…、会津で近代の武器を使う人と鬼の剣客隊を相手に、九州で政府に取り立てられず不満を持った士族と鬼を相手に殺し合いを続けて来た者だ。


蹴りを入れた瞬間に理解した。異様なまでの硬さに……。

かつての副長はもう今やもう人間であるかつての仲間たちが相手にして来た鬼となってしまっているのだ。

 目の前の敵はもはや人ではない、奇跡的にあの戦争を生き延びた人間ではない。

 蹴りの力を使い斎藤は間合いの外へと出る。


「副長こそ明治政府で働く気はないのですか? 維新政府と鬼は協力関係にあるのですし、きっといい役職が与えられますよ」

 昔から人一倍強かった副長独特の剣幕が解放される。しかも昔とはもはや比べ物にならない、新兵なら失禁し気絶してしまいそうな強く悍ましい剣幕。


「何をほざく裏切り者の斎藤め。近藤さん……。局長を殺した、新選組を俺たちを壊した新政府に下れだと? 政府に敵対してきた新選組の武士ぶしだぞ俺は、敵に下る位なら腹を切って死んだ方がましだ」

 土方の言葉が斎藤の触れてはならない部分に突き刺さった。


 ——斎藤は静かに、悟られない様に明確な殺意を過去に尊敬していたものふに向けた。


「私も新選組の武士ぶしだ。しかしそれよりもっと前に会津藩の、容保かたもり公の武士もののふである。例え心を新選組に置いていようと、我が身、この首は生まれ落ちたこの瞬間からもう会津に捧げている」

土方は小さく息を吐いた。


「そうか……。ようやく納得した。お前ほどの忠義の臣が何故新選組隊士の名を捨ててまで、奴らの中に間者として潜り込めたかが。つまりはそうか、お前はあの時から真に命を懸ける存在が決まっていたと……。我々新選組はそう足り得なかったと」

 斎藤は静かに頷いた。その瞬間敵の目から稲妻のような鋭い視線が浴びせられた。


「私のやってきたことは全てが会津藩の為だ。だから禁忌を犯した仲間も、昨日までは背中を預けられていた者も、容易くこの手で葬り去る事が出来た。全ては主君の為だ」

鉄と鉄が触れ合い甲高い音を上げる。掛け違えた魂と魂が、食い違う意地と意地が一振り一振りに乗せられては衝突のたびに弾かれる。


「主君が政府に下ると申したら異論を唱えず我々家臣も政府に下り、主君の汚名を晴らすために陰ながら行動するのが侍なのでは無いのか? それこそが武士道ではないのか?」

 剣越しにも土方の力が伝わってくる。今までで一番強い力……。


「俺だってそうしたかったよ‼ 俺が剣を捧げた主君は大阪城から逃亡し、俺が文字通り命を捧げたもう一人の主君はどうだ!? 俺があの戦場の死骸から鬼に身を売り化け物になってまでも、最期の最後まで主君の為に戦おうとはせ参じた時……」


森中に……。蝦夷中に……。


「城は開城してやがった。しかもあいつは責任すら取らずに逆に政府の人間に助命嘆願までされたそうじゃないか」

 悠々自適に生活をしている将軍の耳に……。政府の官僚と共に働いている人間の鼓膜に一人の鬼の涙無き魂の慟哭は響き渡った。


「百戦百敗の無敵の軍隊……。貴方は一度たりとも戦で勝ったことすら無い。だが私は違う」

 土方の眼が見開き、落雷にも見劣りしない剣檄が振り下ろされる。


「私は貴方と違って、百戦百敗一勝の武人だ。貴方とは違う……。私は勝利を経験している。九州で、鹿児島で、肥後で、薩摩で」


「たかが一勝だろうが……。所詮はお前も俺と同じ古き時代の敗残兵なんだよ」

 斎藤の突きが土方の肩を掠める。


「士道シドウニ背ソムキ間敷事アルマジキコト。貴方は私の士道に背いている。貴方は榎本えのもと殿に付き従うべきだったんだよ、だが貴方はそれが出来なかった。命を捧げた主君に付き従っていない時点でこれが執行される、新選組副長・土方歳三、お前は士道不覚悟により新選組三番隊組長斎藤一が粛正する」

 斎藤は今まで生きてきた中で一番輝いていた。命を燃やし、感情を爆発させ彼は彼の成すことの為に昔の狼に舞い戻りかつての規則を適用させた。

 剣と剣、剣技と剣技の応酬の死合い……。

 同じ流派、同じ手の内、同じ狼同士……。


 剣が弾かれたとみるや、土方は何も持たない手をこちらに向けた。

 斎藤の中で、あの京で鍛え上げられた機器察知能力が何かを告げる。

 土方の手から突如として見覚えのある小銃が現れ、銃口が斎藤の腹を見つめている。


「洋服は着ているのに、此奴には否定的だとでも思っていたか? 俺は此奴に殺された、それ故これは評価に値すると」

 斎藤は剣を銃口に向けて払おうとするが……。手の内に衝撃が伝わってくる。


「これもまた鍛えれば道となる」

 斎藤の剣は土方によって迎撃され弾き飛ばされていた。


「それが貴方の切り札ですか? ならば……」


 バーン!


 銃声が周囲に響き渡ると共に銃口からは煙が立ち上がる。

 ——結論から言ってしまおう。銃口から発射された弾は誰一人の血を見ることなく、白い世界へと消えていった。

 斎藤の秘策である刀剣が土方の小銃の刀身と叩き、銃口をその身から反らしたのだ。


「和泉守兼定、随分と嬉しい演出をしてくれるじゃないか」

  土方が嬉しそうに声を上げる。斎藤にとっては彼の嘗ての副長の剣を、土方にとっては自信の愛刀。


「私の神器じゃ少々神の祝福が欠けていて、この剣のように何もないところから出し入れが出来ないので、貴方の愛刀を使わせて貰いましたよ」

斎藤はいつの間にか大物二差しの二刀になっていた。そう、斎藤の切り札とはこの剣による奇襲……。しかしそれは失敗に終わった。

彼は彼の命を守る為に、敵の命を絶つために用意していたカードを切ってしまったのだ。


「これは貴方が知らないであろう話ですね。貴方が去った数年後九州で大きな戦が起こったんです。鉄砲を大量に使ってくる敵ばかり、そんなところで私たちは己の刀で戦功を捥ぎ取り勝利を掴んだのですよ、貴方と違って……。鳥羽伏見、会津、九州、いくらでもそれを使う敵を叩き斬ってきました。もうそれの対処ぐらいは造作もなくできます」

土方はしんみりと白い息を吹き出す。悲しさそして失望、彼はもうあの頃の仲間ではなくなっていた、狼ではあるが壬生の狼ではない……。


「お前が犬ではないということは分かった。いや俺がそう思いたいだけであった。確かにお前は昔からわざと無能に見せようと振る舞っている節はあったな。俺に油断させるつもりだったのか。そうか、認めてやる狼のお前は自分が犬だと俺を欺くことが出来ていた、怒るまではな」

 斎藤は両手の剣の柄を握りしめる。左利きを矯正した両利きの斎藤でしか出来ない二刀流、土方の知らない剣の運びが出来る……。


「隠していても分かるぞお前は今怒りで身を埋めている。お前特有の冷め切った心の中でしか燃え上がる事の出来ない怒りで」

 土方は半歩片足を前に押し出す。

 突撃の合図……。そしてこれが多分最後のぶつかり合いになるだろう、斎藤はそう確信していた。


「確かにお前は狼だ。だがもう壬生の狼ではない」

 土方が大きく体を前に押した……。

 途端斎藤は意識を失った。斎藤の心に眠る壬生の狼の本能を呼び覚ましたのだ。斎藤は意識など全くしていない、いわば無意識、本能に任せての行動……。


 土方の声が勝手に脳内で流される、ただ彼にはその声すらも聞こえてはいない。

「一対一で戦う新選……」

 そう、体が勝手に後ろに動いてしまったのだ。

 自分に迫る危機。それを乗り越えて初めてその存在に気が付く。


「チッ、シクジッテシマッタ……。トシ……」

 急に飛び出してきた蝦夷の原住民と思わしき男の鬼は土方の方を見て驚きの声を上げる。


「組があるぐぁあ」

 土方の横っ腹を雪の中から突如姿を現した男が引き裂いた。

 土方が斬られた腹を押さえながら雪に膝をつく。


「永倉……。どうしてお前が」

 永倉と呼ばれた男は口を釣上げ笑みを見せる。


「お誘いがあってね、かつての仲間から」

 男は土方の命を立とうと剣を下段に構える。


「サセヌゾ」

このアイヌの鬼は土方の助太刀に向かおうとするが斎藤の剣に阻まれる。

「やってることはどちらも同じ、さぁ副長貴方の負けだ……。ただ、貴方の思っている以上に斎藤は新選組に心を置き続けていたみたいですね。貴方が敵を新選組だと認めていたならこんな事にはならなかったでしょう」

 土方の救援は無理と見たか、アイヌの鬼は日本語とは程遠いどこかの国の言葉を呪文のように呟き始める。


 何かが来る……。斎藤にも永倉にも奇妙な術や能力を使用する鬼と戦った事がある。


 ——それと同じ香りがする。


「永倉ぁ……」

 何処からともなく現れた熊が永倉に向かって突進する。北海道で最も強く恐ろしく勇猛で猛々しい生物。

 原住民はこの生物の事を神と同一視さえしているようだ。


「トシイッテタ、テキトタタカウトキハ、カナラズニンズウデウエヲトレト」

 それは本土で暮らしてきた斎藤や永倉には全く馴染みのないモノの襲来であった。


——チッ。


 永倉は自然と襲い来る熊の突進を回避していた。

 永倉は自分のその身を見たことも無い大きさの熊にくれてやる覚悟さえあれば、副長を討つことが出来た。しかし彼ももはや一匹狼ではない。

家族も愛を誓った者もいる……。

京の頃の独り身の狼の彼ならば躊躇わずに土方を狩り潰していた。


「シャクシャインっ、貴様何をしてやがる……。俺はまだ戦えるぞ」


土方は怒鳴り声を上げた。誰が見ても腸をぶら下げた土方がこれ以上の戦闘が出来るとは思わない。

そうか、副長は政府に復讐をしたい訳では無い。死に場所を探しているのだ、と新選組の面々は悟ったのだ。


——壬生の狼としての死に場所を。鬼としての振り下ろせなかった拳を振り下ろせる戦場を、自分を敗北に追いやってくれる男を……。彼は探しているようだ。


気が付いたら周りに何体もの巨大な熊いる。

「囲まれたか。熊数匹にあの時の会津で戦った兵士百人分を重ねてしまうとは。全く維新軍の彼らが浮かばれねぇな」

 眼の前に立ちはだかる熊に向かって斎藤はそう独り言のように呟いた。


「トシ、オマエガサソッテキタコトダロ、オマエニハマダマダイキテモラワナケレバコマル。ワレワレガコキョウヲトリモドスマデハ」

 タダでさえデカい熊の中でも一際デカい熊に乗った沙牟奢允しゃくしゃいんは倒れている土方を回収して去って行こうとしている。


「まて待てよ、まだ勝負はついていないぞ」

 永倉は小さくなっていく熊に向かって咆哮を上げた。


グガアァ!


殿に残った熊が永倉に負けじと雄たけびを挙げ、襲い掛かってくる。

「熊の癖にいっちょ前に俺達の戦法を使いやがって」

 永倉と斎藤の背中がぴたりとくっつく。彼らは幾たびもこうして修羅場を斬りぬけてきた。


「じゃあ、ここで死ぬか?」

「馬鹿言え、俺には家族がいる。倅だっている。剣の才もない新たなる世の子だが可愛く見えるもんだぜ」

永倉が刀を構えながらそう呟いた。


「俺もだ……」

「まさかお前にも家族が出来るとは世の中ってのは物好きもいるもんだな」

 永倉が軽口を叩く。

 斎藤は背中合わせになっている永倉の背中を軽くこつく。


「なぁ永倉、狼と熊ってどっちが強いと思うか?」

 男たちの背中が段々と離れていく。狼たちは目の前の獲物に目標を定めると、その牙を深く、深くまで刻み付けていく。


「そりゃぁ、普通は熊でしょう……。だが壬生の狼はまた別だ」


-----------------------


 二人の男が茶屋の席を囲んでいる。

「今日でもうお帰りになられるのですか藤田巡査部長殿」

 杉村と名乗る男が呟いた。

「ああ俺がここに来ているのはあくまで極秘だからな。そう長居も出来ん」

「そうか……」

杉村には体の何処かから込み上げてくるモノが有る。杉森には分かった。この藤田と顔を合わせ、話すことが出来るのが今日で最後だと……。今生の別れになるということが。


生きてきて極稀に見る、【死】以外での正面にいる仲間との別れ。

生きていればまた会えることもある。そんなものはまやかしだ、もう此奴とは二度と糸が絡み合うことはない。二度と……。

 友の前で涙などあってなるものか。

 泣いてしまいそうで正直やばい、そんな気持ちを押さえながら藤田の方に目を向ける。流石は共に死地を超えて来た仲間だ、杉村は顔を見ただけで藤田の心境を察した。


 ——どうやら悲しんでいるのは俺だけじゃなさそうだな、それと……。


「何か言いたい事があるんじゃないですか? 藤田さん」

 杉村には分かってしまった。迷いがあっては戦場では命取りとなる、だから彼らは過敏なほどにそういったことに聡かった。

 杉村は俯きかがらも何か言いたそうにしている藤田にそれを切り出す機会を与えた。


「杉村、いや永倉お願いがある……」

机を見つめている斎藤がおずおずと話を切り出した。杉村は静かに頷く。これからどんなことを言われても杉村にはそれにうんと言う覚悟があった。

いや杉村には大体分かっていた藤田の話す内容が。


「俺たちはをあの鬼をこの世に残してしまった。政府の人間は俺を罰することはないであろう、しかしこれは後世の人間にをあのとんでもない化け物残してしまった自分への罰だ。必ずあいつは今よりも確実にこの地を落すことが出来る、地獄に変えられる軍勢を率いて攻めてくるだろう。例え百年掛かろうが、二百年掛かろうが、薩長が戦国以来の恨み辛みを抱え続け、幕府を落した様に必ず奴はまたこの地に現れる。今回はそんな自分への罰だ」

 依然として斎藤は俯いたままであった。


「ああそうでしょうね、平助や井上卿のようや傷を負っても無事生きて帰ってくる人間がいるのですから、鬼である副長はあのような軽い手傷でくたばったとは思えないな」

永倉もこのことは薄々予感していた。今回は原住民の鬼という、小規模な一揆程度の兵力だったが、次はそうはいかない……。


必ず奴はこの地に現れる、だがその時は自分が死んだ頃であろう。若い者たちにとんでもないものを残してしまった、彼は後悔しても後悔しきれないほどの自責の念に駆られている。

壬生の狼は壬生の狼でしか倒せない、藤田が東京のお偉いさんの前で言った言葉らしい。だがもう壬生の狼は絶滅寸前。

 

 果たして今でさえ侍というものの概念が無くなりつつある日本に壬生の狼を超える者は生まれてくるのか……。

後世の人間達には本当に申し訳なく、恨まれても仕方がないような気がした。今はまだ表沙汰になっていないが、俺は俺の家名にに拭えない泥を塗ってしまった。

 許せ、まだ見ぬ子孫たち彼は心の中でまだ見ぬこれからの世代を担っていく者達に深々とお詫びをした。

永倉は中々この先の話を切り出さない斎藤を置いてそんな事に思い耽っていた。


「今回この地で共に剣を振るったのも、昔お前と共に木刀を振るったのも全てを無かったことにしていただきたい」

友から切り出された決別の言葉……。大方予想は出来ていた、だがいざ言われてみると本当に辛い事である。そして、勝手な事でもある。

自分なりに俺にまで災いを飛び火させてしまった贖罪の積りなのであろうか……。確かに俺の協力は政府の機密の文章にも残らない。本当に勝手な男だ藤田五郎、せっかく人が一族郎党汚名を共に着てやろうと決断したところなのに、お前ひとりで全ての悪名を背負おうなんざ、本当に勝手な男だ斎藤一、彼は心の中でそう一人想い永倉の涙が数滴机を濡らした。


「分かったよ、藤田君。私はこれから斎藤一という人物とは一度も話したことも無いと言い続けるよ。だから君も永倉新八という男とは関わったことが無いと言い続けろ、それが俺への罰だ」

 斎藤も同様に机を涙で濡らしていた。


「元気でな斎藤」

 斎藤をしっかりと見て永倉が呟いた。

「ああ永倉、お前こそ」

 斎藤が俯いていた顔を上げ永倉の顔を見てしっかりと返事をするのだ。

「ああ俺はまだ死ねんよ。まだまだ食べたい西洋菓子がたくさんあってなぁ」  

 斎藤は友である永倉の最後の軽口に笑ってしまった。


 ――泣いている。此奴新選組の癖して仲間が死んでないのにまぁだ泣いている。

お互いが顔を見合わせ思ったことであった。


出会いもあれば別れもある……。しかし彼らの別れとは死という一方的な形での別れだった。

彼らの別れはいつも戦場でだ。

彼らは彼らの集団から脱退することが許されてはいない……。彼らは一方的に生きての別れを拒み処刑台に立たせるまで、仲間を死という形での別れにするまで迷わず追い回してくる。



ここで背を向けても追ってくることなどまずない、そんな不思議な気持ち……。

背中を預け合った者との生きての別れとは彼らの歪み切った全うな価値観からはまず今までにはない事だった。


 二匹の狼がお互いに認め合う中でただの狼に戻った瞬間。

 藤田が去った机の上には手紙と堀川国広が置かれていた。



-----------------------


 俺は負けてしまっつた。

 また俺は負けてしまった。

 勝てぬ戦……。 勝つことの出来ぬ戦。

  敗北。

  敗戦。

 勝ちとはどういったものなのだ……。勝利とはどんなものなのだ?


 勝ってみたい……。


 朦朧とする意識の中で彼はそんな事を思っていた。しかし、彼にも意地があった、いや彼はそれの塊なのだ。

 薩長の下についている鬼と協力すれば、薩長に不満を持った残兵と協力すれば、戊辰戦争の敗残兵を仲間に加えれば……。


 ――否そこまでの事をして勝っても意味がない。彼を含めて彼の戦争での幕府軍の不甲斐無さは彼が一番知っていた。

だから彼はそのどの条件すら当てはまっていない、北の戦士たちと手を結んだ。

……しかし彼らでは彼の望む勝利を得るには兵力が足りない……。

 だが奴らでは駄目だ。


 もっと強く、気高く侍らしい奴らとしか、そう彼が憧れを抱き続けた侍たちでしか、彼はきっと仲間と呼べないだろう。


「ココハドコダ?」

 彼の相棒が急に驚いた声を上げる。白銀に包まれた世界が消え、なにか薄暗い荒野に土方とシャクシャインとその供は転送させられた。


「勝ちたいか? 土方よ……」

 今まで見た事も無いような物凄い存在感を放つ何かが二人の前に立った。

「もう一度問おう、敗北ばかりであったお前の戦歴に勝ちを刻みたいか? 土方よ」

 此奴はどこかの国の王だな、悔しいが近藤さんよりもその素質を持っている……。傷口を押さえながら土方はそんな事を予感した。

「オマエハ」

 土方の相棒が目の前の鬼に問いかけた。


「我は鬼の王。我こそが人の恐れ慄く厄災の一つ、禍の真の姿。そしてこの神に支配された人々に救いをもたらし、神の世に終焉を告げるモノなり」

 目の前の男はそう言い放った。二人とも全く彼の言っていることが分からなかった。


「土方よ、お前は選ばれた。お主の力我の下で使ってみる気はないか? もしその気があるならその刀、その魂、その忠義を我に差し出せ……」

 土方の乗っていた熊が突如として暴れ出す。

「ナンダカワカラナイガ、オレハハンタイダ。オレノモクテキハコキョウヲトリモドスコトダ。オマエノワケノワカラナイモウゲンニツキアッテイルヒマナドナイ」

 シャクシャインは腹を押さえて身を丸くしている土方を掴み熊から飛び降りた。

  熊は主命に従い、目の前の鬼をその巨大な爪で叩き殺そうと……。


 引き絞られる弦の音、空を斬り裂き音を上げる矢……。

 気が付いたら熊が血を噴き上げ目潰しを喰らい、同時に放たれた幾本物もの矢をその身に突き立て絶命していた。

「馬鹿な……」

 その矢は幾度も矢を躱して来た土方ですら視界に捉えることが出来なかった。

「バカナ……」

 その矢は狩猟者であるアイヌの民ですら放つことのできない驚くべき速さの矢……。二人は言葉を失った、絶句。


「よせ、八郎」

 目の前の男は顔色一つ変えずに呟いた。

「はっ……」

  いつの間にか自分たちにも照準を向けられていた……。八郎と呼ばれた男は静かに矢を納める。

 土方は惚れてしまった、一目惚れだその武に……。

 傷口から手を放し土方は差していた刀を全て地面に置き平伏した。相棒であるシャクシャインも土方と同様に平伏した。

「土方義豊歳三これより俺は貴方の幕下に加わります」

「同じくシャクシャインも」

 目の前の男は嬉しそうに笑った。

「そろそろだな、あと百年ちょっと…。それで全てが変わる、それで我の願いが叶う」

 待っていろよ神々、数千年溜め込んだ怒りの拳を一気に叩き付けてやる。

 名乗りすらしない鬼の王である男は心の中でそう呟いた。


-----------------------


「北方将軍、オイ北方将軍……。ドウシタ」

 敗北 勝利 敗北 勝利 勝利……。


「トシ」

ゴツゴツとした男の鍛えられた掌が羽織越しに北方将軍の肩に触れられた。


「ああ済まない……。ちと昔の事を思い出していた」

 北方将軍の長年の相棒ももはや自分の主が何を考えているのか容易に察することが出来た。

「イルトイイナ。オ前ノ生キタ時代ヨリモオ前ヲ楽シマセテクレル武士モノノフガ」

 これから戦うのは刀を捨てて……。侍が完全に絶滅した後に生まれた人間達の子孫。侍の子孫というものの、戦の一つ、刀の一つも握った事の無い貧弱な者ばかり。

戦無き時代の平和に浸かってしまった人間達ばかり。

「これは一方的な殲滅戦になるぞ」

 北方将軍と鬼たちから慕われている男が相棒に向かって話した。

「ナラバ何故、函館ナドネラウ。ナゼコンナ函館ナンカニ本軍ヲオク。皆デ札幌ヲ攻メレバイイデハナイカ」

 確かに此奴の言うことは一理ばかりか、正論である。しかし彼は函館のとある場所を落したかったのである。彼自身の手で……。それがかつての面影を残していなくても。


「済まながこれに付き合ってくれ」

 彼はそこを落さずには前に進めない。これは彼の完全なる私戦である。彼と共に百年近く行動してきた相棒はすぐさま彼の心境を察した。

「ソウダナ。遅カレ早カレココモ落サナケラバナラナイ」

 異論はあるものの彼は彼の慕う主の私戦に付き合うことにしたのだ。彼はかつて政府が砲台を置いた山から街の様子を見渡した。

「今度は俺が維新軍となる」

 彼はニヤリと笑った、傲慢で不遜で自信に満ち溢れた。耐えてきた拳を振り下ろせる、忍びに偲んだ復讐が今成就するのだ。


「総員出陣、目につくものは全て敵だ。殺せ殺せ、殺し続けろ。今こそがお前らの無念を晴らす時だ」

 鬼たちの鬨の声が北海道中に響いた。



二〇一六年 一月 十七日 日曜日 一時六分


北海道にある何処かの時計の針が時刻を告げていた。


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