第28話 猫の手も借りたい
「ありがとう千尋」
「うん。じゃあ、バイト頑張ってね」
メイドカフェを前に、一緒に来てくれた千尋に手を振って店の中へ。
「唯恋ちゃんありがとう。ほんと人いなくて大変だったから助かったよ」
「いえいえ、暇だったので全然大丈夫ですよ」
着替えを済ませて事務所に入ると、店長がとても嬉しそうに頭を下げてきた。
隈の浮かぶくたびれた顔がぱっとほころんだところを見るに、過去最大級の忙しさだったことが伝わってくる。
そのまま嬉しそうな店長と少し話して、ホールへと出る。
「おはよう。りこ」
「おはようございます。先輩」
私に声をかけてきた先輩──これまでに何度も助けてくれた当店のナンバーワンメイド──の顔に疲労感はなく、今から働き始めました、と言われたら信じてしまいそうなくらいだ。
しかし店長の話によると、先輩は朝から働いているらしい。
よくドジをする私に助けを求めるほどの人手不足。
休む間なんて、ろくになかったのだろう。
それなのに疲れがまったく見えない。
店長と先輩。
あまりにも対照的なふたりを見て、少し苦笑する。
まあ、店長がくたびれてるのはいつものことだし、先輩が元気なのもいつものことだ。
深く考える必要はないのかもしれない。
カラン。
「おかえりなさいませ、ご主人様♡」
入口のベルの音を合図に、背筋を伸ばして気を引き締める。
「どうもー」
「あ、松下さん。おかえりなさい」
笑顔を向けた先にいるのは常連の松下さん。
何度も顔を合わせるお客さんで、私のチェキを持っている数少ない人だ。
その数少ない人の中で、松下さんはチェキを一番多く持っている。
……ちなみに、二番目は千尋。
「今日も来てくれて嬉しいです」
「僕もりこちゃんに会えて嬉しいよ」
席へ案内して軽くおしゃべりをした後に、松下さんからオムライスとドリンクの注文を受けた。
軽く頭を下げて、私はそのオーダーを伝えるべく、キッチンへと向かった。
キッチンで疲れた顔をしている店長にオーダーを伝え、もう一度ホールへと振り返る。
視界に入るのは、席を埋めるお客さん。
それに対してメイドは、私と先輩、それにもうひとりの合計三人。
キッチンは……店長がひとりで頑張っている。
どう見ても足りない。
いつもなら、他に四人はいるはずなのに。
こりゃあ、本当に大変なことになりそうだ。
でも──。
千尋と約束したんだ。
──頑張るって。
だから今日は精一杯やるぞ!
「がんばるぞー!」
気合を入れるべく声を出し、もう一度ホールへと歩き出した。
***
「つかれたーーーー」
力のない声を漏らしながら、溶けるように更衣室のロッカーへと倒れ込んだ。
今日の仕事、ほんっっっっとうに大変だった。
注文を取って、料理を運んで、たまにチェキを撮って。
ひとつ終わったと思ったら、次のお客さん。
それが終わったらまた次のお客さんって、息つく暇のないほどに動き回っていた。
そんなふうに動きっぱなしだったから、足が痛いし……。
ひとり、更衣室でぐったりしていると。
「唯恋ちゃん」
店長が顔を出した。
「お疲れさまー。いやー、今日はほんとに助かったよ。唯恋ちゃんが来てくれなかったら、まじでやばかったし」
「いえいえ、そんな……」
「そんなじゃないって。ほんとにやばかったんだから。やばすぎて途中脱走しようかと思ったし」
「そんなに!」
「あはは。そんなにそんなに」
そう言って、店長は疲れた顔をしながらも、気の抜けたように笑った。
「本当、急だったのに来てくれてありがとね」
店長は、感謝の言葉と共に頭を軽く下げた。
こうやって大人から素直に感謝されることなんてあまりなくて、なんだか照れくさくなる。
「それじゃあ、お先失礼します」
「うん。気をつけてねー」
店長に見送られながら、お店を後にする。
見送りなんて、普段はやらないのに「今日は助けてもらったから、これぐらいやるよ」なんて笑いながら言って、手まで振ってくれる。
夜風が頬を撫でる。
バイト中は感じることのなかった心地よさに、張り詰めていた力がふっと抜けた。
……終わった。
そんなふうに一瞬気を緩めたところで、すぐに千尋との約束を思い出す。
頑張るって約束したからな。
それに……。
『帰ってきたら、ちゃんと返事するから!』
千尋に宣言したことを思い出して、少し体に力が入る。
「ふう……」
心地いいと感じていた夜が、今は身が引き締まるものになって。
後ろからついてくる足音。
窓の向こうに見えた人影。
思い出したら、嫌な感覚が体の内側から湧き上がってきた。
怖くないわけじゃない。
今も体が震えている。
でも。
──立ち止まるのはもうやめたい。
「逃げないって決めたんだから……」
そう言い聞かせても、怖さが消えるわけじゃない。
「よし……」
それでも、少しだけ勇気が湧いてきて、足は前へと進んでいった。




