第23話 近づく距離②
その日の夜。
宿題は無事に終わり、千尋が帰ってからどのくらい時間が経っただろうか。
机の上には終わった問題集が広げられたままで、片付ける気も明日の準備をする気も起きなかった。
今日のやる気は、とうに使い果たしていた。
今はベッドで横になってやる気の回復という名のだらだらタイム。
ひとりのこの時間は、つい気が緩んでかわいさが減少してしまう。
まあ、だれにも見られてないから問題ない。
さっきまで隣にいたはずの気配が消えて、ひとりの時間を満喫中。
その気配を追い求めるようにスマホを見れば、千尋からのメッセージ。
『家でも気をつけてね』
「家で気をつけてって」
思わず小さく笑った。
『大丈夫だよ。家に怖いものはなにもない!』
送信。
文章を送った後、スマホの電源を切り、ぼんやりと天井を眺める。
千尋、今なにしてるんだろう。
お風呂に入っているのか、それともご飯を食べているのか。
なんとはなしに、幼馴染のことを考えていると、
──カタン。
「……?」
小さな音に反射的に顔を向ける。
「……気のせい……だよね」
音のした方向──窓をじっと見つめながら、自分に言い聞かせるように呟く。
言い聞かせようとしても、体が落ち着くことはなく、心臓の音が少しずつ大きくなっていく。
──カタン。
また鳴った。
今度ははっきりと聞こえた。
「……ッ」
息が詰まる。
ゆっくりと体を起こして、音を立てないように慎重に窓に近づく。
そして、カーテンに手を伸ばして──止まる。
開けるべきか、やめるべきか。
開けてどうなる。
窓の向こうにいる人と、顔を合わせるかもしれないんだよ。
でも──。
このまま不安に脅かされ続けるのも怖い。
きっと気のせいだ。
風で飛ばされてきた木の枝がぶつかっただけだ。
またしても、言い聞かせるように思考を巡らせて、震える指でカーテンを摘まんだ。
ほんの少し、ほんの少しだけ隙間を作り、外を覗く。
街灯の明かり、その光から外れた暗い道。
静かな夜が家の前に広がっている。
──やっぱり、誰もいない。
「ほら……やっぱり気のせいだったんだ──」
安堵の声を漏らした瞬間。
──ぬるり、と視界の端で〝なにか〟が動いた。
「え……?」
とっさに、瞳が〝なにか〟を追いかけた。
自分の意志で動いたのかも怪しい──瞳が向かったのは、路上駐車された車。
街灯の光から逃れるように、車の裏に〝なにか〟がいたのだ。
〝なにか〟──その正体は人影だった。
はっきりとした形ではない。
けれど、確かに人の輪郭をしているものが、じっとこちらを見ている気がした。
「ヒッ……!」
──目が合った。
気のせいじゃない。
今のは絶対に。
慌ててカーテンを閉め、小さく身を縮こまらせる。
「や……やだ……」
小さく漏らした声は、尋常ではないほど震えている。
心臓が跳ね、全身に寒気が走る。
カーテンを閉じて、外の状況はわからない。
あの人影はまだいるのか。
それとも、もういなくなってくれたのか。
わからない。
わからないからこそ、恐怖が膨らんでいく。
「たすけて……だれか……たすけて……」
救いを求めることしかできないほど、今の私は恐怖心に支配されていた。
落ちる視界の端。
わずかに捉えることができたスマホを手繰り寄せる。
画面を開き操作をするが、指が震えてうまくいかない。
もたつきながらも、やっとの思いで画面に映し出されたのは、
──千尋の文字。
「たすけて……たすけて……」
縋りつくように通話ボタンを押すと、呼び出しの音がうるさいくらいに響き渡る。
『もしもし?』
聞き慣れた声がスマホ越しに聞こえてくる。
「千尋……」
「どうしたの?」
私の震え声になにかを感じてくれたのか、千尋は心配そうな声色で疑問を浮かべる。
「たすけて……」
小さなその声に、スマホからは息を呑む音が聞こえてきた。
「どうしたの? なにがあったの?」
千尋は慌てた様子で、再度疑問を口にする。
「いた……外に……人……」
うまく言葉にならない。
それでも、千尋はしっかりと聞いてくれる。
「唯恋、落ち着いて」
優しくて強い声に、少しだけ冷静さを取り戻すことができた。
「すぐに行くから。部屋で待ってて」
「うん……」
「外のことは気にしないでいいから。大丈夫だから」
ドタドタと駆ける足音がスマホから響く。
転びそうなほど勢いよく聞こえるその音が、千尋の慌てようを表していた。
部屋を飛び出すほどに、私のことを心配してくれているんだ。
そう思うと、心が温かくなってくる。
少しして、インターホンが鳴った。
たまらず体がビクリと跳ねたが、すぐにそれがなにを意味しているのか理解できた。
「千尋!」
喜びの声を漏らしながら立ち上がり、玄関まで駆ける。
鍵を開け、扉を押すとそこには──
「おまたせ」
息を乱した千尋が立っていた。
「うう……千尋……ありがとう」
千尋の顔を見て、張り詰めていたものが緩んだからか、自然と目から涙がこぼれ、声も震えている。
思わず飛び出し、千尋を抱きしめる。
「おおっ!」
驚いた声を上げつつも、千尋はすぐに抱きしめ返してくれる。
「大丈夫。もう大丈夫だよ」
頭を撫でながら優しい声をかけられ、恐怖はどんどん解けていく。
「ここだと危ないから、中に入ろうか」
「うん……」
そうして、私と千尋は家の中へ。
もちろん玄関の鍵を閉めて、今は私の部屋でふたりきり。
ベッドに背を預け、身を寄せ合って座っていると、千尋がそっと手を握ってくれる。
千尋の手に包まれて、冷え切った指先がじんわりと温もりを感じていると千尋が口を開く。
「来るとき軽く外見たけど、唯恋が見たっていう人はいなかったよ」
「ほんと?」
顔を上げ尋ねると千尋は頷いた。
「うん。だから、心配することもないよ」
「そっか……」
心配──正直、千尋の顔を見てから、そんなことぜんぜん考えてなかった。
千尋がいれば大丈夫──そんな根拠のない安心感が湧いていたことは言わなかった。というか、言えなかった。恥ずかしいから。
「明日から学校だし、そろそろ寝ようか」
「うん」
千尋の言葉に短く返事をし、電気を消して、ふたりでベッドへ。
「久しぶりだね。こうやってふたりで寝るの」
「そうだね。小学生の時以来だったかな?」
懐かしいなー。
昔は、よくお互いの家にお泊りしてたっけ。
お泊りの予定じゃなかったのに、『まだ遊びたい』って私が駄々をこねて、急遽お泊りが決まったこともあって。
昔の微笑ましい日々を思い出して、思わずくすっと笑い声がこぼれる。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと昔のこと思い出してね」
「唯恋が『まだ遊びたい』って駄々こねてたこと?」
「え! なんでわかったの?」
エスパーのように考えていたことを言い当てた千尋は、私の疑問に対して軽く笑い。
「唯恋のことならなんでもわかるよ」
かっこつけるようにそう言った。
「あっそ」
意味不明な発言に適当な返事をし、私は明日のために早く寝ようと目を閉じる。
しかし、目を瞑っていても睡魔はすぐに訪れず、かわりに昔の思い出ばかりが湧いてくる。
湧き上がる思い出を楽しんでいると、ふと疑問が浮かんできた。
「そういえば、私達ってなんでお泊りしなくなったんだっけ」
お泊り──小学生の頃はあんなにしていたのに、中学生になってからは一度もしてない。
なんで急にやめちゃったのか、軽く考えてみても答えは出てこなくて、千尋に聞いてみた。
すると千尋は「うーん」と記憶を辿るように短く呟いて。
「唯恋が駄々こねなくなったから」
「そんなわけないでしょ!」
千尋が出した結論に、思わず否定する。
「え、そうだって。お泊りのとき、毎回唯恋が駄々こねるから仕方なく決まってたんだよ」
「そんなわけ……」
もう一度否定しつつも、過去のお泊りを思い返してみると……。
……あれ。
もしかして……。
「え? 本当に私が駄々こねてお泊りが決まってたの?」
「うん」
「毎回?」
「うん」
千尋は当たり前みたいな顔して私を見つめる。
「気づいてなかったの?」
「…………」
軽く告げられる真実に、私は開いた口が塞がらなくなった。
まじかー……。
全然気づいてなかった。
じゃあなに、私のわがままにみんな付き合ってくれてたの?
千尋も、お母さんとお父さんも、千尋のお母さんとお父さんも。
それって……なんか私だけ、凄い子供みたいじゃん!
まあ、実際子供だったんだけど!
そんなことを思いつつも、表には出さないように軽く笑う。
「ま、まあ、駄々こねなくなったってことは、私が大人になったってことだからね! うん!」
少し声が上ずってる気もするが、気にしないでおこう。
「ふふ」
隣から、笑い声がこぼれる。
「そうだね。……ふっ、唯恋が、ふふっ、大人に……」
千尋は、私に不快な思いをさせないように気をつかい、必死に笑いを押し殺し──でも、我慢できずに笑い声を漏らす。
「もう! 笑ってないで早く寝るよ!」
誤魔化したくて大声を上げるけど、隣で漏れ出る笑い声はもう少し続き、最終的に私達に睡魔が訪れたのは、日付が変わってからのことだった。
ねむい……。
なんか……疲れて……。
急に……。
千尋の手……あったかい……。
離したくないなぁ……。
このまま……。
ずっと……。
おやすみ……。
千尋……。
──カタン。




