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かわいい子には地獄見せろ  作者: 鶴ヶ友護


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13/22

第13話 故にこの気持ちは……

 意識がどうしても千尋の方に引っ張られる。

 視界の端に入るたびに落ち着かないし、気になっちゃう。

 わかってる。

 ちゃんとやらないと。

「ご、ご注文は……えっと……」

 言葉が詰まる。

 目の前のお客さんの顔を見ているはずなのに、意識の一部がどうしても別の方向に引っ張られている。

 ──千尋、まだこっち見てる?

 一瞬だけ視線を泳がせてしまう。

 そのせいで、聞き取れたはずの注文が頭からすっぽ抜けていく。

「あ、すいません。もう一度お願いしてもよろしいでしょうか……」

 笑顔を作る。

 けど、きっと引きつっている。

 自分でもわかるくらい──不自然だ。

「えっと、オムライスと……あとドリンクが」

 言いながら頭の中で整理する。

 オムライス。ドリンク。ここまではいい。

 でも、その先が出てこない。

「……っ」

 沈黙が落ちる。

 ご主人様も少しだけ困ったような顔をしている。

 ……やばい。

「あ、あの、もう一度!」

 さっきと同じことを繰り返す。

 ──最悪だ。

 その次も、うまくいかなかった。

 入店のベルが鳴り、ご主人様をお出迎えに行った時。

「おかえりなさいましぇ……ご主人様」

 舌を噛んだ。

 顔が一気に熱くなるのを感じながら、それでもなんとか笑顔を作る。

 けれど、明らかにぎこちない。

 ──ダメだ。

 さっきから、全然うまくできてない。

 ちょっと前までは大丈夫だったのに、急に──。

 千尋が来てから……。

 千尋に見られてるって思ってから、体がうまくコントロールできなくなってる。

「ねえ、りこ」

 すぐ近くから声がして、びくりと肩が跳ねる。

 振り向かなくてもわかる。

 この声は──。

「なんか下手じゃない」

 軽い調子で放たれた言葉はまっすぐに私に届いて、逃げることすら考えさせてくれない。

「別にそんなこと──」

「あるでしょ」

 言い返そうとしても、被せるように言われて、言葉が止まる。

「顔、わかりやすいよ」

「……うるさい」

 絞り出すように返すけど、その声は自分でも驚くくらいに弱々しかった。

 千尋はそれを聞いて、くすっと小さく笑う。

 その笑い方が、少しムカつく。

 でも──

「わかってるし……」

 小さく呟く。

「ちゃんとできないのくらい……わかってるし……」

 言葉にすると、余計に悔しくなる。

 上手くできなくなっている原因。

 そんなの、わかってるから……余計に。

 沈黙がほんの一瞬だけ落ちた。

 その空気を壊したのは──もちろん千尋。

「じゃあさ」

 いつもと変わらない軽い声で。

「私で練習すればいいじゃん」

「……は?」

 思わず間の抜けた声が漏れた。

「どうせりこに接客してほしいお客さん、私しかいないし」

「そんなことないよ!」

 即座に否定する。

 でも、多分事実だろう。

 失敗ばかりの私に接客してほしい人なんて……。

「ほら」

 千尋は楽しそうに笑って、少しだけ身を乗り出す。

「メイドなんでしょ? ちゃんと接客してよ」

「……っ」

 なんか言ってやりたいけど、言葉が出ない。

 ……悔しい。

 けど──

 深く息を吸い込む。

 ゆっくり吐いて、気持ちを整える。

 ──やるしかない。

「かしこまりました、ご主人様」

 意識して、声を整える。

 さっきよりも丁寧に。

 ひとことずつ、ゆっくりと。

「ご注文をお伺いしてもよろしいでしょうか?」

 千尋は少しだけ間をおいてから、愉快そうに口元を歪めた。

「なにかドリンクを頼みたいんだけど、おすすめってある?」

「おすすめ、ですね……」

 一瞬だけ詰まる。

 頭の中でメニューをなぞりながら、千尋の好きそうなものを探す。

 甘いのは嫌いじゃないけど、甘すぎるのは苦手で。

 炭酸は──飲んでるの、あんまり見たことない。

「当店のおすすめは……」

 そこから導き出された最適解。

「こちらの、思い出うつし♡キュートフロートです」

「ふふ」

「なによ?」

「いや、りこが好きそうなかわいい名前だなと思って」

「別に……私じゃなくて、お店が決めたんだからね」

 そう言うけれど、実際にちょっと好きなネーミングだから、強く否定しきれない。

「じゃあ、それをお願い」

「かしこまりました」

 すっと言葉が出る。

 ──ちゃんとできた!

 さっきまでダメダメだった接客が、今では別人のように調子がいい。

 そんな気持ちが表情に表れていたのか、千尋は満足そうに目を細める。

「いい感じだね」

「…………」

 まっすぐな笑顔に、耐えきれずに視線を逸らす。

「……ありがとう」

 そのまま呟くように感謝を伝えると、千尋は「うん」と小さく頷いた。

「それで、ご注文は以上でよろしいでしょうか?」

 一度息を吸い込んで、視線を戻す。

「うん。大丈夫だよ」

 その言葉を受け取って、軽く頭を下げる。

 千尋に背を向けキッチンへ行き、オーダーを伝える。

 しばらくして、出来上がったドリンクを受けとり、トレーの上で位置を整える。

 透明なグラスの中で、冷たいコーヒーの上にバニラアイスがそっと浮かんでいる。

 見た目は完璧。

 ──問題は、私。

 小さく息を吸い込む。

 ──大丈夫。私ならできる。

 心の中でそう言い聞かせて、千尋の席へと足を向ける。

「おっ!」

 その途中で、体が前に傾いた。

 なにもないところで足が引っかかって、声にならない声が漏れる。

 トレーがぐらりと揺れて、グラスの中のコーヒーが波打つ。

 ──やばい!

 そう思った次の瞬間、なんとか踏みとどまった。

「……っ!」

 危なかった。

 ギリギリで耐えて、数滴こぼれただけで収まった。

 突然訪れた危機に心臓はバクバクで、寿命がちょっと縮んだ気がする。

 まあでも、完全にやらかしてなくて本当によかった。

 もしグラスをひっくり返していたら、私の寿命は一気に半分になっていたかもしれない。

 一回お客様にぶちまけてしまっているのに……同じミスをしそうになって……。

 鼓動の速さに飲まれるように、気分が段々落ちていく。

「りこ~」

 そんなことを思っていると、私の心に直接響くような間の抜けた声がした。

 顔を上げると、千尋がこちらに手を振っている。

「今の、だいぶ危なかったね」

 口元を緩めて、楽しそうに言う。

「見てたなら助けてよ」

「無理でしょ。距離的に」

「…………っ」

 恥ずかしさから出た言葉に正論で返され、返す言葉が見つからない。

 言い返せずに黙っている私を見て、千尋はまたしても笑顔を見せる。

 ……ムカつく。

 いつもの揶揄い顔にも今は声を荒げず、改めてひとつ息を吸い気持ちを整える。

 ──よし。大丈夫。

「おまたせしました」

 無理やり明るい声を出し、トレーから持ち上げようとグラスに触れる。

 すると、先ほどのことが頭によぎる。

 つまずいて、転びかけて──。

 だからこそ、今度は慎重に。

 ゆっくりとテーブルへ。

「こちら、思い出うつし♡キュートフロートでございます」

 言葉は噛まない。

 グラスも音もたてずに置けてる。

 ──よし!

 たまらず、心の中でガッツポーズをした。

「まあ」

 千尋が、少しだけ間をおいてから口を開いた。

「及第点ってところかな」

「……なにそれ」

 つい視線が鋭くなる。

「褒めてるよ?」

「どこが⁉」

「グラスをひっくり返さなかったところ」

「基準低くない⁉」

「さっきの見てたら妥当でしょ」

「…………っ」

 またしても言い返せない。

 ほんと、こういうこと無駄に強いんだから。

「でも、まあ……」

 千尋はグラスに視線を落として、少しだけ表情を緩める。

「さっきまでよりは全然いいよ」

「…………」

 やっぱり、千尋には勝てない。

 そんな顔されて、返せる言葉が出てこない。

「さっき、失敗ばっかりだった時さ……」

 少しだけ間をおいて、千尋が顔を上げる。

「ずっと〝私〟のこと意識してたでしょ」

「…………っ」

 図星だった。

 言い返そうと慌てて口を開いても、言葉が見つからない。

「りこが私のこと好きなのは知ってたけど、まさかそこまでだったとはね」

「そんなんじゃないし!」

 揶揄う声に、反射的に声が出る。

 ──いけない。今は仕事中だ。

「こほん」

 わざとらしい咳払いを一度して。

「別に、好きとかじゃないし……ただ知り合いにバイトしてるところ見られて、恥ずかしいってだけだし」

 平静を装って言い切る。

 でも、胸の内は全く落ち着いてない。

 ──好きじゃない。

 あんなやつ。

 いじわるで、揶揄ってくるようなやつ。

 今までいじられたときは、こんなふうに思って終わりだった。

 でも今は、続きが自然と湧き上がる。

 あんなやつ……。

 ふとした瞬間に、思い出す。

 海で見た千尋の表情が。

 余裕のない表情が浮かんで、無理やり消して。

 一人の部屋でそんなことをしてるんだから、直接顔を合わせて意識しない方が無理だろう。

 改めて問う。

 ──千尋のことが好きなのか?

 ──いいえ。好きではありません。

 そう言い切ろうとして、胸の奥に引っ掛かりを覚える。

 触れたらすぐに壊れてしまいそうな、触れたら傷付けられそうな感覚。

 ふたつの性質を併せ持つこの感覚を好きと呼べるのか、私にはわからない。

 だが変化が起きているのは明らかで、以前〝千尋は私のことが好き〟と勘違いしたときは、答えを出すことができた。

 でも、今は……。

 揺れる瞳を誤魔化すように、しっかりと目を閉じる。

 瞼をゆっくりと開け、なにもなかったみたいな顔を作って千尋を見つめる。

「千尋こそ、私のこと大好きなんじゃないの?」

 軽口のつもり。

 逃げるために発した言葉。

 その答えを、受け止める覚悟も出来ていないのに。

「私は──」

 千尋がわずかに息を整えて、口を開く。

 その瞬間、空気が変わった。

 店内のざわめきが少し遠くへ。

 食器の触れ合う音も、誰かの笑い声も、どこか別の場所の出来事みたいにぼやけて。

 視界の中ではっきりしているのは、千尋だけだった。

 言葉を選ぶような、ほんの一瞬の間が生まれて。

 それで──

「すみません。ちょっといいですか?」

 すぐ後ろから声がして、肩がびくりと跳ねた。

「は、はい!」

 その声に意識がハッとしたのと同時に、胸の奥でなにかが解けた。

 ──助かった。

 そう思ってしまった自分がいた。

 逃げるように体を逸らし、声の主へと顔を向ける。

「え、えっと……」

 言葉が出てこない私の頭の中で、浮かぶのは先ほどの光景ばかり。

 あの続きを聞いていたら……。

 なんて考えていたから、その後の仕事は散々だった。

 噛んだり、注文を聞き逃したり、同じミスを繰り返してばかりで先輩にも何度もフォローしてもらった。

『私は──』

 その言葉に支配されて働き続け、気が付けばバイトの終了時間。

 店長に挨拶をし、店の外に出る。

 夜の空気が少しだけひんやりしていて、ようやく息がつける。

「おつかれ、いこ」

 後ろから声がする。

 振り返らなくても、誰かわかる声。

「……なに」

 ぶっきらぼうに返しても、特に効果はない。

「せっかく練習してあげたのに、ダメダメだったね」

「……うるさい」

 いつもの揶揄いに絞り出すように反論しても、千尋は軽く笑うばかりで意味がない。

「途中はよかったんだけどな―」

「あんたのせいでしょ……」

「え、なんで?」

「なんでって……」

 言いかけて止まる。

 言えるわけがない。

 ──あなたの言葉が気になって仕事も手につきませんでした、なんて。

 代わりの言葉を見つけることもできず、ふたりの間を沈黙だけが行き来する。

「さっきのさ……」

 千尋がぽつりと呟く。

 普段とは違う静かな声に、心臓が跳ねる。

「……なに」

 思ったよりも固い声が出た。

 その声を聞いて、千尋はほんの一瞬こちらを見て

「……いや、なんでもない」

 なにかを言いかけて、視線を逸らした。

 ──なに⁉

 普段と違う千尋に、高鳴った心臓がさらに大きく脈を打つ。

 聞き返したいのに、声を出すことができない。

 結局、どちらも踏み込めないまま時間だけが過ぎていく。

「……まあいいや」

 空気を切り換えるように、千尋が小さく息を吐いた。

「来週さ」

「……うん」

「夏祭り、あるじゃん」

「……うん」

 夏祭り。

 毎年この辺で行われている祭りで、去年も千尋と一緒に行ったっけ。

「一緒にいかない?」

 毎年のように聞いてきた、ただ誘っているだけの言葉。

 でも今は、さっきまでの空気がまだ残っているせいで。

 ──ただの誘いに聞こえない。

「……別に、いいけど」

「ほんと?」

「うん。ちょうどその日、暇だし」

「そっか……」

 そうやって短く話して、それ以上はなにも言わなかった。

 並んで歩く。

 少しだけ距離を開けて。

 夜風が静かにふたりの間を通り過ぎる。

『私は──』

 この言葉をなかったことにできるほど、私は器用じゃない。

 きっと何度も思い出す。

 ──夏祭り。

 人の多さに紛れれば上手く誤魔化せるかもしれない。

 なにもなかったみたいに笑っていられるかもしれない。

 でも、それでいいのかと問われたら──

 今すぐに答えは出せない。

 だから、来週までになにかしらの答えを出さなければいけない気がした。

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