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かわいい子には地獄見せろ  作者: 鶴ヶ友護


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9/23

第9話 勝負は常に本気で

 そのあとも、しばらくみんなで海を楽しんだ。

 美惚ちゃんは相変わらず元気で、茉陽瑠ちゃんは優しくて、とっても楽しかった。

 ……楽しかったけど。

 千尋にはドキッとさせようと頑張ったけど、全部空振り。

 今日のための努力は無駄だったのかなって、少しへこみかけた。

 それに、千尋の表情を変えることが出来ないから、息止めとか棒倒しとかビーチフラッグとか、せめて他の勝負で勝とうとしたのに、負けてばかり。

 ほんと、なんなのこいつ。

 そんなこんなあって、絶賛敗北少女の私は次の勝負を目の前にしている。

「それじゃあ、次は泳ぎで勝負しよう!」

 美惚ちゃんはそう言って、沖合に設置されたテトラポッドを指さす。

「え! あんなとこまで!」

 遠いな。

 100(メートル)くらいあるんじゃないか。

 泳ぎで100m、経験したことないから不安だけど

 ──千尋に負けたくない。

「やるよ」

 私が勢いよく参加を表明すると、隣の千尋も口を開く。

「私もやる」

 こちらを見て、挑発するように笑みを浮かべる。

 余裕そうなその顔。

 さっきまでの勝負も、ずっとそんな感じだった。

 なにをしても崩れない。

 負けることなんて想像できないみたいな顔。

 ──ムカつく。

 余裕ぶってるその顔、絶対崩してやる。

 そう思うと、ますますやる気が湧いてきた。

「茉陽瑠は?」

 美惚ちゃんが聞くと、茉陽瑠ちゃんは申し訳なさそうな表情を浮かべる。

「私はいいかな。向こうまで泳げる自信ないし」

 顔を横に振り、不参加を申し出る。

 まあ、そうだよね。

 私もあんなとこまで泳いだことなくて、ちょっと不安だし。

「それじゃあ、3人で勝負だね」

 隣から煽るような声色が落ちてくる。

「今度こそ、負けないからね」

 それに対し、根拠のない自信と共にためらいのない声をあげる。

「それじゃあ、茉陽瑠が審判ってことで、ふたりとも準備はいい?」

「うん」

「ああ」

 返事をし、私達は海の中へと足を進める。

 胸が浸かるほどの深さまで歩き、振り返る。

「それじゃあ、茉陽瑠ちゃんスタートの合図よろしく」

「うん」

 手を振って伝えると、茉陽瑠ちゃんも手を振り返してくれた。

「いくよー!」

 やわらかな声が響く。

 視線を前のテトラポッドに向け、息を吸い込む。

「よーい」

 体を少し沈め、足に力を込める。

「どん!」

 合図と同時に地面を蹴る。

 飛ぶように、力強く。

 それにあわせて、腕を動かす。

 大きく、ひとかき、ひとかき、確実に。

 前へ。

 隣に千尋、その向こうに美惚ちゃん。

 スタートして少し、ほぼ横並びの展開。

 悪くない。

 ちゃんと進んでる。

 大丈夫。

 落ち着いて。

 確実に。

 半分ほどまで来て、ちらっと横を見れば千尋はすぐ隣。

 同じペース。

 同じ距離。

 ──いける。

 負けていないことを感じた瞬間、状況が一変した。

 千尋の体が、僅かだが前に出た。

 ……え。

 目の錯覚だと思った。

 でも、次見た時には、その差ははっきりしていた。

 半身分、千尋が前にいる。

 ──まずい。

 負けじと腕に力を込める。

 さっきよりも強く、速く。

 しかし、差は縮まらない。

 なんで……。

 速くしてるのに。

 追いつけるはずなのに。

 もっと。

 もっとはやくしなきゃ。

 ここで、速くできなきゃ。

 ──負ける。

 大きく腕を振り抜く。

 叩きつけるように強く打ち込み、無理やり水をかく。

 速く。

 とにかく速く。

 リズムなんてもう無茶苦茶で、口には水が入って、お世辞にも綺麗とは言えないフォーム。

 それでも、気持ちだけで食らいつく。

 やがて、千尋との距離は少し縮まり、先ほどの半分ほどの差に。

 いける。

 追いつける。

 ──と思った瞬間、千尋の動きが止まった。

 なんだ?

 浮かんだ疑問は、すぐに消えた。

 手に硬い感触が伝わる。

 その感触を確かめるように顔を上げると、目の前にはテトラポッド。

 負けた……。

 敗北を実感するよりも早く、隣から声が弾けた。

「私の勝ちだね」

 こちらを見て笑う千尋。

 その笑顔は余裕たっぷりで、呼吸もほとんど乱れていない。

 なにそれ……。

 こんなに必死にやったのに。

 この顔を崩せなかった。

 また負けた。

 悔しい……。

「ふたりとも早いねー」

 明るい声が少し遠くから響く。

 顔を向けると、美惚ちゃんがこちらを見て笑っていた。

「そういう美惚が、一番速かったでしょ」

「まあね」

 いつもみたいなふたりの明るい会話も、今は全然入ってこなかった。

「はぁ……、はぁ……」

 息が荒く、喉がひりつく。

 さっきまで動かせていたはずの腕が、今は持ち上げることすら嫌になる。

 思ったより、きつい。

 初めての距離で、無理にペースを上げたせいだ。

 苦しい……。

 この状態で、砂浜まで戻らなきゃいけないか。

 さっきと同じペースは無理だ。

 もう少し休んでから、ゆっくり戻ろう。

 そう思って、体の力を抜き、波に身を任せる。

 浮かんでいるだけで、少し楽になる。

 波の動きに合わせて、呼吸を整える。

 吸って。

 吐いて。

 ……よし。

 もう少ししたら、ゆっくり戻ろう。

 そう考えたその時──

「それじゃあ、戻りも勝負ね!」

「えっ⁉」

 思わず、驚いた声が出た。

 聞いてない。

 戻りもってなにそれ。

 今の状態で?

 無理。

 さっきので、ほとんど使い切ってる。

 ここからまた全力勝負とか、冗談じゃ──

「それじゃあ、よーい」

 戸惑う私をよそに、美惚ちゃんが右手を大きく上げる。

 待って。

 ほんとにやるの?

 せめて、もう少し──

「スタート!」

 勢いよく右手が振り下ろされた。

「っ!」

 美惚ちゃんと千尋が水を蹴る。

 大きな水しぶきを上げ、勢いよく前に出るふたり。

 その速さに、思わず目を見開く。

 置いていかれる……。

「待って」

 焦りから声をあげるが、届くことはなかった。

 ふたりとの距離は、あっという間に離れていき、テトラポッドには私ひとりだけ。

 やばい。

 このままじゃ、本当に置いてかれる。

 そう思って、必死に体を動かす。

 歯を食いしばり、腕を動かす。

 けれど、水がうまくつかめない。

 かいているはずなのに、進んでる感じが全然しない。

 腕が重い。

 自分の体じゃないみたいで、上手く伸ばすことができない。

 呼吸がずれる。

 吸うタイミングもあやふやで、水が喉の中に入り込む。

「っ、げほ……」

 むせる。

 けど、止まれない。

 止まったら置いてかれる。

 一人にされる。

 こんな沖合で、ひとりになんてなりたくない。

 必死に腕を回す。

 フォームなんてどうでもいい。

 とにかく前へ。

 かく。

 かく。

 かく。

 どれだけ進んだのかも、もうよくわからない。

 ただ、目の前の水をかいて、前に出ることだけを考えていた。

 ようやく、足がなにかに触れた。

 石……。

 気づけば、浅瀬まで来ていたようで、立ち上がり砂浜まで歩き出た。

 ──着いた。

 そう思った瞬間、全身から力が抜け、砂浜に倒れ込んだ。

「はぁ……、はぁ……、はぁ……、はぁ……」

 胸が苦しい。

 呼吸をいくらしても、酸素が足りない。

 腕も、足もじんわりと重い。

 始まる前の余裕なんて、もうどこにもない。

 やばい……。

 あんな無茶するんじゃなかった。

「唯恋、お疲れ」

 すぐ傍から声が落ちてくる。

 視界を少し動かすと、しゃがみ込んだ千尋の姿を捉えた。

 こちらを見つめる千尋の表情は余裕たっぷり。

 それどころか、どこか楽しんでいるようにさえ見える。

 なに、その顔……。

 ムカつく……。

 こっちは必死だったのに、そんな顔……。

「ぅる……さい……」

 息も絶え絶えに、憎まれ口を叩く。

 けれど、千尋はそれすらも面白いと、小さく笑い声をあげる。

「唯恋ちゃん、大丈夫?」

 今度は別の方向から、茉陽瑠ちゃんの優しい声。

 眉を下げて、本気で心配してくれてるのが伝わってくる。

「う……うん……」

 彼女の優しさに、無理して強がってみるけれど、全然大丈夫じゃない。

 体は思ったように動かないし、呼吸もまともに出来ない。

 本当は、このままここで寝転がっていたいけれど、そんな様子はかわいくない。

 かわいくない所は、誰にも見せたくない。

「唯恋ちゃん、休憩しよう」

 そう言って、柔らかな手が伸ばされる。

 立ち上がるのも辛いけれど、その手を握り意地で立ち上がる。

「ありがとう」

 お礼を振り絞り、歩き出す。

 一歩、足を前に出すと、体がぐらっと傾いていく。

「危ない」

 それを千尋が受け止めてくれて、なんとか倒れずに済んだ。

「ありがと……」

 ぼそりとお礼を呟き、千尋の腕を借りながら、私達のビニールシートのところへ向かう。

「唯恋おかえり」

 情けない足取りで、なんとかビニールシートにたどり着くと、先に戻っていた美惚ちゃんがペットボトルに口をつけながら笑う。

「うん」

 軽く返事をし、自分のペットボトルを手に取る。

 硬いキャップを開け、口をつけて水を流し込む。

 ぬるい。

 でも、それが逆に乾いた喉に優しくて、ゆっくりと潤いを広げる。

 ……生き返る。

 ペットボトルを傾けたまま、ぼんやりと上を見ると強い日差しに眩しさを覚えた。

 来たときは、日差しさえも心地よかったのに、今はただ眩しいだけ。

 それどころか、眩しすぎて少し鬱陶しいくらい。

 休みたい。

 なにもせず、ただぼーっとしていたい。

 この疲れた体を、そのまま放り出してしまいたい。

 けれどその思いは、千尋の声にかき消されてしまった。

「それじゃあ、何か食べようか」

 千尋は腰に手を当て、遠くを見つめる。

 その視線を追いかけてみると、少し離れた場所に一軒の海の家がある。

 カラフルな旗が揺れ、人の出入りも盛んなようだ。

 ご飯……。

 そう言えば何も食べていなかった。

 千尋に勝つことで頭がいっぱいで、食事のことはすっかり忘れていた。

「ごくり……」

 喉が大きな音を上げるのを感じる。

 確かに、休む前になにか食べておいたほうがいいかもな。

「うん。食べよう」

 そう返事をして、みんなで海の家へと向かう。

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