第12話 故にメイドは正義である
みなさんは、〝かわいいお仕事〟と聞いて何を思い浮かべるだろうか。
アイドル。大正解。
モデル。大正解。
でも、それらのお仕事は、私にはまだ少しだけハードルが高い。
かわいさだけなら、私にも務まるんだけど──ちょっとだけ勇気が足りない。
だから私は、その足りない勇気でも挑戦できる〝かわいいお仕事〟を選んだ。
「おかえりなさいませ、ご主人様♡」
メイドである。
ふわりと広がるスカートは膝上のミニ丈。
そこから伸びる生足を包み込むニーソックス。
かわいい衣装を身に纏い、超絶かわいい私。
そんな私は、メイドカフェ《FANCY PHOTOGRAPH》にて、アルバイトをしている。
働き始めた理由はもちろん、かわいい服を着れるから。
そして、かわいい子がいっぱい居るから。
今日が、アルバイト初日。
人生初のアルバイトで、慣れないこともたくさんあるだろうけど──精一杯頑張ります!
そう意気込んだのも束の間……。
「りこちゃん。これ、あそこのテーブルに運んで」
先輩メイドさんに声をかけられた。
「はい!」
私はそれに明るく返事をし、ドリンクの入ったグラスを受け取った。
ちなみに、先ほど呼ばれていた『りこちゃん』とは、ここでの私の名前だ。
我ながら安直すぎるかな……と思ったけど、かわいいからオールオッケー!
グラスをトレーに乗せ、いざご主人様のもとへ。
トレーを両手でしっかりと押さえて、慎重に……慎重に……。
大丈夫、落ち着いてやればできる。
「こちら、ご注文のドリンクになります」
あとは置くだけ──。
そう思った瞬間、グラスの底がトレーに引っかかった。
「えっ?」
困惑したときにはもう遅かった。
グラスはそのまま傾き──ドリンクを盛大に溢した。
テーブルの上に……そして、ご主人様にもかかってしまうほど派手に溢した。
「申し訳ございません!」
ほとんど反射みたいに、勢いよく頭を下げた。
やっちゃった。
完全に失敗した。
ご主人様に、思い切り失礼なことを……。
「大丈夫ですよ」
おそるおそる顔を上げると、ご主人様は笑って許してくれた。
「う、うう……ありがとうございます」
優しすぎる気遣いに逆に申し訳なく思い、感謝の言葉を伝えていると、近くにいた先輩メイドさんがこちらに駆け寄ってくる。
「ご主人様、申し訳ありません。お体を拭くもの、すぐにお持ちします。りこちゃん、お願いできる?」
「はい!」
フォローを入れてくれた先輩に内心で全力の感謝をしつつ、この失敗を挽回しようと、気合を入れ、勢いよく振り返って──
「あ」
こけた。
なにもないところで躓いて、そのまま床に叩きつけられた。
「うぎゃ」
間の抜けた声を漏らし、打った鼻をさする。
……うそでしょ。
店内の空気が止まったように静かになり、周囲の視線が集まってくる。
……終わった。
「りこちゃん、大丈夫?」
頭上から、少しだけ困ったような声が落ちてきた。
先輩だ。
「だ、大丈夫です……!」
明るく答えて、すぐに立ち上がろうとして──よろける。
あ、大丈夫じゃないかもしれない。
「もう、ドジさんなんだから。無理しないで、落ち着いてね」
「はい……」
優しく言ってくれる先輩に、心苦しさと恥ずかしさが一気に押し寄せてきて、顔がじわじわと熱くなる。
床を見たまま、小さく息を吐いた。
……もしかして、向いてないのかな。
そんな弱音が頭をよぎるけど、すぐに気持ちを切り換える。
初めてなんだ、失敗するのなんて当たり前のことだ。
これくらいの失敗で落ち込んでないで、もっと頑張らないと。
頬を叩いて、顔を上げる。
「よし!」
気合を入れ、もう一度まっすぐ背筋を伸ばした。
***
そこから少しして、失敗もあまりしなくなった頃──
カラン。
入口のベルが軽やかな音を鳴らした。
「おかえりなさいませ、ご主人様♡」
音に反応して、覚えた言葉を口にする。
視線を向け、ご主人様と目が合った瞬間──時間の流れが遅くなった。
ぼんやりと時が進む空間で、彼女の姿だけがはっきりと映る。
吸い込まれそうな瞳に筋の通った綺麗な鼻、上品な色味の口元は少しだけ口角が上がって、美しいという言葉が世界で一番似合う顔──見慣れた顔が突然現れた。
「……千尋?」
どうしてここに、という疑問が浮かぶよりも先に、小さな声がぽつりと零れた。
その声に反応するように、千尋は少しだけ首を傾けて、軽く笑った。
「びっくりした?」
いつもと同じ、余裕のある表情が私の言葉を詰まらせる。
「な、なんでここに……」
「普通にお客さんとして来ただけだけど?」
当然みたいに返されるけど、そんなことで納得できるはずがない。
「いや、そうじゃなくて……」
困惑し固まっていると、千尋がこちらに一歩近づいてきた。
「とりあえず、席に案内してもらってもいい?」
「か、かしこまりました……ご主人様……」
初めてのアルバイトで緊張したり、失敗で落ち込んだりはあった。
でも、今はそんなもの全部吹き飛んだ。
さっきまでとは別の意味で落ち着かない。
「ふふ……」
小さな笑い声が、近くで響いた。
「唯恋、緊張してるのかわいいね」
「うるさい!」
そんなふうに揶揄ってくる千尋につい声が大きくなり、ハッとする。
今のは、完全にメイドの態度ではなかった。
チラリと周りを見ると、視線がこちらに向けられている。
先輩も、「お客様にそんなこと言うんじゃない」と言っているような目でこちらを見ている。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
空気を換えるように、かわいげに口を開く。
千尋はメニューを見て、少し考えるような仕草をしてから、ゆっくりと口を開いた。
「唯恋のおすすめ、教えてよ」
「え、えっと……これとか、おすすめですよ」
メニューを横から覗き込み、人気ナンバーワンと書かれている商品を指で示すと、千尋は静かに頷いた。
「じゃあ、それお願い」
「はい。かしこまりました」
軽く頭を下げ、キッチンへと向かった。
「りこちゃん、ちょっといい?」
キッチンで注文を伝え終えたところで、先輩に呼び止められた。
「はい」
「あの人、りこちゃんの知り合い?」
先輩が指さす方向に視線を向けると、こちらを見つめる千尋と目が合った。
千尋は、気づいた途端に嬉しそうに笑って手を振ってくる。
「はい。そうです」
「なら、ちょっと注意しないとだね」
振られた手をスルーして返事をすると、先輩の声のトーンがわずかに引き締まった。
「まず、あなたの名前は〝りこちゃん〟です。本名で呼ばせるのはダメ」
先輩はそう言って、胸の前で両手の人差し指をクロスさせ、小さくバツマークを作った。
「次に、知り合いだからって距離を詰め過ぎないこと。他のお客さんもいるんだから、ちゃんと平等にね」
「はい!」
明るく返事をすると、先輩は少し表情を緩めた。
「それから、女性のお客様はご主人様じゃなくて、〝お嬢様〟ね!」
決めポーズのように、ピッと指を向けられる。
「わかった?」
「はい!」
そうこうしていると、料理ができたようでキッチンの人から声をかけられた。
「それじゃあ、今言ったことちゃんと意識してね」
「はい。ありがとうございます」
しっかり頭を下げると、先輩は笑ってご主人様の元へと行ってしまった。
──がんばるぞ!
料理を受け取ってから、先輩に言われたことを頭の中で復唱し、千尋の元へ向かう。
「おまたせしました」
千尋の傍まで行き、柔らかく笑ってから運んできた料理をテーブルの上に置く。
「こちら、メイドさんの愛情たっぷりオムライスです」
テーブルの上に置かれたそれは、ふわりと丸く整った形で、優しい色をしている。
「では、こちらにお絵かきさせていただきますね」
そう言って、トレーに乗っていたケチャップボトルを手に取り、軽く構える。
「なにかリクエストはございますか?」
軽く首を傾げて尋ねると、千尋は楽しそうに目を細めた。
「なら、唯恋の好きなウサギをお願いしようかな」
「ご主人様」
私は笑いながら、一歩距離を詰め、そっと耳元に口を近づけた。
「ここでは、りこって呼んでよね」
息がかかるくらいの距離で静かに囁くと、千尋の体がわずかに震えた。
「わかった……」
短くそう言うと、千尋は黙って動かなくなってしまった。
「えっと、ウサギでしたね。それでは描かせていただきますね」
そっと身を引いて距離を戻し、一拍置いてから、何事もなかったみたいに明るい声を出した。
ケチャップボトルを軽く握り直し、オムライスの表面にそっと先端を近づける。
まん丸の顔に長い耳、小さな瞳と柔らかな口元。
──こんな感じだったよね。
記憶をなぞるように線を重ねていく。
最後に、ちょんと鼻を添えて。
「できました!」
顔を上げて、全体を見る。
丸みを帯びた、小さなウサギ。
自分で言うのもなんだけど、結構うまく描けた気がする。
「かわいいね」
千尋はそれを見て、柔らかく微笑んだ。
しばらく、そのままウサギを眺めてから、ゆっくりと視線をこちらに移す。
「初めてのアルバイトって聞いてたから、ちょっと心配してたんだけど……ちゃんとやれてるみたいで安心したよ」
千尋らしくない、柔らかな声。
聞き慣れない声がなんだか落ち着かなくて、思わず視線を逸らす。
「なにそれ……」
素直になれずに小さくそう返す。
「ん?」
そんな時、ふと先ほどの千尋の言葉が引っ掛かった。
「……バイトのこと、聞いたって……誰から聞いたの?」
ほんの少しだけ声の温度が下がる。
それも当然だ。
バイトのことを、だれかに話した覚えがない。
千尋にも話してないし、他のだれにも──
「りこのお母さんから聞いた」
「……は?」
遅れて口が動く。
「お母さん?」
「うん。りこの家行ったら、『今日バイトなんだー』って、嬉しそうに話してくれた」
「ちょっと待って」
思わず話を遮った。
嫌な予感しかしない。
お母さん、絶対いらないことまで話してるでしょ……。
「……なに話したの?」
おそるおそる聞いてみると、千尋は少しだけ思い出す素振りをして。
「『うちの子、初めてのバイトで緊張してて~』とか」
「やめて」
食い気味に止めるけど、もう遅い。
「『ちゃんとできるか心配で~』とかも言ってたかな」
「やめてって言ってるでしょ!」
思わず声が大きくなった。
「はっ!」
叫び終えてから気づいた。
今の……。
周りを見てみると、何人かこちらを見ている。
その視線にいたたまれなくなって、逃げるみたいに顔を伏せた。
すると、千尋はそんな私を見て、くすっと笑った。
「いいじゃん」
「よくない!」
「愛されてる証拠でしょ」
「それを千尋に共有されるのが嫌なの!」
言い返しながら、じわじわと顔が熱くなっていく。
本当に最悪。
お母さんめ……。
私のこと、べらべらと……。
これじゃあ、千尋になにを知られてるかわかったもんじゃない。
「ご主人様、ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
誤魔化すようにそう言って、振り返ろうとしたその時。
「りこちゃん」
少しだけ圧のこもった声が背中に落ちてきた。
「は、はい」
反射的に、息が詰まったような声が出た。
けれど先輩は、すぐにいつもみたいな優しい声へと戻って。
「さっき言ったこと、覚えてる?」
その言葉を聞いて、一瞬遅れて思い出した。
「はい」
返事をし、千尋の方へと向き直る。
「以上でよろしいでしょうか、お嬢様」
言い終えた途端、千尋は目を見開いて、
「お嬢様?」
そのままじっとこちらを見つめて、言葉をなぞるように口を開いた。
「それなに? お嬢様って?」
「えっと、男性のお客様をご主人様、女性のお客様をお嬢様とお呼びしております」
左後ろから先輩の気配を感じながら、できるだけ丁寧に説明する。
千尋はそれを聞いて、少しだけ眉を寄せると、
「私、ご主人様がいいんだけど」
意味のわからないことを言い出した。
「りこに呼ばれるなら、お嬢様よりご主人様の方がいいんだけど。ダメ?」
などと意味のわからない言葉を続けながら、わざとらしく首を傾げる。
「うう……」
思わず小さく唸る。
困惑を押し込みながら、表情に出さないように気をつけて、先輩の方へそっと視線を送る。
すると、その意図を汲んでくれたのか、先輩はすぐにこちらへと歩み寄ってきた。
「構いませんよ。お客様が望まれるのであれば、今後はご主人様とお呼びいたします」
先輩が穏やかに微笑んでそう言うと、千尋の顔がわかりやすく明るくなった。
「ありがとうございます。それじゃあ、りこ。お願いしてもいいかな?」
楽しそうな表情の中に少しだけ歪な気配が混ざったものが、私を見つめる。
……キモ。
思わず、心の奥で吐き捨ててしまった。
でも、そう思わずにはいられないセリフと顔だった。
他の人にはわからないかもしれないけど、私にはわかる。
──こいつ、絶対変なこと考えてる。
下心の透けた千尋に対して、言い返してやりたい。
けれど──今は仕事中。
その衝動を、ぐっと飲み込む。
「かしこまりました。ご主人様」
私がそう言うと、千尋は満足そうに笑った。
その笑みを無視して、私は次の仕事へと足を向ける──んだけど。




