第16話 微笑みを受けて
それからしばらく、いくつかの屋台を冷かしながら歩いた。
焼きとうもろこしやイカ焼きに舌鼓を打ったり、久しぶりに金魚すくいをやってみたり。
どうでもいいことを言い合って、一緒に美味しいものを食べて。
祭りの空気に溶かされて、ぎこちなさなんてすっかりどこかへ消えていた。
そんな私達が次に目をつけた屋台は──射的。
「唯恋、射的やったことある?」
「うん。何回かやったことあるよ」
「そうなんだ。私、初めてなんだよね」
「へー」
おや……。
千尋がやったことない……。
……それなら、千尋に一泡吹かせられるかも!
「ねえ千尋、よかったら射的で勝負しない」
「勝負?」
「うん。どっちがいいものを手に入れられるかで勝負! 負けたら罰ゲームってことでさ」
千尋はその言葉を聞いて、少しだけ目を細めた。
「別にいいけど、負けても後悔しないでよね」
「もちろん!」
即答して、親指を立ててみせる。
「じゃあ罰ゲームは、負けた人が勝った人の言うことをなんでもひとつ聞くっていうことで」
「えっ‼」
千尋の提案に、反射的に声が上がった。
それも当然だ。
以前同じ罰ゲームで酷い目に遭わされたんだから。
──カラオケ。
あの時の光景が一瞬でフラッシュバックする。
言葉を返せないまま固まっている私を見て、千尋はニヤリと口元を歪めた。
「もしかして、ビビってるの?」
「うぅ……」
あの時と同じ言葉と顔で煽られる。
こんなの……。
こんなのって……。
──ムカつく。
「やるよ! やるに決まってるでしょ!」
売り言葉に買い言葉。
引き下がるなんて選択肢になく、勢いのままに睨みつけると、千尋はふっと息を漏らすみたいに笑って、
「そっか」
どこか楽しそうに、そう呟いた。
「それじゃあ、始めようか」
千尋はそう言って射的の屋台へと足を踏み入れる。
台の上には色とりどりの景品が並んでいる。
小さなお菓子の箱にぬいぐるみ、一番目立つ場所には最新のゲーム機まで。
いかにも「取れるものなら取ってみろ」と言っているような配置。
料金を支払い、店主からコルク銃と五個のコルクを受け取りながら台の上の景品をじっと見る。
……あれ、取れそうじゃない。
上の方に置かれた、少し大きめのクマぬいぐるみ。
片方の足元にだけガムの箱が置いてあり、意図的に不安定に配置されている。
当たりどころがよければ──。
「ずいぶん真剣な顔してるね」
「別にいいでしょ!」
見下ろす千尋から視線を逸らす。
「絶対勝つからね」
「ふーん」
千尋は小さく肩をすくめてから、銃を構えた。
そのまま、一発。
カンという小気味いい音を鳴らして、小さなガムの箱が落ちた。
「お、取れた」
「え」
続けて二発目、三発目。
狙いすましたように、確実にお菓子を落としていく。
「ちょっと待って!」
「なに?」
「初めてじゃなかったの⁉」
「初めてだよ」
さらっと返して放った四発目も命中。
百発百中で、落ちたのは四つのお菓子。
「どうしたの? 早く撃たないの?」
そう言う千尋の目は、楽しそうに細められている。
「今からやるの!」
声をあげて、銃を構える。
……落ち着け。
千尋が手に入れたのは、お菓子が四つ。
でも今回の勝負、別に個数なんて関係ない。
『いいものを手に入れられたほうが勝ち』なんだから、大量のお菓子を取った千尋に勝てる唯一の方法。
それは──大物を取ること。
だから私が狙うのは──
改めて視線を定める。
初めから狙っていた、絶妙なバランスで置かれた。
──クマのぬいぐるみ。
銃口をぬいぐるみに向け、一発。
「……っ」
「外れたね」
私の放ったコルクは空を切って、ぬいぐるみの左を通過した。
「今のは確認だし。コルクがどう飛ぶのか、確認のために撃ったんだから」
強がって言い返し、もう一度銃を構える。
先程はぬいぐるみの左を通過したから、もうすこし銃口をずらして……。
調整して放った二発目。
今度はぬいぐるみの右をコルクが通過した。
「うぅぅぅ……」
悔しさを滲ませ唸ると千尋は愉快そうに軽く笑う。
「がんばれー」
負けないと思っているのか、余裕な顔で私に応援の言葉を投げかける千尋。
その言葉をスルーし、放った三発目。
しかして今度は──命中。
ぬいぐるみの右腕に掠るように当たった。
わずかに掠る程度の一撃にぬいぐるみを倒すほどの威力はなかったものの、確実に狙いはよくなっている。
「よし……」
独り言として、小さく呟いた言葉。
その言葉に千尋は反応せず、じっと観察するようにぬいぐるみを見つめている。
迎えた四発目。
銃を構え、銃口をぬいぐるみへ。
軽く息を止め、人差し指に力を込める。
瞬間──放たれるコルク。
これまで培ってきた経験から導き出されたこの一撃は、逸れることなく、まっすぐとぬいぐるみへ飛んでいき──胸元に直撃した。
「やった!」
命中したことに喜びの声を上げる──が。
ぬいぐるみは少しよろけて見せるだけで、倒れることはなかった。
「あー、惜しいね。これ落ちないとダメだからね」
そう言いながら、店主が私の傍へと歩いてくる。
「あと一発。よーく狙いを定めて、がんばってねー」
噓でしょ……。
あんなにちゃんと命中したのに、倒れないなんて……。
もしかして……これ、不安定に見えるように置いてるだけで、倒れないんじゃ……。
そんなことを考えているからだろうか、明るかった店主の笑顔も、なんだか意地悪く見えてくる。
──残りは一発。
この一発で取らないと……。
……負け。
でも、どうすれば。
ちゃんと当てても倒れないのに、もう一度やって落とすことは……。
だからと言って、いまさら他の物を狙ったって……。
当たる保証はないし、千尋に勝てる可能性は……。
「ふーん。唯恋あれ狙ってるんだ」
後ろ向きな思考が加速していく中で、千尋の楽しそうな声がはっきりと耳を打った。
視線を向けると、千尋はとても愉快そうに顔を歪めて、
「じゃあ、私もあれ狙おっかな」
銃口がぬいぐるみへと向けられた。
「待って!」
千尋がぬいぐるみを落とせる保証なんてない。
私が直撃させてもダメだったんだから、千尋がやったって出来ない可能性の方が高いだろう。
でも千尋ならやってしまうのではないか、という確信に近い不安が過ぎり、たまらず声を上げ、銃口をぬいぐるみへと向けた。
咄嗟の行動だ。
狙いなんて曖昧で、引き金を引いたタイミングすら自分の意志だったのか怪しい。
私が引き金を引くよりも先に、千尋の銃からコルクが飛び出した。
初めて狙う物に対しても、コルクは正確に飛び、ぬいぐるみの額に直撃させてみせた。
片足がガムの箱で持ち上げられた、不安定なバランスを崩すように放たれた一撃。
その狙い通り、額に強烈な衝撃を受けたぬいぐるみはバランスを崩し、一度後ろに揺れ、そのバランスを取り戻すようにゆっくりと前に傾き、再度バランスを取り戻そうと後ろへと傾いた、瞬間──。
──一発のコルクが、ぬいぐるみの額に命中した。
その勢いのまま、ぬいぐるみはさらに後ろへと傾き、後方に倒れ落下した。
「ありゃ」
千尋が短い言葉を放ち、こちらを見つめる。
しかしその視線に気づくことはできず、店主の鳴らしたハンドベルの音が私の意識を呼び起こした。
「大当たり! やったね嬢ちゃん!」
そう言って店主は、落ちたぬいぐるみを握り、私へと差し出した。
「え?」
疑問を浮かべる私に、店主は押し付けるような形でぬいぐるみを渡すと、落ちた景品に代わる物を新しく補充し始めた。
「よかったね。唯恋」
そこでようやく、千尋がこちらを見つめていることに気づいた。
「え? これ……私が?」
「うん。唯恋がやったんだよ。おめでとう」
優しく微笑んでこちらを見つめる千尋。
現実を遅れて理解して、瞳に涙が滲んできた。
「じゃあ、勝負は……」
「唯恋の勝ちだよ」
震え声で漏らした呟きに、優しい声で告げられる。
勝った……。
その言葉を聞いた瞬間、瞳に溜まっていたものが決壊した。
「やったー! 千尋に勝ったー!」
人生で初めて千尋に勝った。
今まで勝てなかった。
ずっと届かない距離にいた千尋に、やっと……。
嬉しさのあまり周りの目なんて見えておらず、泣きながらはしゃぎ声を上げる私を千尋は迷惑にならないようにと、人通りの少ないところまで手を引いて連れて行った。
その間、千尋に手を握られていることを意識することもなく喜び続けた私。
それを保護者のような目で見つめる千尋。
そんなふたりがやってきたのは、祭りの屋台が並ぶ道から少し外れた小さな公園。
ベンチとブランコ、滑り台だけの静かな場所。
普段なら近所の子供が遊んでいるのかもしれないが、今は私と千尋だけ。
さっきまでの喧騒が嘘みたいに遠のいて、夜の静けさがゆっくりと戻ってくる。
「はしゃぎすぎ」
ふたりで並んでブランコに座っていると、千尋が呟いた。
「だって勝ったし」
まだ少し弾んだ声で返すと、千尋はくすっと笑った。
「嬉しそうだね」
「嬉しいよ。だって千尋に勝ったんだよ⁉」
口に出すと、実感がさらに強くなる。
千尋に勝った。
──今まで勝てなかった相手に初めて勝った。
それが、こんなにうれしいなんて思ってもいなかった。
「まあ、今回はね……」
「なにそれ」
ジトっと睨むと、千尋は肩をすくめる。
「でも、よく落とせたね。最後のやつ」
「まあね……」
思い出す。
──あの一発。
当てて、揺れて、ゆっくりと倒れていったあの瞬間。
手の中にあるぬいぐるみをぎゅっと抱き寄せる。
「勝てると思ったんだけどな……」
零れ落ちる小さな呟き。
その声が隣にいる私に届くことはなく。
「なに?」
「ううん。なんでもない」
聞き返しても、千尋は軽く首を振るだけだった。
それ以上千尋が口を開くことはなく、なんとなく私も黙ってみせた。
遠くから、祭りの賑わいが聞こえてくる。
それとは対照的にこの場は静かで、風に揺れる木の葉の音が、やけに近くに感じられる。
でも、それも悪くない。
祭りの賑わいも好きだけど、こうして静かな夜に身を置くのも嫌いじゃない。
静かな夜。
隣には千尋がいて。
どちらも声を上げぬまま。
ただ、同じ時間を過ごしている。
それだけなのに、不思議と心地いい。
ふたりだけの夜が、静かにゆっくりと流れていく。




