第11話:テレビの向こう側
3rdシングルの発売にあわせて、初めての音楽番組出演が決まった。
「テレビって、本当に映るの?」
控室で、桃花が何度目かの質問を繰り返した。
「映るよ、テレビ番組だもん」
玲香が、苦笑いしながら答える。
「分かってるけど! なんか実感が!」
雨月翼にも、同じ実感のなさがあった。スタジオのセット、飛び交うスタッフの声、目の前を通り過ぎる見覚えのある芸能人。すべてが、テレビの向こう側の出来事だと思っていた。
「音楽番組って、実際に流れる時間より、撮影時間の方が全然長いんだよ」
玲香が、そう教えてくれた。
「そうなの?」
「うん。カメラの角度変えたり、やり直したりするから。今日流れるのは三分くらいだけど、収録自体は何時間もかかるはず」
「じゃあ、ほとんどの時間は、映らないところで過ごすってこと?」
「そうそう。ドラマの現場でも同じ。一時間のドラマ作るのに、何日も撮影するから」
玲香の言葉に、翼は、テレビの向こう側にある、見えない時間の積み重ねを、少しだけ想像した。
その中に、自分が立っている。
*
メイク室では、スタイリストの彩城玲司が、忙しなく動き回っていた。
「テレビ収録なんだから、いつもより一段階華やかにするわよ!」
玲司の指示に、ヘアメイクスタッフたちが、次々とメンバーの髪を整えていく。
「翼ちゃん、今日は特別に巻いてあげる。テレビ映えは正義よ」
「お願いします……!」
鏡の中の自分が、いつもより少し大人びて見えた。
隣の椅子では、理沙と美咲が、台本を確認しながら小声で話していた。
「MCのタイミング、ここで合ってる?」
理沙が、不安げに尋ねる。
「うん、大丈夫。何かあっても、私がフォローするから」
美咲の落ち着いた声に、理沙は、少しだけ安心したように頷いた。
*
楽屋の廊下を歩いていると、テレビでよく見る有名なグループとすれ違った。
「わ……本物だ」
翼は、思わず小さく声を漏らした。
相手は、特に気にする様子もなく、会釈だけして通り過ぎていった。それだけのことなのに、翼の心臓は、大きく跳ねていた。
「同じ楽屋で準備してるんだね、こういう人たちも」
桃花も、興奮を隠しきれない様子だった。
テレビの向こうにしかいないと思っていた人たちと、今、同じ空間にいる。
その事実だけで、翼は、自分たちが少しだけ、違う場所に足を踏み入れたことを実感した。
*
本番は、あっという間だった。
振り付けを間違えないことだけを、翼はひたすら考えていた。カメラがどこを向いているのかも、ほとんど分からなかった。
気づけば、パフォーマンスは終わっていた。
「お疲れさまでした!」
スタッフの声に、全員で頭を下げる。
舞台袖に戻った瞬間、桃花が翼に抱きついてきた。
「やったー! やり切った!」
「うん……緊張した」
翼は、まだ心臓がどきどきしているのを感じていた。
「私、もう一回見たい」
桃花が、興奮冷めやらぬ様子で言った。
「見れるよ、オンエアで」
「今すぐ見たい!」
その無邪気さに、周りにいたスタッフも、思わず笑った。
*
放送当日の夜、寮の共有スペースに、十一人全員が集まった。
「始まるよ!」
美咲の声で、全員がテレビの前に集まる。
番組が始まり、翼たちの出番が近づくにつれて、部屋の空気がどんどん張り詰めていった。
「来た!」
誰かが叫んだ。
画面の中に、見慣れたはずの、見慣れない自分たちが映っている。
「うわー、恥ずかしい」
「奏ちゃん、めちゃくちゃ映ってる!」
「白峰さん、やっぱり画面映えする……」
口々に感想が飛び交う中、翼は自分の姿を探した。
なかなか見つからない。後列の端は、カメラに抜かれる時間が短い。
「あ、今映った!」
千里が、翼の肩を叩いた。
「一秒じゃん!」
翼は、思わず笑ってしまった。
「一秒でも、映ったからいいの!」
その一言に、部屋中が笑いに包まれた。
*
放送が終わったあと、誰かがSNSの反応を検索し始めた。
「見て、感想いっぱいある」
画面に映し出されたのは、番組を見た人たちの、短い感想の数々だった。
「センターの子、可愛い」
「歌が上手い子がいた」
最初のうちは、そんな他愛のない感想ばかりだった。共有スペースには、まだ笑顔が残っていた。
それでも、スクロールを続けるうちに、感想の質が、少しずつ変わっていった。
「白峰美鈴ってアイドルだったんだ」
「この子以外知らない」
「暁ノ柱って、白峰美鈴とその他って感じ」
その一言に、共有スペースの空気が、すっと静かになった。
悪意のある言葉ではなかった。むしろ、素直な感想に近かった。それが、翼には、かえって重く感じられた。
白峰と奏の名前が、いくつも挙がっている。
翼は、自分の名前を探した。見つからなかった。
少しだけ、寂しい気持ちがあった。
黒瀬も、自分の名前を検索していた。
「私も、見つからない」
「だよね」
二人は、顔を見合わせて、少しだけ苦笑いした。
「……私たちも、ちゃんと映ってたのにね」
翼が、小さく呟いた。
「映るのと、見てもらえるのって、違うんやね」
黒瀬の口から、素の言葉がこぼれた。動揺したときだけ出る、あの響きだった。
その一言が、今日という日の実感を、静かに言い当てていた。
テレビに映った。誰かが見てくれた。誰かが、感想を書いてくれた。
それは、間違いなく、嬉しい出来事だった。
それでも、その喜びの隣に、小さな棘のようなものが、確かに残っていた。
*
消灯前、翼は黒瀬と、廊下で少しだけ立ち話をした。
「今日、映った?」
「映った。一瞬だけど」
「私も」
黒瀬は、少しだけ笑った。
「テレビに映るって、変な感じだね」
「うん。現実感、まだない」
二人は、しばらく黙ったまま、その不思議な実感のなさを分かち合っていた。
それでも、翼の中には、確かな手応えが残っていた。
一歩ずつ、確実に、前に進んでいる。
その実感だけは、テレビ画面の向こうにいる誰にも奪えない、翼たちだけのものだった。
それでも翼は、ふと考えた。
次にテレビに映るときは、もっと長く映りたい。
欲張りかもしれない。それでも、その気持ちを抱くこと自体が、以前の翼にはなかった変化だった。
一秒から、二秒へ。
小さな一歩でも、翼にとっては、確かな前進だった。
その夜、翼は、母親に電話をかけて、今日のことを報告した。
「テレビに映ったよ、ちゃんと」
「見たよ! お母さんも、お父さんも、録画までして見た」
母親の声には、隠しきれない喜びがあった。
「一秒しか映らなかったけどね」
「一秒でも、十分よ。あなたが、ちゃんとそこにいたんだから」
その言葉に、翼は、胸の奥が温かくなるのを感じた。
画面の外にも、こうして見ていてくれる人がいる。
その事実が、翼にとって、何より心強かった。
*
翌日、共有スペースの空気は、前日とは少し違っていた。
「見て、この記事!」
玲香が、興奮した様子で駆け込んできた。
「暁ノ柱の中でも、特に目を引いたのは、涼宮玲香さんの堂々としたパフォーマンス」
その一文に、玲香は、頬を紅潮させていた。
「玲香、名前載ってるじゃん!」
翼が言うと、玲香は、照れくさそうに頷いた。
「まだ小さな記事だけどね。でも、嬉しい」
玲香は、その記事を、そっと自分のスマートフォンに保存した。
その隣で、白峰は、自分のスマートフォンを、静かに鞄にしまった。
白峰の名前だけを取り上げたネットニュースが、朝から、いくつも配信されていた。
「次世代スター」「圧倒的な華」――そんな見出しが、並んでいた。
喜ぶべきことのはずだった。それでも、白峰の表情は、どこか晴れなかった。
翼は、その様子に、そっと気づいていた。
それでも、今は、まだ声をかけられなかった。
部屋を出るとき、白峰は、誰にも聞こえないくらいの声で、小さく呟いた。
「……私だけ、また」
その一言を、翼は、たまたま近くにいて、聞いてしまった。
声をかけるべきか、翼は迷った。それでも、今の白峰には、そっとしておく方がいい気がした。
この日のことを、翼はしばらく、誰にも話さなかった。
それでも、白峰の呟きは、翼の中に、小さな棘のように残り続けていた。




