第19話 好きの行方①
八月二十八日。
色々あった夏祭りから一週間が経った。
低く重たい音。
夜空に咲いた光。
そこで告げられた言葉。
あの時の光景が、ふとした拍子に浮かんでくる。
──あの時の、千尋の表情が……。
「……っ」
頭を振って無理やり追い払う。
……ダメだ。今は考えるのをやめなくちゃ。
今日の私は、かわいいメイドなんだから。
かわいいメイド──の、はずなんだけど……。
「おかえりなさいませ、ご主人様♡」
少しだけ高めに作った声。
いつも通りの──はずの笑顔。
注文を取りに行って、運んで、片付けて。
やることはいくらでもある。
だから、今は考えなくてもいいはずなのに……。
「りこちゃん、ちょっといい?」
不意に呼ばれて、ビクリと肩が跳ねた。
「はいっ!」
反射的に返事をして振り返ると、先輩が少しだけ首を傾げていた。
「大丈夫? さっきからちょっと変だよ」
「え、そんなことないですよ?」
すぐに笑顔を作る。
「ならいいけど」
軽く流してもらえて、ほっと息をつく。
……気づかれてない。まだ……大丈夫。
そう思った、そのときだった。
「おかえりなさいませ、ご主人様♡」
別のメイドの声が入口に向かって響く。
つられて、そちらに視線を向けると──
「……は?」
思わず声が漏れた。
無理もないだろう。
私の視線の先──入り口で立っていたのは、
──千尋だったのだから。
時間が止まった気がした。
心臓の動きが早くなっていき、呼吸することすら苦しい。
……なんで。
なんでここにいるの。
頭の中で問いかける声を切り捨てて、無理やり体を動かす。
「おかえりなさいませ、ご主人様♡」
口から出したいつもの言葉。
作り慣れた笑顔も、ちゃんとできている──はず。
千尋がこちらに歩いてくる。
ゆっくりと近づいてくるたびに、心臓の動きはどんどん加速していく。
ここは職場で、私はメイド、〝目の前の人〟はご主人様。
──そう思わないと。
「りこ」
「おひとり様でよろしいでしょうか?」
被せるように、震えそうな声を押し出す。
「うん、ひとり」
返ってくるのはいつもと変わらない声で──それが、不自然に思えた。
あの夜のことが、告白のことがまるでなかったみたいな、いつも通りの声。
気にしてないのか──なんてことが一瞬頭によぎるけど、そんな訳はない。
あんなことがあって、気にしてないはずがない。
はずが……。
『私、唯恋のことが好き』
またしても聞こえてくるあのときの声。
「……ッ」
噛み潰すように、無理やり思考を切り替える。
「こちらのお席へどうぞ」
ぎこちなさが出ないように丁寧に動きを整え、席へと案内する。
教わった動作を形式的に執り行い、千尋の視線がメニューに向いたところで、一瞬トレーを持つ手に力を込めた。
「ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」
そう言い切り、その場を離れようとしたそのとき──
「りこ」
名前を呼ばれて、思わず体が跳ねた。
「……ご主人様、どうされましたか?」
振り返らないまま、言葉だけを返す。
ちゃんと〝メイド〟の声で。
「注文いいかな」
その言葉に反応して振り返る。
「はい」
即座に返すと、千尋はメニューをこちらに向ける。
「りこのおすすめがいいんだけど、ある?」
「おすすめは──」
すらすらと定型文を口から出す。
あまり頭を動かす必要のない言葉を並べていると、少しだけ楽だった。
……わかってる。
この行為が、逃げであると。
でも、それでいい。
今は、それで……。
「じゃあ、それにしようかな」
「かしこまりました」
そう言い切って振り返り、そっと小さく息を吐く。
──大丈夫。ちゃんとやれてる。
「お待たせしました」
少しして、完成したオムライスをテーブルへと運ぶ。
その間も、意識を手元に集中させて、千尋へはできるだけ向かないようにした。
「以上でおそろいでしょうか?」
「うん。ありがとう」
短いやり取り。
それだけで終わるはずだったのに──
「これさ」
千尋が呟いて、反射的に体の動きが止まった。
「りこも好き?」
視線を向けると、千尋は料理を軽く指さしている。
「えっと……」
言葉を出そうとしてもなかなか出てこなかった。
料理を提供して、これで終わりだと思って油断していたのか。
即座にメイドらしい答えが見つからず、
「……はい」
小さく声を漏らすことしかできなかった。
それに対して、千尋が必要以上になにか言ってくることはなく、「ふーん」と短く返すだけだった。
ふたりの間に、重たい沈黙が落ちる。
「りこちゃん」
不意に呼ばれて、ビクッと肩が跳ね上がった。
声の方向に視線を向けると、こちらに手を振る男性がひとり。
──助かった。
心のどこかで、思わずそんなことを思ってしまった。
そのことに気づいた瞬間、胸の奥がざわつき始めた。
どうするべきか判断に迷い、男性と千尋の間で視線が揺れる。
「失礼します」
千尋の顔もろくに見ないまま頭を下げて、男性の方へと足を動かした。
「お待たせしました」
「りこちゃん、チェキお願いしてもいいかな」
私を呼んだ男性──松下さんは、初出勤の日に飲み物をかけてしまった方で、あの時以来度々声をかけてもらっている。
「かしこまりました」
軽く頭を下げ、他のメイドさんにカメラをお願いして撮影のための位置へと向かう。
「ご主人様。本日はどのようなポーズにいたしますか?」
「それじゃあ、今日はハートでお願い」
「かしこまりました」
私が片手でハートを作ると、松下さんもそれに合わせるように反対の手でハートの形を作り、お互いの手がゆっくりと近づいていく。
けれどそれが触れることはなく、指先が重なりそうなところで止まり、小さな隙間を残したままハートの形が完成した。
お店のルールでメイドとご主人様の接触が禁止されているため、このような形になっている。
松下さんも長く通っているので、このことについてなにか言ってくる心配もない。
「はい。それじゃあ、取りますよー」
メイドさんのかわいい声を合図に、シャッターが切られる。
「ありがとうございます」
私が頭を下げると、メイドさんは笑いながら出てきたチェキを手渡してくれた。
受け取ったチェキを見つめていると、少しずつ色が浮かび上がってくる。
ぼんやりとした輪郭がゆっくりと形になっていき、やがて私と松下さんの姿がはっきりと映し出された。
──よかった。ちゃんと笑えてる。
写真の中の私は、ちゃんと〝りこ〟として映っていた。
明るく笑って、なにも抱えてないみたいに。
悩みを抱えた唯恋を、そこから感じ取ることは到底できそうにない。
それに少しだけほっとして。
でも、ざわつきが収まることはなくて……。
「ご主人様、なにか書いて欲しいメッセージはございますでしょうか?」
取り繕うように、松下さんへ笑顔を向ける。
このお店では、撮影したチェキにご主人様の希望するメッセージを書くというサービスを行っており、撮影後はこうしてご主人様に要望をお聞きすることが恒例のやり取りになっている。
「うーん。特にないから、りこちゃんのおまかせでお願い」
「かしこまりました」
おまかせかー……。
正直、おまかせが一番難しいんだよね。
何を書くか自分で決めなきゃいけないし。
ぼんやりと考えながらふと視線を上げると、松下さんと目が合った。
松下さんは一瞬目を見開いた後、すぐに視線を逸らした。
「?」
──どうしたんだろう? 目が合ったのが恥ずかしかったのかな?
首を傾げながらそんなことを考えていると、今の状況を思い出した。
──いけない。なにを書くか早く考えないと。
自分のやるべきことを思い出し、もう一度頭を回し始める。
他のメイドさん達は、萌えとかキュンとかかわいい一言を書いているって言ってたなー。
過去の記憶を呼び起こしながら、それっぽい単語をいくつか思い浮かべる。
──よし!
私も他のメイドさん達に倣って、今浮かんだとびっきりかわいい一言を書いてみよう。
──『ラブ』っと。
「はい。できましたよご主人様」
丁寧に両手でチェキを差し出すと、松下さんはにやにやと表情を緩めた。
チェキを見つめているかと思えば、その視線を上げて私を見つめて。
目が合ったかと思えば、またチェキを見つめて。
そんなふうにチェキと私を交互に見つめ、何度か視線を動かして──ピタリと私を見て止まった。
……なんだろう?
不思議に思いつつ、言葉にできない感覚が胸に刺さり、僅かに視線が落ちる。
……ダメだ。お客さんの前でこんな顔しちゃ。
「え、えっと、お席に戻りましょうか」
取り繕うように笑顔を向けて、視線から逃れるべく足を進める。
「ありがとう、りこちゃん」
「ふふ、喜んでもらって私も嬉しいです」
松下さんは席に腰を掛けると、さっきまでの雰囲気が嘘のように軽い笑顔でこちらを見上げた。




