誤解なき非相互理解〈上〉
(……つかれた。あたま、回んないレベルで、つかれた)
幾つも、似通った扉の並ぶ廊下。違いは小さく書かれた数字程度。
そのうちひとつを前に、進めてきた重い足取りが止まる。
それは、変わらぬ日々の起点。
登録されたIDの市民証を鍵代わりに開く、日常の門。
そこで、靴を玄関口に揃え終えるや否や、
「ただいま。ミノル、きょーの夕飯はなんですかっ」
と。過敏な足裏にまとわる諸々から解放され、白髪を踊らせて居間に顔を出した。
彼女、イロハには一般的な食欲というものがない。嗅覚があっても、美味しそうと思えない。
だが風呂を含め、団欒の場にはなるべく出席するというのが、せめてもの家主への礼節であり。
――特に今は、頼むから普段通りであってくれ、と思考停止した帰巣本能の譲受が本懐だった。故に、
「あっ、ども。お先にお茶を頂いております」
いや。わかっちゃいました。
わかりたくもなかったけど。
多分、その声が。そこには我が物顔で居座る異物があるのであろうと。
だから、大問題だが、問題はそこにない。問題なのは、
「――えっ」
――アレの容姿を前に。わけがわからず。理解出来なすぎて、言葉以下の鳴き声しか出なかった。
背もたれから溢れる、どこか安っぽく均等すぎる白髪。
大粒の瞳に後付された赤の色。
自前の時点で十分に色白で細身であったが、『元ネタ』を前には埋めようのない身体的特徴の差を、グレーのオーバーなパーカーによる着膨れで隠した――具体的には。
つい昨日、家主に洗濯物として出した部屋着姿の。
全体的に。どうしてそんな労力をかけたのか、と問い質したくなる程に寄せられた努力の結晶を前に。
「……、――」
「えっ。ちょっ、なんで閉じるの? おかえりなさいでしょ~」
開けた戸を閉じる。
目蓋をこする。
深呼吸。きらめく埃を一身に吸い込んで、
「……、いやぁ。ないだろ」
「ないわ。マジでないわ……なんなんだ、アイツ」
最早。内蔵がこぼれでそうな嘆息をし。
ようやっと、イロハは逃げてきた宿題に向き合わざるを得なくなった。
「ねぇなんで上げちゃったのさ。わたし等と八雲さん以外は開けらんないでしょーが」
「だって、お友達って言うんですもん。前イロハさんも、やたら話してくれたじゃないですか」
「信じるなよソレを。わたしの友達は灰茶と桃色の髪の女の子しか居ないよ。そうでなくともなんでわたしの服を――」
「いやぁ、なんかイロハちゃん大好きみたいだったから――好きな人に近づきたい、ってのはよくわかりますし、私も」
――わかってたまるかァっ!!
と、無表情のままドンドンと机を叩くイロハを尻目に、「あっコクマさんおかわり要ります?」と、部外者を入れての食卓は成立してしまっていた。
眼前。隣の席のコクマは「いやぁ、これ以上厄介になるワケには」と言いつつ、キッチリ受けとった白米をおかずと共に笑顔で食している。
仮にも自分に近い姿で、自分の絶対にしない行動と表情を見せられるとは。
なんだか、『コレジャナイ』感がすさまじい。もっとこう、と思わずにはいられない。
……というか、いっそ痛々しい。
自分の個性を完全に撤廃し、相手の特徴を最大限に拾って装う。
こういうコスプレなぞというやつを、コイツはもしや日常としてやっているのではないか――そう思う程。あまりに、人形めいた有様が様になって見える。
この場合、行きすぎた美貌だから作り物に見えるというワケじゃなく。
何者にも平然と染められていそうな、自我のない危うさというべきか……大丈夫なのかなぁ、コイツ。
「大体、大変なんですからね。一人前の料理ってのは。ちゃんと食べてくれて、美味しいと言ってくれるくらいの機能は持ちあわせて欲しかったです」
……うん。あれっ。
あの。なんで、風向きが悪くなっておられるのですか。自分、本物なのですが。
と、気付いた時には味方がいない事態に瞠目、視線は慌てて家主へと向く。
心当たりはあった。
「……なんだよ。なんか最近は無愛想になったと思ったら、そういう事だったのか」
「だって。ビジュアルべっぴんさんなのはわかるんですけど。毎日見て慣れちゃえば、タダのいちいち教えなきゃいけない手の掛かるヒトなんですもん」
「うぐ……っ」
むしろ、ありすぎていた。
手先が不器用なので、皿洗いすら任せられず、機械を持たせれば簡単にぶち壊した前科から、掃除の際に邪魔者をどける程度の家庭貢献しか出来ていないという事実。
それを言語化され、席で身を丸めるイロハにTシャツの胸元に盛大な皺を作って腕を組む豊山ミノル。
八雲カフクが絡まない際の彼女は、基本的にこういうローテンションで容赦が無い。
以前まで彼女はイロハをお人形として、一時期髪型と服装について忙しく頭を悩ます毎朝を送っていたのだが――態度がおざなりになってきていた理由がまさかそれだったとは。
というか。なぜなのだ。本物の方の存在意義が消えかかっていないか、コレ。
「そういや。ミノルさんって、巷で噂の八雲く――、さんと、同業らしいじゃないですか」
「――そうなんですよっ!」
安堵に弛緩。
確信に絶句。
まずい。どうやら、本当に立つ瀬が無いらしい――あろう事か、偽物に庇われてしまうとは。
「……へぇ、じゃあ、やはり八雲さんは、既にかなりの情報を――」
「そうなんですよね、あと一歩な感じではあるんです。でも、そこで変わらず気を引き締めて達成に全神経を捧げているのが彼らしいと言いますか――!」
空気は様変わり、楽しみに湧く食卓。片隅でぷるぷると震えて放置されるイロハ。
――どうしてこうなったのだ。
偽物が本物を庇うという、物語の一節としてはベタベタのベタ展開。それが、どうしてこうヘンな形になるのか。そもそも何故あの姿なのだ、このまま成り代わる魂胆か。
もはや恥である。生き恥だ。いっそスクランブルがかかった先で殺されたい――と、そこに。
「――っ?」
認識が遅れた。
気付いた時には、ぱし、と。右手を左手は掴んで抑えかかっていた。
猫が自身の尾を仕留めんとする図、といえば読者諸君には伝わりがよいだろうか。
(またか。コイツ。一言いってからやれってのに)
隣の偽自分に主張したいが、場を乱したくないので沈黙を選択。
黙って右手に箸をとる。手に取る分にはいいが、ミノルの鬼講義で学んだ体制を取らすのは苦労する。幾ら見せられたところで、いざ自分でやる上での勝手までは掴めない。
しかし、ヒントは今しがた示された。
――無断で一瞬のみ、お隣さんの右手の情報が、こちらにも流れ込んだのだから。
「……」
一度始めてしまえば、周りなど気にならない。神経はその一点で集中。
自分の前にある二つの皿のうち、積みあがった豆をつまんで、持ち上げ、空の皿の方へと追いやる――などという単純な動作を時間いっぱい、黙々となって実行する。
――今回の仕事は、金銭は無論達成後に支払われるものの、それとは別の報酬が前払いとなっている。
それがコレだ。体感情報の錯覚体験による、両腕の機能回復プログラム。
コクマの畏能と、幾つかの錠剤も社割で処方された。
よほど、この仕事では足でなく、存分に腕を振るって欲しいらしい。
(まぁ、モノを取るのは何故か足でやっちゃいけないらしいし。これでこれからは落ちたものを文句なく拾えるように――)
ううむ。しょぼい特典である。
これだけ慣れない神経を使い、神経の障る相手と居て、退屈な動作を繰り返すというのにそれだけとは。徒労感が豆の数だけ積まれていくようだ。
貰えるというなら貰っておくが。しかしながら――。
一話にして投稿予定だったのですが、文章量かさんだので分割です。
かといってキリも悪いので、一日挟まず、後半も同時投稿というカタチになります。
ちなみにコイツは後々痛い目をイロハによって遭う事となる予定です。
そのタメ時間として、続きもぜひお楽しみ下さい。




