Ltns! 生き地獄!!
――よくよく考えてみれば。イロハは畏取、『特別畏能取締局』の一員として仕事をした事がない。
一週間前、三等市民区で起きた事件への殴り込み。
更に一週間前には壁外での一悶着。
その前となると唯一の初勤務日こそあるが内容はお偉いサンとの挨拶回り。
更にその前には、一週間の療養期間――それだけに、ぶっちゃけ迷惑しかかけていないのではと思っていたが。
「うんうん。ちゃんと今月分は受け取れたようだネ。次の契約期間は三ヶ月、契約続行だから、またヨロシク頼むヨ」
「……、よかっ、たぁあぁ…………」
P.C.2034年10月5日(日)――休日返上、呼び出された矢先の社長室。内蔵が出るのではという程の溜息と共に、白髪少女は膝から崩れ落つ。
その様子に、思わず腹を抱えるのは、広大な夜景と逆光とを背にした女社長。
認識のギャップの余り、イロハまで笑えてくる。こりゃそもそも、そう深刻ぶるものでもなかったらしい。
「いやぁ、だから首を切る気はないんだって。そもそも、ここ一週間は研修期間だったんだからサ」
「……だって。そいつも、文字読めないから全然だったじゃん」
「形上はやらンとなの。実際実技は、特に救命における優先行動の講義はちゃんと身になってたわけじゃないカ……もー拗ねないノ、うりうり」
デスクから扉をつなぐ赤絨毯の上、手をついて膝裏にまで届く長髪を散らし、なんら感慨のない顔のわりにきっちり明後日を向く紅眼。
小さな顎周りにある余りの少ない皮膚を両端から引っ張られても、イロハは意地でも顔色を変えない。元より然程変わらないが、変える気がない。
しかしその実。閉じた目の色以外は笑顔でいるスカーフェイスは、しゃがみ込んで実に満足げな声音を発していた。
ただ――気のせいだろうか。
やはり、少しばかり疲労か、焦りか。余裕のない、乾いた笑みにも見えた。
「ていうか、ありがとうございました。あの子の事、病棟にタダで受け入れてくれて」
「いやァ、そりゃいいのいいの。病棟の医療費はバカにならないからね。ウチらは社割で使えるが、三等市民の経済力じゃあ流石にネ」
「そうでなくとも。我が社の指針に従ったまで、ってだけの事ヨ――キミもそうしてくれた事が、アタシゃ嬉しくてうれしくてねェ。キミのような人材が空いてたのが不思議でならんヨ〜」
(……なんか、怖いくらい褒めてくれてる……)
いや。やっぱ気のせいかも知れない。平常運転だ。
過剰に褒めて、過剰に己の行動は軽く見る。
或いは。常に、過去を顧みてはいられないだけなのか。
茶色く分厚いクッションの席に座す女社長、ナツメは。
金属的に軋む一方の足を組み、デスクに頬杖をついて、
「ところで――キミに、これから紹介する職員一名と組んでやってもらいたい畏取の仕事があるんだけど、どうかな。今から会いに――」
「いきますっ!!」
そりゃもう。労働意欲は持て余し切っている故。
死んだ表情筋に対しギラギラと血走る目で、見えない尻尾をフル回転させるイロハ。
――このコ大丈夫かなァ。と、仕掛けた当人とはいえ、ナツメが思うには余りある懐柔ぶりであった。
だがまぁ、実際。
この情勢下で、こうも話の早いヤツはいまい――。
「……、?」
戸惑い、小首をかしげた。
握った手が、はじめましての握手をした相手が、ただそれだけで小刻みに震えていたからである。
いや、本当に。それ以上でも以下でもなく。
比較的小さめの面会室に連れられ、背後の社長から促されるままにお互い手を取った初対面に、「キュピーン!」などという奇声を発してだ。
「……え。えっと、どう、しましたか」
力加減を間違えては、いないよな。と、痙攣地味た挙動のそれを覗き込む。
身長差は然程ない。百四十センチ程度――女児なのか、性別はわからないが、人型の縫いぐるみを抱いている。
古いお家柄なのだろうか。ジャケットの下には黒い着物があり、目の周りは隈のような紅い化粧があって――、
「――待っていたよマイソウルフレンッヅ!」
「あぶっ」
「待っていたよ。キミとのっ、熱い青春の日々を待っていたッ!!」
壁にたたきつけられた。
体重差はさすがにあるのか、丸めた背筋が真逆に押し込まれる衝撃。何事かと前を向き――しかし。
ここからが本当に理解不能だった。
「――十年の子供時代を壁外の末端下請け傭兵業社で殺しに明け暮れる日々を過ごし悪環境との余りに我慢の限界を超えてヒャッハーしてぶっ潰し拾われた先の男に命の危険を伴うレベルで手荒ながらも諭された事で他人の裏切りを克服した上でもコイツだけはと受け入れられなかったものをブッ飛ばして矯正し次いでに壁外半怪人をもブッ飛ばし――」
「……チェンジで」
「えっ、いやちょっ」
「ないから。チェンジで」
なんかもう。
見てきたように言い出した彼、或いは彼女の言に、なにより一方的に情報を掴まされた相手からの得体の知れない好感に。
ある種「生きてて偉い」を地でいくイロハから、全力の拒否を引き出すに至っていた。
「相手を知るには相互理解が必要だからね。頑張って調べたのさ」
などと供述する彼。或いは彼女は手に取った人形に手を振らせて遅ればせながらの御挨拶。
その衣服と肌色はやけに見覚えのある、身に覚えのあるものだった気がするが。何故そんなものを用意したのか。
そこまで考えて、これ以上理解したくないとイロハは目を背けて突っぱねた。
もういい、十分だ。十分に情報は提供された。
コイツにペースを握らせたら、延々と混乱するというのさえ分かれば火の粉を凌ぐ分にはいい。
「なので次はボクの番だね。せっかくだし自己紹介を――」
「いや、いい」
「えーでもでも」
「やるなら三行で」
「畏能、もって、ココ入った。って終わってもうたやないかいっ!」
半眼の少女による悉くの迎撃。
椅子に座った腰の上で人形に『うわーん』と目をこすらせる溌剌ぶりに、半ば飛び退く形でイロハは縦長の机を隔てて距離を取る。
ついで、隣で座る社長に『なにこいつ』と紅眼は訴えるも、もはや諦めムードで首を横に振るのみ。
なんなら、『意外と少ないんだヨ。普通の事を普通にできる、フラットな心持ちの人ってのは』と、何やら悟った風に言う始末だった。
「あの。前もってわたしのこと話しておいた、ってワケじゃないんですよね、これ」
「言ってない。勝手に感じ取るかラ、このコ」
「うわぁっ」
その事実に、ますますイロハの目はげんなりとした忌避感を帯びた。
――出自の一切が不明なイロハは、八雲カフクと豊山ミノルに三日に一度、必ず観察日誌をつけてもらい、社長にも共有されるという措置を向こう一年は確約されている。
しかし、その参考物件なしに、自前情報だけで先程のように言い当てたという事になる――なにそれこわい。
本当、もういい。さっさと本題に入ろう。もう一刻も早く立ち去りたい。見たくもない。
あの心底楽し気にニマついた童顔の、終始こちらを向く黒い目の色を伺っていたくない。
「で、社長さん。仕事らしいじゃないですか。なにができるんですかコイツ――なんか、わたしと同じステージ4、ブラックって話だし。本体発動?」
「あ~。それなんだケド……びっくりすると思うから、遠慮なく甘えちゃってくれていいからネ」
「あまえる、って。なんで――」
そして、本音は同じだと。
手早く済ませたい。という意図だけは確かに伝わったものの、どうするつもりなのか。ナツメは今のうちにと両手を合わせて謝ってきた――なにかされるらしいが。これ以下が果たして在り得るというのか。
到底思えず、腰を下ろして前を見れば、お相手は人形の口を開けて、なにやら半透明の飴玉を摘まんで入れようとしていた。
地味に、なかなか気持ち悪いデザインの人形だ。のっぺらぼうなくせして顎だけはあるらしい。しかも中には舌とおぼしきものがある。作り物なのか、血管も透けて見えた。さすがに歯はないあたり、まだ理性が効いているといったところか――。
「――――っ!?」
喉が焼け付いた。
説明される猶予も、観察する余裕も、それを問う為に話す機会さえなかった。
両手で反射的に口を覆って、何の抵抗なのか声を殺した反応を最後に、急変のあまり認識が追い付かない。
体を支配したのは、異物感だけだ。
「っ、ん、ぐ……んんっ!?」
色濃すぎる情報で視野が埋まる。
快楽か苦痛かの判別もつかない。
妙な高音が頭蓋の中に木霊している。
使い切った血液を捨てるという嘔吐癖を存分に発揮。した筈なのに、まったく楽にならず。
「……うん。やはり味覚の機能は死んでいなかったらしいね。死んでないだけで、これを生きているといっていいかは憚られる状態だけれど、あくまでメンタルの問題だったわけだ」
よく聞き取れない、言葉を聞きとれる脳などなく。
混乱した思考で、迷いなく最もイージーな解決を図った。
「――!」
「って、うわっちょっ――」
警鐘の反響、赤く染まる視野。
理性を切り捨て背後の壁を蹴り真正面、元凶であろう対象へと足が跳ぶ。対応など許さぬ速度は大音を伴い、思わず相手は手に持っていたものを落下させた――即座。
「!?」
「……あれっ。そっか、マジでないんだね、痛覚……あぶな~あぶな、一歩間違えたらショック死させるとこだった」
体感は落ちて、足が曲がった。
正座みたく膝は折れた。ただし前方に。体幹の抜け落ちた、踏ん張りのまるでない体はそのまま、軽く弾んで前に上体を倒す。
イメージしたのは、ついこの前にあった落下からの生還劇、それがもし失敗していたらというイフ。大気に煽られ、逆行して下へ真っ直ぐ引かれた矢先での、もしもの光景。
そんな情報が、これ以上無く明確に如実に、身を以て示され――、
「はいっ、キャッチ! ……いやぁ、やっぱりビックリさせちゃったカナぁ、かなり」
柔らかい感触に顔が埋まる。あっけなく胸にうずまって、四肢は真下に垂れていた。
凄まじい落下の直後には似つかわしくない結末。否、ここに来て、漸く理解に行き着く。
今、大の字になって、四肢があらぬほうを向いて地べたに倒れたモノと、どういう過程か殺害行動を中断され抱擁されたものと。
感じ取れるカラダが、ふたつある。
ふたつ分、身体情報が頭に流れ込んでくるのだ。
「――コクマも、そのくらいにしときなさい」
「あのぉ、社長、これボクが脅かされる必要はなかったんじゃ」
「残念でもないし当然。日頃の行いヨ、問題社員クン」
違和感の直中から免れ、四肢がもどる。
幸いだったのは、発動中でも片方が自分の意思で動かないモノと、動かされる為だけのモノだと分かったことだろう。
だから、ソレがどんな体制をされようと。
動く事を前提として間接を設けた肉体には、不可能な体制のポーズをしたと錯覚した中でも、流れ込む情報量を自分の分だけ仕分け続ければ、脈動に支障は無い。
普段、無意識で出来ている作業を、意識的にせねばならないが。
「にしても。まさかイロハちゃんの体にも通用させるとはね。『矯源乖域』によるアウトプットでもなく、自己発動でもなく、対象が一体でない。二体以上がデフォルトの畏能……ワタシでも、そう上手くできる気しないなぁ」
「ふっ……ぅ、ふ……ッ」
開ききった瞳孔の視点は小刻みに。カラダに詰められた綿の残留感のなか、見出した肺の輪郭を動かして不規則に息をする。骨肉と血と、生き物である事に震えて固執した。
背中を優しく撫でる手の情報がジャマだ。言葉なんてもっと要らない。受け取れるワケがない。余裕が無い。
頭を振る、どうあっても頭の中はさっぱりしない。中身なんて空っぽなのに吐き気は止まらない。
こわい。恐ろしい。
理解しがたい。
わかったのは。これは間違いなく、今のイロハを獲る畏能である事だけ――。
「でもやはり、リハビリ効果は絶大みたいだ。無制限の身体強化は他に類を見ない――イロハちゃんには悪いケド、コレしかないかな」
「……これから一週間。このコと一緒に、『準備期間』をガンバってネ」
半分以上も聞き取れない。わからない。
ただどうやら、また何かの予定が確約されたらしく。
――事態を受け入れるより先に、理解と共に意識を投げていた。




