第2話 愛浦千尋は悪人である
期末テストから数日。
私達は駅前のカラオケに来ていた。
「よーし! テスト終わり記念に遊ぶぞー!」
マイク片手に立ち上がっているのは、立花美惚ちゃん。
健康的に焼けた肌とショートカットがよく似合う、元気いっぱいのスポーツ少女だ。サッカー部に所属していて、テンションと声量はクラスでも一番。
今も、ひとりだけライブか以上みたいな盛り上がり方をしている。
「美惚ちゃん元気だねぇ」
そう言って、ふわっと笑うのは伴澤茉陽瑠ちゃん。
柔らかな雰囲気をまとった癒し系の美少女で、見ているだけで心が和む。ただおっとりしすぎて、たまに心配になることもある。
ふたりとも私のクラスメイトで、大好きな友達だ。
「だって、テスト終わったんだよ⁉ テンション上がるでしょ!」
美惚ちゃんが楽しそうに笑う。
そんなふたりを見ながら、私はジュースを一口。
うん。
平和だな。
もうテスト終わったし。
お腹痛くないし。
今日は楽しい放課後になる──はずだった。
「そういえば唯恋」
その声に、びくっと肩が跳ねた。
隣を見ると、案の定。
千尋がにやりと笑っていた。
「今回の勝負、私の勝ちだったね」
「…………」
やめて。
その話、今ここでしないで。
「勝負?」
茉陽瑠ちゃんが首を傾げる。
「なになに? ふたり何かしてたの?」
美惚ちゃんまで食いついてきた。
うぅ……。
説明したくない。
そんな私の内心を他所に、千尋は楽しそうに口を開く。
「テストの合計点数で勝負してたんだ」
「へえー!」
「負けた方は勝った方の言うことなんでも聞くって約束でね」
「えっ!」
茉陽瑠ちゃんの顔が少し赤くなる。
「え、それって……」
「超楽しそうじゃん!」
美惚ちゃんは完全に面白がっている。
そんな二人とは対照的に、私は頭を抱えたくなる。
なんで今言うの……。
「それで、どっちが勝ったの?」
美惚ちゃんが身を乗り出して聞いてくる。
すると千尋はゆっくりと笑って。
「私」
二枚の紙をテーブルに置いた。
そこに掛かれているのは。
愛浦千尋──合計891点。
河居唯恋──合計715点。
「…………」
一瞬、空気が凍る。
そして──
「あはははははははははは」
大きな笑い声が響いた。
「唯恋、意外と低っ!」
「もう、美惚ちゃん。笑いすぎだよ」
思い切り笑いだした美惚ちゃんを、茉陽瑠ちゃんがやんわりと注意した。
うう……。
でも仕方ないじゃん。
あの地獄みたいな腹痛のせいで、化学が壊滅したんだから。
「唯恋ちゃん、前のテストはもっと点数高くなかった?」
「そ、それは……」
言えるわけがない。
「うんこ我慢してました」なんて。
曖昧に笑ってごまかそうとした瞬間──
「化学の時、大変そうだったもんね」
千尋がわざとらしく言った。
「~~~~っ!」
思わず顔が熱くなる。
絶対にわざとだ。
あのニヤニヤ顔。
絶対にわざと言ったんだ。
『……トイレ、行きたいの』
耳元で囁いた黒歴史を、絶対に思い出してる!
「なにそれ? なにがあったの⁉」
興味津々で聞いてくる美惚ちゃん。
やめて。
聞かないで。
美惚ちゃんに翻弄される私を見て、千尋は楽しそうに笑った。
「まあ、それは置いといて」
いや、置いておくなら最初から言うな!
「唯恋」
「……なに」
「罰ゲーム、受けてもらおうか」
その笑顔を見た瞬間。
ぞくりと背中に寒気が走った。
「な、なにするの?」
かわいらしく首を傾げて聞いてみる。
すると千尋はわざとらしく、顎に手を当てて考え始める。
「うーん。どうしようかな」
「絶対もう決まってるでしょ」
「あはは、バレた?」
ジトっとにらみつける私に、千尋は楽しそうに笑う。
「今日の唯恋、凄くかわいいね」
「うん」
「そんなかわいい唯恋に私を癒してほしいな」
「うん?」
「癒すって何をすればいいの?」そう聞き返そうとしたら、千尋は自分の頬を指さして──
「キスしてほしいな」
「…………え?」
キス。
今この人、キスって言った?
「ええええええっ!」
茉陽瑠ちゃんが一気に真っ赤になった。
「ええ! キス!」
美惚ちゃんまで騒ぎ出した。
そんなふたりの声に、私の頭も騒がしくなる。
「な、なんでそうなるの⁉」
「罰ゲームだから」
当然のように言う千尋。
こいつ、絶対楽しんでるな。
「ほら、早く」
にやにやしながら頬を寄せてくる。
近い。
顔がいい。
肌きれい。
ずるい。
「うう……」
キスとかやだよ……。
でも──
千尋から逃げ出すとかもっと嫌だ。
ここで逃げたら、それこそ負けだろう。
「……やればいいんでしょ」
精一杯、覚悟を決める。
ちらっと横を見ると、ふたりがこちらを見つめている。
茉陽瑠ちゃんは両手を胸の前で握ってそわそわしている。
美惚ちゃんは顔を隠しているくせに、指の隙間からめちゃくちゃ見ている。
……見世物じゃないんだけどな。
そう思いながら、改めて千尋に向き直る。
長いまつげに、綺麗な横顔。
そして、ほんのりといい匂いまでしてくる。
数センチ。
あと少しで触れ合う。
「「はわわ……!」」
横から変な声が聞こえてきたけど、無視だ。
目の前の千尋に集中しないと。
あと数センチの距離を少しずつ縮めて。
そのまま、唇を軽く押し当てた。
柔らかい。
その感触に心臓が跳ねるよりも早く、距離を取って視線を上げる。
「ど、どう?」
平静を装って、聞くと千尋は満足そうに笑った。
「うん。かわいかったよ」
「~~~~っ!」
その笑顔が、妙に綺麗で──
見惚れそうになってしまう。
……いやいや!
なに見惚れそうになってるの私!
見惚れさせるのは、かわいい私の役目なんだけど!
悔しくなって、千尋を見惚れさせるべく、とびっきりかわいい笑顔を千尋に送る。
その笑顔に千尋は綺麗な笑顔を返して──
結局、私達の見つめ合いが終わるのは、「終了十分前です」と店員さんが声をかけてからだった。
***
「はあー、すごかったなー」
帰り道にて、ぽつりと呟いたのは茉陽瑠ちゃん。
「ねー」
美惚ちゃんも、どこか興奮した様子で頷く。
「ふたりとも、私達のことなんてお構いなしにイチャイチャし始めるんだもん」
その言葉に、私はぴくっと反応する。
「イチャイチャしてないし!」
「ふふ、唯恋が興奮して求めてくるから、私もついね」
「してないって言ってるでしょ!」
にやにやと笑う千尋を、私はかわいく睨みつける。
……くそ、余裕そうな顔しやがって。
本当はもっと言ってやりたいけど、口で勝てる相手じゃないから止めておこう。
──その代わり、別の人に絡みにいこう。
「えーん、茉陽瑠ちゃーん。千尋がいじめるよー」
ウソ泣きで甘える私を、茉陽瑠ちゃんは優しく受け止めてくれる。
「よしよーし。大丈夫だよ、唯恋ちゃん」
優しく頭を撫でられて、思わず頬が緩む。
「茉陽瑠ちゃん、好きー」
さらに甘えると、茉陽瑠ちゃんはぎゅっと強く抱きしめてくれた。
そんな私達を見て、美惚ちゃんがにやにやと笑った。
「ちひろー、私達もイチャイチャしよー!」
勢いよく千尋に飛びつく──。
けれど、千尋はひょいと躱して、なぜかこちらにやってくる。
「唯恋。私がいついじめたって?」
そのまま、茉陽瑠ちゃんごと私を抱きしめる。
……ちょっと待って、近いんだけど。
「えー、さっきいじめてきたもん」
「いじめてないし。嘘言わないで」
「いじめた」
「いじめてない」
「した」
「してない」
「まあまあ、ふたりとも」
子供みたいに言い合う私達に、困ったように茉陽瑠ちゃんが笑う。
その反応が面白くて、私達はますます調子に乗った。
「やった」
「やってない」
「やっ──わあ!」
そんなやり取りをしてると、突然横から強い力で抱きつかれた。
「もー、三人でずるいよ! 私も混ぜて!」
美惚ちゃんは子供みたいにぷっくりと頬を膨らませ、自慢のパワーで私達をぎゅーと抱きしめる。
私達はその力を、嫌がることなく受け入れる。
四人で抱きしめ合って、もう誰が誰に触れているのかわからない。
笑い声と体温が混ざり合う。
騒がしさも、今はとても心地いい。
それに、四人でこうして抱き合ってるのは
──とってもかわいい。
こんな幸せな時間があったから。
……まあ、今日の千尋のいじわるは許してやってもいいか。




