第3話 悪人のくせに
土曜日の午前十時。
本来なら、平日の疲れを癒すために家でだらだらしている時間。
けれど私は、そんなことはしない。
なぜかって?
──もちろん、かわいくあるためだ。
かわいい存在であり続けるために休日は、努力の時間なのだ。
その一環として、私はランニングに励んでいる。
小学生の時から続けているランニングは、今では私の特技のひとつだ。
走り始めてから一時間。
距離としては十・五キロ。
なかなかいいペースだと思う。
まだいける。
そう思って、私は足を止めなかった。
──それが失敗だった。
三時間後。
「はあ……はあ……」
息が上がる。
足が重い。
体が言うことを聞かない。
やりすぎた。
調子に乗って走りすぎた。
早く帰って、シャワー浴びたい。
そう思って顔を上げて──
「……ここどこー?」
見覚えのない景色に、思考が止まる。
完全に迷子になっていた。
いつもなら、こんなことはない。
でも今日は、調子に乗って知らないところまで来てしまって、帰り道がわからない。
「うそ……」
じわりと、不安が広がる。
とりあえず、目の前に見える公園に行ってみよう。
住宅街にぽつんとある小さな公園。
ベンチと小さな遊具があるだけの、静かな場所。
私はそのベンチに腰を下ろした。
「すー……はー……」
呼吸を整えると、少しずつ頭が冴えてくる。
冷静に、来た道を思い返そうとする。
けれど──
「……ダメだ。わかんない」
なにも浮かばない。
体は落ち着いたのに、答えは一向に出てこない。
「……もしかして私、バカ?」
ぽつりと呟いて、すぐに首を振る。
違う。
そんなこと考えてる場合じゃない。
どうしよう。
このまま帰れなかったら……。
胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
ひとり。
知らない場所で。
誰もいない。
「やだ……」
声が震え、視界が滲み始める。
落ちそうになる涙を、必死に堪える。
だめ。
こんな顔、かわいくない。
でも──
「むり……」
限界だった。
ぽろりと涙が零れる。
止めようとしても、止まらない。
かわいくなんていられない。
そんな余裕、どこにもなかった。
「唯恋!」
突然呼ばれる声に、顔を上げる。
そこにいたのは──
「ちひろ……」
気づけば、私は立ち上がっていた。
そしてそのまま、千尋に抱きつく。
「うわ、ちょっ……」
驚きの声を漏らす。
けれど、すぐに優しく抱きしめ返される。
ぽんぽんと背中を叩かれて、ゆっくりと頭を撫でられる。
その温もりに、張り詰めていたものが一気に崩れた。
「うぅ……こわかった……」
涙が止まらない。
ぐしゃぐしゃで、情けなくて。
こんな顔、絶対かわいくない。
それでも、千尋は何も言わなかった。
ただ静かに、抱きしめてくれる。
「迷子で泣くとか、小学生?」
少しだけ呆れたような声。
でも、抱きしめる腕はずっと優しいまま。
「うるさい……」
そう返すのが精一杯だった。
しばらくして、ようやく涙が落ち着く。
「……ぐすっ」
私はベンチに座りなおし、千尋も隣に腰を下ろした。
「大丈夫?」
「……うん」
隣にいると、すごく安心する。
さっきまでの不安が、まるで嘘だったように。
余裕ができた頭に、ふと疑問が浮かんだ。
「千尋、なんでここにいるの?」
「唯恋のお母さんから連絡があってね」
そう言って、軽く息を整える仕草をする。
よく見ると、髪も少し乱れている。
「帰ってこないって、心配してたから」
千尋は前を向いたまま。
「だから探した」
当たり前みたいに言う。
その横顔が、少しだけかっこよく見えて。
──心臓が跳ねた。
「……そっか」
うまく顔が見れなくて、視線を逸らす。
助けられた、千尋に。
いつもいじわるで、からかってばかりのくせに。
こういう時だけ、優しくて。
……困る。
胸の奥がじんわりと熱い。
その熱を誤魔化みたいに、息を吐いた。
「すー……はー……」
深く息を吸って、ゆっくり吐く。
覚悟を決めて、顔を上げる。
「千尋……」
呼びかけると、すぐにこちらを向く。
そのまっすぐな視線から、逃げずに──
「ありがとう」
精一杯、かわいい笑顔で感謝を伝える。
「どういたしまして」
その笑顔に応えるように、千尋も少しだけ目を細めて
──柔らかく笑った。
その顔があまりにも綺麗で、つい見惚れてしまった。
……って違うし!
なんでまた、私が見惚れてるの⁉
見惚れさせるのは、私なんだけど!
内心で慌てていると、一台の車が公園の前に止まった。
その車から降りてきたのは──
「おーい、唯恋―!」
お母さん。
その瞬間、全部理解した。
もう一度、隣を見る。
千尋は、なんでもないような顔をしていた。
「ありがとう……」
小さく、もう一度だけ呟く。
「ん?」
「なんでもない」
誤魔化すと、千尋は小さく肩をすくめた。
そして立ち上がって、手を差し出す。
「帰ろう」
まっすぐ伸ばされた手。
その手を握って立ち上がる。
そして、お母さんの元へ歩み寄る。
帰り道。
車の中から窓の外をぼんやり眺めながら思う。
今日は、全然かわいくなかった。
泣いて、取り乱して、余裕もなくて。
でも──
見られたのが千尋でよかった……。




