第13話 故にこの気持ちは……
意識がどうしても千尋の方に引っ張られる。
視界の端に入るたびに落ち着かないし、気になっちゃう。
わかってる。
ちゃんとやらないと。
「ご、ご注文は……えっと……」
言葉が詰まる。
目の前のお客さんの顔を見ているはずなのに、意識の一部がどうしても別の方向に引っ張られている。
──千尋、まだこっち見てる?
一瞬だけ視線を泳がせてしまう。
そのせいで、聞き取れたはずの注文が頭からすっぽ抜けていく。
「あ、すいません。もう一度お願いしてもよろしいでしょうか……」
笑顔を作る。
けど、きっと引きつっている。
自分でもわかるくらい──不自然だ。
「えっと、オムライスと……あとドリンクが」
言いながら頭の中で整理する。
オムライス。ドリンク。ここまではいい。
でも、その先が出てこない。
「……っ」
沈黙が落ちる。
ご主人様も少しだけ困ったような顔をしている。
……やばい。
「あ、あの、もう一度!」
さっきと同じことを繰り返す。
──最悪だ。
その次も、うまくいかなかった。
入店のベルが鳴り、ご主人様をお出迎えに行った時。
「おかえりなさいましぇ……ご主人様」
舌を噛んだ。
顔が一気に熱くなるのを感じながら、それでもなんとか笑顔を作る。
けれど、明らかにぎこちない。
──ダメだ。
さっきから、全然うまくできてない。
ちょっと前までは大丈夫だったのに、急に──。
千尋が来てから……。
千尋に見られてるって思ってから、体がうまくコントロールできなくなってる。
「ねえ、りこ」
すぐ近くから声がして、びくりと肩が跳ねる。
振り向かなくてもわかる。
この声は──。
「なんか下手じゃない」
軽い調子で放たれた言葉はまっすぐに私に届いて、逃げることすら考えさせてくれない。
「別にそんなこと──」
「あるでしょ」
言い返そうとしても、被せるように言われて、言葉が止まる。
「顔、わかりやすいよ」
「……うるさい」
絞り出すように返すけど、その声は自分でも驚くくらいに弱々しかった。
千尋はそれを聞いて、くすっと小さく笑う。
その笑い方が、少しムカつく。
でも──
「わかってるし……」
小さく呟く。
「ちゃんとできないのくらい……わかってるし……」
言葉にすると、余計に悔しくなる。
上手くできなくなっている原因。
そんなの、わかってるから……余計に。
沈黙がほんの一瞬だけ落ちた。
その空気を壊したのは──もちろん千尋。
「じゃあさ」
いつもと変わらない軽い声で。
「私で練習すればいいじゃん」
「……は?」
思わず間の抜けた声が漏れた。
「どうせりこに接客してほしいお客さん、私しかいないし」
「そんなことないよ!」
即座に否定する。
でも、多分事実だろう。
失敗ばかりの私に接客してほしい人なんて……。
「ほら」
千尋は楽しそうに笑って、少しだけ身を乗り出す。
「メイドなんでしょ? ちゃんと接客してよ」
「……っ」
なんか言ってやりたいけど、言葉が出ない。
……悔しい。
けど──
深く息を吸い込む。
ゆっくり吐いて、気持ちを整える。
──やるしかない。
「かしこまりました、ご主人様」
意識して、声を整える。
さっきよりも丁寧に。
ひとことずつ、ゆっくりと。
「ご注文をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
千尋は少しだけ間をおいてから、愉快そうに口元を歪めた。
「なにかドリンクを頼みたいんだけど、おすすめってある?」
「おすすめ、ですね……」
一瞬だけ詰まる。
頭の中でメニューをなぞりながら、千尋の好きそうなものを探す。
甘いのは嫌いじゃないけど、甘すぎるのは苦手で。
炭酸は──飲んでるの、あんまり見たことない。
「当店のおすすめは……」
そこから導き出された最適解。
「こちらの、思い出うつし♡キュートフロートです」
「ふふ」
「なによ?」
「いや、りこが好きそうなかわいい名前だなと思って」
「別に……私じゃなくて、お店が決めたんだからね」
そう言うけれど、実際にちょっと好きなネーミングだから、強く否定しきれない。
「じゃあ、それをお願い」
「かしこまりました」
すっと言葉が出る。
──ちゃんとできた!
さっきまでダメダメだった接客が、今では別人のように調子がいい。
そんな気持ちが表情に表れていたのか、千尋は満足そうに目を細める。
「いい感じだね」
「…………」
まっすぐな笑顔に、耐えきれずに視線を逸らす。
「……ありがとう」
そのまま呟くように感謝を伝えると、千尋は「うん」と小さく頷いた。
「それで、ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
一度息を吸い込んで、視線を戻す。
「うん。大丈夫だよ」
その言葉を受け取って、軽く頭を下げる。
千尋に背を向けキッチンへ行き、オーダーを伝える。
しばらくして、出来上がったドリンクを受けとり、トレーの上で位置を整える。
透明なグラスの中で、冷たいコーヒーの上にバニラアイスがそっと浮かんでいる。
見た目は完璧。
──問題は、私。
小さく息を吸い込む。
──大丈夫。私ならできる。
心の中でそう言い聞かせて、千尋の席へと足を向ける。
「おっ!」
その途中で、体が前に傾いた。
なにもないところで足が引っかかって、声にならない声が漏れる。
トレーがぐらりと揺れて、グラスの中のコーヒーが波打つ。
──やばい!
そう思った次の瞬間、なんとか踏みとどまった。
「……っ!」
危なかった。
ギリギリで耐えて、数滴こぼれただけで収まった。
突然訪れた危機に心臓はバクバクで、寿命がちょっと縮んだ気がする。
まあでも、完全にやらかしてなくて本当によかった。
もしグラスをひっくり返していたら、私の寿命は一気に半分になっていたかもしれない。
一回お客様にぶちまけてしまっているのに……同じミスをしそうになって……。
鼓動の速さに飲まれるように、気分が段々落ちていく。
「りこ~」
そんなことを思っていると、私の心に直接響くような間の抜けた声がした。
顔を上げると、千尋がこちらに手を振っている。
「今の、だいぶ危なかったね」
口元を緩めて、楽しそうに言う。
「見てたなら助けてよ」
「無理でしょ。距離的に」
「…………っ」
恥ずかしさから出た言葉に正論で返され、返す言葉が見つからない。
言い返せずに黙っている私を見て、千尋はまたしても笑顔を見せる。
……ムカつく。
いつもの揶揄い顔にも今は声を荒げず、改めてひとつ息を吸い気持ちを整える。
──よし。大丈夫。
「おまたせしました」
無理やり明るい声を出し、トレーから持ち上げようとグラスに触れる。
すると、先ほどのことが頭によぎる。
つまずいて、転びかけて──。
だからこそ、今度は慎重に。
ゆっくりとテーブルへ。
「こちら、思い出うつし♡キュートフロートでございます」
言葉は噛まない。
グラスも音もたてずに置けてる。
──よし!
たまらず、心の中でガッツポーズをした。
「まあ」
千尋が、少しだけ間をおいてから口を開いた。
「及第点ってところかな」
「……なにそれ」
つい視線が鋭くなる。
「褒めてるよ?」
「どこが⁉」
「グラスをひっくり返さなかったところ」
「基準低くない⁉」
「さっきの見てたら妥当でしょ」
「…………っ」
またしても言い返せない。
ほんと、こういうこと無駄に強いんだから。
「でも、まあ……」
千尋はグラスに視線を落として、少しだけ表情を緩める。
「さっきまでよりは全然いいよ」
「…………」
やっぱり、千尋には勝てない。
そんな顔されて、返せる言葉が出てこない。
「さっき、失敗ばっかりだった時さ……」
少しだけ間をおいて、千尋が顔を上げる。
「ずっと〝私〟のこと意識してたでしょ」
「…………っ」
図星だった。
言い返そうと慌てて口を開いても、言葉が見つからない。
「りこが私のこと好きなのは知ってたけど、まさかそこまでだったとはね」
「そんなんじゃないし!」
揶揄う声に、反射的に声が出る。
──いけない。今は仕事中だ。
「こほん」
わざとらしい咳払いを一度して。
「別に、好きとかじゃないし……ただ知り合いにバイトしてるところ見られて、恥ずかしいってだけだし」
平静を装って言い切る。
でも、胸の内は全く落ち着いてない。
──好きじゃない。
あんなやつ。
いじわるで、揶揄ってくるようなやつ。
今までいじられたときは、こんなふうに思って終わりだった。
でも今は、続きが自然と湧き上がる。
あんなやつ……。
ふとした瞬間に、思い出す。
海で見た千尋の表情が。
余裕のない表情が浮かんで、無理やり消して。
一人の部屋でそんなことをしてるんだから、直接顔を合わせて意識しない方が無理だろう。
改めて問う。
──千尋のことが好きなのか?
──いいえ。好きではありません。
そう言い切ろうとして、胸の奥に引っ掛かりを覚える。
触れたらすぐに壊れてしまいそうな、触れたら傷付けられそうな感覚。
ふたつの性質を併せ持つこの感覚を好きと呼べるのか、私にはわからない。
だが変化が起きているのは明らかで、以前〝千尋は私のことが好き〟と勘違いしたときは、答えを出すことができた。
でも、今は……。
揺れる瞳を誤魔化すように、しっかりと目を閉じる。
瞼をゆっくりと開け、なにもなかったみたいな顔を作って千尋を見つめる。
「千尋こそ、私のこと大好きなんじゃないの?」
軽口のつもり。
逃げるために発した言葉。
その答えを、受け止める覚悟も出来ていないのに。
「私は──」
千尋がわずかに息を整えて、口を開く。
その瞬間、空気が変わった。
店内のざわめきが少し遠くへ。
食器の触れ合う音も、誰かの笑い声も、どこか別の場所の出来事みたいにぼやけて。
視界の中ではっきりしているのは、千尋だけだった。
言葉を選ぶような、ほんの一瞬の間が生まれて。
それで──
「すみません。ちょっといいですか?」
すぐ後ろから声がして、肩がびくりと跳ねた。
「は、はい!」
その声に意識がハッとしたのと同時に、胸の奥でなにかが解けた。
──助かった。
そう思ってしまった自分がいた。
逃げるように体を逸らし、声の主へと顔を向ける。
「え、えっと……」
言葉が出てこない私の頭の中で、浮かぶのは先ほどの光景ばかり。
あの続きを聞いていたら……。
なんて考えていたから、その後の仕事は散々だった。
噛んだり、注文を聞き逃したり、同じミスを繰り返してばかりで先輩にも何度もフォローしてもらった。
『私は──』
その言葉に支配されて働き続け、気が付けばバイトの終了時間。
店長に挨拶をし、店の外に出る。
夜の空気が少しだけひんやりしていて、ようやく息がつける。
「おつかれ、いこ」
後ろから声がする。
振り返らなくても、誰かわかる声。
「……なに」
ぶっきらぼうに返しても、特に効果はない。
「せっかく練習してあげたのに、ダメダメだったね」
「……うるさい」
いつもの揶揄いに絞り出すように反論しても、千尋は軽く笑うばかりで意味がない。
「途中はよかったんだけどな―」
「あんたのせいでしょ……」
「え、なんで?」
「なんでって……」
言いかけて止まる。
言えるわけがない。
──あなたの言葉が気になって仕事も手につきませんでした、なんて。
代わりの言葉を見つけることもできず、ふたりの間を沈黙だけが行き来する。
「さっきのさ……」
千尋がぽつりと呟く。
普段とは違う静かな声に、心臓が跳ねる。
「……なに」
思ったよりも固い声が出た。
その声を聞いて、千尋はほんの一瞬こちらを見て
「……いや、なんでもない」
なにかを言いかけて、視線を逸らした。
──なに⁉
普段と違う千尋に、高鳴った心臓がさらに大きく脈を打つ。
聞き返したいのに、声を出すことができない。
結局、どちらも踏み込めないまま時間だけが過ぎていく。
「……まあいいや」
空気を切り換えるように、千尋が小さく息を吐いた。
「来週さ」
「……うん」
「夏祭り、あるじゃん」
「……うん」
夏祭り。
毎年この辺で行われている祭りで、去年も千尋と一緒に行ったっけ。
「一緒にいかない?」
毎年のように聞いてきた、ただ誘っているだけの言葉。
でも今は、さっきまでの空気がまだ残っているせいで。
──ただの誘いに聞こえない。
「……別に、いいけど」
「ほんと?」
「うん。ちょうどその日、暇だし」
「そっか……」
そうやって短く話して、それ以上はなにも言わなかった。
並んで歩く。
少しだけ距離を開けて。
夜風が静かにふたりの間を通り過ぎる。
『私は──』
この言葉をなかったことにできるほど、私は器用じゃない。
きっと何度も思い出す。
──夏祭り。
人の多さに紛れれば上手く誤魔化せるかもしれない。
なにもなかったみたいに笑っていられるかもしれない。
でも、それでいいのかと問われたら──
今すぐに答えは出せない。
だから、来週までになにかしらの答えを出さなければいけない気がした。




