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かわいい子には地獄見せろ  作者: 鶴ヶ友護


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10/24

第10話 なにかを自覚するのはいつだって突然

「んっ……」

 近づくにつれて、鼻をくすぐる匂いが変化した。

 潮の香りに混じった油の香り。

 その匂いに引き寄せられるように、人の声も多くなっていく。

 店内は思ったよりも混んでいて、カウンター前には列ができていて、私達もその最後尾に並んだ。

 頭上には所狭しにメニューが並べられており、ざっくりとした文字と少し色褪せた写真で飾られたそれは、いかにも海の家といった感じ。

「みんな、なににする?」

 振り返って問いかけると、すぐに返事がくる。

「私は焼きそばにしようかな」

「ラーメン!」

 焼きそばにラーメン。

 ……重い。

 さっきあれだけ動いたばかりで、それはちょっと入りそうにない。

 美惚ちゃんは大丈夫なのだろうか?

 大丈夫か、この子なら。

 美惚ちゃんが食欲ないとか言い出したら、それこそ一大事だ。

 たぶん、世界の終わりレベルの緊急事態だろう。

「千尋は?」

 隣に視線を向ける。

 千尋は眺めているメニューを軽く指さして。

「カレーライスにしようかな」

 ……重い。

 焼きそば、ラーメン、カレー。

 どれも美味しそうだし、海の家っぽくていい。

 普通だったら、私もそのどれかを食べてたと思う。

 でも、今は無理。

 さっきの疲れが残ってて、胃が落ち着いてない。

 呼吸はだいぶ落ち着いたけど、体の奥に重さのようなものがあるし。

「唯恋は?」

 名前を呼ばれて、すぐには答えられなかった。

 何か食べたほうがいいのはわかってる。

 でも、こんな状態で重いものを食べる気は起きないし、無理して食べて気持ち悪くなるのも嫌だ。

 だから──

「私は……かき氷でいいかな」

「え!」

 私が口を開くと、すぐ目の前から驚きの声が飛んできた。

「唯恋それじゃ足りないよ。もっと食べなきゃだめだよ」

 美惚ちゃんが、心配そうにこちらを見ている。

 身を乗り出して、まっすぐな瞳を向けてくる。

 心配してくれるんだ。

 優しいな。

 そんな彼女の手をそっと握り、口を開く。

「今、そんなに食べられそうじゃないから」

 優しく微笑み、言葉を紡ぐ。

 なんとなく、不調を悟られたくなかったんだと思う。

 私が調子悪いとか言って、みんなに気を使わせてしまうのは嫌だし。

 それに、無理をしたのは私だし。

 千尋に張り合って、勝手にがんばっただけ。

 全て私の自業自得。

 だから、みんなに迷惑なんてかけたくない。

「お腹空いたらまたくればいいし」

「確かに!」

 美惚ちゃんは、パッと表情を明るくさせ、大きく頷いた。

 よかった。あっさり納得してくれて。

 順番が回ってきて、注文を済ませる。

 番号札を受け取って、店内を見回すとちょうど四人分空いている席があった。

 そこへ向かい、腰を下ろす。

 じんわりと体が沈み込み、しばらくここに座り続けたい。

 そんな疲れを表に出さないように気をつけ、みんなとおしゃべりしていると、店員さんが私達の番号を呼ぶ。

「取りに行ってくるね」

 千尋が立ち上がる。

「私も行くー!」

 美惚ちゃんも続いて立ち上がり、ふたりでカウンターの方へ向かっていく。

「唯恋ちゃん、本当に大丈夫?」

 柔らかい声が近くで落ちる。

 その声に視線を移すと、茉陽瑠ちゃんが心配そうにこちらを見ている。

「うん、大丈夫」

 軽く笑って答える。

「無理しないでね」

「ありがとう」

 感謝を伝え、ゆっくりと息を吐く。

 うん……。

 呼吸は、だいぶ落ち着いてる。

「おまたせー!」

 私達の静けさを弾くように、明るい声が響く。

 その声と共に、テーブルの上に料理が並べられる。

 焼きそばに、ラーメンに、カレー。

 どれも色が濃くて、疲れた体に染み渡りそうだ。

「唯恋」

 隣からの呼びかけに顔を向けると、千尋がかき氷を差し出している。

「はい」

「ありがとう」

 それを受け取って、テーブルに置く。

 かき氷は光を受けてキラキラと輝いている。

 白い氷と赤いシロップ。

 イチゴ味。

 かわいくて、大好きな味。

 かき氷にスプーンを差し込むと、シャリッと軽い音が聞こえた。

 そのまま掬って口に運ぶ。

 ──冷たい!

 思わず肩が少し跳ねた。

 舌に触れた瞬間、ひんやりとした感覚が一気に広がって、体の奥に残っていた熱が、すっと引いていくのを感じる。

 気持ちいい……。

 堪らずもう一口。

 今度はゆっくりと味わう。

 シロップの甘さが口の中でじんわりと浸透していき、体が歓声を上げているのがわかる。

 さっきまでの疲れが、嘘みたいに軽くなる。

 おいしい……。

「相変わらず、美味しそうに食べるね」

 隣から千尋の声が聞こえてくる。

「うん。おいしいよ」

 視線をカキ氷から隣に移し、笑顔で答える。

「千尋もカレー美味しい?」

「ああ、美味しい」

 千尋はスプーンでカレーをすくって、そのまま口に運ぶ。

 特に急ぐ様子もなく、ゆっくりと咀嚼して、飲み込む。

 その美味しさを表現するように、表情を少しだけ緩めて、軽く頷く。

 それから、もう一度こちらに視線を向けて。

「それ、一口ちょうだい」

 スプーンを持っているのとは逆の手で、私の手元を軽く指さす。

「いちご、気になる」

「……いいけど」

 突然の申し出に、少し戸惑いながらスプーンを差し出す。

 千尋はスプーンを受け取ると、半歩ほどこちらに近づいてくる。

 ──近い!

 そう思って戸惑っているうちに、千尋はかき氷を掬って、そのまま口に含んだ。

「んっ、美味しいね」

 千尋は頬を少し緩めそう言うと、こちらにスプーンを返してくる。

 私はそれを受け取り、再びかき氷を食べようとして──

 …………。

 手が止まった。

 ──あれ。

 これって。

 このスプーンって。

 さっき、千尋が……。

 頭の中に、先程の光景が浮かび上がる。

 かき氷を掬って。

 そのまま口に運んで。

 触れた、唇。

 これって──

 間接キス!

 気づいた瞬間、体の奥が一気に熱くなった。

 え! ちょっと待って。

 キスって。

 自然と呼び起こされる、あの日の記憶。

 カラオケで、千尋に命令されたこと。

 あの時は、頬だったけど。

 これは……。

 口で。

 それって。

 それって、もう……。

「唯恋?」

 不意に、隣から名前を呼ばれる。

 突然のことに驚き、体がビクンと跳ねる。

「えっ、ええ、な、なに?」

 顔を上げると、千尋が不思議そうにこちらを見つめている。

「どうしたの? 食べないの?」

 軽い口調で発せられる言葉に対して、必要以上に私の頭は動き出す。

 やばい。

 どうしよう。

 絶対変に思われた。

 何か言わないと。

 テンパった思考のまま、大慌てで口を開く。

「え、うん。食べる。食べるよ」

 そう言って、改めて視線を落とす。

 スプーン。

 さっき千尋が使ったもの。

 ごくりと喉が音を鳴らす。

 無意識に指先に力が込められる。

 覚悟を決めて

 ──口を開く。

 口の中に広がる、冷たさと甘さ。

 変わらぬ清涼感と充足感を私に与えてくれる。

 はずなのに、今は全然感じない。

 ドクドクと心臓の音ばかりうるさい。

 落ち着け。

 落ち着け落ち着け。

「おいしいね」

 なんとか声を振り絞って笑顔を向けると、千尋は少しだけ眉を寄せた。

 けれど、すぐに視線をカレーへと戻し、食事を再開した。

 セーフ……。

 でも、ダメだ。

 余計なことばかり浮かんで、止まらない。

 多分、誤魔化せてるのは今だけで、すぐにボロが出る。

 だから、ボロが出る前に行動しないと──。

 そう思って、視線を落とし、かき氷を睨みつける。

 それを強く握りしめ、持ち上げ──

「うりゃー」

 ざわつく心を誤魔化すように、一気に掻き込んだ。

 うう……頭痛い……。

 でも頭痛のおかげで、さっきまでの焦りはいくらか落ち着いた気がする。

「ごちそうさま!」

 ちょうどその時、正面から明るい声が聞こえてきた。

 美惚ちゃんがラーメンの器を勢いよくテーブルに置く。

 中は見事に空っぽで、スープの一滴も残っていない。

 相変わらず、気持ちいいくらいの食べっぷりだ。

「ねえみんな、早く遊びに行こうよー!」

 そう言って、立ち上がる美惚ちゃんは今にも駆けだしそうだ。

「私はまだ食べてるから」

「私も」

 茉陽瑠ちゃんと千尋が落ち着いた声で答える。

「じゃあ、唯恋!」

 美惚ちゃんの輝く視線が、まっすぐこちらに向けられる。

「う……」

 どうしよう。

 休んで疲れは少し取れたけど、完全には回復してない。

 でもまあ、ここにいて千尋と顔を合わせるよりはいいかな。

 ちらりと横を見ると、千尋と目が合った。

 全てのパーツが整った美しい顔。

 その中で、目立つ色をした柔らかそうな、あの唇が──

「うん。行こう」

 沸き上がる思考に堪らず口を開くと、美惚ちゃんに腕を掴まれた。

 そのままグイっと引き上げられ、立ち上がらされる。

「ちょ、ちょっと」

 抵抗する間もなく外へ。

 海の家とは違い、照り付ける日差しに一瞬目を細める。

 その間も、美惚ちゃんの足が止まることなく、一直線に海へと駆けていく。

「元気だね~」

「そうだね」

 のんびりとした声が後ろから聞こえてきた。

 そっちに言葉を返すよりも早く、私の体を波が打ち付けた。

「冷たっ……!」

 一気に体温を持っていかれて、さっきまでの熱が引いていく。

 頭も、少しだけすっきりした気がする。

「ほら唯恋、こっちこっち!」

 美惚ちゃんがひとりで深いところへと進んでいく。

「待って」

 そう言って、後を追う。

 腕を動かして、水を掻き分ける。

 でも、全然前に進めない。

 波の勢いが増したのか、美惚ちゃんとの距離が思ったよりも縮まらない。

「唯恋、遅ーい」

「今行く!」

 声を張って、無理やり体を動かす。

 力強く腕を動かせば、距離はすぐに詰まって、美惚ちゃんは目の前に。

「おまたせ」

 私がそう言うと、美惚ちゃんはニコッと笑った。

「それじゃあ、また勝負しよう!」

「う、うん」

 勝負……。

 なにをするんだろう。

 あまり大変なのじゃなければいいけど。

「それじゃあ、また競争しよう!」

 美惚ちゃんが、沖の方を指さす。

「え⁉」

 思わず声を漏らし、顔が少し歪んだ。

 それは……。

 一回目でもすごく辛かったのに、もう一回なんて。

「ねえ、早くやろう!」

 テンション高く声をあげる美惚ちゃん。

 その純粋に輝く瞳に、断る言葉が喉で詰まる。

 まあ、いいか。

 勝負って言っても本気でやらなければ、ほどほどに泳げばいいか。

「うん、やろう」

「やったー」

「わぁ!」

 返事をすると、美惚ちゃんが勢いよく抱きついてきた。

 強烈な抱擁に体が揺られ、踏ん張る間もなく水中に倒れ込んだ。

 パシャッと大きな水音が上がり、顔を上げると美惚ちゃんの顔がすぐそばに。

「えへへ、ごめんね」

 軽く笑いながら謝る美惚ちゃん。

 私は軽く息を吐いて、濡れた前髪をかき上げると、その頭をぽんと撫でた。

「もう……気をつけてよ」

 楽しそうな表情を浮かべる美惚ちゃんは、撫でられるのに満足すると、立ち上がりこちらに手を伸ばす。

 その手を取り立ち上がると、美惚ちゃんが口を開く。

「それじゃあ、始めよう!」

 前を見て、泳ぎ出す姿勢を取る。

 私もそれに合わせて、少しだけ体を沈める。

「よーい、スタート」

 美惚ちゃんが勢いよく飛び出した。

「はや……」

 その背中は一瞬で遠ざかって、私との距離はどんどん開いていく。

 一回目は千尋ばかり見ていて、あまり意識してなかったけど──。

 やっぱり、美惚ちゃんって運動に関しては化け物なんだな。

 そう言えば、一回目も千尋に勝ってたし。

 ……私も行くか。

 軽く腕を動かし、前へと進み始める。

 ひとかき。ひとかき。

 腕の動きに対して、水は素直に反応し、定常的に泳ぐことが出来た。

 無理をしていないから、呼吸も安定している。

 これなら向こうまで行って、戻ってくるくらいは出来そうだ。

 視線を上げると、先の方で美惚ちゃんが泳いでるのが見えた。

 もうすぐテトラポッドに届きそうなその背中は、波を弾くように軽やかで、とても楽しそうだ。

 やっぱり速いな……。

 私はどのくらい泳いだのだろうか。

 美惚ちゃんがあんな所にいるんだから、半分くらいは来てるんじゃないかな。

 そんなことを考えていたら、足の奥に僅かな違和感が走った。

 ピクッと、ほんの一瞬の引っ掛かり。

 不思議に思いつつ、軽く足に力を込めた瞬間。

「っ──!」

 鋭い痛みが、ふくらはぎを一気に締め上げた。

 内側から、強く引き絞られるような感覚。

「いっ……!」

 少し動かすだけで痛みが跳ね上がり、堪らず声が漏れる。

 さっきまで普通に動いていたはずなのに、突然制御が利かなくなる。

 ──足、つった。

 痛みに苦しんでいると、体が沈み始める。

 慌てて腕を動かして水を掻くけれど、バランスが崩れてうまく力が伝わらない。

 浮こうとしているのに、逆に沈んでいく。

「っ、は……!」

 息を吸おうとしても、空気がうまく入ってこない。

 胸の奥まで届かないまま、呼吸が浅く乱れる。

 引きつった足は伸ばそうとするほど強く痛み、まるで固められたみたいに動かない。

 なんとか、腕だけで体を支えようとするが、水を掴めていない感覚ばかりが残って、前にも上にも進むことが出来ない。

 その間にも、口の中に水が入り込む。

「げほっ……」

 むせて、息がさらに乱れる。

 喉が焼けるように痛くて、まともに息もできないまま、視界がぐらりと揺れる。

 さっきまであんなに近かった水面が、どうしてか遠く感じる。

 手を伸ばせば届くはずなのに、何度腕を動かしても距離が縮まらない。

 どうして……。

 なんでこんなことに……。

 さっきまで普通に泳げていたのに。

 みんなと遊んで、走ったり、泳いだり普通に出来てたのに。

 なんで急に。

 体はうまく動かない。

 沈んでいくのを止められない。

 千尋と勝負したから……?

 千尋の表情、余裕なところを崩してやろうとして。

 上手くいかなくて。

 それが嫌で、ムキになって。

 無理して、張り合って。

 疲れて。

 休めばいいのに。

 一人で変なこと考えて。

 一緒にいるのが恥ずかしくなって。

 逃げ出して。

 溺れて。

 ──バカだ、私。

「は……っ……!」

 息を吸おうとして、また水が入り込む。

 肺が痛んで、思考がまとまらない。

 ただ、苦しさだけが膨らんでいく。

 怖い。

 嫌だ。

 まだ──。

 後悔が湧き上がり、口を動かす。

 助けて。

 助けて

 ──千尋。

 しかし、声を出そうとも、息が……できない……。

 そのまま、抗うこともできずに、私の体はゆっくりと下へ引き込まれていった。

 ああ、ダメだ。

 ……死ぬ。

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