第12話:白峰だけのグループ
休みの日、雨月翼は、黒瀬と二人で、近所のカフェに向かっていた。
テレビ出演から一ヶ月ほど経ち、街を歩いていても、ごく稀に視線を感じることが増えていた。それでも、まだ「気づかれる」というよりは、「見覚えがある気がする」程度のものだった。
二人は、いつものように、私服姿で街を歩いていた。誰かに気づかれることを警戒するというより、まだそんな段階には至っていない、という気安さがあった。
「今日、何飲む?」
「まだ決めてない」
他愛のない会話をしながら、二人は、カフェの前の道で信号待ちをしていた。
すぐ後ろに、若い女性の二人組が立っていた。
「この前さ、暁ノ柱ってグループのライブ行ってきたんだけど」
「あー、聞いたことある。白峰美鈴のグループでしょ」
「そうそう。他の子知らないんだけど、白峰さん可愛かったー」
「結局、白峰だけだよね、知られてるの」
何気ない会話だった。悪意は、どこにもなかった。
それでも、翼の胸に、その言葉は深く刺さった。
黒瀬も、隣で言葉を失っていた。
信号が変わり、女性たちは、翼たちの横をすり抜けて歩いていった。翼たちの顔には、気づいていない様子だった。
その直後、駅前の大型ビジョンに、白峰の姿が映し出された。
化粧品のCMだった。白峰一人が、画面いっぱいに笑っている。
道行く人が、何人か足を止めて、その画面を見上げていた。
「あの子、可愛いね」
「CMの子だ」
誰も、それが暁ノ柱というグループの一員だとは、気づいていない様子だった。
翼は、その光景を、黒瀬と並んで、黙って見上げていた。
同じ十一人のはずなのに、街はこんなにも簡単に、白峰だけを見つけてしまう。
その事実が、翼の胸に、じわりと重くのしかかった。
*
「……聞こえたよね」
カフェの席に着いてから、黒瀬が小さく言った。
「うん」
「白峰さんだけのグループ、か」
黒瀬の声には、怒りよりも、諦めに近い響きがあった。
ふと、翼は、店内の雑誌ラックに目をやった。
その中の一冊、表紙を飾っていたのは、白峰だった。
カウンターの奥に設置された小さなテレビからは、さっき街頭ビジョンで見たのと同じ、白峰のCMが流れていた。
「……なんか、逃げられない気がしてきた」
黒瀬が、力なく笑った。
翼は、なんとなく、スマートフォンを取り出した。
「暁ノ柱」と検索すると、候補の欄に、いくつかの言葉が並んだ。
「暁ノ柱 白峰美鈴」
「暁ノ柱 センター」
「暁ノ柱 白峰」
自分の名前は、候補のどこにもなかった。
黒瀬も、同じように、自分の名前で検索してみたようだった。
画面をしばらく見つめたあと、黒瀬は、静かにスマートフォンを伏せた。
「私、暁ノ柱なのに」
その一言に、翼は、何も答えられなかった。
黒瀬も、それ以上、何も言わなかった。
二人の間に、しばらく、沈黙だけが流れた。
「これから、どうしたらいいと思う?」
翼が、そっと尋ねた。
「分からない」
黒瀬は、正直にそう答えた。
「でも」
少し間を置いて、黒瀬は続けた。
「もっと頑張らないと、とは思う」
その言葉には、以前のような投げやりさはなかった。
白峰の丁寧な物腰、誰かに何かをしてもらったときの律儀な礼、そして、レッスン後の誰も見ていない場所での自主練。
翼は、白峰という人の輪郭を、改めて思い浮かべた。
白峰を責める理由は、どこにもない。
それなら、自分たちにできることは、一つしかなかった。
もっと知られる努力をすること。
もっと、白峰の隣に並べるだけの何かを、見つけること。
*
その夜、翼は、なかなか眠りにつけなかった。
白峰だけのグループ、という言葉が、頭の中で何度も繰り返されていた。
それでも、翼の中に、白峰への嫉妬はなかった。
あるのは、自分自身への、静かな苛立ちだけだった。
――もっと、知ってもらわないと。
隣のベッドでは、同室の楓が、まだ起きているようだった。
「楓も、眠れないの?」
「うん、ちょっと」
楓は、そう言いながら、ノートを閉じた。
「今日のこと、書いてたの?」
「うん。検索候補のことも」
翼は、少し驚いた。
「それも、記録に残すんだ」
「悔しい記録も、いつか意味を持つと思うから」
楓の静かな言葉に、翼は、小さく頷いた。
今は、まだ悔しいだけの記録だった。それでも、いつか、この夜のことを、違う気持ちで思い出せる日が来るかもしれない。
この小さな亀裂が、いつか、もっと大きな形になって、自分たちの前に立ちはだかることになるとは、この夜の翼には、まだ知る由もなかった。
その思いだけを抱えたまま、翼は、ゆっくりと眠りに落ちていった。




