第9話:二枚目
2ndシングルの制作が始まったのは、デビューから二ヶ月ほど経った頃だった。
新曲のコンセプトは、デビュー曲よりも、少しだけ大人びたイメージだと聞いていた。翼は、その説明を聞きながら、自分たちがどんな衣装で、どんな振り付けを踊ることになるのか、まだ想像がつかずにいた。
「今度も、私がセンターなんですね」
フォーメーション発表の場で、白峰は、静かにそう確認した。
「はい。今回も白峰さんにお願いします」
プロデューサーの言葉に、白峰は小さく頷いた。
その声には、驚きも、戸惑いもなかった。ただ、事実を淡々と受け止める、いつもの静けさがあった。
雨月翼は、自分の名前を、今回も後列に見つけた。黒瀬の名前も、同じく後列にある。
驚きはなかった。むしろ、当然のことのように、翼はその配置を受け止めていた。
一枚目のときのような、期待と落胆が入り混じった複雑な感情は、もうなかった。今の自分の立ち位置を、翼は、静かに受け入れられるようになっていた。
それでも、心のどこかには、小さな期待があった。
1stシングルがオリコン一位を獲ったことで、2ndへの期待値は、自然と高くなっていた。スタッフの間でも、「今度はもっと」という空気が漂っている。
その期待に応えられるだろうか。
翼は、まだ見ぬ結果を思いながら、小さな不安を抱えていた。
*
1stシングルのときと、明らかに違うことが一つあった。
振り入れの速さだった。
「今日で、もう完璧に覚えたね」
振付師の舞坂蘭が、驚いたように目を見開いた。
「あら、あなたたち、ちょっと見ない間に、ずいぶん逞しくなったじゃない」
蘭は、そう言いながら、満足げに頷いた。1stのときは、この振り付けを覚えるのに、何日もかかった記憶がある。
今回は、初回のレッスンだけで、大まかな流れをほとんど掴めていた。
「みんな、上達してる」
黒瀬も、隣でそう呟いた。
「うん。前は、何度も止まってたのに」
「今日、一回も止まらなかったよね」
二人は、顔を見合わせて、少しだけ笑った。
「じゃあ、今日はここまで」
舞坂蘭が、そう言ってレッスンを締めくくろうとした、そのときだった。
「あの、もう一回、通してもいいですか?」
美咲が、蘭に向かって、そう申し出た。
「あら、珍しいこと言うじゃない」
「せっかく揃ったので、感覚を忘れないうちに」
美咲の言葉に、蘭は、少し驚いたように目を見開いた。
「私も、もう一回やりたい」
黒瀬が、そう続けた。
1stの頃なら、疲れ切って、誰よりも早く「もう無理」と言っていたはずの黒瀬だった。
その変化に、翼は、思わず黒瀬の横顔を見た。
「じゃあ、やってみようか」
蘭が、面白そうに頷いた。
もう一度、曲が流れ出す。
誰も乱れることなく、隊列は、最初から最後まで、綺麗に通った。
「……できた」
誰かが、小さく呟いた。
それは、誰か一人の力ではなかった。
十一人全員が、それぞれの場所で、当たり前のようにできるようになったことの証だった。
翼は、その光景を見ながら、ふと気づいた。
1stの頃、翼はいつも、白峰の背中ばかりを見ていた。
今は、違う。
隣にも、前にも、後ろにも、見るべき人がいる。
振り入れを終えたあと、スタッフが、完成した音源を初めて聴かせてくれた。
スピーカーから流れ出したメロディは、デビュー曲より落ち着いたテンポで、サビに向かって静かに盛り上がっていく構成だった。
「私たちの成長に合わせて、曲調も選んでくれたみたいですね」
美咲が、そう言った。
「デビュー当初の私たちには、この曲は歌えなかったかもしれない」
白峰が、静かに呟いた。
翼にも、同じ感覚があった。デビュー曲の弾けるような明るさとは違う、少し大人びた歌詞とメロディ。今の自分たちだからこそ、歌える曲のように感じられた。
歌唱レッスンでも、同じことが言えた。才賀奏の圧倒的な歌唱力は相変わらずだったが、それ以外のメンバーの声量、音程の安定感も、明らかに底上げされていた。
黒瀬の声も、以前より力強くなっていた。
「黒瀬さん、声、前より通るようになりましたね」
ボイストレーナーの音羽薫が、目を細めながら言った。
「震えなくなった。それだけで、ずいぶん印象が変わるものよ」
「なんで震えがなくなると、印象が変わるんですか?」
翼が尋ねると、薫は少し嬉しそうに答えた。
「声帯が緊張してると、余計な振動が混ざるの。リラックスすると、その振動が減って、音程がまっすぐ届くようになる。人間の耳は、まっすぐな音の方を、自然と『安定してる』って感じるのよ」
「へえ……」
「緊張は、悪いことじゃないの。でも、声に出さない練習も、大事ってこと」
黒瀬は、少しだけ照れくさそうにした。
*
発売週には、CDショップでのミニイベントも組まれていた。
1stのときよりも、招待された店舗の数は増えていた。それでも、まだ大規模な展開とは言えない、地道な活動だった。
「今日は、握手会とサイン会だって」
千里が、スケジュール表を確認しながら言った。
「サイン、まだちょっと下手だから緊張する」
「私も。練習しといたのに、いざとなると震える」
理沙が、そう言いながら、小さくため息をついた。
「今日の会場、静岡だっけ」
千里が、地図アプリを覗きながら言う。
「お土産、絶対お茶になるやつだね」
桃花が、笑いながら言った。
それでも、店頭に立つと、想像していたよりも多くの人が、列を作って待っていてくれた。
翼の前に立った一人の男性が、少し緊張した様子で言った。
「1stシングルから応援してます。あの、後列でも、いつも目で追ってました」
「ありがとうございます……!」
翼は、思わず声を弾ませた。
「今日、また会えて嬉しいです」
「はい……! また来てください」
短いやり取りだったが、翼の胸には、確かな熱が残った。
「1stのときより、並んでくれる人、多い気がする」
翼が呟くと、隣の桃花が、大きく頷いた。
「うん! 絶対、増えてる!」
小さな変化ではあった。それでも、その積み重ねが、確かな手応えとなって、十一人の中に蓄積されていった。
*
2ndシングルの発売から一週間後、控室にスタッフが集まり、売上の報告があった。
「1stを、上回りました」
その言葉に、控室がわっと沸いた。
「本当ですか!」
桃花が、真っ先に声を上げる。
「大ヒット、というほどではないですが、着実に数字は伸びています」
スタッフの言葉には、控えめながらも、確かな手応えが滲んでいた。
「私たち、ちゃんと前に進んでるんだ」
誰かが、そう呟いた。
翼にも、同じ実感があった。
スタッフが続けて説明した。
「オリコンの初動も、1stより伸びています。あと、配信ランキングも、前回より高い順位でスタートできました」
その一言に、玲香が反応した。
「配信も上がったんですか?」
「はい。少しずつですが」
「じゃあ、ちゃんと聴いてくれる人も増えてるってことですよね」
玲香の声には、隠しきれない嬉しさがあった。あの日、寮でランキングを覗き込んでいた玲香の姿を、翼はふと思い出した。
少し離れた場所では、陽菜が、みんなの反応を見ながら、嬉しそうに手を叩いていた。
「みんな、頑張った甲斐があったね!」
陽菜の明るい声に、控室の空気が、さらに和んだ。
その隣で、灰原楓が、静かにノートに「2ndシングル、オリコン初動UP」と書き込んでいるのが見えた。
「楓、また記録してるの?」
「うん。数字は、あとで振り返るときの目印になるから」
楓の静かな言葉に、翼は、小さく頷いた。
*
その夜、寮に戻ってから、翼は自室で、1stシングルと2ndシングルのジャケットを並べてみた。
写真の中の自分は、どちらも笑っている。それでも、よく見ると、少しだけ表情が違う気がした。
1stのときは、緊張と高揚が入り混じった顔。
2ndのときは、その緊張の中に、少しだけ落ち着きが混ざっている。
派手な変化ではない。誰かに気づかれるような違いでもない。
それでも、確かに、翼たちは前に進んでいた。
センターは、今回も白峰だった。翼と黒瀬は、今回も後列だった。
配置は、何一つ変わっていない。
それでも、そこに立つ十一人は、一枚目のときとは、確かに違う十一人になっていた。




