第6話 私の好きな人
「「え?」」
思わず声を漏らし、顔を見合わせる。
「え? ちょっとまって」
「今、好きな人って……」
ひそひそ声のはずなのに、全然抑えられない。
「唯恋ちゃん、今の……好きな人って言ってたよね」
「うん。言ってた」
「……」
興奮する私達の横で、美惚ちゃんだけがじっと見つめていた。
「美惚ちゃん! 今の聞いた!」
背中を軽くたたいても、こちらを振り向くことはなく。
指を唇へと動かし、小さく声を漏らした。
「しー」
そうだ。
千尋に気づかれないように、静かにしないと。
改めて、身を潜めて様子を窺う。
「……そっか」
先輩は寂しそうに笑って、それでも千尋を見つめる。
「答えてくれて、ありがとね」
「いえ。こちらこそ、気持ちを伝えてくれて嬉しかったです」
そのやり取りは穏やかで、変な気まずさも、引きずる空気もない。
そのまま、平穏に終わるかと思ったら──
「それで、愛浦さん。好きな人ってどんな人なの?」
とんでもないことを聞いてきた。
「あ、でも、答えたくなかったら答えなくても大丈夫だからね」
そう言って、先輩は一歩だけ千尋に近づく。
「うーん。そうだな……」
千尋は顎に手を当てて、ほんの少しだけ考える素振りをして──
「すごいかわいい子かな」
え……。
「自信満々でなんでもできるって顔してるのに、少し揶揄うだけで困ったような顔してね。それがすごく面白くて」
それって……。
「そのくせ負けず嫌いでね。私が何度困らせても、張り合ってきて」
もう……。
「そうやって何度いじわるしても、ずっと私の隣にいてくれる。」
うるさいくらいに心臓が波打つ。
「近くにいるから、ずっと視界に入って。いないと、つい探しちゃって」
呼吸をするのも忘れて。
「優しくて、面白くって、頼りになる」
千尋の声だけが、やけに鮮明に聞こえる。
「そんな……」
ほんの一瞬、世界が息をひそめたみたいに静かになって。
静寂の中で──千尋と目が合った。
「かわいい子が、私の好きな人」
これ……。
これって……。
「わた──」
「ねえ、唯恋ちゃん」
「えっ!」
予想外の声に、思わず声が漏れた。
完全に千尋しか見えてなくて、隣にだれかいることすら忘れてた。
「今のって……」
茉陽瑠ちゃんの声が、すぐ近くで響く。
わかる。
なにを言おうとしてるのか。
私も、同じことを思ったから。
でも、聞けなかった。
その言葉を聞く覚悟が私にはなかった。
感情に任せて、体を動かす。
地面に張りついたように重い足。
その足を、無理やり前へ。
いつものように動かそうとして、つんのめる。
ほとんど転ぶようにバランスを崩して、それでも無理やり足を動かして。
千尋にバレるとか、気にしている余裕はなかった。
騒がしい足音を上げながら
──逃げるみたいに走り出した。
***
五時間目と六時間目の授業はサボった。
教室に戻る気にはならなかった。
──千尋と、顔を合わせたくなかったから。
保健室のベッドに沈んだまま、ぼんやりと時間だけが過ぎていく。
「はぁ……」
重い息が自然とこぼれる。
目を閉じると、さっきの光景が浮かんでくる。
『かわいい子が、私の好きな人』
「……っ」
思い出しただけで、顔が熱くなる。
千尋の好意、感じていないわけじゃない。
私にだけ距離が近かったり、やけにスキンシップが多かったり。
名前を呼ぶ声だって、どこか特別優しくて。
キスを要求してきたこともあった。
でも、そういうのは冗談だと思ってた。
幼馴染だから、距離が近いのは当たり前で。
そういうことも、からかいの延長だって。
ずっとそう思い込んでいた。
違ったのかな……。
もしかして、本当に好きでやってたのかな。
「千尋……」
どこにいるんだろう。
もう、帰ったのかな。
帰っててほしいな。
今は、まともに顔が見られないし……。
外から聞こえる明るい声に、現実へ引き戻される。
「……帰ろ」
ここにいても、どうにもならないし。
考えるなら、自分の部屋の方がいいだろう。
そう決めて、体を起こした。
保健室の先生にお礼を伝え、退室する。
靴を履き替えようと下駄箱へ向かうと──
「遅かったね、唯恋」
千尋がいた。
思わず心臓が止まりかけた。
どうして。
なんでここにいるの。
生じる疑問が言葉になるよりも早く体が動いた。
また、逃げた。
けれど、今回はダメだった。
「なんで逃げるの?」
千尋に掴まった。
握られた手首を振り払おうとするけど、うまくいかない。
「離して……」
目も合わせずに、なんとか声を絞り出す。
「やだ。離さない」
迷いなく否定される。
指先に力が込められ、手首を強く圧迫される。
「唯恋、もしかして聞いてた?」
その言葉で心臓が大きく跳ねた。
わかってる。
なんのことを言っているのか。
「……うん」
僅かに視線を下げ答える。
「そっか……」
短く言葉を発して、手が離される。
「なら、わかってるよね」
真剣な瞳が私を睨む。
「う、うん……」
それと、視線が交わることはなく。
「えっと……」
口を動かそうにも、上手くいかない。
「どう思った?」
──思いを聞いて、どう思った?
そんなの、素直に答えたら……。
ちらりと顔を見る。
真剣な瞳は、私以外見えていないみたいにこちらを向き続けている。
逃げられない。
そんなことは、とっくにわかっている。
この状況を解決するには、私が答えなければいけないことも。
「あ、あの……」
勇気を出して、震える口を無理やり動かす。
「嬉しかったよ……千尋の気持ち……」
右へ、左へ、視線を彷徨わせて。
「で、でもね」
胸が苦しくて、一度息継ぎをする。
「千尋にそう思われてるって……知らなくて……ずっと、幼馴染だと思ってたから……」
うまく言葉にならないまま、頭に浮かんだものを必死に紡いでいく。
「だから、好きとか……考えたことなくて……」
真剣な気持ちに対して、失礼なほど動揺してる。
それでも、確かに気持ちを伝える。
「ごめん。千尋のことは、幼馴染としか……見れない……」
私の気持ちを聞いて、千尋は一度大きく息を吐き、吸い込む。
そして、しっかり私を見つめて──
「何の話?」
首を傾げた。
「え?」
「好きだのなんだのって、なんのこと言ってるの?」
本気でわかってないみたいな顔の千尋が、すぐにハッとした表情を浮かべる。
「もしかして、私の好きな人のこと?」
さらりと告げられる言葉に、心臓が大きく跳ねる。
「う、うん」
答えを聞いて、千尋は納得したように息を漏らす。
「あー……」
そのまま、あっさりと口を開く。
「あれは、断るための方便だよ」
「……は?」
あまりに衝撃的な事実に、思考が一瞬停止した。
「好きな人がいるって言えば、みんな大人しく諦めてくれるから」
「…………」
頭の中で、昼休みの光景が呼び起こされる。
『ずっと私の隣にいてくれる』
『優しくて、面白くって、頼りになる』
『かわいい子が、私の好きな人』
──全部。
「え……?」
私のことだと思ってたのに。
「え、え?」
違うの?
今の、全部違うの?
フルフルと体が小刻みに震え出す。
ゆっくりと顔を上げて、千尋をしっかりと見据えて──
「なんじゃそりゃああああ!」
爆発した。
「え、なに急に?」
千尋はきょとんとした顔のまま。
「なにそれ! 全部それっぽいこと言っといて!」
「それっぽい?」
「かわいいとか! 隣にいるとか! 完全にそれだったでしょ!」
「それって?」
「だ、だから……!」
言いかけて、言葉に詰まる。
それって。
つまり。
──私のことが好きだって。
「……ふーん」
千尋が、少しだけ口元を緩める。
「唯恋、自分のことだと思ったんだ」
「ち、違っ……!」
反射的に否定する。
でも、言葉が続かない。
「思ってないなら、あんなこと言わないよね」
「うっ……」
完全に詰んだ。
顔が熱い。
逃げ場がない。
「で?」
千尋が一歩近づく。
「なんで、そんな顔してるの?」
「してないし!」
「してるよ」
間髪を容れずに返される。
「……ほんと、わかりやすいよね」
くすっと、小さく笑う。
その笑い方が、なんか悔しくて。
「うるさい!」
思わず言い返す。
「……でも、惜しかったかもね」
「え?」
ぽつりと落とされた言葉に、思考が止まる。
「なにが?」
「さあ」
千尋は肩をすくめる。
「秘密」
そう言って、くるりと背を向けた。
「じゃ、帰ろっか」
何事もなかったみたいに歩き出す。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
慌てて追いかける。
さっきまでの感情が、ぐちゃぐちゃのまま。
結局、千尋の弱点はわからなかった。
それどころか、私の新たな弱みを握られて、揶揄われる始末。
悔しい。
あの余裕ぶった顔、絶対に崩してやるんだから!




