第8話 夏は地獄が遠のく季節です
一学期が終わり、夏休み。
窓の外では容赦ない日差しが街を焼いているのに、部屋の中は冷房で満たされていて、ひんやりとした空気が肌に心地いい。
その温度差さえ、なんだか特別なものに感じる。
ソファに寝転がりながら、アイスを口に運ぶ。
冷たさが舌の上でゆっくり溶けていく感覚に、思わず息が漏れた。
「……最高」
ピコン。
「ん?」
そんな快適な時間を過ごしていると、スマホが小さく音を鳴らす。
画面を確認すると、美惚ちゃんからメッセージが届いていた。
「なんだろう?」
疑問に思いながら、メッセージを開く。
『海行こう!』
「海?」
一瞬考えて──
「……いいじゃん」
自然と口元が緩む。
夏、海、水着。
つまり。
「かわいい私をいっぱい見せるチャンス!」
誰に?
もちろん全人類に。
『行く』
上がったテンションのまま、短く返信する。
スマホをベッドに放り投げ、鏡の前へ移動する。
髪を軽く整えて、角度を変えてみる。
右。
左。
正面。
「うん」
どこから見ても、とってもかわいい。
これなら、海でも一番かわいいこと間違いなし。
「むしろ、目立ち過ぎちゃうかも」
くすっと笑って、海の光景を思い浮かべる。
人混みの中でも自然と目立って、気づけば周りがざわついて。
「ふふ、ありえる」
ピコン。
妄想に夢中になっていると、再び通知音が聞こえてきた。
「美惚ちゃんかな? ……なっ!」
画面に表示された送り主の名前は
──千尋。
予想外の相手に驚き、ピタリと動きが止まる。
なんでこのタイミング?
なんだ?
なんの用だ?
少し考えて、メッセージを確認する。
『唯恋、海行く?』
同じ話題。
偶然……なんてことはないか。
まあいいか、と深く考えず返信を打つ。
『行くよー。千尋も美惚ちゃんに誘われた?』
『うん』
短い返事に続いて、もう一度メッセージが送られてきた。
『かわいい水着姿、期待してるね』
なに言ってんだこいつ?
かわいい水着姿って、揶揄ってるつもりなのか?
「まあでも……」
ふっと小さく笑みが零れる。
「ちょうどいいな」
この前、変な勘違いで千尋に揶揄われたこと、すごい悔しかった。
その屈辱を晴らすチャンスが、向こうからやってきたのだ。
「後悔させてあげる」
かわいい水着姿、だと。
よくもまあ、この私にそんなことを言えたものだ。
「今回の海で絶対やり返す!」
にやりと口角を上げ、右手を高く突き上げる。
覚悟しろ千尋──
「あんたの余裕な顔、真っ赤に染めてやる!」
***
心地いい日差しと鼻を刺激する潮の香り。
空はどこまでも青くて、白い雲がゆっくりと流れている。
足元の砂はじんわりとした熱を持っていて、波の音が心地いいリズムを奏でる。
──まさしく、海!
そして、そこにいる私は──
「とってもかわいい」
日差しに照らされて、きらきらと輝く金髪。
今日のために選んだ特別な水着──ピンク色の水着にあしらわれたフリルが、風になびいてひらりと揺れる。
その水着に負けないために、体だってがんばって引き締めてきた。
かわいく見える角度も、家でたくさん練習してきた。
「うん」
これなら──。
ちらりと周囲を見ると、何人かがこちらを見ている。
……うん、そうだよね。
そりゃあ、目立つよね。
かわいいもんね!
嬉しくなって、少しだけ胸を張る。
「唯恋ー!」
元気な声に振り返る。
手を振りながら、駆け寄ってくるのは美惚ちゃん。
その後ろには、茉陽瑠ちゃんと千尋の姿も見えた。
美惚ちゃんの水着は明るい黄色のタンクトップビキニ。
日焼けした肌がよく映える水着は、動きやすそうで、いかにも泳ぐ気満々って感じ。
茉陽瑠ちゃんは落ち着いた白の水着にパレオを巻いている。
ふわりと広がる布が、露出を柔らかく包んでいて、どこか大人っぽい雰囲気を纏っている。
そして、その隣にいる千尋はシンプルな黒の水着を纏っている。
飾り気なんてほとんどないのに、視線が吸い寄せられる。
すらっと伸びた手足に無駄のないライン。
水着のシンプルさが、スタイルの良さを余計に際立たせている。
……綺麗。
いや、違う。
今日は私の番だ。
軽く息を吐いて、気持ちを切り換える。
「お待たせ」
千尋は軽く手を振って、余裕の笑みを浮かべる。
「え! 唯恋めっちゃ可愛い!」
「でしょ」
目を輝かせる美惚ちゃんに、当然とばかりに頷く。
「ふふ、本当だね。すごい似合ってるね」
茉陽瑠ちゃんが、ふわりと微笑む。
そう。
そうだよ。
そういう反応だよ。
ふたりの言葉に満足感が広がっていく。
そのまま一歩前に出て、首を傾げる。
練習してきた角度で、千尋に見せつける。
「どう?」
千尋はじっと私を見て、一瞬目を細める。
「へぇ……」
軽く口を開き、
「似合ってるね」
さらりと言った。
「うん」
短く返事をして、そのまま見つめる。
「「…………」」
不自然な沈黙が、ふたりの間に落ちる。
「それだけ?」
堪らず、声を漏らすと千尋は少し首を傾げた。
「それだけって?」
「いや、もっとあるでしょ! 驚くとか、見惚れるとか」
「してたけど」
「してたの⁉」
よくわからない幼馴染に、軽く肩をすくめる。
「それで、なにか言うことは?」
千尋は理解したような表情を見せ、一度頷く。
「かわいいよ」
「もっと」
「かわいい」
「もっと!」
「かわいい!」
「よし」
軽く満足すると、隣からくすっと柔らかい笑い声が聞こえてきた。
「唯恋ちゃん、千尋ちゃんに褒めてもらいたかったんだね」
茉陽瑠ちゃんが口元に手を当てて、優しく言う。
「そんなことないし!」
思わず、大声で否定する。
……図星だけど。
別に、千尋が好きで褒めてもらいたいとかじゃないからね。
今日のために頑張ってきたから、その努力を褒めてもらいたいだけだからね。
それだけだからね。
誰に聞かせるわけでもなく、頭の中で言い訳を並べる。
それにしても……。
千尋が来てから、明らかに私を見てる視線が減った気がする。
それどころか、千尋の方に視線が集まってる。
「ちょっと、千尋」
声をかけると、千尋は軽く首を傾げた。
「なに?」
「なんか、凄い見られてない?」
「いつものことだよ」
千尋は軽く周りを眺めて、なんてことないように言う。
……なにそれ。
こっちは、頑張って準備してきたのに。
見られるために、かわいく見せるために、全部やってきたのに。
それを、当たり前みたいに。
そこにいるだけでいいみたいな顔して。
知ってたけど。
千尋が美人で、みんなから見られてることは知ってたけど。
それでも──。
たくさん頑張った私よりも、千尋が視線を多く集めるなんて。
……ムカつく。
「それじゃあ、みんなで泳ごう!」
パッと手を上げ、美惚ちゃんが海へと駆けていく。
その背を追って、私は歩き出す。
まあいい。
今日は、周りの視線なんてどうでもいい。
欲しいのは──千尋の視線だ。
あいつの視線を奪って、私から目を離せなくしてやる。
***
「えいっ!」
手を振り上げると、パシャッと水しぶきが弾ける。
「きゃ!」
その水を受けて、柔らかい悲鳴が上がる。
目の前で繰り広げられる美惚ちゃんと茉陽瑠ちゃんの戯れ。
無邪気に笑って、水を掛け合っている。
あれ、いいかも……。
うまくやれば、いい反応が引き出せるかもしれない。
視線を横に滑らせると、相変わらず余裕そうな顔の千尋。
よし。
「ねえ千尋」
「うん?」
返事をし、こちらに顔を向けた瞬間、狙いを定めて──
思い切り、水をかける。
「冷たっ!」
派手な水しぶきを受けて、千尋は軽く目を細める。
「どう?」
こてんとかわいく首を傾げ、ほんの少し距離を詰める。
「びっくりした?」
「ちょっとね」
……それだけ?
「もう一発!」
再び腕を振り上げる。
さっきよりも大きく、派手に水しぶきが上がり、千尋の全身を濡らす。
それを受けた千尋は手で軽く顔を拭い、にやりと笑う。
「やったな」
そう言って、海の中に腕を沈め、勢い良く振り上げる。
「きゃあ!」
激しい水しぶきを全身に受け、かわいい悲鳴を上げる。
濡れた髪が頬に張り付く。
光を受けた水滴がキラキラと輝きながら頬を伝って、首筋をなぞる。
うん……。
これ、絶対かわいいでしょ。
どうだ千尋。
水に濡れた私。
まさに、水も滴るかわいい女。
これならさすがに、見惚れるでしょ。
赤くなった千尋の顔を拝んでやろうと視線を向けると──
「えい!」
さっきよりもずっと大きな水しぶきが襲ってきた。
「ぎゃあ!」
それを正面からまともにくらい、体勢を崩し、そのまま後ろに倒れ込んだ。
「唯恋大丈夫?」
心配そうな声をあげ、近づいてくる千尋。
水面から顔を上げると、右手がこちらに差し出される。
私を覗き込む表情は心配の色のみで、赤色なんて全くなかった。
くそー。
今の、絶対かわいかったのに。
それを、見る前に潰して。
……まあいい。次だ。
次こそ千尋をドキッとさせてやる。




